第3章

孵化(1)

 話は少し遡る。


 それは春の嵐が過ぎ去った五月の頭のこと。アヤネはイアン・クラシェチェンコに呼び出され、【国境なき自由ボーダレス・リバティ】本社に赴いていた。

 アヤネは受付でアポイントを伝えた。

「……その、久しぶり。覚えていないかもしれないし、私のことを恨んでいるかもしれないけれど」

 アヤネは恐る恐るそう言った。彼女はロコ・コココをかなり以前から見知っていた。というのも、アヤネは孤児院全焼後も、研究者としてロコと関わる機会は幾度かあったのだ。

 ロコは微笑を浮かべた。

「むしろ、黒羽さんが私のことを知っていてくれて嬉しいくらいです」

「……そのなんと言うか、あの節はごめんなさい」

「今更謝ることなんてありません。私はこうして生きているんですから。怨嗟は巡ってしまいます。どこかで断ち切らないといけません」

 そうね、とアヤネは短く答えた。

 二人はエレベータを経由して、部屋へと入った。四、五十人ほど入れる大広間には、長い机が設置されている。上座にはイアンが座っており、その隣にはアウロ・ルシエラ医師が居た。それからもう一人、植木トモヒロが机に足を放り投げて黙していた。

 つい数日前まで敵対していた人物たちが雁首そろえている。

 イアンはアヤネたちに着席を促した。

 このメンツでの会合も四度目くらいになる。言うなれば、ここにいる全員、アヤネも含めて嘘吐きの役者だ。薊セナは台本を知らないエキストラである。

 彼らにはたった一つの思惑があった。

 イアンが部隊を引き連れて街で暴れたのも、セナとエルガーを戦わせたのも、すべてその目的のために仕組まれたのである。

 バンブル孤児院の研究時代、ルシエラ医師は対立グループが開発していた生物兵器の情報を掴んだ。以後ルシエラを筆頭とし、イアンやトモヒロらに裏で計画を進めていた。

「トウヤの肉体が死亡したことは記憶に新しいと思う。結論からいこう。コードネーム〝黒い妖精ブラック・フェアリィ〟。つまり、GM因子はトウヤには確認されなかった」

 まずルシエラ医師が発言した。

 GM因子、とアヤネは心の中で復唱した。

 遺伝子組み換えG M。または遺伝子改変動物G M A。しかし、遺伝子を書き換える代物ではないことは確かだ。なぜならば、【〇五〇号】計画に出資した多くの資産家達は戦争ビジネスを生業としていた。したがって、当然、軍事利用に昇華させる技術でなければならない。噂の域を出ないが、GM因子は最強最悪の生物兵器の可能性があった。【〇五〇号】計画の裏で、薊夫妻が研究を進めていた代物だ。

「でしたら、やはり、薊セナの方に?」

 アヤネは淡々とした口調で問いかけた。

「いや。それは分からん。殺してみんことには。ただ可能性は高い」

 アヤネは顔を強張らせた。理屈的には分かっている。GM因子は人格が死んだ時、本性を現す。理性や器から解き放たれた時、無自覚で無差別な兵器と化すことは分かっている。だから、鋼鉄の子供たちを殺して確認しなければならなかった。しかしながら、感情的に納得しがたい話である。

「本当にGM因子は鋼鉄の子供たちスチール・チルドレンの誰かに?」

 アヤネはひとまず感情を殺して質問を続けた。

「ああ。というよりも、黒羽くん自身、ミリオンバンクの金庫室から例のサンプルが紛失していたのを見ただろう?」

 アヤネは何日か前、爆弾を身体に巻き付けられ、ミリオンバンク金庫室に押し込められたことを思い出す。

 あの時の薊トウヤの真の目的とは、アヤネを殺すことでもなければ、アヤネから情報を盗み出すことでもなかった。少し脚色が混じっていたが、セナを焚きつけることも本来の目的ではなかった。

 アヤネとトウヤはミリオンバンクの貸金庫からGM因子サンプルを回収することが目的だった。GM因子を追っていたトウヤは何度かミリオンバンクを襲撃しようとしたが、セキュリティを破れず貸金庫にたどり着くまでには至らなかった。そこでアヤネがMAGIシステムを使って、協力したというのが真のストーリーラインだった。

 真の黒幕に、アヤネとトウヤが協力体制にあることをカモフラージュすべく、人質として置き去りにせねばならなかった。そこで、アヤネの救出役に選ばれたのが、薊セナという役柄である。

 そうしてGM因子を回収され、ルシエラ医師が解析を始めた。分かったことは、致死力の高いウイルスでもなければ、感染力の強い細菌の類でもなかった。逆に言えば、何も分からなかったことが分かったくらいだ。ただし、少量のGM因子を打ち込んだ薊トウヤの死亡後、異様な光景を目の当たりにした。

 

 その事実をアヤネやセナも実際目にした。

 これにより、GM因子がどのような代物なのかがはっきりした。そして、さらなる情報がイアンらから集められるうち、GM因子プロトタイプが【〇五〇号】計画被験者に注入されていることが判明した。

 二〇五〇年より始められた永遠の生命創生計画。

 彼らは、そのおぞましくも、高尚な研究の真意を知ることとなった。

「しかし薊夫妻は、結果がどうなるか分かっていたはずです」

 確かにGM因子を注入された肉体は永遠に等しい命を手に入れるかもしれない。だが、一度死んでだ魂が復活を遂げて、同じ意識なのかは非常に難しい問題だった。

「イエス・キリストがキリストたる所以は、死からの復活に他なりません。科学はただの手段でしかなく、ヒトはヒトの生き様や物語に心を揺さぶられる動物です」

 とイアンが小さくぼやいた。

「英雄の創出が薊夫妻の目的だったと?」

 アヤネは問いかけた。

「さてね。あるいは、神の人工的製造が目的かもしれません。定義は様々ですが、妖精とは永い命を持つことがその特徴とも言えます」

 ゆえに〝妖精〟の名がつけられた。

 この時の彼らは、まさかGM因子は悪魔を生み出す凶悪な代物だとは想像だにもできなかった。

「しかしだね」とルシエラが逸れかけた話題を元に戻す。「むしろ鋼鉄の心臓スチール・ハートを持つセナ君は死ににくいから、逆にGM因子のサンプルとしては良い被験者とは言い難いな」

「となると、エルガー・アルデバランの死亡は確認されましたし、残るは、オーフェン・グラハルド」

「可能性というのなら、私も……ですよね?」

 ロコは俯きながら不安げに発言した。

 ルシエラ医師は同意を示すように深く頷いた。

「あともう一人。レイシア・フォン・フェテロベルがいる。孤児院の生き残りは。経歴的に、一人逃げ出したレイシアが被験者となった可能性はかなり高いと見ていいだろう」

 しばらく、無言が流れた。

 重苦しい空気に浸されるように、全員は口を開けずにいた。結論や有意義な判断が下されぬまま、議論は収束に向かうかと思われた時、扉が開いた。

 現れたのはツインテールの少女リリィと、全身躯体フルボーグの薊トウヤだった。

 薊トウヤは頬を揉み込んで、トウヤの顔を表現すると、にこりと笑ってみせる。

「行方は掴めたぜ。オーフェンはとある地域の紛争に参加していて、レイシアは山奥の小屋にこもっていた」

「引きずり出せるか?」ルシエラ。

「両方とも心が死んでるが、なんとかな。だが、セナが頷くかねえ。かつての仲間に、恐ろしい殺戮兵器が内蔵されてます。だから、殺しますって」

「秘密裏に処理する方法もあるだろう? 彼にはなるべく静かに暮らしてもらいたい」

「でもよ、先生。万が一ってこともあるぜ。万が一、セナがだった場合、俺らじゃ手がつけられん。あれは別種の天才だからな。俺が、黒幕だったらセナを妖精にしたけどな」

「その時は、兄貴が責任をもって処理するだけだな」

 ルシエラは嘲笑した。

 トウヤは肩をすくめ、ため息を吐いた。

「そんときゃ、世界が破滅するだけさ。まあ、もう一芝居打ってやってもいいがな。オーフェンやレイシアにセナを打つける。十中八九、セナが勝つだろう。それで因子持ちを特定する」

「セナかロコだった場合は?」

「どのみち、生身部分は半年の命だ。それまでに人格を移譲するか、穏やかにおネンネしてもらわなきゃならない。誰がを持っているのやら」

 実は、GM因子の存在を最初に知ったのはトウヤだった。トウヤは少々手グセが悪い少年だった。孤児院時代、彼は研究員の端末に忍び込んだり、職員に取り入って脱走計画を目論んでいた。

 その一環でGM因子が発覚した。その時の彼はひどい驚きと憎悪を感じたらしい。そしてトウヤはGM因子の完全抹消を計画したのである。トモヒロ率いる部隊に孤児院襲撃を依頼した。だが失敗に終わった。結果的に孤児院は全焼。そして子供たちも焼死。しかしながら、当初の目的としてみれば、九割方成功しているとも言えた。GM因子の研究データの破壊、プロトタイプのサンプル以外の滅却には成功したのだから。

 バンブル孤児院の火災事件は、このようにして非常に複雑な思惑が絡み合った上での出来事だったのである。

「あの、ひとつ提案があります」

 とロコが手を挙げた。視線がロコに集まった。

「なるべく、街に被害が及ばないように、私たちは人里離れた場所に行くべきではないでしょうか」

「合意したいところだが、あの頑固者セナちゃんが言うことを聞くかね? あれでいてあいつ、結構この街を気に入り出してないか?」

「なんとか説得してみせます」

「まあ、俺の方もアシストする」

「つーか、てめえらよお」

 そこで発言したのは、ここまで一切発しなかったトモヒロだった。

「何、小難しいことうだうだ言ってんだよ。まず真っ先に黒幕を見つけりゃいいんだよ」 

 トモヒロの怒りのボルテージはすでに容量限界を超えていたようだ。立ち上がった彼は椅子を蹴飛ばすと、壁に拳を叩きつけた。

 石壁に亀裂を生むほどの力だった。

「そのGMとかなんとかってのを作ったファッキンウンコ野郎の居所突き止めて、指の骨、バッキバキに折りながら、聞きゃいい。止める方法を教えなきゃ、てめえらの脳みそ、味噌汁にして豆腐と混ぜ込んでやるってな。一緒に大根入れますか? わかめを入れますか? そう聞いてやれ。お麩です。なんて答えやがったら、その腑抜けた思考回路、オーブンに入れてこんがり焼いてやるってな」

 トウヤはケラケラ笑い、ロコやアヤネの表情は引きつっていた。

 イアンが苦笑を浮かべているところに、トモヒロは銃口を突きつけた。

「おい、ファッキンパンプキン。笑ってる暇がてめえにあるのか? クソ野郎を探すのがクソの仕事だろう。薊夫妻の居場所はどうなってる?」

 イアンは引きつった笑いをしていた。

「……我々はお仲間では?」

「誰がてめえとお遊戯やるっつった? 元はと言えば、てめえがお情けでガキたちに全身躯体を与えなきゃ、こんなめんどくせーことにはなってねえだろうがよ」

「それを言うのなら、懲罰房に子供達が全員居たことを把握して居ななかったあなたの落ち度では?」

 トモヒロの顔中に青筋が浮かんでいた。

「どうやら、てめえも一緒にかぼちゃ味噌汁スープになりてえらしいなっ」

「日本食は箸で食べるのがマナーのようですが、箸置きなるものがあるそうですね。トモヒロ氏のそのサングラス、良い箸おきになりそうです」

 トモヒロは腰から短刀を抜いて、イアンの手の真横に突き立てた。

「知ってるか? 頭、ペンネアラビアータ野郎。ヤクザもんは失態犯したら、小指詰めんだよ。おや、てめえの小指はまだ生身だな。刺身にちょうどいい。傷口に醤油かけるとな、どんな強面でもヒイヒイ言いやがるぜ」

 収集のつかなくなった場を収めようとトウヤは「まあまあお二人さん」と言葉を掛けるが、二人は胸ぐらを掴んで喧嘩を始めた。まるで子供の喧嘩のように喚き出す二人に沈黙を与えたのはアヤネだった。

 アヤネは銃を構え、二人の鼻っ面に発砲した。

 あんぐりとしたトモヒロとイアンが目を向ける。

「クライアントが誰なのかをお忘れなく」

 トモヒロとイアンは仲良く顎を引いて、ひとまず、口を閉ざした。

 アヤネは座った目つきで全員を見た。

「今後起こることは、ただの喧嘩じゃない。まして、過去に呪われた子供達の報復でもない。それを知っていたから、あなた達は辛い選択をしたはずでしょう? 人類史上最悪の計画は、関係者である私たちの手で止める。そう誓って、ここにいるはずです。事件が幕引きを迎えるまで、協力できないと言うのなら、私がこの手で地獄に送ります」

 アヤネの目は本気の殺意を浮かべていた。

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