奇妙なサウンド

 アレは何だったんだろう。


 ヴァルターは眠るのを諦めて、ベッドから起き出した。そしてリビングでインスタントコーヒーを用意しつつ、ノート端末を立ち上げた。立ち上がるとすぐに軍のネットワークに接続し、資料映像の保管庫にアクセスする。


 大尉であるヴァルターがアクセスできる範囲は決して広くはない。だが、それでも通称「三種の神器」、ISMTインスマウス、ロイガー、そして、ナイアーラトテップの資料映像くらいは見ることができた。しかし、そこからは大した情報は掴めない。ヴァルターはそれらのアーカイヴをまるきり無視し、階層を奥へ奥へと進んでいく。


「これだったか」


 ISMTインスマウスがヤーグベルテに穴を穿ったその時の様子。それが衛星からの映像として、淡々と記録されていた。ヴァルターはヘッドフォンを使って、その時の音を拾おうと試みる。本来、音などないのだ、この映像には。だが、ヴァルターにはが聞こえていた。それが何なのかを突き詰めようとすれば、ふわりと遠ざかっていってしまう、そんな錯覚のような。それは強いて言うならば――。


「歌、か?」


 何度聞いてもという確証は得られない。だが、確かにそこにはがあった。だが、マーナガルム隊の誰に訊いても、誰もが「何も聞こえない」と言うのだ。


 ヴァルターはそのを、もっと近くで聞いたことがあった。それはあのナイアーラトテップの初出撃の時だ。ぞくぞくするような、しかし、それでいてどこか落ち着くような不思議なを、ナイアーラトテップが出撃してから帰投してくるまでの間、ずっと感じていた。だがその間も、クリスティアンたちマーナガルムの隊員たちは「特に何も感じない」の一点張りだった。


 ヴァルターはヘッドフォンを外して、コーヒーを一口飲んだ。真夜中のコーヒーというのは如何いかがなものかとも思いはしたが、どうせ眠れないのだ。中途半端に悶々とするくらいなら、いっそスッキリ起きてしまった方がマシだと、ヴァルターは判断した。


 アーシュオンはいったい、どこに向かいたいのか。何をしたいのか。


 アイスキュロス重工は一体全体どうやってあんな化け物どもを開発したのか。そしてそれをほとんど無償の形で供与してきたのか。


「……ヴァラスキャルヴ、か」


 アイスキュロス重工ほどの企業がヴァラスキャルヴと繋がりがないとは考えにくい。表立っての関係性は見られないが、世界の名だたる企業のほとんどは、表なり裏なりで、ヴァラスキャルヴの傘下にあると言っても良い。それは言い換えれば、その超巨大軍産企業複合体コングロマリットヴァラスキャルヴの総帥、ジョルジュ・ベルリオーズが何らかの形で関与しているということだ。


「何をさせたがっているのか」


 あの天才は。


 ヴァルターは事実上の世界の王である、その青年の姿を脳裏に描く。あの銀髪の青年は、一体何を考えているのか。


 ――全くわからない。


 ヴァルターは首を振り、コーヒーを飲んだ。苦みがうっすらもやのかかった脳味噌を叩き起こしていく。


 ヤーグベルテをあれほど痛めつけて、アーシュオンはどうしようというのか。あそこまでする必要はあったのか。そういう疑問は常にあった。だが、それ以上に、ヤーグベルテが何らのリアクションもしてこないことが引っかかった。遺憾の意の一つすら訴えてこない。ただ、沈黙している。それが酷く不気味だった。アーシュオンの鉄壁の情報統制の成果でもある可能性はあったが、それでも将校の口の端にも上ってこないということは、有益な情報が何もないということだ。


 ヤーグベルテも何らかの対抗策を持っている……?


 その仮定に、ヴァルターは一瞬怖気おぞけのようなものを覚える。ヤーグベルテは、あんなに対抗し得る何かを有しているのか、あるいは手に入れつつあるのか。さもなくば、何らかの動きはあるはずだ。だが、ない。


「……歌……?」


 何かあった気がする。ヤーグベルテの……。


 ヴァルターは端末のキーボードを叩き、いくつかめぼしい言葉を検索する。


「歌姫特別措置法……」


 ヤーグベルテでは、そんな冗談みたいなネーミングの法案が何年か前に通っていた。その中身についてはアーシュオン情報部が隠蔽しているようで見ることができなかったが、確かにそんな法案が存在していた。


 俺が聞いたと何か関係があるのだろうか?


 ヴァルターは端末の前で腕を組む。歌のようなものと、歌姫という単語。結び付けるなという方が無茶だ。


「歌姫計画、だったか」


 ふと思い出す。何年か前にヤーグベルテで持ち上がった計画の名前だ。だが、まさか歌で戦うわけもなく。歌姫というのは何かの隠語だろうなと、聞いた時には思ったものである。


 やめだやめだ。


 ヴァルターはコーヒーを飲み干すと、ノート端末を閉じた。


 ナイアーラトテップやらの仕組みさえ知らないのに、敵の兵器についてなんてわかるはずもない。ジョルジュ・ベルリオーズが何を考えているのかも、考えたって俺のような凡人に何かわかるはずもない。


 ヴァルターは心の中でそんなことを呟くと、小さく伸びをして寝室に戻って行った。


 誰もいなくなった暗いリビングの中に、ふわりと銀色の何かが姿を現した。憂いを秘めた赤茶の瞳と、微笑みの形を作っている真っ赤な唇、そして長い銀髪。誰かがその姿を観測していたとしたら、きっとそのように表現したであろう女性の姿だ。


「ツァトゥグァも中途半端にして。よくもこんな状態で姿を消してくれたもの」


 その銀髪の女性は呆れたような怒ったような……だが、どこかたのしそうな口調でそう言った。


「パズルのピースが合わないのなら、合うように切り直せばよい、か」

 

 彼女は誰かに語り掛けているようだった。それからしばらく、美しい微笑を浮かべながら彼女は沈黙したが、やがて小さく頷いた。


「仕方ないでしょ? ふふふっ」


 そう言って、嗤う。


「神はサイコロを振らないとは言うけれど。振った方が俄然面白くなることを、私は知っているわ」


 そして、そう、と続けて頷いた。


「セイレネスは何て答えるかしらね。面白そうじゃない?」


 彼女は凄烈な笑みを浮かべ、そしてふわりと姿を消した。


 部屋は再び暗闇に落ちた。

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