シルビアとの問答

 ひとしきり笑った後で、シルビアは再び運転席に座り直した。唖然とするヴァルターにまた視線を送ってから、自動運転を解除する。


「とにかく、隊長はもっと我々を詮索すべきです」

「詮索?」

「そうです。我々は隊長の部下であるのと同時に、軍の所有物です。我々個人がどう思っていようと、軍の意向には逆らえない。隊長はそのことをもっと強く認識すべきです」


 その話は理解できる。


 ヴァルターはそう思ったが、うなずくことはできなかった。何せマーナガルム隊が結成されてから二年が経っていたし、最短一年、最長二年を一緒に過ごしてきた部下たちである。死線を幾度となく潜り抜けてきた仲間である。――と、ヴァルターは思っていた。


「隊長」

「なんだ?」

「殺すことは好きですか?」

「なぜそんなことを?」


 怪訝な顔で問い返すヴァルターだったが、シルビアは無言で回答を促す。


「……わからない」


 仕方なくといった具合にヴァルターは返す。シルビアはハンドルをコツコツと二度叩いて、質問を続けた。


「何故殺すのですか?」

「敵、だからだ」

「感情は?」

「特にないだろう」


 ミサイルや機関砲を撃つ時に、いちいち感傷的にはなっていられない。


「恐怖はありますか?」


 その問いに、ヴァルターの思考がはたと止まる。道路側壁の継ぎ目が迫って来ては後ろへと飛んでいく。


「恐怖がないといえばウソだな」

「何に対する恐怖ですか? 死ぬことですか?」


 矢継ぎ早のその問いに、ヴァルターはまたしげしげとシルビアの横顔を見た。肩口で切りそろえられた色の抜けたような黒髪が少し揺れている。


「死ぬのは確かに怖いな」

「奥様ですか?」

「まだ結婚はしていない」

「いずれするのなら、いいではありませんか」


 まぁ、それはそうかもしれない。


 ヴァルターは溜息を吐く。


「エルザのためにも生きて帰らなきゃならないとは、いつも思っている」


 エルザというのは、ヴァルターの婚約者、シルビアの言う「奥様」の名前である。


 その途端、車内が急に静かになった。プレイリストの最後まで行ったらしい。リピートの設定はされておらず、車内にはしばらくエンジン音とタイヤが転がる音だけが響いていた。


「で、シルビア、君はどうなんだ」


 沈黙を破ったのはヴァルターの方だった。シルビアはいつものように、何を考えているのかよく分からない表情で前を見ている。


「戦う理由ですか?」

「君が俺にした質問だ」

「そうでしたか」


 シルビアはちらりとヴァルターを見て、そしてまた正面に視線を戻した。


「お答えします」

「うん」

「殺すことは嫌いです。ですが、殺すこと自体に特定の感情は湧きません。そうですね、テーブルの上に置いてあるスナック菓子を食べているような感じでしょうか。あるから、なんとなく摘む。あるからついつい手に取ってしまう。食べ終わったらほかにないかと探してしまいます」

「スナック菓子……」


 そういう捉え方もあるのだなと、ヴァルターは半ば関心する。理解できないわけではない。


「他人を殺すことについても、それは単なる事実にしか過ぎませんよ。否定も肯定も、どうだっていいことです」

「仲間が死んでも?」

「敵が死んでもです」


 その被せるように放たれた言葉が、ヴァルターの問いを肯定したのか否かは不明だ。シルビアは少しだけ加速した。


「恐怖。あります。死にたくありません。ですが、私には、守るべきものはありません。ですから純粋に死ぬのが怖いのでしょうね」


 途中で陸軍の装甲車両の群れを追い越した。彼らは盛んに進路を妨害してきたが、シルビアの超絶運転技巧の前には、それは些細な嫌がらせだった。


「タ弾でもバラまいてやろうかしら」

「物騒なことを言わない」

「はい」


 シルビアはまた声を立てて笑った。その笑顔がヴァルターにはいちいち新鮮だった。シルビアの新たな顔を見られただけでも、このドライブには収穫があったな、とヴァルターは思う。


「隊長」

「なんだ?」

「窓、開けますか?」

「とんでもない」


 シルビアのジョークに、ヴァルターは生真面目に答えた。その様子がおかしくて、シルビアはまた笑った。


「ところでシルビア」

「はい」

「君はなぜ軍に?」


 普段、ヴァルターは隊員の過去を詮索したりはしない。それはアーシュオンに於ける不文律みたいなものであった。だが、さっきまでの話の流れもあったので、ヴァルターは敢えて尋ねてみたのだ。


「私は孤児でした」

「孤児……?」

「過去形ですけど。生みの親は両方とも軍人だったらしいのですが、私が生まれた時にはすでに父は戦死していたそうです。母は私が五歳の時、乗っていた輸送機を撃ち落とされて」

「そうか」


 珍しい話でもない。


「私は七歳から軍施設で訓練を受けてきました。隊長よりもずっと軍隊生活のキャリアは長いんですよ」

「七歳から……」


 それも珍しい話ではない。孤児たちのほとんどが軍施設に収容され、生活の安定と引き換えに兵士となることを強制される。アーシュオンに於いては孤児となるということはつまり、兵士になることと同義だった。


「十五歳の時、訓練を終えた私はそのまま陸軍の最前線送りになるところだったんですが、今の父と母に拾われて、士官学校へ行くことができました」

「十五歳というと十年くらい前か?」

「そうです、ちょうど十年前ですね」


 十年前と言えば、アーシュオンによる島嶼攻略作戦が矢継ぎ早に発生していた頃合だ。その頃の揚陸部隊の死傷者数は数十万人にも上ると言われている。そのほとんどが孤児上がりの年端も行かない少年兵たちだった。彼らは前線の露払いとして使われ、捨てられていったのだ。シルビアもそうなるところをその直前に拾われた、ということらしい。


「父は海兵隊の中佐。そして戸籍上の母は中央情報部のメンバーだったようですが、詳しいことは私も知りません。会ったこともありませんから」

「中央情報部……まさか、ゲフィオンか?」

「かもしれませんね」


 シルビアは妖艶な笑みを見せた。


「いずれにしても、情報部に一瞬でも絡んだ人間は一生情報部。そしてその関係者に絡んだ人間は、一生マークされ続ける。必要とあらば消されます、いつだって」


 噂話としてはヴァルターもその程度の事は知っていた。だが、それがシルビアの口から明かされたとなると、それはどうやら噂では済まない事態となりそうだとヴァルターは考える。


「そもそも――そんなことを口外してよかったのか?」

「ふふ、これで私のことがますます分からなくなったでしょう?」


 シルビアはそう言いながらも、視線を正面から動かさない。また一台、陸軍の輸送トラックをギリギリまで幅寄せしてから追い抜いた。派手にクラクションを鳴らされたが、シルビアは意にも介していない。


「この車にも盗聴器があるかもしれない。あるいは私が逐一隊長の言動を情報部にリークしているかもしれない」

「まさか――」

「ご心配なく」


 シルビアはやる気なさそうな声で言う。


「私も監視されるのは遠慮したいですから」

「それだけ情報を明かされた後でそう言われてもね」


 ヴァルターは肩を竦めた。シルビアはまた不意に自動運転に切り替えると、上半身をグイッと捻ってヴァルターに顔を近付けた。


「君が深淵を覗く時、深淵もまた君を覗いている」

「ニーチェか?」

「善悪の彼岸」


 シルビアはその出典を意味ありげに口にし、また運転席に戻った。そしてまた指の骨をバキバキと鳴らした。その大きな音に、ヴァルターは思わず閉口してしまう。


「そうは言っても、私の話を信じるか否かは、隊長次第です。私に関する情報は素直なものなのかもしれませんし、軍によって完全に作り上げられたものなのかもしれません。隊長の権限ではそれの判断ができる情報は揃えられないでしょうね」

「さっきのも、俺を試した?」

「超兵器の話ですか?」

「ああ」


 ヴァルターが憤然として肯定するのを見て、シルビアは微笑する。


「否定はしません」

「居心地が悪いな」

「すみません」


 シルビアは感情のこもらない声で謝罪した。ヴァルターはふと苦笑する。


「君に対してというより、この国の軍に対してだ」

「でも隊長はその軍を選んだ」

「……特権階級の上に胡座あぐらをかいていたくなかったからだ。そう望むとなると、これ以外の選択肢がなかった」


 シルビアは軍道を抜けると、すぐそばにあったパーキングエリアに入って車を停めた。予告なしの寄り道に、ヴァルターはほんのわずかに眉根を寄せた。


「どうした?」

「外の空気でも吸いませんか?」


 シルビアはそう提案したが、その時にはもうドアを開けて身体半分を外に出していた。ヴァルターはシートベルトを外すと「やれやれ」などと思いながら外に出た。左手にした腕時計を見てみると、もう午後五時になろうとしていた。だが、陽はまだそこそこ高く、曇天の冬の昼間程度には明るかった。


 ヴァルターが外に出た時にはすでに、シルビアはタバコに火をつけていた。たいした美味しくもなさそうな表情で煙を吸い込み、ふっと吐き出す。いきなり手持無沙汰になったヴァルターは仕方なく運転席側に回って、シルビアの隣に並んだ。


「風下」


 シルビアはそう言って素早く立ち位置を変えた。ヴァルターは「ああ」と気のない返事をしながら車に寄りかかろうとして、やめた。ピカピカに磨かれていたから、安易に触れて良いものかと思ったのだ。その一連の動作と逡巡を見て、シルビアが咥えタバコをしながら目を細めた。そしてゆっくりとサングラスを外して胸ポケットに差し込む。手慣れた、洗練された所作だった。


「シルビア」

「はい」


 神妙に呼びかけられ、シルビアはタバコの灰を携帯灰皿に落とす。そしてまた咥える。ヴァルターは咥えタバコのシルビアに少し抵抗を覚えはしたが、それでも言うべきことは言わねば、と、タバコの臭いのする空気を吸い込んだ。


「情報部とか、そんなことは俺にとってはどうでもいい。俺の発言や意見が奴らのシャクに障るというのならそれはそれでいい。でも俺は空に上がらなければならないし、そのためにはマーナガルムの連中は欠かせない。だから俺は信じる。お人好しと言われてもいい。部下を信じて何が悪い」

「……まるで新人将校みたいですね」

「青いっていうならそうなんだろうさ」


 ヴァルターは夕暮れ時の空を見上げる。まだそこそこに明るいが、さすがに三十分もしたら影とアスファルトの色の区別がつかなくなるだろう。


「青かろうが何だろうが、俺は俺の言葉で、俺の思ったことを言う。言うべきだと思ったら、言う」

「本心?」

「ああ」


 ヴァルターの迷いのない肯定を受け、シルビアはタバコを携帯灰皿の中に追いやった。灰皿の蓋を閉め、そして左手で弄び始める。


「そう、ですか」


 シルビアは重苦しく答え、右手で胸ポケットのサングラスを取り出した。


「ならば隊長。絶対にとされてはなりません。無敵のである限り、誰も隊長に手出しはできません。どんな理由でも、どんな敵にも、絶対にやられてはなりません」

「……いざとなったら、守ってくれ」

「喜んで」


 シルビアは一際美麗な、驚くほどに透明な微笑みをヴァルターに見せた。そして、不意に、ヴァルターに抱き着いた。ヴァルターは驚いたが、まさか飛び退すさるわけにもいかない。しかたなく、その細い両肩を手のひらで包み込むようにして受け止める体勢になった。


 抱き止められたシルビアは、その黒褐色の瞳でヴァルターの目を見上げていた。魔力のある視線だとヴァルターの冷めた部分は感じてはいたのだが、心拍数はそんな事とは無関係に跳ね上がってしまう。触れ合ったシルビアの身体は、見た目以上に温かく、女性的な魅力があった。


「ごめんなさい」


 シルビアはふと目を逸らし、そのまま身体を離すと運転席の中に消えて行った。ヴァルターも急ぎ足で助手席に回り込む。ヴァルターが乗り込み、シートベルトを着けていると、シルビアが低く沈鬱な声音で言った。


「……地上の私を問い詰めるのだけは」

「わかった」


 ヴァルターはシルビアの言いたいことを理解した。シルビアは自分がの人間である、と告白したのだ。


「そのためなら、私は何でもしますから」

「さしあたり」


 ヴァルターは勝手に車載の音楽プレイヤーを操作しながら努めて明るい声で言う。


「禁煙してもらえるかな?」

「それは、お断りします」


 シルビアはまた少し微笑み、やんわりと拒否の姿勢を示したのだった。


「さっそく反故にして――」

 

 ヴァルターはなどと言いながら、彼らしからぬ意地悪な笑みを浮かべ、「へぇ」とフロントガラスに映ったプレイリスト名を指差した。その声の意味に気が付いたシルビアの頬がパッと朱に染まる。


「あっ……」

「俺はさっきのよりこっちの方が、君には似合うんじゃないかと思う」

「い、いえ、これは私の友人が勝手に作ったもので――」

「あー、はいはい」


 そのプレイリストは『LOVE SONGS』と命名されていた。

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