第二部

第1章

混成(1)

 ここは地獄。

 腐臭に満ち満ちた地獄。

 街の底に作り出された星々が、空から降る星の光を跳ね返している。街灯やオフィスの灯りが真昼のように都市を包んでいる。ラビリンスじみた網が空も地上も埋め尽くしている。無機的な形相の街、アイビー市。

 空の網モノレール地 下 の 網アンダーグラウンド・チューブ地上の網チェッカーボード超高層ビルスカイスクレイパー。それらは無尽蔵に拡大した。新皮質が積層され続けるように。古い皮質が細胞死アポトーシスすることはなく、無限に増殖した。

 ここはカオスの成れの果て。

 又の名を、死が交錯する街──『天国と地獄の交差点クロスローズ・ヘブン・アンド・ヘル』。

 街は変わらず、狂騒が木霊していた。

 静けさとは程遠い悲鳴、罵声、怒りの哮り。夢破れた落ち武者の叫び。もしくは命と金に群がるハイエナの遠吠え。そんな音色が調和し、狂想曲を奏でる。そんな響きもどこか懐かしい。硝煙の匂いですらもノスタルジックな刺激。

 情報が脳に浸透する。ぼくはまだ世界の匂いを感じられた。音を感じられた。

 まだぼくはここに居ることを感じている。ぼくは変わらずその地獄にいた。

 ぼくは黒い妖精ブラック・フェアリィ

 暗夜を舞う半機械人間ハーフマシン

 そして地獄の住人。本当の地獄がどんなところか知らないけれど、きっと地獄はここ。地獄がどんなに着飾ろうとも、綺麗に姿を変えようとも、地獄の演者は変わらない。

 演者は今日も仮面を被る。それはハートを消すための仮面。ぼくはその呪縛から逃れらない。言葉というまやかしを、感情という虚飾を厚化粧するかのように塗りたくり、うそぶいて来た自分を呪文プログラムで皮膜した。それは感情を消す装置デバイス

 兄さんの形見メメント

 地獄から立ち去った兄さんは、ぼくに何の思いも残しはしなかった。ぼくは何も受け継ぎはしなかった。だけど兄さんは世界に燃え殻を、残滓を残した。

 もしくは亡霊を──。


 二ヶ月前、小さな電子革命を機に、この街の文明はひとときの冬眠を迎えた。電子機器が落ち、光の一切が消えた静謐な闇に包まれた。けれど、静寂はほんの束の間の昼寝シエスタでしかなかった。この街の当たり前がいつのまにか舞い戻っていた。破壊と再生。きっとそれがこの街の定理であり、人の常。

 ぼくは廃ビルに居た。

 一ブロック内の幽霊街ゴーストタウン

 解体されなかったビルや古い幹線道路、もしくは鉄道など。それらは再利用という名目で保存されたのだが、いつの間にか、その隙間に浮浪者バガボンドが住み始めた。

 高密度の隙 間エアポケット

 穴ぐらから獲物を狙うオオカミのように。細胞の隙間に佇むウイルスのように。息を潜めて、下流階級プレカリアートが寄生している。しかし違法イリーガルに手を染めた者は、数日もしないうちに刑務所に入ることになる。そうして空白が空白を環状し、街は虫食われたのような空白が生み出されていったのである。

 ぼくはもしもの時のため、隠れ家セーフハウスを選定しようと、街のポケットを探し歩いていた。

 そんな時だった。

 彼が現れたのは。

 ビル壁は穴ぼこだった。もともと壊されたものだったが、つい先刻、そこの住人が破壊しているのを見かけた。

 恐ろしいパワーを持った全身躯体フルボーグであることは間違いなかった。

 月の見えない夜だった。洞窟のように黒で包まれたフロア。外から差し込むネオンライトが、怪しく光る乳白色なボディを照りつけている。躯体成分のほとんどは鋼鉄だったが、顔だけは人間らしい質感を帯びていた。

 厳しい身体と生々しい顔が不釣り合いに浮かんでいた。

「お前は誰だ!?」

 ぼくは声を荒げた。

 口調とは翻り、頭の方は幾分冷静だ。ぼくは落っことした右腕に視線を放つ。仕込み刀を回収できる隙を見計らっていた。

 機械の身体を支える新エンジン、【情動機関エモーショナル・エンジン】の動作テストを兼ねていたとはいえ、右腕をごっそり持っていかれるなんて、予想を超える性能スペックだった。いや、現状敵かどうかも判断しかねる。確かに彼はぼくを殺そうという動作だったが、本当に命を削る気が無かった。近接戦闘インファイトの動きにはかなりの無駄があった。ぼくの性能を見定めるように。試すように。そんな余裕あるそぶりで。

「俺はお前をよく知っている。お前も俺をよく知っている」

 彼は単調な言葉で返した。

 全身躯体──いや、生身の姿とはさして変わらない青年の姿だった。

「お前のよーく知っている人物だ。わかるだろう、セナ」

 彼はゆっくりと口を開き、ぼくの名を呼んだ。表情筋を釣り上げ、冷笑を浮かべた。

 

 ぼくは目を細め、彼を睨めつけた。

 その姿、出で立ち、黒目、立ち振る舞い、声色、何もかもがだった。

 そんなはずがない──。

 そんなことあるはずない──。

 ぼくが否定するのと同時に、ぼくの心臓エンジンは強く拍動を繰り返していた。今にも胸から飛び出そうなほど暴れていた。動揺。彼を認識したぼくの心はひどく騒いでいた。

 そんなぼくをあざ笑うかのように彼は口を開く。

「俺はあざみ──」

「黙れ!!」

 ぼくは彼の言葉を強く遮った。

「わかんねえかな、セナ。俺だよ俺。トウヤだよ。薊トウヤ。お前の兄であり、一つの卵子を分け合った唯一無二の兄弟だ」

 幻想だ。欺瞞だ。

 ぼくは強く言い聞かせた。

 兄であるはずがない。兄さんはもう死んでいる。ぼくが書類にサインして、生命維持装置を停止させた。兄さんを殺した。代替躯体オルタボーグに宿った意思も死滅したはずだ。

「黙れニセモノ。お前が兄さんを語るな!」

 青年は肩を震わせ、笑い惚けていた。クフフ、アハハ、と。天を仰ぎ見ながら、額を手で押さえる笑い方も。兄さんが人を小馬鹿にするときに見せる笑い。

 ぼくは模倣者に腹わたが煮え繰り返る思いだった。

「なあ、セナ。お前も清々したろう? 重荷がいなくなったことに。俺という天才が側から消えて。お前は疎んでたもんな! 薊トウヤを!!」

 言葉は出なかった。否定できなかった。

「俺がいなければお前はその火傷も、その左足も失わずに済んだ。俺を選ばなければ、お前はトモダチを救えたかもしれねえ。だがお前は、俺という血縁者を選ばなければならなかった。バカだぜお前。大馬鹿だぜ。バカ味噌だぜ」

 そのセリフも、昔の兄さんがよく言っていたセリフ。ぼくはいつも兄さんにバカにされてきた。でも、本気で貶しているのではなかったし、そう言ったあと兄さんは決まってこうフォローする。

「だから俺がお前の頭脳になってやる。変えようぜこの世界を。ぶっ壊そうぜこの地獄を。俺たち二人ならやれる。最強のコンビだ」

 彼はぼくの真横に移動し、耳元でこう囁いた。

「手始めに誰からる?」

「……殺しはもうやらない」

「じゃあ、弱者が殺されるだけだ。そうやって、俺とお前で大勢を救ってきただろう? 感謝されることもなく、俺たちの行動が知れるわけでもなく、神の見えざる手のように悪を葬ってきただろう? お前がやらないってんなら、俺がやる」

 彼は手を差し伸べた。

「俺は不自由から解放された。脆弱な肉体から取替え可能な器に魂を入れ替えたのさ。お前が死んだと思っていた薊トウヤは、生まれ変わったのさ」

 傲慢だったところも変わらない。

 むしろ、が舞い戻ったとすら。ぼくはそう感じた。

「俺は神だ。いや、死を操る神だ。なあ、セナ。お前もやってみりゃわかる。意識も心も全部、機械に載せりゃ、世界観変わるぜ。変えてやろうか?」

 違う。ぼくは繰り返し強く否定する。

 こんなのは兄さんじゃない。兄さんは傲慢で自信過剰なところはあったけれど、自らの価値観を植え付けるような人ではなかった。そう思いたかった。だけど同時に、悲壮混じりな喜びが込み上がってもいた。

 ぼくは安堵と喜びを感じていた。

 生きていたことに。兄さんが帰って来てくれたことに。

 たとえ器が違っても、たとえまがい物だとしても。ぼくはを兄だと認識していた。

「……本当に兄さんなの?」

 問いかけると、彼は途端に冷めた目をした。

「お前の思っていた俺ってなんだろうな? 弟に手を差し伸べる優しい兄か? それとも運動能力の優れていたお前を羨んでいた嫉妬深い兄か?」

「何言って……?」

「お前はいいよなあ。ガールフレンドができて。お前は俺にできないことができる。チュウはもうしたか? それともそれ以上のことをやったのか?」

 ぼくは押し黙る。

 事実は違うのだけれど、今否定したところで信じてもらえる気がしなかった。兄は結構頑固なところがある。言葉よりも、自分の目で見たことを信じる質だ。

「俺はさ、セナ。昔っからお前のことが大っ嫌いだったんだよ」

 ぼくは喘ぐように情けない声を吐き漏らした。

 ああ……。紛れもなく兄さんだ。

「運のいいお前が。人徳あるお前が。俺よりバカなくせに、頼られてよぉ。作戦を立案したのは俺なのに、感謝されるのはいつもいつもいつもお前だった。戦場から生かしてやったのは誰だ? お前が塞ぎ込んでいた時、声をかけてやったのは誰だ? お前の重荷になると思って、死を選んでやったのは誰だ!? ええ!? 言ってみろよ、薊セナ!!」

 躯体はぼくの首根っこを鷲掴んで、壁に叩きつけた。

 殺意に満ちた目がぼくの深くを抉るように突き刺す。

「ぶっ殺す。だが俺は単細胞じゃないからな。お前だけは殺さない。お前の大切なもの全部をぶっ壊して、お前に絶望と苦しみを与える。そしてお前は気づく。幸せなんてまやかしだって。そしてお前は俺と同じ道を辿る。真実を知った時、お前は俺の言っていることを理解できる。お前は必ずこちら側に来る。そうせざるを得ない」

 兄さんは──兄さんを装った躯体はぼくから手を離した。

 そして、こう言い残した。

「あの世で待ってるぜ」

 この再会は静かなオープニング。第二幕の開演。

 そして本当の地獄の始まり。

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