孵化(3)

 一番古い記憶が蘇る。

 思い出せる最古の記憶。

 ほとんどの顔は輪郭からおぼろげだった。でもみな幸せそうな顔をしていたことだけはなんとなく記憶に残っている。子供も大人も、みな笑顔だった。

 庭に用意されたバーベキューセットを囲って、肉が振る舞われていた。

 少し前まで、子供たちは不安を滲ませていたけれど、ご馳走を前に満悦だった。

「美味しいか?」

 男がそう訊いた。

「うん、美味しい」

 一人の子供がそう答えた。

「その味を忘れるなよ。その肉は森で獲った鹿だ。さっきまで生きていた命だ」

 子供たちは度肝を抜かれたように言葉を失った。進んでいた箸もはたと止まった。

「命は命を食らって生きる。そのことを忘れるな」

 子供たちはそれ以上食べようとしなかった。

 そんな中、トウヤがこう言った。

「じゃあ、俺、野菜しか食わない」

 トウヤは肉から目を逸らし、苦手なニンジンを食べて顔を歪ませていた。

「野菜だって命だ。命に違いはない」

 トウヤは難しい顔をしていたが、やがてこう答えた。

「命を食べなくても生きていられる方法はないのか?」

 すると男はにっこりとした。

「先生たちはそんな未来を夢見て、研究しているんだ。きっと、誰も死ななくていい方法があるはずだ」

 たぶんそれが彼らの原点だった。幸せとはいかないまでも、悲しまないような生命のあり方を作る。それが彼らの純粋な思惑だったはずだ。

「ゴウマンだ。そんなの、もはや人間じゃねーし。人間にそんなの作れっこない。だから俺は肉を食う。頂きます!」

 トウヤはそんな理屈を並べて、肉を頬張った。

「ちくしょう、うめえよコンチクショウ! あんがとな! サンクス! グラッチェ!」

 男は少し寂しそうな微笑を浮かべていた。

 ぼくの方はというと、さっきから物陰にちらつく白衣の少女が気になっていた。

「君、一緒に食べないの?」

 女の子は黒髪の黒目をした東洋人だった。少なからずぼくは他の子達より仲良くなれる気がした。

「だって、仲良くしちゃいけないから」

 女の子はそう答えた。

「どうして? ぼく達は余所者だから?」

 女の子はふるふると首を振った。

「きっと悲しむことになるからって、お父さんとお母さんが」

「どうして?」

「ひとは死ぬから。君たちは昨日生まれた子達だから」

 ぼくは意味がわからず、首を傾げていた。

「死は悲しみしか生まないの。死の幸せなんてありえないんだわ。君たちは儚いから覚えていちゃいけないの」

「明日死ぬの?」

「わかんない」

「でも人間だから明日死ぬかもしれないよ? 君もぼくも」

「そうかも」

「じゃあさ、明日死んでもいいように、今日は楽しもうよ」

 女の子は少し考えている風だったが、やがて頷き見せた。

「いい考えだわ。君が明日死んだら私が悲しんであげる。だから君は私が明日死んだら悲しむのよ?」

「うん、いいよ」

「でもね、私が君とお話ししたことは内緒。忘れて」

「どうして?」

「怒られるから」

「ふーん。じゃあ、すぐに忘れるよ」

「約束だよ」

 ぼくらは指切りをした。ふと思い立ったぼくは、彼女にも肉を分けてあげようと一度、輪の中へ戻り、皿に肉を盛って戻った。しかし、少女はいなくなっていた。ぼくは彼女を探した。施設をぐるりとまわり、彼女を見つけたぼくは多大な後悔に苛まれた。

 少女は、おそらく少女の両親にこっぴどく叱られていた。話の内容は難しくてほとんど聞き取れなかったが、ぼくが少女と話をしてしまったことを怒られていた。

 多分そのことがあって、その記憶を封印した。


      ***


 ぼくは目を覚ます。〝ぼく〟が再起動した。

 目の前には少女がいた。あと男が三人ほど。

 少女はぼくの胸に覆いかぶさって、眠っていた。ぼくは彼女の肩を揺さぶった。すると少女はハッとしてぼくの全身を吟味する。

「……調子は? どこか痛いところとか、具合の悪いところとかない?」

「No problem」

 少女は少し苦しそうに顔を歪ませた。

「そう……。目は動く? 腕や足も」

 ぼくは言われた通り、目と腕と足を少し動かした。

「大丈夫そうね。意識レベルもしっかりしているし、会話もこなせているわ。いくつか質問させてもらうわね」

 ぼくは小さく首を縦に振る。

「君の名前は?」

「serial number E0145078」

「君は自我を認識している?」

「YES」

「君の生まれた日付は?」

「Current time...」

 ぼくは視界内に映る時刻表示を見て、答えた。

「そう」

 少女はやっぱり悲しそうにしていた。

「薊セナに聞き覚えは?」

「unknown」

「薊トウヤ」

「unknown」

「黒羽アヤネ」

「unknown」

「君はどうしてそこにいるの?」

 ぼくは答えあぐねた。

「ちょっと嫌な質問だったかしら。忘れて」

「I don't want to forget」

「忘れたくないの? 何を?」

 またぼくは答えられなかった。

「君はなぜそこにいるの? 君の存在意義は?」

「Please order」

 すると少女は天井を仰いで、深く息をついていた。身を翻して、助手席にいたかぼちゃ男と話をしていた。

「基本的人格しか復元できていないわ。記憶のほとんどを転送できていない。低スペPCを呪い殺してやりたいわ」

「復元方法は?」

「ないわよ。そもそも、トウヤの躯体は、戦闘用にチューンナップされたもので、人間すべてを入れられるほど容量はなかったの」

「使えるのですか?」

「言っちゃ悪いけどガラクタ。ポンコツ。少なくとも半年以上は、人格調整しなければならない」

 二人の言葉を言語解析したぼくは、基本的言語から当国における公用語に翻訳し、「トンコツ」と相槌を打ってみる。

 だが二人からの返答はなく、少し寂しかった。

「お手上げですね」

「ええ、まったく」

 二人は困っているようなので、ぼくは話しかけてみた。

「何か、お困りですか?」

 少女とかぼちゃ男が振り返る。

「残念だけれど、君の出番はない」

「お手伝いさせてほしい」

「言っているでしょう! 君ができることは何もないって!!」

 少女は怒っていた。

 ぼくは困り果てた。

「いや、あるよ」とかぼちゃ男が言った。

「ちょっと、イアン!!」

 イアンと呼ばれた男は少女を遮って、ぼくの前に立つ。

「君が何かをやりたいというのなら尊重したい。それが彼の意思だったからね」

 ぼくは頷いた。

「私から君に言えることはただ一つ。世界を救え」

「世界を、ぼくが?」

「そうだ。君はたくさんの犠牲の上に成り立っている。今の君があるのは、多くの命が繋いだ魂だ」

「魂……犠牲……」

「ああ、そうだ。我々は今、絶滅の危機に瀕している。大げさじゃないぞ。マジだ。マジで化け物に殺されようとしている。この三十六時間の間で七万八千もの命が食い散らかされた。わかるか? 六〇億のうちの約十万人だ。コンマパーセントにも満たない数字かもしれないが、我々はそれだけの友を失ったのだ」

「……わかる。友人。大切な人。家族」

「そうだ。あの化け物に復讐をせねばならない」

「……復讐はしない」

 イアンと少女は目を合わせ、眉を潜めあっていた。

「復讐は悲しみ。悲しみは巡る」

「そうか。ならば、何も言うことはあるまい。このまま地獄の果てまでドライブと行こうじゃないか」

「……それは嫌だ」

 イアンは目を細め、

「意外にワガママだな。じゃあ君はどうしたいんだ?」

「戦う意味が欲しい。ぼくはどうしてここにいる? ぼくはどうして戦う? なぜ命は命を食べる?」

「殺されないため、先に殺す」

 イアンはそう言ったが、「いいえ」と少女が否定する。

「その問いに答えはない」

 少女はぼくの頬を取った。

「私たちが生きるためよ。私はただ生きていたい。それが基本的欲求だから。人間の本質だから。私たちは賢い生き物ではないわ。この身には残酷な血が流れている」

「人は生きるから命を食らう?」

「ごめんね、辛い思いをさせて。でももう思い出さなくていいの。これで良かったの。今まで君は自分のために戦ってきた。本当はそんなことしたくなかったんだよね。辛かったよね。嫌だったよね。もういいよ。もういいの。自分のために戦うとか義務で戦うのとか、友人とか仲間のためとか考えなくていいの」

 少女は涙を流していた。

「誰のためでもないわ。私のために戦って。私の明日のために」

「……それで君は幸せになれる?」

「幸せにはなれないわ。幸せは自分で作るものじゃない。誰かに与えられるもの。まして、何かを壊したりして得られるものじゃない。でもあれを倒さなければ、幸せはどこにもない。でも約束する。君が幸せになれるよう、私はお手伝いする」

 どこかで誰かが同じ言葉を言った気がした。

 とても大切な誰かがそう言ってくれた気がした。

 ぼくは無意識に頬を拭った。けれど、涙は流れていなかった。

 ぼくはもう、涙を流せない身体になっていた。そしてぼくが誰なのかを少しずつ思い出していく。ぼくは泣き虫だった。いつも泣いてばかりいた。誰かが死ぬたびに、殺すたびに枯れるほど泣いてきた。文字通り、涙はもう枯れてしまっていた。

「君は……ロコ?」

 少女の瞳孔は少し開き驚きを見せたが、彼女は優しく微笑んだ。

 その笑顔を見て、ぼくはたくさんのことを思い出した。

「ええ、そうよ。君の大切な人。そして君をとても愛しているわ」

 ぼくも微笑み返した。

 嘘だって知っていたけれど。

 君が優しい嘘を言うのなら。

 ぼくは仮面を被ろう。

 君の望む役者に。

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