黒翼(2)

 高速道路を逆走する異物。それを検知した交通システムが、アイビー市高速道路網を全線不通にした。一般車の密度は減ったが、パトカーやポリス・モーターサイクル白バイが次々にUターンした。

 大名行列のように警察車両を引き連れて、真夜中ミッドナイトをエンジンの爆音とライトの紫電が駆け抜ける。

 しかし警察にとって、不運な仕事だった。

 レイシアは緊急車両を追い抜く際、鎌を振り下ろし、車を真っ二つに裂いた。あるいは隊員をつまみ上げ、高架向こうへと放り投げていた。

 翼を広げたそれは猛禽類。獲物を食い荒らす鳥。

 そして逃避行はいつまでも続かなかった。

 進行方向正面に、バリケードを築き上げた警察車両と軍の姿が見えた。途端、キラリと何かが光る。それが荷電粒子砲だと知った時には、光が前輪を貫いたあとだった。

 タイヤが破裂バーストし、ドンッと重低音を響かせた。フロントフォークが深く沈んで、前輪がコントロール不能。その時、ぼくもロコも空へと投げ出されていた。ロコの身を傷つけないようにと、ぼくはワイヤーを放ち、壁とロコのつなぎ目となる。

 幸いにも、ぼくもロコも傷一つなく着地した。

「クソがっ──」

 ぼくは本心からそう漏らした。

「手を頭の上に──」

 武装した特殊部隊や軍らが銃を突きつけながらそう言った。

 だが、言い終わる前に男の首が空を舞った。

 驚きを見せる顔が一斉に首から飛んだ。

 大鎌は弧を描き、首と胴をなぎ払っていた。警察官たちは血を噴き上げながらバタバタと地に伏せていく。

 ブーメランのようにレイシアの手に再び収まった。そして彼女は羽を畳み、アスファルトに降り立った。

 ふてぶてしく見下ろす満月を背負いながらレイシアはぼくらに近づいた。

「久しぶり。セナ班長に、ロコ」

 レイシアは立ち止まる。

 鎌の肢を地面に立て、高笑いを抑えきれない様子だった。

「どこにいくつもりだったの? 逃げ場所なんてないのに。私たちには」

「ここじゃない遠くに」

 ぼくは答えた。

「過去を忘れて?」

「ああ、そうだ」

「私はね、セナ。そんなのどうでもいいのよ。もうどうでもいいの。私たちを兵器にしようとしたことや、戦争に行かねばならなかったことなんてどうでもいいの。関係者を葬るのは、少しばかりの発散だけど。だけど、小さな復讐でしかない。ねえセナ、どうして私があなたを殺したいかわかる? 心の底からズタズタに引き裂いてやりたいと思うのはなぜだと思う?」

「……見捨てたからか?」

 レイシアは冷たい目をして、ぼくを見つめた。表情筋こそは変わらなかったが、首筋から額にかけて青筋が浮かんでいた。

 彼女は鎌を持つと、刃先を手首に当て、すっと引いた。血がレイシアの手首から指先を通じて滴る。

 レイシアはまた手首を切った。のっぺりとした表情のまま、目を血走らせ、二度三度と自傷を続けた。

「待っててね、オーフェン」

 レイシアはうっとりとして、鎌に付着した自らの血を舐めた。

「うん、分かってるから。尊敬する大切な人だったもんね。ううん、心配しないで。彼の右腕を奪って、オーフェンを握らせてあげる。もちろん、魂は器から切り離すよ」

 レイシアは鎌と会話していた。まるでその鎌にオーフェン・グラハルドが宿っているかのように。その行動もまた、レイシアにとっての悪癖だった。彼女はよく、お人形やぬいぐるみをパペットとして会話する癖があった。いや、ナイフや銃にだって語りかけることもあった。極限状態になると特に武器と話をする癖があった。

「あまり、いい状態ではありませんね」

 隣でロコがそう耳打ちをした。ぼくは同意を示すように顎を引く。

 武器と話すときのレイシアは発狂している。ぼくたちはそれを何度も見てきた。その炎は冷たく乾いたもの。

 冷酷で残酷で残忍で残虐だ。

 レイシアの部隊での役割は尋問だった。レイシアが引き出せない情報はなかった。もちろん、ぼく達はその情報に幾度となく救われたが、敵からしてみれば、趣味の悪さは史上最低だ。

「最初はね、思ったんだ。仲間でもいいかなって。同じ経験をした戦友だし、これでも班長を結構慕っていたんだよ。苦しくても生きていられたし、自分の心臓を犠牲にしてまで私やオーフェンを助けてくれたし。でもね、さすがにこれは許せないよね、オーフェン」

 レイシアは再び鎌を見つめた。

 そこに宿っているはずもないオーフェンに語りかけている。

「どうやって、殺す? どんな風に鳴かしてみる?」

 ぼくの知っている限り、レイシアはオーフェンに好意を抱いていた。いや、好意には収まらないほどの愛情を持っていたことだろう。オーフェンの存在だけがレイシアにぎりぎり人間としての人格を保たせていた。オーフェンの側に居られることが彼女の喜びであり、生きている理由だった。、自らの狂った炎に身を焦がすのは当たり前なのかもしれない。

 オーフェンを殺してしまったのはぼくだ。ぼくだってしたくなかった。言い訳じゃないが、レイシアと同じくらい無念をぼくは思っていた。

 でも赦されざること。もうオーフェンは取り戻せない。

「レイシア……」

 ぼくは彼女に掛ける言葉を探したが、何も思いつかなかった。レイシアは怨讐おんしゅうに燃えていたことだろう。愛すべきオーフェンが死んで、自らの感情に焦げるしかなかった。身も心も燃やし尽くす真っ黒い炎に燻られたのだ。

「ウンウン、それがいいね。皮を剥いで、肉を丁寧に削いで、お腹からあったかいモツを取り出そうね。まだ生きてるかな? まだ生きてたら、自分の内臓を食べさせてあげないとね。だってお腹が減るでしょう? 彼は人間だから」

 レイシアはデスマスクを顔にかぶせた。髑髏。いや、鬼男やボディを冠としていた、エルガー・アルデバランの頭骨だった。名札はなかったが、骨格には面影があった。

 レイシアはたくさんの形見メメントを身につけていた。多くの魂を抱えていた。

 それは死を司る神のよう。

「エルガーも今日から同じ部隊だよ。もうすぐだから。もうすぐ、セナとロコを隊員に加えてあげるからね。また一緒に戦えるよ。最強の部隊だよ」

 ぼく達に救いはない。救われることは決してない。

 ぼく達は呪われている。過去に、機械の身体に。

 それを解放というのは傲慢なのかもしれないけれど。心を焦がす呪文を解呪するには、きっと死ぬしかない。多分、その役目は本来ぼくだった。ぼくが呪われた魂を背負わなくちゃならなかった。

 背けてはいけなかったのだ。それが生き延びてしまった罪だから。

「ロコ、君は行くんだ」

 ぼくはそう告げた。でもロコは「嫌です!」と強く言った。

「ずっと一緒にいると誓いました。これはロコのエゴです。迷惑はかけません」

 多分ぼくは恵まれている。それはきっと、幸せに近似したものなのだろう。ぼくは一人じゃなかった。少し前までは兄さんがいてくれたし、今はロコがいてくれる。戦争に行っていた時だって、仲間がいた。でも、レイシアや兄さんはひとりぼっちだって思ってたのかもしれない。

 レイシアは鎌からぼくらに目を向ける。

「さあ、始めましょう。命の宴を」

 レイシアは翼を開いた。

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