個人的な質問

 ヴァルターが自分の執務室に向かって歩いていると、後ろから足音が近付いてきた。絨毯が引いてあるわけでもないコンクリートの廊下だったから、かなり遠くから追ってきているのは分かっていた。そしてその足音の発生者が誰であるのかの見当もついていた。


 ヴァルターは執務室のドアを開け、ゆっくりと今歩いてきた方向を振り返った。そこにはシルビアが立っていた。


「話か?」

「肯定です、隊長」

「入れ」


 ヴァルターが促すと、シルビアは敬礼を一つして、執務室へと入室してきた。ヴァルターは応接用のソファに座り、シルビアに正面の席を勧める。シルビアは一瞬躊躇うような間を作ったが、すぐにその指示に従った。


「個人的な質問ですが。ここでならよろしいですか」

「……言ってみろ」


 ヴァルターはシルビアの表情から情報を読み取ろうと試みたが、今回も早々に断念した。この黒髪黒目の美女は、その表情に感情を乗せることがほとんどない。そして話す時にも、故意に文脈を消した話し方をするので、シルビアの思考をトレースするのは常に困難を極めた。


ISMTインスマウスにばかり注目が集まっています」

「そりゃぁ、あれだけの破壊力を持った兵器だからな」


 ヴァルターはシルビアを直視する。シルビアも見つめ返してきた。それには敵意のようなものは感じられなかったが、友好的なようにも思えない。


「自分が危惧するのは、むしろ、あのクラゲの方なのです」

「ナイアーラトテップ、か」

「はい」


 シルビアは先の味方艦隊をも巻き込んで行われた壮絶なの事を言っている――ヴァルターはそう悟る。


「シルビア、どこに耳目があるかわからない。迂闊なことを口にするな」


 先回りして釘を刺したヴァルターだったが、シルビアはふと天井を見上げて、微かに笑みを浮かべるという不可解な反応を示した。


「大丈夫です」


 シルビアはそう言い、その限りなく黒に近い褐色の瞳で、ヴァルターを正視した。ヴァルターは決して気の小さい男ではなかったが、その眼力によって、今は明らかに気圧されていた。何を考えているのか読み切れない相手にじっと目を見つめられるのは、決して気分の良いものではない。それがたとえ、頼れる隊員の一人のものであったとしてもだ。


 シルビアはヴァルターをロックオンした状態のまま、続けた。


ISMTインスマウスという反応兵器は、数の調達は困難を極めるでしょうし、おそらくこれ以上の乱発はできないものと思います。さしものアーシュオンとて、これ以上国際社会からの非難を受けるのは得策ではないからです。そして、そのための一斉攻撃だったはずですから」

「……確かに、新規納入機体の中にISMTインスマウスの情報はなかったな」


 ヴァルターが言うと、シルビアはアルカイク・スマイルとでも呼んだ方が良いような表情を浮かべた。


「我が軍の主力はナイアーラトテップとなっていくでしょう」

「主力と言えるほど量産できるのか、あんなものが」

「アイスキュロス重工は、巨額の――それこそ一国のGDPにも匹敵するほどの予算を計上しています」

「それは……」


 また派手な事を。ヴァルターは腕を組む。シルビアはソファから少しだけ身を乗り出した。


「あのヴァラスキャルヴ、いえ、ジョルジュ・ベルリオーズが噛んでいることは疑いようもありません。アイスキュロス重工は確かに我が国最大の企業の一つではありますが、そこまでの予算を計上できるような体力があるはずもなく」

「しかし――」

「とはいえ」


 シルビアは故意にヴァルターの言葉に自分の声を重ねた。ヴァルターは口を閉ざす。


「我が軍はしばらくは大規模な作戦は行わないでしょう。先日の作戦のおかげで、ベオリアスとキャグネイは軍を退かせてしまいましたし、しばらくは連合艦隊を組めるような状態でもありません。外交的にはほぼ孤立してしまったようなものですから」


 確かに。ヴァルターは顎に手をやって考え込む。もっとも、アーシュオンは同盟などなくても十分にやっていけるだけの国力を有している。ベオリアスとキャグネイの艦隊も、度重なるヤーグベルテとの戦いで摩耗に摩耗を重ねている現在、アーシュオンの意向には――遺憾の意こそ表明するものの――逆らえはしない。


「私は、あのナイアーラトテップが恐ろしい」

「恐ろしい?」

「ええ」


 シルビアは頷き、そして唐突に立ち上がった。ヴァルターはその無表情な隊員を見上げ、次の言葉を待つ。


「あれは、本当になんでしょうか」

「なぜ?」

「いえ」


 シルビアは首を振るとスタスタと扉の方へ向かってしまう。ヴァルターは慌てて立ち上がると後を追った。シルビアは近付いてくるヴァルターを横目で確認して、一瞬だけ笑みを浮かべた。


 シルビアはそのままドアを開け、そして立ち止まった。部屋の真正面のコンクリートの壁の所に、マーナガルム隊副隊長、クリスティアンが腕組みをして寄りかかっていたからである。


「よぉ、シルビア。珍しいな。逢引あいびきかい?」


 クリスティアンの言葉に真っ先に反応したのは、シルビアの後ろに立っていたヴァルターだ。


「ばか、そんなんじゃない」

「ジョークだよ、隊長さん、ジョーク。んな怖ぇ顔すんなって」

「そういえば」


 シルビアが廊下に踏み出しつつ、ヴァルターを振り返った。


「奥様はお元気ですか」

「結婚はまだだ。忙しかったからな」


 唐突に振られた話題にも生真面目に答えてしまう自分の性格に、ヴァルターはややうんざりした。ヴァルターは、その堅物な性格が幸いして、少なくとも女性関係においては完全に潔白である。クリスティアンがしばしば悪の道へといざなおうとするのだが、頑迷なまでにそれらをはねつけて今に至っている。


「ま、カタブツはそうでなくちゃな。ところでよマーブル」

「はい?」


 シルビアは怪訝そうに首を傾げる。クリスティアンはなにやら意味深な笑みを浮かべつつ、ポケットから車のキーを取り出して、指先にひっかけてくるりと回した。


「これからちょいとこのカタブツとドライブする予定があるんだが」

「ドライブですか」


 クエスチョンマークを浮かべるシルビアを押しのけて、ヴァルターが前に出た。


「ドライブじゃない、家に帰るだけだ」

家にね」

「……余計なことを言うな」


 その時、廊下に乾いた足音を軽快に響かせて、フォアサイトが姿を現した。


「あー、いたいた! たいちょー! クリス! ついでにマーブル!」 


 元気よく呼びかけて、そのままクリスティアンの背中に体当たりをぶちかまそうとした。が、クリスティアンはまるでその行動を予期していたかのように身体を捻ると、あっさりとフォアサイトを捕まえた。まるで抱き上げられるような形になったフォアサイトは、足をばたばたさせて、クリスティアンの胸と二の腕による拘束から逃れようともがく。


「獲れたての鮭みてぇなヤツだな、おめーはよ」

「自分、それだけが取り柄ですから!」

「知ってる」

「むきー!」


 その夫婦漫才のような遣り取りを見せつけられたヴァルターとシルビアは、顔を見合わせて同時に肩を竦めた。


「で、おめーは何の用でここまで来たんだ?」

「えーっと……? 忘れちゃいましたー」

「おめーは鳥か」


 あっけらかんと言うフォアサイトを放り出し、クリスティアンは呆れたように頭を掻く。


「ところで三人揃ってどうしたんですか。どこか行くんですか? 飛行機ですか? 新型機見に行ったりしちゃうんですか?」

「どうもしねぇ。ヴァルターがしけこむところへ連れて行く。ノーにノーだ」


 律儀に四つの質問全てに答えるクリスティアンであるが、これはいつもの光景である。


「第一、新型機受領はまだまだ先だぜ、フォアサイト。格納庫のおっちゃんはお構いなしにやってるが、本来ここにアレがあることすら機密なんだからな」

「そんなにご大層な機体なんですかー?」

「世界で二機しかいねぇ最新鋭戦闘機だぜ。暗黒空域や異次元の手とやり合うための装備がてんこ盛りっていう情報だぜ」


 クリスティアンはサラリと言ったが、その情報すらすべて機密だったはずだ。ヴァルターは無表情にその黒髪に手をやって、掻き回す。


「ていうか、しけこむって何ですか? 奥様以外の人の所ですか? 浮気? うわきー?」

「うっせー奴だなおめーはよ。愛しの嫁の所に決まってんだろ」

「あーそうなんですか。またアレですよね、適当にドライブしてから行くんですよね。一緒に行っていいですか? たいちょーの奥さんって人見てみたい!」

「うっせー奴だな以下略」


 クリスティアンがその左手でフォアサイトのボブ頭をわしゃわしゃと撫で回した。フォアサイトは「ぶー」などと言いながらもまんざらでもなさそうな表情をしていた。


「意外に律儀なんですね、副長は」


 シルビアが無表情に囁いた。ヴァルターは肩を竦めるほかにない。この律義さが仕事の方に向いてくれれば言うことはないのだが、と言いたかった。が、言うとまたうるさくなるので黙っておく。


「んー、そうだな」


 クリスティアンが唐突に天井灯を睨んだ。あれは悪巧みをしている顔だ、とヴァルターは警戒する。


「おっしゃ、お子様のお守りは、よくよく空気の読めるこの俺様がしといてやっから。おまいらはデートしてきなよ、この浮気者!」

「なっ――!?」

「ちょっとー、クリスぅ、お子様って誰の事さー!」

「うっせ、黙ってろフォアサイト」


 絶句するヴァルターを差し置いて、再び夫婦漫才が開始される。


「隊長、私がお送りします。よろしいですね?」

「え?」


 シルビアが自分の車のキーをポケットから出して揺らした。ヴァルターは盛大に溜息を吐きつつ、「そうするか」と頷いた。それを見たクリスがこれ見よがしに口笛を吹く。


「おーおー、いいねいいね、いい流れだ」

「何を期待している、クリス」


 ヴァルターはスタスタと先に行ってしまったシルビアを気にしつつ、思わず突っ込んだ。クリスティアンはニヤニヤしながら両手を振った。


「ったく。何もないからな! 何もだ!」

「へぇへぇ、そう言うことにしておきまっす、隊長!」

「浮気者、たいちょー!」


 ったく、おまえらときたら……。


 ヴァルターは頭痛を感じつつも、少し駆け足でシルビアの背中を追った。

 

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