孵化(4)

 心臓エンジンが単調に拍動している。

 身体の中でアクチュエータが脈打っている。鉄骨のわずかな軋みが内部から聞こえる。人工筋肉がぎゅっと締まり、戦闘モードへと緊張感を高めていた。

 新しいカラダは、思いの外よく馴染む。本来のカラダよりもずっと。

 ぼくは空を抱き、世界を身に浴びる。

 息を吸っても空気の味はしない。サイレンは聞こえない。銃声も聞こえない。でも代わりに悲しい音色が聞こえた。化け物から悲痛の叫びが聞こえた。それは決して言葉にならないけれど、助けを求める声だった。

 その世界は、ぼくが知っている名残はほとんどなかった。

 街中の明かりは死んで、空から降り注ぐ光が地上を照りつけていた。目を伸ばしても、耳を澄ましても、触手だらけ。街中に黒い手が張り巡っていた。

 ぼくは枯れたビル間を遊泳した。

 この街に神様はいない。世界のどこにも救いの神はいない。いるのは死神。ぼくはこの世界が大嫌いだけど、同時に大好きでもあった。悲しい別ればかりだったけれど、別れの数だけ出会いもあったはずだから。ぼくがどれだけ頑張っても、どれだけ身を削っても悲しみはなくならない。

 ぼくはもう涙することはできないのだからきっと悲しくはならないはず。あまり気乗りはしないけれど、大事なものは返してもらわなくちゃならない。

 それに、レイシアがあんな風になってしまったのは、ぼくの所為だから。

『GM体は現在、毎秒五メートルで進行中』

 アヤネ曰く、その怪物はエネルギーを貪るため、発電所を目指しているとのことだった。

 飛び方を知らない怪物。肥え太った腹。黒い怪物は蛹を突き破り、蝶となり、地獄を這っていた。街を食い荒らしながら進んでいた。

 世界を壊して、悲しみを満たして進んでいた。

 でも、美しい怪物だった。

「綺麗な悪魔だね」

 哀れなほど美しい羽。虹色の筋と斑点を輝かせ、漆黒の縁に、海を思わせる蒼い輝き。星のように輝く鱗粉を撒き散らしながら大きく羽ばたいていた。

『ゆえに、黒 い 妖 精ブラック・フェアリィ

 そこでぼくは以前自分がそう呼ばれたことに接点を感じた。

「もしかして、ぼくがアレになるって君は思ってたの?」

『最初はね。だから君を最初は殺そうと近づいた。説得されちゃったけど』

 ぼくは苦笑を浮かべた。

「やっぱりぼくが辞めるって言ったら君達はどうするの?」

『特に結果が変わるものでもないわ。現在本国の軍が出動し、大量破壊兵器の滅殺プランを調整中。どのみち、アレは死ぬし壊れるわ。計算上、放っておいても数日以内には自壊する。分子構造を固定できない不安定な物体なの。問題は誰がそれを壊すかで、どうやって殺すか。きっとそこにしか救いはないから』

「猶予は?」

『議会承認が降りるまで、たぶん小一時間ってところ』

「どうしてぼくなの?」

『英雄の創出。カッコよく言い換えれば、ヒーローの誕生。これがトウヤさんの考えた本当のシナリオ。この悲劇を英雄譚として語り継いでいくために。物語にすることによって、悲劇は浄化されるから』

 そう、と短くぼくは答えた。あまりよくわからない理屈だった。

 ふと眼下で発射炎の明滅を見つける。ぼくはワイヤーを離して、発砲元へと近づいた。

「ヒャッハーッッ!! 汚物はなんとやらですぅぅ!!」

 リリィ・エンフィールドが短機関銃を振り回し、触手を破壊していた。彼女の背後にもイアン・クラシェチェンコが用意した部隊がつるべ撃ちをして、触手の動きを止めていた。

「イアンは?」

「ケツをほりほりしているです」

「ん?」

 ぼくは首を回し、眼の倍率を上げ下げしながら周囲の情報を摂取する。イアンの部下と思われる男たちが手にドリルを持って、地面を掘っていた。

『先ほど、ガス会社を全部買収したから』

 とアヤネが補足する。

「決定打には?」

『私の計算上、黒い妖精を完全破壊するには、コア及び全細胞を同時破壊しなければならない』

 どうやら街を火の海に陥れるようだ。多大な痛みを伴う葬式だとぼくは苦笑する。

「セナセナ」

 とリリィは声をかけた。射撃を辞めると、銃をくるくると回しながら腰に収めた。そして手を差し出した。

「今日からリリィとセナセナは、盟友なのだぜい。さっさとあのデカブツをなんとかして、打ち上げやりますです。酒池肉林パーチィなのです」

 素直にぼくは握手に答える。

「さあ、パーリィナイトの始まりですぅぅぅぅ!!」

 リリィは顔をくしゃくしゃにしながら、四方八方に弾をばらまいた。

 ぼくはワイヤーを飛ばし、怪物の元へと飛び立つ。

「アヤネ、聞きたいんだけど。トモさんはどうなったの?」

 無言の間がひと刻開いた。

『三十八時間前、黒い妖精はある地点から動かなかった。二十四時間もの間。その際、街の住民の避難活動が行われた。全員とは行かなかったけれど、数十万人が隣の市に逃げることができたわ。そして推測上、黒い妖精の含有エネルギー率が五〇%ほどに低下したものと思われる。ゆえに黒い妖精は食事をしに移動した』

 それ以上は聞かなかった。想像もできない激戦があったのだろう。

 死者は眠りから覚めない。

 生きている限り目覚めない朝はない。

 この世界に明けない夜はないのだろう。悪夢にうなされようが、喧騒の夜が続こうが、人は目覚めてその日を迎える。同じ朝かもしれない。また同じ悪夢を見続けるかもしれない。それでも翌朝には違う色が見えることを願って眠りにつくのだろう。

 そう思いながらぼくは明日に近づいていく。黒い妖精の姿が見えてくる。敵もぼくの接近を察知したらしく、触手を伸ばした。

 ぼくはさっと、両手の剣ツインブレードを突き出し、触手を撫で落とす。緑色をした体液がバタバタと吹き出た。さらに足元から触手が伸長する。触手の上を駆け、悪魔の手を削ぎ落とす。

 ぼくは銃となる。剣となる。ぼくは天才たちに紡ぎ出された武器。心なき兵器。

 鞘から抜かれた刀は肉を切り落とした。

 斬り伏せていくたび、肉は悲痛な叫びをあげていた。

「痛いよぉ」

「苦しいよぉ」

「熱いよぉ」

 子供達の声が聞こえた。

 その声はぼくの中に残るわずかな記憶にリンクした。

 ──阿鼻叫喚。燃え盛る火炎の中、絶望を喚く子供達の最後の言葉。ひとひらの命が散りゆく光景。ぼくは目を背けて、彼らを捨てた──。

 きっとそれは怨念だった。

 魂たちが具現し、ぼくに呪いをかけようとしていた。

 ぼくは心の中で冷笑を浮かべた。

「意味ないよ」

 伸びる手を斬りながらぼくはそう言った。だってぼくに心はもうないから。いくら、願おうともその声も手も届かない。

「ごめんね」

 今度は見知った顔を乗せ、触手がやってくる。しかし同じようにして刻んだ。

「さようなら、エルガー」

 エルガーは絶叫を奏で、散っていく。

 触手はなおも突進を続けた。

 まるで結び目を作るように乱れ、もつれ、やってくる。

 ぼくは腕を払った。

「またね、オーフェン」

 魂が綻んでいく。

 絶望を混ぜた断末魔が世界に溶けていく。

 ぼくは次々に襲いかかる肉を切り分けた。命を断罪した。触手たちはぼとぼとと地面に落ち、のたうちまわったあと、煙を上げながら蒸発していった。

 肉塊本体は危機を感じたのか、羽を丸めて肉塊を覆った。

 ぼくの眼は即座に羽の硬度を分析する。切れ目を入れるだけで数十分かかるようだ。次の手がないかとざっと頭の中でシミュレートしていると、

『そのまま行って。援護射撃するから』

 アヤネの指示が飛んだすぐあと、視界右端で光が伸びた。光は羽に穴を開けた。

 ぼくは飛び込んだ。

 肉壁を切り裂いて突入する。

 編まれた繊維のように触手が立ちはだかろうとする。ぼくは足元の触手を蹴って加速した。一筋の閃電となり、貫いていく。触手が裂けていき、体液を散らす。肉塊は悶え苦しむように音を吐いた。

 内部は暗黒に染まっていた。蜘蛛の巣のように、細い触手を張り巡らせていた。その中心部に一点の淡い光が見えた。そこにはレイシアが居た。彼女の周りには、繭が無数ぶら下がっていた。繭に繋がる触手が栄養を送り込むように、収縮運動を繰り返していた。

 心臓のように。あるいは胎盤のように。

 ぼくは進行上邪魔になる触手だけを切断していく。

 そして、ぼくの刃はレイシアの喉元に到達した。

「セナ……?」

 彼女は悲しい目をあげる。頬には涙の跡があった。

「そうだよ、レイシア」

 レイシアは薄く瞼を開いた。生気のない灰色の目がぼくを見つめようとする。

「私は……私は私は私は」

 呟く彼女の表情はみるみるおぞましいものに変わっていく。

「生きたい生きたい生きたい生きたい!!」

 怒りを露わにし、彼女はなおも述べ続けた。

「愛していた愛していた愛されたい!!」

 そう叫ぶ彼女の声と呼応して、外の怪物は心を切り裂くような悲鳴をあげていた。

 それは本能だった。

 レイシアという存在が放つ本質的な叫びだった。

「ごめんなさいごめんなさい、赦して私を赦して」

 きっとレイシアの理性は自分を許せなかった。

 仲間たちを裏切って、一人だけ助かろうとしていたことにずっと後悔していた。その所為で子供達全員が焼け死んでしまったことから、彼女は自分を呪わずにはいられなかったのだろう。

「レイシア。もういいんだ」

 ぼくは彼女の頬を左手でとった。

 右手で心臓を貫いた。

おやすみグッナイ

 息を飲む彼女は赤色を垂らした。

 色々言いたいことはあったけれど。伝えなければならないことはたくさんあるだろうけれど。今はまだその時じゃない。いずれそういう日が来るのだと思う。いつかぼくもレイシアたちのところへ行く日が来るのだと思う。

 レイシアの身体から刀を抜き、ぼくは刃を収めた。

 レイシアは静かに目を閉じていった。肉がとろりと溶けていく。妖精の腹の中が融解する。液状化し、悪魔の塊は嘘のように萎んでいった。

 まるで幻想のように。夢だったかのように。

 悪夢は静かに眠りについていく。

 ぼくは触手を振り払って脱出した。

 外は暗かった。

 世界はまばゆかった。アイビー市の空では燦々と輝く星がよく見えた。街中は燃え上がり、根を張った触手が焦げ付いていた。この街はいつだって焦げ付いていた。

 終わりというものはひどく心を空っぽにする。

 ぼくは空を見上げ続けた。悲しみの雨も落ちなければ、悲しみの涙も流れない。でも、何かが洗われたような気がした。今まで両肩にのし掛かっていた重みが払われたような気がした。

 業火のあとに響くは静寂。

 しんとした空気が街を包み込む。

 生ぬるい風が頬を撫でた。悪魔を燃やし尽くしたあと、その熱は上昇気流を生み、やがて分厚い雲を作り始めていた。

 ぼくの冷たい頬を一筋の雫が伝う。

 ぼくは何を為したのか。ぼくはなんのために命を食らったのか。未だに答えは見つからない。けれど、明日はきっとやって来るんだろう。誰かが死のうが、ぼくが居ようが居まいが、人間がいるかどうかなんて関係なく明日は訪れる。

 そんな世界に放り込まれるのは残酷で無慈悲なことだけれど。

 この世界は未だに地獄だけれど。

 でもぼくはようやく薊セナという演者から解放された。

 もう難しいことは考えなくていい。助けなくちゃならない義務も背負わなくていい。ぼくが何者かなんて、きっとどうでもいいこと。人は勝手に生まれ、勝手に死ぬのだから適当に生きればいい。ぼくはもう人ではないのだし、人間が何かを考える必要もない。

 でも、この結末には一切の救いがなかった。薊セナにはなんら祝福は与えられなかった。

 多分、ぼくは今日この時のために生きていた。この結果を導くことこそがぼくの意味だった。だからぼくはもう役目を終えた。存在意義はない。

 だからぼくは右腕を右胸に当てる。

 ぼくはぼくの命を食らおうと刃を伸ばした。

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