残喘(5)

「退屈ですか?」

 ロコはそう言ってぼくの顔を覗き込んだ。

 週末になって、ぼくたちはいわゆるデートをしていた。デートと言っても、何をするのか思いつかず、とりあえず映画でも見てランチをしようと合意した。特に見たいものもなく、消去法的に行き着いたラブロマンスは退屈な映画だったが、デート自体が退屈だったわけじゃない。

 ロコは重ねていた手を遠慮がちに引っ込めた。

「先ほどから考え事をしておられるようなので……」

 ぼくは小さく首を振った。

「ご飯のあと、どこ行こうかって考えてた」

 それを聞いたロコは、微笑を浮かべながらまた手を重ねる。

 むろん嘘だった。ぼくは、今のぼくがどちらのぼくか考えていた。その思考の狭間にアヤネが脳裏に浮かぶ。隣にはロコがいるのに、他の女の子のことを考えている自分がわからなくなった。

 おそらくぼくは二人とも嫌いじゃない。いや、好きだろう。でも量的にどちらが優っているということはないし、どちらかを選べと言われれば、どちらも選べないのが本音だ。

 それに、こんなことをしていていいのだろうかとも思う。今この時でさえ、街の外ではトウヤ率いるPMCが隣国に戦争を吹っかけている。命が削れている。それに目を背ける自分が嫌になりそうになる。

「ねえ、セナさん。こういう時はドライブにでも行きません?」

「ドライブ?」

「ロコは一度バイクに乗ってみたかったんです」

 ロコはにこやかに笑って見せた。

 それからぼくたちは、エンドロールを見ることなく、映画館をあとにした。デパートに立ち寄って、ロコのヘルメットを購入してから、立体駐車場に駐めていたバイクに乗り、しばらく街中を巡った。

 何度目かの信号に捕まった時、ロコは少し遠くまで行きたいと提案した。ぼくは無言で従った。

 高速道路に入り、巡航速度が上がって行くと、ロコはぎゅっとぼくを抱きしめた。

 当然、柔らかい感触が背中に押し付けられている。

『今、幸せですか?』

 無線機を通じて、唐突にロコはそう問いかけた。

『……分からない』

 ロコの胸の感触は確かに背中が幸せだったけれど、それは本能的な幸せであって、ぼくという意識的な幸せではない。幸せってなんだろう。ぼくは疑問する。幸せがなんなのかを考える。でもぼくには答えられない。答えてくれる人ももういない。こういう難しい疑問はいつもルシエラ先生が答えてくれたが、もういない。あるいはフェテリシア先生ならばそれなりの答えっぽいことを出してくれるかもしれない。

 でもそれはぼくにとって眩しすぎる幸せ。

 血で汚れきっているぼくなんかが掴みとってはいけないタブー。だから先生に聞くことに臆する。

 ロコはスッと手を伸ばして、アクセルの持ち手に手を重ねた。

『選んでください』

『……何を?』

『このまま街を出て過去のことは忘れる。そして、私と未来を共有する。それか、過去を清算して、難しい問題に直面し続けつつも向き合っていく。どちらにしてもロコはずっと側にいるつもりです。どちらを選ぶにせよ、ロコはセナさんの選択を支持します』

 要約すると兄さんのことを忘れるか否かということ。

『ロコはずるい女です。嫉妬深い女です。セナさんを独り占めしたいって思います。セナさんがアヤネさんを気にしているのも分かっています。女の人はそういうことに敏感なんです』

『ごめん……』

『謝らないでください。謝られると、ロコは選ばれなかったように聞こえます』

 ぼくはヘルメットの中で苦笑を浮かべた。

『ぼくが選んだ選択肢は、君にとっての幸せになる?』

 少し返事に間が空いた。

『……はい。きっと』

『幸せってさ、なんだろうね』

『カタチがないからわかりません。人によって違うと思います。でも、ロコはセナさんがその答えを見つけられるお手伝いをします。きっとそれが恋するということで、人を愛してあげることなんです』

 ぼくは微笑んだ。

『君ってさ、方向性は違うけど哲学者っぽい』

『え、そうですか?』

『恋愛バイブルでも書けば売れそうだね』

『もう設定は出来上がってます。ロコとセナさんのラブロマンスです。大ヒット間違いなしです』

 三角関係でぐずぐずにならなければいいが。

『私たちの幸せを多くの人に分けて、同じように幸せを感じてもらえればって思います』

『汚れてない仕事だね』

『はい』

 ぼくはまた微笑んだ。ロコとこうして普通でいる時、ぼくは穏やかでいられる。たぶんそれって、普通な幸せなのかもしれない。

 純粋にぼくは、この幸福に浸っていたいと思い始めていた。じゃあぼくはロコをでいさせてあげるために、お手伝いしてあげなくちゃならない。

 ぼくたちは汚れていたから。血に濡れているから。

『分かったよ、ロコ。どこにいく?』

『こういう時は北に行くのがセオリーですよ。宛てもなく流れ着くままに』

 返事の代わりにぼくはギアを上げる。

 きっと、人はそれを逃げたという。無論、自分が逃げようとしているのを分かっていてそうした。ぼくは逃げたかった。兄さんのそばから。戦争の世界から。地獄から。何もかもを忘れて逃げたかった。だけど一人じゃ怖かった。

 ぼくは弱い人間だから。

 半分は機械でできた強い身体だけれども、心は生だったから。

『駆け落ちですね』

 もうぼくは仮面の男を辞めた。戦争も辞めて、普通の人として生きて行くと決めた。

 争いのない世界へ。ロコと一緒に。

 未来に向かって、ぼくはアクセルを開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!