幕間(2)

「さて、お二人とも。私はね、いろいろ言いたいことがあるのだよ」

 先生は──教師という先生から翻って、今度は医者を冠とする先生だ。

「君たちは私の仕事を増やすのが目的だろうか」

 ルシエラ先生は、それぞれ椅子に腰掛けたぼくとロコを見下げながら、眉間にしわを寄せていた。

「交換の前に、少し一服させてくれ。昨日からオペ続きだったものでな。あまり寝ていないから、うっかり神経接続を誤るかもしれない」

 ぼくは苦笑いを浮かべる。

 ルシエラ先生は本棚から聖書を引っ張り出すと、唐突にページを千切った。瓶の中から刻みたばこシャグをひとつまみして、千切った聖書の上に乗せ、それをくるくる巻き始めた。

 先生は手巻きタバコに火をつけて、うまそうに煙を吸っていた。

「聖書で巻くタバコは格別なのだよ。神を冒涜する感じがなんとも言えない至福を与えてくれる。ああ、プラシーボだ。わかっているさ」

 ルシエラ先生は半ば、ひとりごちていた。

 こっちの先生は、清廉なフェテリシア先生とは真逆に位置する先生だった。

「かつて、異端者と罵られた魔女たちは火炙りの刑に処されたそうだが、私はこうやって神を火で炙るのが趣味でね」

 きっとこの人も狂っている側の人種だった。

 狂っている人の側にいる方がぼくは落ち着く。フェテリシア先生のような人の側では眩しすぎて目を開けられない。

「だけども、私は神なんぞに文句は言わんよ。言うとするのなら、リンゴを食べたアダムとイヴかな。そもそもを言えば、リンゴを食べた彼らを、神の力で元に戻すことはできなかったのだろうか。できなかったのだろうな。そうしても、きっとまたアダムたちはリンゴを食べたろうから。おそらく神は人を無かったことにするのか、その先の可能性に賭けてみたのかもしれん。我々もまた、先の可能性を賭けて、君たちを診ているのだがね」

「ええ、その点は感謝しています」

 ルシエラ先生は少し目を丸くしたあと、天井を見つめ、長い紫煙をゆっくりと吐いた。

「君は、無粋な大人の作法をいつのまにか学んだようだね。私に心のない感謝を述べるとは。まあしかし、君たちは非常に可能性を感じさせてくれるサンプルでもある」

 先生はラップトップを翻し、画面を見せた。そこには円グラフ、棒グラフが映り込んでいて、真ん中を基準に二つのデータを対照させていた。一方にはぼくの名前が書かれていて、もう一方にはロコの名が記入されている。

「これは、脳のプログラム化を示したデータだ。要するに、君らの意識融合率を可視化させたもの」

 赤と青で色分けされており、ぼくの円グラフはきっちり半分半分だった。ところが、ロコの方に目を向けると、ほぼ赤い部分が円を覆っていた。

「コココ君の融合率は九八%と非常に高い数値だ。対して君は半分。つまりこれは、コココ君は今、単一意識であるが、君は半分ずつの意識を同時に内在させていることになる。私の推測では、君の意識はスイッチのように切り替わるんじゃないのかと考えている」

 まさに先生の見解は当たっていた。

「他にも幾人かのデータを取ったが──」

 そう言って、先生は画面を切り替えた。現れるグラフは、いずれも真っ赤に染まったグラフばかりだ。

「ウチにやってくる被験者は百%融合している。ところが、二つのイレギュラーパターンが存在する。君たち二人だ」

 ぼくとロコは共に首を傾げた。

「まず、コココ君に至ってはここ数ヶ月の間、融合率九八%から一切推移していない。見た目的には、領域の多い方の意識が主体と思われがちだが、彼女は二%の意識の方が主体だ。たった二%の意識を残りの意識が補佐している形になる。これは数度のカウンセリングを経て得られた結論だ。要するにコココ君は、とても大切な感情を糧に自我を保てている」

 ロコは少し恥ずかしそうに頬を染め、うつむいていた。

 肘掛の上で、そっと彼女の手がぼくの指先に触れる。

 ルシエラ先生はそれを一瞥して、表情を穏やかに崩した。

「で、君の方だ。君はフィフティーフィフティーから恒常的には推移していない。最初にデータを取ったのが一年ほど前だが、その時から変わっていない。私の推論では、君は必要に応じて主体性意識を切り替えているのだろう」

 なるほどどうして鋭い洞察だ。

「今後、割合が変わることはあるんでしょうか?」

 ぼくが知りたいのはその先のこと。完全に交わった時のこと。

「そこまではわからないね。このまま半分ずつのままの可能性もあるし、元来の方だけになることや、外在的無意識の方に侵食されることもあるだろう。それはおそらく、君がそうする必要があった時にそのように変化するのではないかと思う。ただし、君は今とても不安定な状態にある。ログを見たが、割合は状況によって極値を取る。片方が百%の時もあるしその逆もまた然り。自覚は?」

 ぼくは力なく頷いた。

「それが君に取って本心から望むことならば私は苦言は呈さない。もしもそうでないと言うのなら、君は自我の中に明確な目的意識を持つべきだ。例えば、コココ君のように、誰かを愛するなどね」

「それがぼくを保つための方法? 人を好きになったり、愛することがアイデンティティの固形化だと?」

「一例だ。別になんだっていい。夢を持ったり、自由を追いかけたり。人と機械が異なるのは、目的意識を起こせることにある。あるいは省察できることだろうか。人間は一人で正していけるが、機械は自分で自分を直せない。まあ、それこそが人の苦しむ理由だとも言える。人間の考えることに正しい解答なんて永遠にない。死と同じく絶対的に」

 先生はいつも哲学を解いて、ぼくを外界へと送り出してくれる。ルシエラ先生のほとんど理解できない言葉を聞くと、なぜかぼくは安堵できた。

 それが最後のやりとりになるとも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料