魂魄(2)

 階段を降りると、穏やかな陽だまりから翻り、暗くじめっとした通路が続いていた。

 分厚い鉄の扉を開けると、無機的な白い廊下と、白衣を着た大人たちがせわしなく往来していた。ぼくは淡々と闊歩を刻む。

 ガラスのパーテーションで区切られたブースの中で、科学者たちがコンピュータ画面とにらめっこしていた。ある人は背筋を伸ばしたり、ある人は仕切りにメモを残したり。コーヒーカップを片手に、談笑したりする人もいた。

「おや、セナくん。どうしたんだい? 何か用事か?」

 椅子を転がして、病弱そうな身体つきをする女性がガラス越しに顔を覗かせる。

 ルシエラ先生だ。

「えっとね、今から〝お父さん〟にお話ししに行くんだ」

「今は忙しいみたいだから、どうだろうか。差し支えなければ、私が話を聞こうか?」

 ルシエラ先生は、子供のぼくに対しても大人と一緒の対応をしてくれるところが好感持てた。

 ぼくはふるふると首を振った。

「たぶん、先生は答えを知らないから。だって先生はお父さんじゃないでしょ?」

 ルシエラ先生は笑いあげた。

「ははは。それもそうだ。ところでセナくん。私が昨日出したなぞなぞの答えはわかったかな? 〝君は道を歩いていた。すると目の前に分かれ道が現れる。さて、君はどちらの道を行くのかな?〟」

 当時のぼくは答えられなかった。

 でも今のぼくはこう答えた。

「お腹が減ったからお家に帰る」

 するとルシエラ先生はにこりとした。

「その基本原理を忘れない限り、君は君のままで居られるはずさ。どんな姿になってでも」

 ぼくは頷いて、「またね、先生」と言った。

「ああ、さようなら」

 ぼくは再び歩み出す。散ったガラスを踏み鳴らしながら、黒く焦げた床を進んで行く。ある扉の前に到着したぼくは壁をノックした。

「どうぞ」

 と声がして、扉のない部屋の中へ入る。円柱状にひらけた空間だった。弧を描いた壁を這うようにしてスロープが続いている。空間の中心には大樹が生えていた。大樹には知恵のリンゴが成っている。

「久しぶりだな。少し大きく成ったか?」

 リンゴからそんな声が聞こえた。

「何言ってるんですか。見ての通り、健康な身体に換装しましたよ」

 スロープを下り、ぼくは幹の根元に到着する。周囲にはスーパーコンピュータの筐体が敷き詰められて居たが、どれももう稼働はしていない。

 ぼくは大樹を見上げた。

「まだ生きてたんですね」

「生きている、という定義は非常に曖昧だ。君の指す生とは心臓を指すのか? それとも脳を指すのか? どちらも一部品でしかない」

「一般論で言えば、ぼくもあなた方も死んでいる」

「然り。君は機械の身体に意識を宿し、我々はこの大樹に意思を宿している」

 大樹にぶら下がる知恵のリンゴは、脳の形をしていた。

「君も知っているはずだ。サイバネティックス研究が始まる頃、私たちは一部、脳死を迎えた。最低限の脳保持と魂の継続のため、私はこの木に宿った」

「それが永遠の生命を開発するきっかけだったと?」

「引き金はそうだったかもしれない。だが、子供たちを見るうちに我々は君たちをできるだけ長く世に止めようとした」

「嘘だ」

「嘘じゃない。その一環が身体の機械化であり、GM因子の開発だった」

「じゃあなぜぼく達は戦争に──」

「現実というやつだ。科学というのは金が掛かりすぎる。まして、生活に直結しない基礎研究は企業に嫌われる」

「ぼく達が戦わなければならなかった理由にはならない」

「まさしく君の論理が正しいだろう。だが多くの人間は君らを同類だとは定義しなかった」

「あなた達の遺伝子から創出されたクローン体だから?」

「人は分からないこと、知らないことに対して強烈な嫌悪を抱く。君たちはにとって、意味の分からない物体だった。理解できないものに対して、人は敵意を向ける」

「ぼく達は何も変わらなかった。普通の人たちと何も変わらないはずだった」

「ある意味、それこそが君たちを兵器として作り、戦争に投入した理由だったのかもしれない」

「……復讐ですか」

「人類に対する意思表示。我々は君らの存在を知らしめようとした。結果的に君らの価値は素晴らしく向上したことだろう」

「負の局面に」

「正と負が出会った時、数値は平衡する。今、この社会は脱皮期を迎えることだろう。究極的に宇宙も生命もやがて0に収束するしかないのだよ。君の中に発生した二つの意識が融合し、今の君を為しているように」

「それが永遠」

「実に鋭い考察だ。我々は正の値を得て、負の値をとり、そして0になる。0になった時、我々は究極の意識になる」

「それがGM因子の最終的到達地点」

「いやはや、実に君は聡明な頭脳になったな」

 GM因子の最終形態が今、ぼくの目の前にあった。大樹の姿をしているのは、現象でしかない。言葉を発するのも現象でしかない。

 レイシアは醜い蝶だったが、ここにあるGM因子の形態は大木だった。

「一つ聞きたい。今の君はどちらだね?」

「どちらというのは? 裏か表ということを指しているのでしょうか?」

「いや。君はセナなのかトウヤなのかを聞いている」

「答えを知りたいですか?」

「人間は知的好奇心には逆らえない」

「それはあなた自身の意思ではありませんよ。。あなたこそ、化け物だ」

「残念な答えだ。

 自己完結する構造体は生命ではない。ウイルスと同じだ。

「あなたの魂はもう枯れている。永遠なんかに収まろうとするから、足も翼もないんだ。生物は例外なく移動する術を持っている。自身の身体を使って進む。それがぼくの導いた人間の定義。いや、動物です」

「なるほど、なかなか皮肉が効いている」

 大樹は笑った。

 ハハ、ハハハ、ハハハハ、と笑っていた。

 その奇妙な笑いもまた永遠には続かなかった。

 これだけたくさんあれば、いい木炭になるだろう。

 そう思いながらぼくは伐採した。

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