日常

 少年の戻る場所はひとつしかなかった。

 おじさんは相変わらずぶつぶつ言いながら本を読み続けている。一緒に図書館にも行った。本で読んだことを話しながら食事をした。

 どうしておじさんと一緒なのか、少年には不思議だった。これは本当じゃない、そうも思う。おじさんと一緒に来るのがどうして自分なのか。どうして、自分だったのか。

 何もかもがつまらなかった。どの本を開いても、どのページを眺めても、何も頭に入ってこない。文字は意味を失い謎の模様にしか見えない。文章はつながらず、言葉と言葉はごちゃまぜになり、前後の関係は失われ、章と章との順番さえもが入れ替わる。

 何度も歯を食いしばりながら図書館の本棚から本を取り出し、ページを繰った。もう本の中に世界など探していなかった。地下の貯水池で見つけたあの道具のことを調べておかねばと、そればかりを考えていた。

 もう寄り道はしないと決めていたのに、茶色と二人で行った場所にどうしても足が向いてしまう。

 一緒に楽器を演奏した地下の「ホール」には楽器がそのまま置いてあった。何も動かされていない。誰かがやってきた兆しは何ひとつ見当たらない。

 楽器を抱えて椅子に座った。あの日を思い出しながら、おぼつかない手つきで楽器を鳴らしてみる。

 二人じゃないとダメだ。少年は苦笑した。音は出せても音楽にはならない。少年の中からは歌はこれっぽっちも溢れてこない。

 鉄格子から宮殿の尖塔を見た。図書館は宮殿のどのあたりなのだろうか。図書館の前の窓からは居住区も赤い堀も衛兵の区画も遥か下に見える。テラスは崖の上とほぼ同じ高さで、居住区は外に行くほど高い。ということは図書館のあの大きな窓はテラスより遥かに上のはずだ。

 そう思って以前から何度も図書館の場所を真剣に探してはいる。テラスの上に大きな窓は審査員席の他に見当たらない。覚えている限り、図書館の前の大きな窓のところに審査員席は無い。

 図書館は宮殿のどこにあるのか。

 貯水池に向かう気はしなかった。

 あの貯水池は間違いなく宮殿に向かう地下水道につながっている。

 深い水の中に落ちた恐怖は後になってから増していた。水の中で見た光景を思い起こすだけで汗が出てくる。あれだけは、二度とごめんだ。そう、あれだけは。

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