第22話 1/3の純情な感情

 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……。


 懸命に己を鼓舞して勇気を奮い立たせようとするものの、残念ながら生来の根性のなさはいかんともしがたく、脳も体も完全に機能を停止していた。

 だって、仕方ないじゃん。

 俺、さっきコイツにいきなり抱きついて、唐突に愛を叫んだんだから。

 あまりにハズくて合わせる顔がない。

 それ以前に、もしもマユ様のお怒りをお買い上げしてしまっていたら、今すぐ新鮮な刺身にされて美味しくいただかれても何ら不思議じゃない。

 というか、普通の女の子であれば間違いなく大激怒しているだろう。

 もしかしたら、これから俺は死ぬのかもしれない。

 こうなったらイチかバチか、十八番のスキル『土下座』を炸裂させるか?

 いやいやいやいやいや、何をネガティブで後ろ向きで消極的で矮小で弱気で負け犬根性丸出しなクソ以下の考えを抱いてしまっているんだ。

 ついさっき、ルパンも大絶賛するくらい超絶華麗にマユの心を盗むと決意を固めたばかりじゃないか。

 しっかりしろ、日比野天地。

 ……よし!

 ここは先手必勝、改めて愛の告白を――――。


「てぇぇんちゃぁあぁん……コぉぉぉおレぇでどぉぉおぉぉだあぁぁッ✩」

「え――――――もがぼっっ!??」


 俺がようやく行動の指針を定めて、大きく息を吸い込むや否や。

 目覚めてすぐ、愛用のリュックサックから何かを取り出したマユは、身構える猶予も声を発する機会も与えず、それを勢いよく俺の口にぶち込んだ。


「ふぁにを…………ぅぶぇっっ!?」


 それが何かは分からない。

 ただ、間違いなく言えることが一つ。

 めっ…………ちゃくちゃマズイ!!

 リアルに吐きそうだ。

 またこのパターンかよ、たまには美味い物を食わせてくれよ……。


「にゃはははぁぁあ……よぉぉおくカぁムとぉぉぉおぉとぉぉおってもぉかぁらだぁぁにぃイイぃんだぁあぁぁよおぉぉぉぉお」

「ふぐ……むっ…………がっは! ゲホゲホッ……! な、な、なな、マユ、何なんだよ一体!?」


 マズすぎて死ぬか、窒息して死ぬか。

 究極の二択から辛くも逃れた俺は、なおも得体の知れない物体を口に押し込もうとするマユの追撃を回避しながら、命を乞うごとく尋ねた。


「こぉのコぉわぁぁねぇぇぇえジュぅぅうシィイでぇぇホぉロニガぁでぇぇぇえアタぁマがぁぁすっきぃぃりキレぇぇええにぃなぁるんだぁぁぁあヨぉお♪」

「はあ、なるほど……そりゃ、お心遣い恐縮の極み――――ってえええええ!? ま、マユさん!? こ、ここここれ、これって……!」


 小さな手でワイルドに鷲掴みしたソレは……どう見ても、さっきマユが殺しに殺しまくった巨大コウモリのグロテスクな頭部だった。

 ギョロリと飛び出た目玉を、鋭く尖った牙を、血の滴る切断面を、ぐいぐいと情け容赦なく執拗に突きつけてくるマユ。

 その顔には、一片の悪気すら感じられない。

 俺は困惑し、眉を八の字にしながら、ひたすらガードを固くする。


「ほぉおらぁほぉぉおおらぁてぇんちゃぁぁんあ~ぁあんしてぇぇあ~~ぁあん」

「ちょまっ! ちょちょちょっ! いやこのあのその……えええええっ!?」


 くそっ! 強烈な先制攻撃を許してしまった!

 ていうか、この状況……俺にどうしろと!?

 冷静に考えれば、食えない。

 食えるわけがない。

 しかし…………。

 おそらく、副作用でイカれちまってた俺を、マユは案じてくれているのだろう。

 こんな純度百パーセントの善意で、意中の女の子が元気になる(と思われる)料理(?)を甲斐甲斐しく食べさせてくれようというのだ。

 マユのことだから他意はないにしても、これを食べなきゃ男が廃る。

 すなわち、これは……愛の試練!

 もしも完食できればマユの好感度が急上昇……するとは思えないが、このまま拒否を続けたらギャルゲー的に考えて完全アウトなのは間違いない。

 そんな法則がマユに適用されるかは謎だけど。

 しからば……決めてやるよ、覚悟ってやつを!


「あ……あ~~ん…………」

「にゃははぁぁあ♪ ああ~~~~ぁあん」


 ぱくっ。

 ザリ……ゴリ……ぶちっ……。

 じゅわ…………。


「うっぷ……! うおぇぇえええええええっっ!!」


 はい、ダメでした。

 この世には、気持ちだけではどうにもならないことがある。

 そんな当たり前のことに、俺は今さら気づきました。




 ――好きな女の子の前で盛大にリバースしてしまってから、およそ数十分。


 俺達は急遽、第二階層をあてどなく彷徨うことにした。

 目的地がないのはいつものことだ。

 マユは元々ダンジョンの最奥、誰も見たことのない下層を攻略したいなどとは毛ほども思っていない。

 日々を自由気ままに、食べたいターゲットを仕留めるためだけにフラフラする習性を持っている。

 ゆえに。

 現在の状況を生み出した原因は、もっぱら俺の個人的な感情に起因している。

 すなわち、『いても立ってもいられない』という気持ちだ。

 情けなさを無理やり忘れようともがく俺の「ちょっと散歩したい気分だなー!」というアホな言葉を素直に受け止めて前を歩くマユは、度々出くわす魔物を麺切り包丁でズタズタに切り刻んでいた。


「ピギュルルルルルルルルルルルゥゥッ!」

「イイイぃつまぁでぇうぅぅごけぇるのっカっナァアぁぁあ♪ プッチプッチぷっちちっちちぃぃいぃいぃぃイイ♪」


 今まさに、最新の犠牲者リストに新たな魔物が追加された。

 体長二メートルを優に超える、とてつもなくデカいイモムシ――ヴェノムキャタピラーだ。

 緑と黄と黒で構成された、鳥肌が立ちそうなくらい毒々しいマダラ模様。

 ギザギザしたノコギリ状の小さな歯とネバーっとした粘液が縁取る、縦に並んだ三つの丸い口。

 うぞうぞと伸縮して這う、嫌悪感を強烈に刺激してくるおぞましい動き。

 ハッキリ言って、ものすごく気持ち悪い……。 

 しかし、当然ながらマユには全く関係ない。

 いつも通り、新しいオモチャを与えられた子供みたいに喜々として飛びかかると、イモムシの体を端からリズミカルに削って遊び始めた。

 まるで、伸ばした生地を均等にカットして麺を作るように。

 これぞ、包丁本来の用途……というには、あまりに猟奇的で吐き気がしそうな光景だけど。

 ビクビクと小刻みに揺れ、甲高い断末魔を上げながら体液を撒き散らして細切れにされていく哀れなイモムシ。


「にゃっはははぁあぁああ! てぇんちゃぁぁんコぉレたぁぁべぇるぅぅう??」

「い……いや、俺はいいよ……」

「そぉぉおぉおぅ? まぁあぁマユもマユもぉぉおコぉのコぉぉわぁオイシぃくなぁいしぃぃいイヤぁなぁのでぇっすぅうぅにゃハハハハぁあ」


 マジかよ……。

 あのマユですらマズイとか……逆に味が気になっちゃったよ、不覚にも。

 いや、食べないけどね。

 それにしても、第二階層に来てから魔物も大分様変わりした。

 第一階層ではコボルトやゴブリン、オークなどの亜人系、あるいは猪や熊といった動物系が多かった。

 一方、ここで現れるのは……虫だ。

 イモムシ、カマキリ、ムカデ、蜘蛛、蜂、蛾、バッタ……。

 正直、さほど強敵ではない。

 ただ、キモイ。

 俺は昔から虫が大の苦手だ。

 楽しそうに素手で昆虫を捕まえる子供の正気を疑いながら、家に引きこもってゲームばっかりしている……それが俺という男である。

 つまるところ、ここはまさしく地獄。

 目を見張る巨大さが、さらにキモさを増幅させる。

 くそぅ、気が晴れないどころの騒ぎじゃない。

 精神的にキツすぎる。

 このままじゃ、マユにアタックすることはおろか、食べ物にありつくことすらできやしねえ……。


「ピギュルルルルルルルルルッ!」

「んにゅぅぅうぅうぅ……うねうねぇぇえわぁもおおツマぁんなぁぁいんだぁけどナぁあぁあ……」


 同胞の悲痛な叫びを聞いて駆けつけたのか、新たなヴェノムキャタピラーが三匹、暗がりから這い寄ってきた。

 すでにイモムシいじりに飽きてきたマユは、ため息をついて肩を落とす。


 ――決めた!

 うじうじしてても仕方ない。

 最悪な気分を紛らわすためにも、マユに頼れる男っぷりを見せつけるためにも、ここは俺が率先して戦いに参加するとしよう。

 あくまでも、俺が一人で何とかできる相手に限るけどな。

 幸い、ヴェノムキャタピラーは第一階層でのスライム相当と思われる雑魚。

 相手にとって不足なし!


「マユーーーー! 俺も助太刀するぞっ!」

「ふぇぇえ? あぁぁぶなぁぁいかぁらぁぁあてぇんちゃぁんわぁあこなぁぁいでぇイイぃぃいヨぉぉぉぉお」

「っぅぐうッ!」


 好きな人からの「来ないで」および戦力外通告。

 なんてこった、早くもHPが大幅に減少したぜ。

 だが、ここでめげてはいられない。

 生まれ変わったネオ・日比野天地は、好感度稼ぎに全力かつアグレッシブ。

 マユの心を射抜くためにも、まずはそこのイモムシ野郎を刺殺してやる。


「心配無用だ! おらあああああああっっ!」


 もはや愛用となった鉈を手に、交戦中のマユに全速力で近づく。

 体をひねって全体重を乗せ、大きく振りかぶって――――。


 ズドッッ!!


「んごっふッ!!?」


 マユに接近していた不届きなイモムシに肉厚な刃をお見舞いする、その寸前。

 流れるようなジャンピングバックスピンキックが、俺の右腕に直撃した。

 わけが分からない。

 わけが分からないまま、俺は派手にぶっ飛んで、壁に激突した。


「てぇぇんちゃぁあぁあぁん!」


 痛烈な蹴りを加えた張本人が、大声で俺の名を叫ぶ。


「う……ぐ、ぐ…………」


 倒れたまま、懸命に現状を確認する。

 激痛の走る右腕は……どうにか動かせる。

 骨は折れていないようだ。

 壁に打ち付けた体も、おそらくは軽い打撲。

 問題は…………なぜ蹴られた?

 確かに来るなとは言われたけど、ここまでしなくてよくね?

 そりゃあ、俺が勝ち目のない魔物に無謀な突撃を仕掛けているなら致し方ないかもしれないが、今は全っ然大丈夫じゃん。

 流石に理不尽が過ぎるかなーと思うのですが、そこのところマユ様は一体全体どのようにお考えなのでしょうか?


「うにゅぅぅううぅう……だぁいじょぉぉおぉぶぅぅう……?」


 俺が痛みに耐えながら苦悶している間に、ささっとイモムシを全滅させたマユは、俺の顔を覗き込みながら心配そうに声をかけた。

 普段なら胸がときめいても不思議じゃないが、今は戸惑いが上回っている。

 なぜ?

 そう問いかけようとフラフラ立ち上がったところで……。

 不意に、後ろから人の声が響いた。


「うわぁっ!! こ、コイツ……Kだ!」

「ほ、本当だ……! お、おいっ、引き返すぞ!」

「ちっくしょう、一層にいるんじゃなかったのかよ」

「ったく、連絡班は何やってんだ……」


 先輩囚人達だ。

 数は七人。

 いきなり現れて、いきなり驚いて、いきなり身を翻した彼らは、悪態をつきながらゾロゾロと来た道へと戻っていった。

 何なんだ、一体……。

 つーか、Kって誰だよ。

 もしかしてマユのことか?

 K……凩のK、か?

 通り名とか付けるかなぁ、普通……。

 ここのやつら、俺を含めてみんな厨二かよ。

 そんなことはさておき、マユが嫌われ者で爪弾きにされているのはここでも同じなのか……。

 ダンジョン中が完全にアウェーじゃねえか。

 俺なら心が折れそうだ。

 マユをちらりと見ると、先輩囚人の方へは目もくれず、派手に蹴った俺の右腕を掴んで、ふーっと息を吹きかけていた。

 そんなことで怪我が治るわけはないが、俺の心の傷は一瞬で回復した。


「おい、お二人さん。Kがいるっつってんだろ。さっさと行こうぜ」

「そうだ、下手に近づいたらぶっ殺されるぞ」


 ……って、まだいたのかよ。

 もう、あんたらは速やかに退場しろよ。

 この素晴らしいシチュエーションの邪魔をすんじゃねえっての。

 いやあ、怪我の功名とはまさにこのことだな。


「ダイジョーブデース。ボクたち、マユとはマブダチデースのでー」

「ふふふ、その通りさ。君達は先に戻ってくれていいよ。ここまでの護衛、ご苦労だったね」

「ッ…………どうなってもしらねーからな!」


 なん…………だと……………………。

 驚くべきことに、仲間の制止を振り切ってこの場に残る奇特な奴がいるらしい。

 しかも、二人も。

 こんなことは、未だかつて一度もなかった。

 不敬にもマユのマブダチを自称する輩へ目を向ける。

 そこには、背の高いひょろっとした金髪の男と、眼鏡をかけた茶髪でおさげの女が、笑みを浮かべてひらひらとマユに手を振っていた。

 遅れて謎の二人の存在に気づいたマユが、パァっと顔を綻ばせる。


「あぁあアレレぇレぇレぇえぇぇひさぁぁしぶりぃぃぃいぃいぃぃぃっ♪」

「えっ…………!?」


 この時、俺は初めて見たかもしれない。

 俺以外の誰かに、こんなにフレンドリーに挨拶するマユを。

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