できることを、やるしかないのよ

 あれだけやられて――。


 ヴェーラのその言葉を受けて、カティは息を飲んだ。そうだ、あの超兵器によって何十万人と死に、その数倍の負傷者が生まれた。核兵器の炸裂すら許してしまった。


 そして、カティはヨーンというかけがえのない人間を喪失し、そしてエレナに至っては存在からして抹消された。今やエレナの事を覚えているのは、カティ、ヴェーラ、レベッカの三人しかいない。


 アタシだって――カティは無意識に両手を握りしめていた。


 ソファに座っていたエディットはおもむろに立ち上がると、キッチンの方へと移動した。用があるのは冷蔵庫、そしてその中にあるよく冷えたビールだ。


 エディットは黙ってビールを取り出して蓋を開け、その場で口を付けた。


「ふぅ」


 一気に半分ばかりを食道に流し込み、エディットは一息ついた。そして黙って微笑み、カティを見つめた。その義眼で見据えられ、カティは思わず呼吸を止める。それは何もかもを知り尽くした目だった。


 参謀部第六課統括であるエディット・ルフェーブル大佐は、参謀部内の情報のほぼすべてに対するアクセス権を持っている。知らないことはない。何かあるとすれば、それはおおよそ彼女の知るところのものだ。そしてそのというのは、大なり小なり流血に結びつく。それはいずれヴェーラたちを巻き込むものとなる――そう知っていてもなお、エディットは微笑むのだ。エディットは実にだった。そんな大人にはなりたくないと思いながらも、そんな大人に憧れる気持ちがないでもない――カティの心境は複雑だった。


「カティ」


 そんなカティの心情などお見通しだと言わんばかりに、エディットはカティの名を呼ぶ。そして言った。


「できることをね、やるしかないのよ、私たちは」

「……はい」


 カティは頷く。エディットはビールを飲み干し、そしてまた微笑んだ。


「あなたには過去がある。とてもつらい過去がある。つらい経験をしてきた。今だって苦しんでいる。でもね」


 エディットはゆっくりとカティの所へ歩いてきて、そっと肩を抱いた。カサカサの右手と柔らかな左手が、カティの背中を軽く叩く。


「変えられない。過去は変えられない。ならね、そんな過去は自分の一部にするの。手や足と同じように。徹底的に利用してやりなさい。過去からは逃げられない。逃げられないなら、従えてしまえばいい。あなたは過去でできている。でもあなたは過去じゃない。あなたには未来がある」

「でも――」


 何か言い返そうとしたカティだったが、エディットのその機械の瞳で見つめられて、言うべき言葉を忘れてしまう。


「過去に対して遠慮する必要なんて、一つもないわ」


 エディットはそう言い、右手でカティの頭を撫でた。カティは棒立ちのまま、されるがままにその火傷でかさついた掌を受け容れる。


 エディットはカティから少し離れ、「それにね」と、その両肩に手を置いた。


「つらい過去があるのなら、それを殺してしまうのは駄目よ。その時に泣いた自分まで無駄になってしまうんだから。そんなの、その時の自分が可哀想すぎるわよ」

「その時の自分……?」

「そう、その時の自分。泣いた過去、怒った過去、絶望した過去……。それは全てあなたを動かす原動力よ、カティ。向き合って、昇華して、その過去を未来に繋げて、そうなって初めて、過去の自分が救われる」


 エディットはそう言うと、また微笑んだ。凄惨な火傷の痕を残した右半分の表情は動かない。しかし、それを補って余りあるほどに、エディットの見せる表情は優しかった。強さ――エディットの中にあるものを一言で表現するならば、それだろう。自分など足元にも及ばないと、カティは自虐する。


 エディットは「ふふ」と笑いながらまたソファの指定席に身体を埋め、長い足を組んだ。


「利用できるものなら、なんでも利用しなさい。私のこともね」

「え……と」


 カティは棒立ちのままエディットを見ていた。ヴェーラとレベッカはエディットの向かい側に置かれているソファに並んで腰を下ろし、二人のやりとりを見守っている。


「私はあなたを利用するわ、カティ。利用させてもらう。だから、あなたも利用されるばかりじゃダメ。あなたはもう、利用されることからは決して逃げられない。だったら、あなたも私たちを、軍を、国家を、利用すればいいのよ。わかった?」

「……はい」

「返事ははっきりとしなさい、カティ。イエスでもノーでも、私は怒らない」

「はい」


 カティは少し声に力を込めてそう答えた。エディットは静かに微笑み、自分の隣をポンポンと叩いた。カティはゆっくりとそこに向かって動き始める。


「イエス?」


 エディットは念を押すように尋ねた。カティはうなずき、


「イエス、です」


 と早口で応えた。エディットはカティが隣に腰を下ろすのを待ってから、ゆっくりと諭すように言った。


「今は嘘でもね、そう言っておくこと。自分に対してと答えておくこと。そうしておけば、それが正しいことであるなら、いつかは本当にそうなるわ」

「あの大……」

「家ではは禁止。ひっぱたくけど?」

「……はい」


 カティは少し考えた。その思案顔を眺めて、エディットがぽんと両手を打った。


「そうね、姉さんって呼んでいいわよ。母さんというほど年は離れてないからね」

「えっと、たしか十――」

「ヴェーラ」


 年齢に言及しようとしたヴェーラだったが、エディットの鋭い声音を受けて、引きった笑いを浮かべてごまかした。その隣のレベッカはメガネの位置を直すふりをしながら苦笑を隠している。


 その一方で、カティは大真面目に考え込んでいた。


「姉、さん……?」

「そ、姉さん。呼びやすいでしょ?」


 そこまで言って、エディットは思案顔になった。カティの過去――姉妹がいたことを思い出したのだ。


「イヤ?」

「いえ、問題ないです」


 瞬間的にエディットの言いたいことを悟ったカティだったが、静かに首を振った。


「大丈夫です。のことです」

「そう。それじゃ」

「えと、あの、姉さん」


 そこでレベッカが噴き出した。隣にいるヴェーラは「くっくっく」と声を押し殺して前のめりになっていた。動揺したのはカティ一人だ。


「ど、どうしたんだ」

「どうしたって、いや、あなたね」


 エディットはカティの肩を右腕で抱きながら豪快に笑った。


「姉さんっていうのに、普通、そんなにかしこまる?」

「あ、いや、あぁ、そうか」


 カティは無意識に右手でその炎のように赤い髪の毛を掻き回した。


「それで、どうしたの?」

「うん。いや、呼んでみたかっただけです」

「あら、そう。いいわよ、いくらでも呼んで」


 エディットはカティの肩を抱く手に力を込めた。


「あなたは私の家族よ、今日から正式にね」

「家族……?」

「そう」


 エディットは頷き、ソファに深く身体を埋めて一息ついてから言った。


「さ、いったん解散! お寿司が届いたら呼ぶからね」


 三人が自分たちの部屋がある二階に移動したのを見届けてから、エディットはゆっくりと目を閉じた。


「アンディ、君がいてくれたら……」


 もっと違った家族の形を示してあげられたのかもしれない。


 エディットは静かにゆっくりと、溜息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます