不安と憂鬱

 ピザ屋では、ヴェーラが(迷わず)「九十分食べ放題コース」を選択したため、店を出る頃には午後一時を過ぎていた。そこから二時間ばかり三人はショッピングのために街中をぶらぶらと歩き回った。この三人の組み合わせは、否応なしに人目をいた。


 絶世の美少女であるヴェーラやレベッカは無論のことだが、カティも相当に目立つ。百八十五センチを超える長身に真っ赤な頭髪、白磁の肌、深い紺色の瞳、その美貌……容姿だけでも十二分に注目を浴びる。加えてカティは今やちょっとした有名人でもある。士官学校襲撃事件の生き残りにして、F102イクシオンで襲撃者に立ち向かった英雄――。そして一部のマスコミが、カティがあの辺境の漁村、アイギス村の襲撃事件における唯一の生存者であるということも嗅ぎ付け、センセーショナルに報道したからだ。カティの事を「死神」と揶揄した週刊誌もあった。


「今日はなんかいつも以上にダルそうだね」


 民間タクシーに偽装した軍用車両の後部座席に乗り込んでから、ヴェーラが呟いた。


「だいじょうぶ?」

「問題ない」


 カティは車に乗り込みつつ、少し平坦なトーンで短く応じる。疲れが声に出てしまっていたが、カティにはそれをどうにかするような余裕はもはや残っていなかった。カティの後に続いて、レベッカも後部座席に乗り込んでくる。運転席には参謀部第六課のプルースト少尉が乗っており、助手席にはジョンソン伍長が乗り込んだ。タガート兵長は別の車両でついてくるのだという。


 カティは右手にヴェーラ、左手にレベッカの掌の温度を感じながら、小さく溜息を吐く。車というのは不便なものだ。自由もない。決められた場所を決められたルールで粛々と移動するための手段にすぎない。ちょっとだけ融通の利くベルトコンベアみたいなものかな、などとカティは思う。でも街の明かりから逃げ出すためには、なくてはならないもの――か。街の明かりの喧騒の中では、星がよく見えないから。


「カティ? おーい、カティさーん」

「あっ……!?」


 ヴェーラに右腕を揺すられてようやく、カティは自分が呼ばれていたことに気が付いた。


「ぼーっとしてること、多くなったね」

「ヴェーラ!」


 レベッカが反対側からたしなめた。カティは「いいんだ」と言いつつ、ヴェーラの美しい髪を撫でた。ヴェーラはその小さな頭をカティの肩に乗せてくる。仔犬か、と、カティは思わず笑みを漏らす。気が付けばレベッカもカティの肩に頭を乗せていた。


「やれやれ」


 カティはかぶりを振った。二人と出かけると、最終的にはだいたいこんな体勢になる。二人はいつも、カティに触れていた。そのぬくもりが時々、カティをどうしようもなく不安に、そして哀しくさせる。


 立ち直れるはずなんて、ないじゃないか――。


 意識に浮かんだ青年に向かって、カティは吐き捨てる。だが、青年――ヨーンとの記憶は、少しずつ遠くなっていく。忘れ去ることはないだろう。だが、確実に遠くなっていくのだ。鮮明な記憶の周辺にあるのは、カティ自身が作り出した記憶の補完物に他ならないし、それはつまりカティの持つ願望のようなものだった。ヨーンがしてくれた話はとても大切な思い出で、それは揺るぎない事実ではあるのだが、一言一句思い出せるのかというと、決してそんなことはない。再生しようとするたびに劣化してしまう――そんな気さえした。思い出すたびにそのことを痛感し、だけど、思い出すことは止められない。


 三人は触れ合ったまま、家に着くまでずっと無言を貫いた。眠っていたわけではない。三人が三人とも、考え事にふけっていたのだ。


「ちょうど大佐も帰宅される頃合ですよ」


 目的地に着くなり、プルースト少尉はそんなことを言った。三人とジョンソン伍長が車から降りて荷物を取り出していると、別の黒塗りの軍用車が屋敷の前に到着した。


「あら、今帰ったの?」


 その車の後部座席から降りてくるなり、顔の右半分に悲惨な火傷の痕のある女性将校――エディット・ルフェーブル大佐――が右手を挙げつつ尋ねてきた。左手にはなにやら週刊誌のようなものを手にしている。


 その間に、プルースト少尉は去っていった。ジョンソン伍長は遅れて到着したタガート兵長の車で何処かへと姿を消した。


 玄関のドアを開けて三人を中に招き入れながら、「楽しかった?」とエディットは軽い口調で尋ねた。


「はい」


 カティは答える。


 ……本当に楽しかったのだろうか?


 カティは自問する。いや、きっと楽しかったんだろう。ピザ屋での雑談も服屋巡りも、楽しくなかったわけではない。ただ、それ以上に疲れた、気がする。


 でもきっと、本当に楽しかったんだ。


「ほんとうに?」


 そんなカティの様子を見て、ヴェーラが下から尋ねてくる。カティは笑う。ヴェーラのその上目遣いに直視され、自然と頬の筋肉が緩んだ気がした。


「嘘じゃない」

「ならよし」


 ヴェーラは「うんうん」と頷きつつ、エディット邸――そして今はヴェーラたちの帰る家でもある――のリビングへの先陣を切った。


 ヴェーラの微笑み、あれは本物なんだろうか。


 カティはそんなことを一瞬考え、そしてそんな自分を心の中で殴り飛ばした。視界の隅で、レベッカがカティの事を見つめていた。カティが視線を向けるとレベッカはすぐに視線を逸らして、メガネのレンズの奥に表情を隠してしまった。だが、そこに浮かんでいたのは、少し寂しげな表情だったような気もする。


「さて」


 エディットは手にした雑誌をテーブルの上に放り、大きなソファに沈み込みつつ、テレビの電源を点けた。音は点けた瞬間にミュートされた。流れるような動作で一連の行動を終えたエディットは、自分の携帯端末を眺めながら訊いてくる。


「晩御飯、どうしようかしら。お昼何食べたの?」

「ピザ食べたよ!」


 ヴェーラがエディットの隣にぼふんと座りながら答える。カティはまだ入り口付近に突っ立ったままで、レベッカはその桜色のコートをコートハンガーに掛けていた。それを見てヴェーラも自分がコートを着けたままだったことを思い出していそいそと脱ぎ始める。カティはレベッカに促されて、男物のレザージャケットを脱いで渡した。


「あら、そう。ピザ食べちゃったか」


 エディットは顔の火傷の痕を無意識に撫でながら、携帯端末から顔を上げて、ヴェーラの頭をくしゃっと撫でまわした。


「私、ピザの気分だったんだけどね」

「わたしは三食ピザでもいいよ!」

「いや、連続ピザはちょっと……」


 異論を挟んだのは良識派のレベッカである。カティも同意見だった。さっき散々食べたじゃないかと。


「じゃぁ、お寿司でも頼もうかしら?」

「スーシー!」


 変なイントネーションでヴェーラがはしゃぐ。


「ピザの次に好きだよ、スーシー!」

「なにそのイントネーション」


 レベッカがたまらずツッコミを入れる。ヴェーラは「雰囲気出るでしょ!」とわけのわからない答えを返す。その二人を見て、エディットは声を立てて笑い、カティも思わずつられてわずかに口角を上げた。笑えない――でも、笑おうとしている。カティはそんな顔をしていた。


「私が料理できればいいんだけど」


 エディットは基本的に料理をしない。炎や熱を連想させられるものが苦手だからだ。その原因は、彼女の右半身に広がる火傷の痕が如実に物語っている。顔の右半分は焼けただれてしまっており、目に至っては両方ともが義眼である。左半分に残る生身の顔は非常に美しく、そしてそれ故にその右側とのギャップが見る者を圧倒した。


 レベッカがハッと気付いたように顔を上げた。彼女は今までテーブルの上に置かれていた雑誌に気を取られていた。


「あ、私が何か作りましょうか?」

「いいのよ、ベッキー。寿司って言ったら、私も本当に食べたくなってきちゃったわ」


 エディットは笑いながら自分の携帯端末をヴェーラに手渡した。慣れた手つきで受け取ったヴェーラは、迷いなく馴染みの寿司屋に電話を掛けて、すらすらと注文を完了させる。


「六時には届くよ」


 ヴェーラは満足げに言うと、携帯端末をエディットに返した。そしてさっき脱いだ自分のコートをコートハンガーに掛けに行く。


「どうしたのベッキー、さっきから何見てるの?」

「この雑誌」


 レベッカはおもむろにテーブルの上の雑誌を持ち上げ、表紙の一部を指で示した。カティもレベッカの肩越しにそれを覗き込み、そこに書かれている文字を読む。


「明かされた軍隊アイドルの全容?」

「なにそれ」


 エディットも興味を引かれて立ち上がった。そして雑誌をレベッカから受け取ってぱらぱらとめくる。


「これ、レーマン大尉がくれたのよ。たまには紙媒体ペーパーメディアでも如何いかがですかって。車の中で読もうと思って忘れてたわ」

「あ、これ……!」


 ヴェーラが指さすその先には、マイクを持っているヴェーラとレベッカの写真があった。


「お前たちか?」


 カティも興味を引かれてその記事と写真にざっと目を通す。記事の文章は特に記憶するに足るようなものではなかったが、写真はなかなか上出来だった。エディットは「ふぅん」と鼻を鳴らし、そしてヴェーラとレベッカを順に見た。


「やっぱり実物の方が可愛いわね」

「でもエディット、歌は勘弁してほしいんだけど」


 ヴェーラはエディットの事をファーストネームで呼ぶ。これはエディットが三人の身元引受人となったその日から始まっている。レベッカは未だ「さん」が取れず、カティに至ってはどう呼んだらよいものかと未だに悩んでいる有様だった。しかし、オフタイムに「大佐」などと呼ぼうものなら叱られるのは間違いがなかった。エディットはとにかくオフタイムに仕事モードにさせられることを嫌うのである。


「歌?」

「そうなんですよ」


 カティの反応に、珍しくレベッカが不満げな声を出した。


歌姫計画セイレネスシーケンスの一端だっていうことで、私たちは名実ともに軍隊アイドルにされてるんです。これ、予算確保のためですよね、エディットさん」

「さん付けはやめなさいな」


 エディットが少し鋭い声で注意する。が、レベッカは「嫌です」と拒絶する。エディットは小さく息を吐いて、肩を竦めた。


「ま、その通り。少しでも研究費用が欲しいから、仕方なくよ。私だってあなたたちを見世物になんてしたくはないけど。それに、この活動はカムフラージュのためでもあるわ、歌姫計画セイレネスシーケンスのね」

「それはわかってるんですけど」


 ぶつくさ言っているレベッカの肩を、ヴェーラが後ろに回って揉んだ。


「まぁまぁベッキー、いいじゃない。人殺しさせられるより何倍も気楽だよ」

「それはそうだけど」


 レベッカは何か言い返そうとしたが、その先は続かなかった。エディットは雑誌を取り上げると、再びソファに座り込んだ。そして乾いた声で言う。


「軍隊なんて、音楽をやるためにいるんでしょって書いてあった物語があったなぁ」


 なんだったっけ? と、エディットはしばらく宙を睨んで思い出そうとしていたが、やがて諦めた。


「ま、真実そうだったら平和なんだけど――」

「でも、エディット」


 ヴェーラが口を挟んだ。


「あれだけやられてヤーグベルテが黙っているとは思えないよ」


 途端、室内は重苦しい空気に満たされた。






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