第3章

再燃(1)

 ロコが目覚めて、着替えを始めた。さすがに部屋にいるわけには行かず、ぼくはルシエラ先生の私室から退室した。

 扉を閉めて、軽く溜息を吐くぼくの眼前に異様な男が近づいてくるのが見えた。

 いかり肩の横幅のある風貌。

 黒いロングコートを纏い、顔面には仮面。口周りと眉には立派で太い毛が描かれている。額に浮かぶ青筋。顔は笑っているのに怒りを表す面。いわゆる筋男すじおとこ。日本で言うところの怪士あやかしの一種である。武将の怨霊を表す能面の一つ。

 面裏からはみ出る長髪は白銀色をしていた。

 ぼくの中で警戒警報が鳴り響く。

 心音、呼吸の音、それらを検知されるかのような緊張が張り詰める。

 男は淡々と距離を詰めてきていた。

 ぼくの両の目は瞬きを忘れて、その男の一挙一動に着目していた。瞬きしたその瞬間に首を刈り取られるんじゃないか。そんな予感が脳裏を駆け巡っていた。

 彼はブツブツと呟いていた。呪文を唱えるように。

「裏切リ者……。レッグ、殺ス……。隊長ノ命令……」

 張り詰めた空気を押し返すように、男はなおも近づいてくる。

「敵、認識。排除シテ命令ヲ遂行セヨ。アーム、了解」

 そう言った直後、男が床を弾けだして突進してきた。コートの下から伸びる拳がぼくを狙っていた。ぼくは横に逸れ、初撃を回避したはずだった。

 ぼくの頬に熱い血が滴る。

 奇跡的に軌道が逸れていただけだった。

 男の肩からは右腕とは別の、カマキリの前足のようなものが生えていた。

 鎌状の腕。黒くてらつく刃が鋭さを物語る。それも三本。

 ぼくの股下、脇下、頬横にそれぞれが突き立てられていた。耳元で鎌状の腕が甲高い音を響かせていた。刃の悲鳴。頭の中がかき回されるような周波数。機械的受容器メカ・レセプターは細かな音まで聞き分ける。超音波帯で振動する物質が耳元にあるというのは、非常に不愉快な音色。それは、ぼくの仕込み刀と同じ材質、同じ機構だった。つまり、2・45GHz帯で振動するコバルトを含有した高速度鋼ハイスピード・スチール

 相当な硬度で作られた腕。

 切削用途に特化した合金。

 命を刈り取る鎌。

「オ前ハ誰ダ? ……関係ナイ。敵、排除。命令遂行」

 今度は左腕の三本がコートを煽って襲いかかる。

 ぼくは震動刀ブレードで一本をいなしながら、肩関節、股関節を外して、ゼロ距離から抜け出す。ぼくが過ぎ去ったあと、六本の腕がなぎ払らわれる。壁のタイルが細切になり、破片が飛び散った。

「アレ、消エタ……。イヤ、ミンチニナッタカ? ダガ、血ノ匂イガ、ナイ」

 男は首を回してぼくを見つけた。

「ソウカ。サスガ、ダ」

 その言葉に記憶が想起した。

「お前は……オーフェンか?」

 オーフェン・グラハルド。彼は00部隊第二班の優秀な副官だった。昔、戦線を共にした同胞であり戦友。だが、今の彼からはオーフェンの面影の一つもなかった。

「ソノ名ハ、捨テタ。私ハ、アーム」

 彼の身体はもちろん全身躯体。鎌のオプションをつけ、心を亡くしたマシーン。

 オーフェンは床を蹴り上げて直進した。後方跳躍バックステップでかわそうとしたところを六本の鎌が軌道を変えて、ぼくの身体に狙いを定める。

 草を刈るように鎌が払われた。ぼくは身体を鞭のようにしならせて、鎌を避ける。さらに鎌が交互に床を穿つ。畑を耕す鍬のごとく振り下ろされる。床、壁を蹴散らし突き進む様はクレーン車の解体現場。

 いや、殺 戮 兵 器キリングマシーン

 六本すべてを避けるのは、人間の形では限界があった。取捨選択しなければならなかった。腕は大気を切り裂いて、次々にぼくのやわからい表皮を裂いていく。六本の鎌から急所を守るには、二本では腕が足りないと思った。あるいは反応速度レスポンスが足りない。

 もっと速度が、欲しい。

 ぼくはそう思いながら籠手より露出させた震動刀で刃を受け止める。

 が、右腕の出力だけでは押し返されるほどの力だった。左手を添え、支える。しかし人間程度の力など気休め。ぼくの身は床に沈むほど圧された。その隙に、残る五本の腕が上下左右からぼくを裂こうと払われた。

 受け流そうにも圧倒的なパワーの前に、軌道をわずかに逸らすことで手一杯だった。左足一本の出力で大きく跳躍しなければ、避けきることはほぼ不可能。廊下という狭い場所で大きく距離を取る以外に選択肢はない。加えて、六本の鎌を広げれば、横空間への逃げ場所はなかった。命綱は、床、壁、天井を高速反射した立体移動のみ。

 蜂のように鋭くぼくは飛び回る。だが、わずかな空中に逃げてしまうと、空中ではろくに身動きが取れない。

 右腕と左足の、生の体を、かわせなかった。

 その度にぼくの身体は、骨身が軋む。

 絞られる雑巾のように関節が、筋繊維が捻じ切れそうになる。

 義眼の処理速度で追いつけないほどではないが、六本の腕が連続すれば当然、余裕はなく、予測処理をする脳に多大な負荷がかかる。回避し続け、かつ攻撃を予測するだけでぼくの体力は著しく削がれた。近づこうにも離れようにも鎌のリーチは長く、間合いが取りづらい。戦闘用装備をしていないとはいえ、近距離主体のぼくにとって、相性最悪。

 息が上がり、ぼくの生の肺と喉が苦しそうに呻きをあげていると、決まって頭の中で《ぼく》が囁く。

 ──変われよ、と。

 ──ぼくに任せれば大丈夫だよ、と。

 黙れ黙れ黙れ黙れ!

 ぼくは心の中で強く彼を否定する。

 今ここにいるのはぼくだから。邪魔をしないでくれ。

 だって、君に変われば、君はオーフェンを殺してしまうだろう?

 ──ああ、そうだよ。だって敵じゃないか。

 だからぼくとは相容れない。

 ぼくが切り替われば、ぼくも今のオーフェンと同じように屠殺兵器へと化すだろう。二ヶ月ほど前──いや、機械の右腕を手に入れた時から、ぼくは自分の中に無慈悲な兵器の心が宿っていたのを自覚していた。

 気づかないふりをして。見て見ぬ振りをして。命を散らしてきた。

 でも、今ははっきりとわかる。

 ぼくは化け物を飼っているのだと。

 でもぼくだけじゃない。きっと00部隊の皆が同様に感じていたこと。兄さんもオーフェンも。あるいはエルガーやロコだって一緒なんだと。

 不意にオーフェンの動きが止まった。いや、鎌が止まる。

 彼は普通の腕で腰元から拳銃を取り出した。

 面を少しずらして、銃口を口の中に突っ込んだ。長い舌を銃身に這わせて、ベロベロと舐め始めた。時々トリガーを引いて、9mmパラベラム弾が彼の口の中で暴れまわっていた。彼の口腔内も金属でできており、金槌で金属を叩いたような重たい衝撃が何度も波及していた。

 そこでぼくは思い出す。

 オーフェンはストレスが極限に達すると、弾倉を抜いて一発だけ薬室に装填した拳銃を舐め回す癖があったことを。曰く、それはロシアンルーレットなのだと。引き金に指をかけず、不良品であることを祈るのだと。

 オーフェンは死にたがっていた。戦場に行くことを拒否していた。だが、優秀であったがために、彼は多くの戦場を生き延びてしまった。しかし彼もまた、バンブル孤児院の惨禍によって死んだはず。要するに目の前の彼は、代替躯体オルタボーグにオーフェン・グラハルドをインストールして出来上がったものだろう。ところが、目の前の彼はただの機械マシーンでもなかった。マシーンに癖は不要だから。

 彼は銃を一通り舐めしだえたあと、銃口をぼくに向けた。刹那──銃弾はぼくの頬を掠めた。

 ツーと血が流れた。

「今のは借りの分です。班長。あの時、救ってもらった分のお返しです。これで貸し借りはなしです。だから次は当てます」

 冷静で丁寧な言葉遣いは、まさしくオーフェン・グラハルドの元来の口調だった。

 ぼくは自分の額を指差した。

「ちゃんと狙えよ。殺したいなら一発で仕留めるんだ。そして忘れるな。心臓にもう一発当てることを」

「ええ、ちゃんと覚えてますよ。忘れたことはありません」

 そしてトリガーが引かれた。

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