第2章

黒翼(1)

 すっかり日が暮れていた。

 ぼくらは夕日に向かって逃走していた。トワイライトの美しい光景を目に焼き付けながら、ぼくとロコは綺麗だねと言い合った。

 ぼくたちの背中には永遠の影が伸びていた。まるでぼくたちを街に縛り付けるかのように、逃げても逃げても影は伸び続けた。

 きっと、後悔とか未練とかそういう心残りがぼくにそう思わせた。

 夜が強まり、道路は渋滞に見舞われていた。特に急ぐ必要もなかったので、路肩を無理に通らず、車の後ろにバイクをつけた。テールランプの赤が川のように連なっていた。

『事故、ですかね?』

『どうだろう』

 事故にしては少し異質な光景だった。高速道路であるのにドライバーたちは車から降りて、道の先に目を伸ばしていた。

『ロコ、ちょっと立って見えない?』

 するとロコが立ち上がる。

『……セナさん』

 とロコは忍び声で言った。

 どうしたの、と聞けば、ロコは「引き返しましょう」とぼくの肩を強く握った。状況の飲めなかったぼくはメットを脱いで、車と車の間から道路先を覗き込む。しかし、特に変わった様子は見受けられなかった。その時だ。

 自動車が宙を舞ったのは。

 薄暮の名残を吹き飛ばすかのようにして翼がはためいた。そして無数、鉄の塊が飛び跳ねた。突風ハリケーンで蹴散らしたかのように、玩具のように自動車は吹き荒れた。

 翼が夜を抱きしめ、大気を煽っていた。それは飛んでいた。少女が羽を広げて宙に浮かんでいた。

 今一度、翼がひと撫でされると、突風と物理的な衝撃に車がまたもや散らされた。

「あれは──」

 ぼくの独り言に間髪入れず、ロコが「レイシアです」と呟いた。

 ぼくは義眼の倍率を高め、レイシアに焦点を合わせた。 

 ハイヒールブーツと少し膨らんだ段々のスカート。狭間見える太ももの肉に食い込むストラップ。黒いビスチェが腹部をキュッと締め上げている。扇情的な衣装とは不釣り合いな幼い顔立ち。色素の薄いミルク色の肌とクリーム色のブロンドヘア。蛇のように長い瞳孔が紅く開き、それは未熟な果実ロリータ・フルーツを思わせる。いや、ゴシック・アンド・ロリータな衣装で包装された未熟な飴ロリポップ。その手には大鎌サイズ。よく見ると、オーフェンが装備していた六本の鎌と同じデザインの鎌だった。

 その姿を見たぼくの記憶がリンクする。

 まぎれもない。

 レイシア・フォン・フェテロベル。

 かつて00部隊ゴースト、第二班の部下だった戦友。

「今の彼女の通称は〝ウイング〟です」

 ぼくは瞬時に、これまで相対した躯体ボーグとは一線を画す存在だと理解した。鋼鉄の身を持たぬ形状、形質。それを際立たせるかのように大きな翼を背に持つ。広げた翼はまるでマントのように、コンドルのように豪壮と羽を伸ばしていた。

 地獄という舞台に登場した新たな刺客。

 堕天使の紅い目がギョロギョロと何かを探している。

 その目はある場所を見つめ、ピタと止まる。

 ぼくの両眼と視線が交わると、レイシアは口角を耳元まで裂くように釣り上げた。

「みーつけたぁぁっっ!!!!」

 レイシアは「アハハ、アハハ、アハハ」と高笑いをあげながら、自動車の屋根を蹴り上げ、天高く飛び上がった。そして翼を広げた。ひと度はためくと、ジェット戦闘機のような豪速で音の壁を突き破った。

 狙いはぼくらだった。迎撃するか、交戦しないかの判断をぼくはひととき迷ってしまった。しかし、すでにロコは鋼鉄の足で地を蹴っていた。

 亜音速で衝突した両者から凄まじいショックウェーブが空の中で爆ぜた。盆を翻すように、密集していた車たちが跳ね上がる。

 レイシアはなおも笑いあげながらロコに突進を繰り返す。

「ロコ!!」

 ぼくは援護射撃にと、籠手からワイヤーを飛ばし狙う。しかしレイシアは、海の中を泳ぐ魚のように鋭く空を往来し、ワイヤーを容易く交わした。暫時、ぼくの頭の中では恐ろしい速度で戦闘シミュレーションが計算された。

 しかしぼくは勝利の方程式の一切を払拭し、アクセルを捻った。アスファルトに擦れたタイヤが煙を上げる。焦げ付くゴムが香り立ち、後輪を滑らせた。

『撤退だロコ!』

 ぼくらのいるべき場所はここではない。ぼくはそれを選んだし、ロコに誓った。惨めでも、情けなくともノーマルな世界を選んだ。だからぼくが選ぶべきは逃げの一手。

 ロコは着地して、ひっくり返った亀のような車の隙間をスルスル抜けてくる。ぼくは再度、アクセルを開き、クラッチをぽんと離した。恐竜の鼻息のようなエンジン音が唸りあげる。フロントアップしたバイクの巨体が浮き上がり、どしんと車の屋根に覆いかぶさった。ロコが後部に着地したと同時、フルスロットルで発進する。

 その瞬間からぼくの意識は、バイクのエンジンコントロールCユニットUと相互通信していた。エンジンプラグの点火タイミング。燃料の噴射量や間隔。エンジン回転量。サスの沈み具合。巨体とエンジンを支えるフレームの応力ストレス限界。駆動系の調和性、摩擦係数がもたらす力学的エネルギー損失率。

 それらを感覚と同期させ、ぼくはバイクと一体となった。義眼の振動速度を高め、環境情報を摂取。対向車ベクトルを計算予測し、ぼくは右に左にと身体を傾けた。

 弾丸のように対向車が迫り来る。

 大気が摩すれ合い、破裂音じみた風切り音が耳を穿つ。

 自動車はオートドライブであるが、乗り合わせていた人々の顔色は、驚きと恐怖をない交ぜにした表情を露わにしていた。隕石でも目の当たりにしているかのような。そんな顔たちが次々に流れ去っていく。

 警笛クラクションが胴鳴り、高速道路を響もした。防音壁に突っ込んだバンパーがパーカッションを打ち鳴らす。波打つ自動車に、空を駆け上がるヒルクライムトラック。

 それは 過 激 ラディカル 歌 劇 ミュージカル

 正面衝突を免れそうもない場合には時速二〇〇キロまでに減速し、ジャックナイフでくるりと輪転。真横をすり抜ける。スリップ気味に引き寄せてくる車には、壁にワイヤーを打ち付け、巨体ごとバイクを巻き取り、無理やりベクトルを変異させ路肩を抜ける。

 ぼくの手足はタップダンスを刻むように踊る。マリオネットのように操られるバイクは滑らかに蛇行する。時速三〇〇キロで。

 がコンマ以下の予測をしなければ、到底たどり着けない境地へと引き連れた。ぼくは飛翔体ミサイルとなり間を縫った。蛇のように。風と同化して。

 レッドゾーンを突き抜けたエンジンは叫び続けていた。

 現実をはるか過去に置き去りにするかのような疾走。未来を予測しながら、生と死の狭間を超えていく様はある種、未来へのタイムスリップ。死と紙一重な逃亡劇に心臓は狂乱。旅行又は酩酊状態トリップ・オア・トリップ

 ぼくは──ぼくたちは、夢見た未来へたどり着くため、超高速で過去を過ぎ去る。

 だけど、風圧がぼくを押し戻す。神の法則が──、世界の当たり前が──望む未来に近づけさせようとはしない。物理フィジックスがぼくたちを押しとどめようとする。

 ぼくは地面すれすれに身体を倒しながら、バックミラーで背後を視界に収める。

 レイシアと思しき影が滑空しながらぴったり背後を追いかけていた。

 距離一〇〇メートル。相対速度ゼロ。

 どうやら逃がしてくれそうもない。

「──バケモノめ」

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