変異(3)

 ここ数日の流れを、ぼくは朧げにしか覚えていなかった。

 四六時中、雨が降っていた。血が降っていた。

 夜は裏面のぼくが活動していることは分かっている。

 その時の記憶も思い出そうとすれば思い出せる。

 朧げだと感じるのは、あまりにも時の流れが早かったからだ。

 曜日の感覚が不鮮明で、カレンダーを見ても、今日が何日かと認識するまでに少々の時間を要する。朝起きれば、生身が筋肉痛に悲鳴をあげていた。見知らぬ血が服にべっとりとこびり付いていた。脳の方も眠っていないらしく、慢性的な頭痛に悩まされている。

 複合肌は防食の役目もあるから機械化部品が錆びる心配はそれほどなかった。でも、朝起きて、乾いた血を洗い流そうとしてもなかなか落ちなかった。夢を見ているかのようにぼくは、連日暴力団関係者や警察関係者を尋問していた。せめてもの救いは、命までは奪っていないことだろうか。あまり変わらない気がしたが。

 そんな夜が淡々と過ぎ、同じように昼も駆け足で過ぎていった。

 気がつけば前期の期末考査がやって来ていた。

 ぼくはあくびをかみ殺しながら、答案用紙と睨み合いをしていた。たびたび意識が飛びそうになる。一度眠ってしまえば、スイッチのように意識がへと切り替わる。それを恐れて、授業中ぼくは、太ももにシャープペンシルを突き立て自我を保っていた。

 脳裏では裏面が囁きかけてくる。

 ぼくに任せておけ、と。

 確かに裏面に任せておけば、簡単に解いてしまう予感があった。でもそれじゃあ、ぼくの唯一の居場所までもが奪われるような気がして、受け入れることはできなかった。

 でも不思議と、ぼくはそれなりにテストをやれていた。

 アヤネの無理やりな勉強に付き合わされていなければ、ぼくはたった一問も解けることはなく、期末考査を終えていただろう。この点はアヤネに感謝せねばならない。優秀な成績を収められなくとも、赤点ボーダーだけは超えられるよう、ぼくは見ず知らずのうちに訓練されていた。

 全教科のテストが終わったすぐあと、ぼくはアヤネを食堂に連れ出した。勉強を教えてくれていたお礼に、ランチを奢るためだ。

 周囲は談笑とランチに勤しんでいた。テストが終わり緊張感が抜けたのだろう。食堂は平穏で包まれていた。

 アヤネはバーガーセットを注文し、ぼくは眠気覚ましを兼ねて、コーヒーだけを頼んだ。ここ最近、三食ずっとコーヒーだけだった。糖分さえ取っていれば、最低限は動ける。何より、食事をする時間が惜しいのもあった。

 そんなぼくを見兼ねてか、

「半分こね」

 とアヤネは袋の中でバーガーを千切った。

「でもこれじゃあ、奢った意味が……」

「物でお礼をされたくはない。君が赤点を免れてくれれば、それでいいの」

「意外と欲浅いんだな」

「君のげっそりとした頬を見れば、思うところがあるわ」

 アヤネは小さな口を開いてバーガーにかぶりつく。彼女の目線が食べないのかと訊いていた。ぼくは施しを受ける弱い人間のような気がして、手をつけられずにいた。

「一つ聞きたいんだけど」

「それを食べたら答えてあげる」

 仕方なくぼくはいただくことにした。三口ほどで平らげると、早速質問する。

「四月以前にイアン・クラシェチェンコという男に会ったことは?」

 訝しげな視線がぼくを捉える。

 アヤネはトレイにバーガーを置く。咀嚼して飲み込んだ後、

「どういう意味? どうして私が武 器 商アームズ・ディーラのCEOに会わなければならないの?」

 ぼくは頭の中で言葉を整理した。できるだけ感情を込めないように返す。

「君が【戦術動作機関タクティカル・モーション】の開発者であるならば、繋がりがあったんじゃないかって。自律兵器を戦争屋に納入するんじゃないかって」

 アヤネの目が少し泳いでいた。

「……なんだか、あられもない疑惑を向けられているようだけれど、断言しておくわ。私はお金持ちが大っ嫌い。そして、馬鹿も大っ嫌い」

 しかしアヤネはすぐさま、たっぷりと軽蔑を込めた目色を向けた。後者の言葉は目の前のぼくに向けられた言葉だった。

「悪かったよ。気を悪くしないでくれ。ただ事実確認をしたかっただけ」

 アヤネは筋電部位モジュールの制御ソフトを作った人物だ。少し前から戦争は自律機械オート・マシンに取って代わり始めた。それは、ヒューマノイドが人間らしい挙動をできるようになったからだ。アヤネの両親が立ち上げた『クロハネソフト』は自律兵器向けのソフトウェアを売って、莫大な利益を上げていた。その中で、彼女の母親はインサイダーでさらなる利益を上げ、中流階級だった者たちが【上位一%の資産家ワン・ミリオネアーズ】の仲間入りしたことも事実としてある。

 アヤネは否定したが、ぼくは嘘だと考えた。

「そう。じゃあ、私も事実確認をさせてもらうわ。?」

 思考が止まった。

 心臓が凍りつくような思いをした。

「何言って……?」

「少し前から言動に引っ掛かりがあったのよ。君っぽくないって感じたの。それに君は、何かを抱え込んでいるって顔をしている」

 言葉がぐさりと胸に突き刺さる。

「……ぼくはぼくさ」

 そういったものの、あまり自信はなかった。

「そう。ならいいのだけれど。でも、一つだけ忠告しておくわ。もしも以前の自分との変化を感じているようなら、それは予兆よ。エルガー・アルデバランも、薊トウヤも、自我の変化を感じて、

「何が言いたい?」

「ある医者が出した論文でこういう見解があるの。『〝外在的無意識〟が自我にもたらす、変容性』。そのパーソナリティは元あった本人とさして変わるものではないが、より明確に、より振れ幅が大きく、行動するようになる。まるで0と1の極論でしか語れないコンピュータのように」

 アヤネの言っていることは大まかに間違っていなかった。大いに心当たる。ぼくは自分の中で二つの意識が内在し、優柔不断な昼のぼくと即断する夜のぼくがいる。

「エルガーの最期を見ていた君ならわかると思うけれど、いずれ、二つの意識は交わることになるわ。おそらくそうなった成れの果てが、今の薊トウヤではないかしら」

 ぼくは目を細めた。

「兄さんのこと、知ってるのか?」

「私なりに二ヶ月前の事件をもう少し考察してみたの。お兄さんは本当にこの街のデータを白紙に戻すことだけが目的だったのか。私にはそう思えなかった。だって、そうじゃなければ、は必要じゃないはずよ。彼は。私にはそう思えてならないの」

「混ざり合った意識を消すために?」

「推測だけれど。そして多分、彼にそれを触れ込んだ誰かがいると私は考える」

「……それが黒幕」ぼくは呟いた。

「黒幕かどうかは知らないけれど。でもね、セナ。これだけははっきりしている。少年少女を機械化し、その研究をしていたバンブル孤児院は無くなったけれども、その関係者、あるいはその意思はまだ絶滅していないのよ」

 そうでなければ、兄さんはこの世に降臨しようとは思わなかったろう。

「【〇五〇号】計画は、ようやく環境設定を整えたの。本当の、当初予定していた最終実験を始めるための状況が」

 計画は始まったばかり。

 そう聞かされたぼくの奥底でふつふつと何かが煮えたぎる。

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