偽物

 到着した場所には見覚えがあった。

「ここは……」

 少年は壁一面の窓に向かって歩いた。

「そう、図書館の前。ここは知ってるのね。でも、これは知らないんでしょ?」

 窓が変化した。何がどうというのはよくわからなかった。けれど、確実に、何かが変わった。

「内側からは分かりにくいのよね。もう少し分かるようにしてみるけど、どう?」

 窓がさらに暗くなった。

 窓の表面で何かが動いていた。

「これは……」

「ホログラム。外からは審査員に見えてるけど、立体映像なのよ、本当は」

 山羊女の言っていることはよく分からなかったが、何かが窓の表面で動いていることはよく分かった。

 少年は何度見ても図書館の位置が分からなかったことを思い出した。審査員席がこの窓だった。その向こうに図書館がある。

 茶色と二人で何度も宮殿を見たのに図書館の話を出来なかった。おじさんとの秘密だったからだけではなかった。あそこが図書館だと自信を持って言えなかった。

「大変……」

 山羊女の声が落ち着きを失っていた。

 居住区のあちこちから煙が上がっていた。炭焼き程度の煙ではなかった。赤く燃え上がる火も見える。

「火はダメ」

 山羊女の顔が青ざめていた。

「ここでは火は厳禁なの。分かる?」

 少年は首を振った。

「酸素の問題なの。言ってもしょうがないか。でも……」

「どうすればいい?」

「どうすればって……」

 山羊女は腕を組んで首を傾け、しばらく真剣に考えた。

「逃げるしかないわね。脱出しましょう」

 山羊女の表情は強い意志に満たされていた。

「脱出?」

「地上に向かう緊急脱出装置があるの」

「だって、地上は滅びたって」

「さあね。滅びたとは言ってないわ。ただ、もう随分と長いこと連絡していない。だからあるかどうかは分からない。でも、緊急の際の最後の選択なのよ」

「この世界を捨てる?」

「捨てるも何も、そもそもこの世界は記録に残さないようになってるのよ。山羊女の遺伝子を受け継いだ山羊男を作るための施設。機能しないんだったらもうしょうがないじゃない」

「この世界を見捨てるのかって聞いてる」

「そうなるわね。どのみち、この世界はもう終わりよ。火が出てしまったら、終わりなの」

「終わる?」

「そう。確実に終わるの。火はこの世界では厳禁なのよ。あんなにはっきり火の手が上がってたらもうおしまいなの」

「でも、もう一回聞くけど、地上は? 地上だってとっくに終わってるんじゃないの?」

「さあね。行ってみないと分からないわ。でも、少なくともこの世界は終わりなの。なら、地上に行くしかないじゃない」

 山羊女に迷いは無かった。

「あなたはどうする? 一緒に行く?」

 山羊女が少年に聞いた。

「ボクは……」

 答は出なかった。

 少年は山羊女の後を追った。

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