再燃(3)

 イアンからトウヤの真の目的を聞いてからまた数日が過ぎ去った。

 この頃になるとぼくは、昼間の出来事をあまり思い出せずにいた。

 昼間のぼくにあまり意味はない。だってぼくが生きる世界はそっちじゃなかったから。

 今の自分が表面なのか、裏面なのかも曖昧だった。

 どちらにせよ、あまり変わらないことだった。

「行きましょう、お兄ちゃん」

 ロコがそう言った。

 ぼくたちはスカイタワーの頂からアイビーを見下ろしていた。

 ぼくとロコは毎夜毎夜、街の空を飛び回って、オーフェンやトウヤの姿を探していた。兄さんに──兄さんを語る偽物に──、会ってどうするつもりなのかは自分でもわからなかった。ただし、ボーダレス・リバティの顔がイアンから兄さんにすげ変わってから、世界各地で紛争が再燃していていた。その指示を出しているのは、トウヤ以外にない。今の彼をトウヤと呼ぶことが正しいのかは分からなかったが。

 ──君はさ、そうやって物事を曖昧にしてごまかそうとするよね。

 ぼくの中のぼくがそう言った。

「ちょっと黙っててくれ」

 思わずぼくは言葉に出してしまった。自分に向けられたと思ったロコは悲しそうに顔を伏せて「ごめんなさい」と言った。

「いや、君のことじゃないんだ……」

 ロコはぼくの手を取り、手を重ねた。

「お兄ちゃんは今、変化しようとしています。でも恐れることはありません。私は少し先にになりましたけれども、私は昔とそんなに変わらず、セナお兄ちゃんを愛しています。きっと、本当に大切なものはどんなことがあっても変わりはしないんです」

 そう願いたいものだ。

 だけど、ぼくととじゃ明確な違いがある。二つが混じり合った時、ぼくという代物がどんな風に変化するのかわからない。それが恐ろしい。

妖精フェアリィは年を取らないのです。お兄ちゃんは妖精なんかじゃない。今はまだ孵化していない蛹なんです。きっと美しい翅を携えると私は信じています」

 そう言って、ロコはぼくを抱きしめた。

 彼女がスパイだとぼくはまだ疑っている。これほど好意を見せるのは怪しすぎる。だけれども、ハグはある種ロコにとってのだった。オーフェンが銃口を口に含んで嗜んだように、エルガーが薬物を噛み潰していたように、ロコもまた極限のストレスを発散すべく、出撃前にはよくぼくにハグを求めていた。

 でも、昔の仲間が隣にいてくれるっていうのは、ぼくにとって何よりも変えがたい安心感を与えてくれる。生きていた事実に。生きてくれていたことに。

 時々泣きそうになる。

 地獄にしか見えなかったあの猛火は、ロコの存在によってほんの少しだけ暖かい炎に感じられた。ぼくはロコの存在に感謝するように、彼女の身を強く抱き返す。

 人の温かみが、ロコの温もりがしかと感じられた。

『モスモスです。聞こえてますですかぁ? こちらリリィですよ~』

 間延びした声が耳の中で聞こえた。

 相手は幼き死神デスロリの異名を持つ少女。リリィ・エンフィールド。

 イアン・クラシェチェンコという男は実にしたたかだ。ぼくとロコを実行部隊として前線に送りながらも、裏ではリリィに情報を集めさせていた。

「何か分かったか?」

『もちのろんです。ぬふふぅ。リリィのスパハカ能力の前に、どんな情報もチョチョイノチョイなのです』

 リリィがハッキング能力を持っているとは聞いていない。彼女は対象の懐に潜り込んで情報を聞き出す、古典的なスパイ、とぼくは評価していた。

「まさかとは思うが、巻き込んでないだろうな?」

 リリィは無線越しに音の鳴らない笛を吹いていた。

『ひゅひゅのひゅ~です。なんのことだかはこってり、さっぱりわかりませんです』

 ぼくは、アヤネをこの陰謀に巻き込みたくなかった。確かにアヤネは制御ウェアの開発者で関係者だ。でも彼女はこっちの住人じゃない。

「それで?」

 ところが返事はなかった。

「聞こえてるか?」

 ぷつり、と突然雑音ノイズが混じる。

『やあ、セナ』

 一瞬でトウヤの声だとわかった。

『こんな出来事、前にもあったよな。あの時もこんな質問をしたっけ。〝目の前に少女を拉致した男がいる。そこで問題です。君はどうすべきなのか〟』

 まさか、と嫌な予感が過ぎる。

 その時、無線越しに離れた場所からリリィの声が轟いた。

『セナっち! これは罠です──』

 さらに殴打音が聞こえ、リリィの小さな悲鳴が消えいった。

「リリィをどうする気だ!?」

『変わってねえな、お前は。ま、いいさ。それでこそ、セナだもんな。今回は教えてやるよ』トウヤは嘆息を吐いて、『俺には資金が必要だ。夢を叶えるためのな。戦争請負業はリスクが高い。だから、手っ取り早く稼げる方法に出ることにした。ここでなぞなぞです。さて、これなーんだ』

 ふと以前兄さんが言った言葉が蘇る。

『お前だけは殺さない。お前の大切なもの全部をぶっ壊して、お前に絶望と苦しみを与える』

 ぼくは答えを導いた。

「……人身売買」

『ご明察。ティーンエイジャーは馬鹿みたいな値が付くからな』

 純粋な怒りが込み上がる。

「兄さんの救いたい世界ってなんなんだ!?」

 ぼくは言いながら、世界の底へとダイビングしていた。

 信じたくはなかった。未だにぼくは兄さんの死を受容できていなかった。AIが兄さんを語っているなんて信じたくなかった。でも今のあれは兄さんなんかじゃない。少女を売ろうなんて兄さんは絶対に考えない。

「セナお兄ちゃん! 待ってください!!」

 背後からロコが声を上げる。

「少し冷静に!」

 しかしぼくは構わず、ワイヤーを飛ばし続けた。ロコは並んで言葉を続けた。

「罠です。どうして今まで出てこなかったのに、今更接触しようとするのですか!?」

 矢継ぎ早にロコがそう告げて、ぼくは止まった。ビルの壁面にワイヤーを突き立て、まるで蜘蛛のように壁を床とした。

 わかっている。それが罠だってことも。

 頭のいい兄さんのことだ。策を巡らせて、ぼくを服従させようとしているだろう。

「だったら?」

 ぼくは疑義の目を向けた。は仕込み刀をロコの首筋に向けた。

 ロコは息を飲んで凍りついていた。

「罠だとしても、見過ごすなんてにはできない」

 今もなお、心の底で裏面が言っている。ほっとけよ、と。

 だからぼくは裏面を否定するために行かねばならない。

「それはどちらの言葉ですか?」

 ぼくが答えあぐねていると、無線にアヤネが割り込んできた。

『お兄さんともう一体の躯体は南西のルピナス港に向かったわ。リリィを抱えて』

「……見てたのか全部?」

『言ったでしょう。君の状態をつぶさに観察すると。君の筋電部位には特定の周波数を発するように設定してあるの。君の位置は把握済みよ。ま、何処かの誰かさんと抱き合っていたなんて私は見ていないわ。彼女ガールフレンドではないし、口うるさく言うつもりはないけれど、その女にも一応きおつけておきなさいよ』

「余計なお世話だ。君よりも付き合いは長い」

『でしょうね。死線を共に乗り越えてきた仲間だからこそ、信頼している部分もあるでしょう。これ以上は何も言わないわ。でもこれだけは忘れないで。昼の居場所は私が守ってあげるから。じゃあ明日学校でね』

 ぼくは身を翻し、港を目指そうとした。

 だが、ぼくの手をロコが掴み、待ったをかけた。

「行かないでください。だってお兄ちゃん行く意味はないじゃないですか。リリィちゃんのことが好きなんですか?」

「そういう二元論じゃない」

「何もかもを忘れて、これから私とデートするというのも……」

「本心じゃないことを口にすべきじゃない」

「嘘じゃありません。まだ……心の準備はまだですけれども、セナさんが求めるなら。私は……」

「誰かにそう言われたか? ハニートラップを仕掛けろとでも」

 ロコは唇を結び、力なく首を振った。

「お兄ちゃんは私の知っているお兄ちゃんと変わっていません。仲間を助けるために自分を差し出す義理高く、仲間思いな人。だから私もオーフェンもお兄ちゃんを信頼し、尊敬しました。だからロコは……」

 ロコは少し言葉を詰まらせる。彼女は涙ぐんでいた。

「いいえ。助けられる前からずっと。お兄ちゃんに会ってからずっと。今後、想い続けられるか分からないから今言葉にします。好きです。ずっと好きでした。この気持ちだけは、嘘偽りはありません。だからお願いです。行かないでください」

 その言葉と涙が演技なのか嘘なのかは、生の目でも機械の目でも判別はできなかった。

 ただわかるのは、ぼくの知っているロコ・コココがここに居るということ。彼女がぼくに好意を持っていたことも少なからず知っていた。だけど僕は、好きとか愛とかがなんなのか分からなくて、ずっとロコの気持ちをかわしてきた。

「だから今夜、。たとえ、お兄ちゃんにそれがなくともロコは構いません」

 ロコの目は純真だった。哀願する眼差しだった。

 無垢すぎる想いを前にして尻込むぼくは目を逸らすしかなかった。

「……ぼくに対する気持ちが嘘じゃないってのは信じてもいい。だけど、ぼくにはそれ以上に重要なことなんだ。今考えるべきことじゃない」

 ぼくはまた誤魔化そうとしていた。かわそうとしていた。

 それを受け入れてしまえば、失う恐怖を抱えることになると知っていたから。その感情を持った子供たちから次々に死んでいったことを知っていたから。

 だから兵士にとってその感情は不要だった。

 ぼくたちが孤児院で最初にレクチャーされるのは、感情の制御だった。

 喜び、悲しみ、怒り。そして愛情。

 これらは戦場に持参することは許されなかった。

 兵士に必要なのは、冷静さと生きる執念だと教えられた。あとは、生を支えるための少しの知識。元々のぼくは真面目な少年だったし、他人の言葉を疑いにくい性質だった。だからぼくは、生きるために感情を一つづつ忘れていった。だって、そうすれば生き延びれたから。

 今、ぼくの中に沸き起こる狂おしくも熱い何かに、理性が強烈なブレーキをかけ続けている。

「……悪いけれど、今のぼくは君の気持ちに応えられない」

 ロコは悲しそうに顔を伏せた。

「……やっぱりそう仰るのですね」

 わかりました、とロコは決意したように座った目つきをして、

「だから私はあなたに添い遂げると決めました。一緒に行きます。セナ班長」

 ぼくは少し苦笑いを浮かべる。

「もう班長なんかじゃないし、その、お兄ちゃんっていうのいい加減やめてくれ。セナでいい」

 00部隊ゴーストはもう解散した。あの日──、あの火災をもってして、部隊は本当の幽霊となった。もしも亡霊がぼくの周りを彷徨くというのなら、きっとその処理は生き残りのぼくがせねばなるまい。

 そしてぼくたちは港へと向かった。

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