落花(2)

 数日が流れた。

 空を覆っていた暗雲はすっかり消え、朝日が窓から差し込む。

 時はいつのまにか過ぎ去った。人の意思とは関係なく、淡々と時を刻んだ。

 涙は枯れ果てた。ぼくは神様がいないことを知った。ぼくの中にぽっかりと空いてしまった傷はしばらく癒えなかった。損傷した内臓を吻合し、骨がくっつくまで入院していたぼくは、毎日テレビから流れるあの事件のことをただ眺めていた。

 あの夜の暴動は零時を境にパタリと止んだ。EMPの範囲外にあった区画ではまだ暴動が続いていたが、軍による鎮圧が進み、街全体は収束に向かっていた。街の所々は破壊の痕があったものの、上塗りされるようにすぐに修繕された。街に流れた血が洗われると、ようやく人々は普段の生活に戻り始めた。あの日の喧騒がまるで嘘のように、遠い過去のように過ぎていった。

 トウヤの心臓エンジンは止まった。兄さんが生きていることを示す、バイタルや数値は四月一日を境にログは途絶えていた。

「私の考察を言わせてもらえれば──」

 とベッドに腰掛けるルシエラ先生。先生はここ一週間、ほとんど寝ずに執刀を行なっていたらしく、顔色はいつもより一層優れない。

「君たちが機械に自我を侵食されるのとは逆に、人間意識が機械を侵食することもまたありうる事象ではないかと思い始めた」

 脳死を迎えた兄さんは、四月一日を境に何も喋らなくなった。だが、入学式を終えて帰ってきたぼくを迎え入れたTP-02はまるで兄さんのように語りかけた。ぼくは兄さんの心臓を止めるかどうかの判断を委ねられていたが、それで兄さんの心臓を止めることは辞めた。

 もしもルシエラ先生の言葉が真実だとするのなら、あのサイボーグには確かに兄さんが宿っていたはずだ。

 だけどぼくはそれですらも消した。

「テクノロジィがいくら進化したとしても、人間は魂の問題について明確な答えを持ち合わせていない」

 ルシエラ先生は修理したTP-02をぼくの枕元に置いた。

「人はいつか死ぬ。機械もいつか壊れる。それが我々の生きる世界の実態だ」

 そう言い残して先生は去った。


 数週間が過ぎた。退院したぼくは早速学校に行った。教室に入るとマルルガやベル達クラスメイトに心配された。普段通りの学生生活が淡々と流れた。放課後、ぼくを呼び止めたアヤネが屋上へと誘った。

 アヤネは憂いた表情を浮かべて「約束」と小指を出した。

「というか、結局うやむやのままで終わったから、この際言葉にしておくわ」

「だから何さ」

「今日から毎日私を送り迎えする」

 ああ、とぼくはボディーガードの件をすっかり忘れていたことを思い出す。

「高校を卒業するまでずっとだから。言っておくけれど、これは開発者として君の状態をつぶさに観察するということで決して私が君に対して異性に対する──」

 ぼくは生身の手の方で小指を結び返した。

「次の日曜はデートしない?」

 アヤネはぎょっと目を剥いた。

「それって──」

「もっともこれは、君の言う研究にただ付き合うだけだよ」

 アヤネは口を尖らせた。

「素直じゃない」

「君だって」

 ぼく達は夕暮れを眺めた。

 ほんのり汗滲み出す穏やかな陽気を眺めていた。

 いつまでもこんな時間が続けばいいと思う。

 ただ、ぼくだけが幸せに浸っていのかとも思った。

「もしも君が幸せに臆すると言うのなら、私は容赦なく君に幸せを送りつけるから」

「じゃあぼくも返さなきゃね」

 この世は──いや人間という生物の行動原理は情動ではなく、対価を基にしている。でも逆にコンピュータが行動を起こすのは命令からだ。そこに対価は発生しない。人間と機械との違いとは、そこなんだろう。

「そういうこと。私に好かれたかったら、まず君が私を好きになるべきなのよ」

 アヤネは立ち上がる。ぼくも倣って立ち上がり、ぼく達は校舎を後にした。

 駅に着いて、列車を待っている時、アヤネは「ところで」と切り出した。

「もしもあのサイボーグに君のお兄さんの意識が宿っていたとするのなら、今回の事件に関して、動機付けができてしまうのよ」

 アヤネの言いたいことはなんとなく分かる。

 兄さんが仕込んだこのシナリオにオチをつけるとするのならば、兄さんはEMPを使ってあらゆる口座を白紙にしたこと。

 きっと兄さんの本当の狙いはそれだけだった。しかし、銀行にはバックアップがあるわけで、そこから口座を復旧しようとした時に、兄さんの目論見は完結することとなった。

【MAGIシステム】にはあらかじめ、裏口バックドアが仕込まれていて、復旧しようとした口座は全部兄さんの口座と紐づけられていた。

 そして兄さんはまんまと巨万の富を手に入れたのである。

 だがそれも一瞬のことで、捜査の手と修正が行われる前に金を小分けにし、全市民に対して平等に分け与えるプログラムが組まれていた。

上位一%の資産家達ワン・ミリオネアーズ】は地位を失った。ただし、富の再分配が行われたところで、世の中が変わるわけじゃなかった。

 今日も世界は欲望に焦げ付いている。

 まだ夕方だというのに、サイレンの嘶きと銃声がどこからともなく反響して聞こえた。

「思うに、お兄さんは君の重荷になることが辛かったんじゃないかって」

「ぼくはそんなこと一度も思ったことはない」

「でも君の姿や立ち振る舞いから何か感じることはあったんじゃない? これは私の勝手な憶測だけれども、街の人々に富の再分配するってのは表向きのことじゃないかしら」

 ぼくは首を傾げた。

「まだ何か狙いがあったって?」

「君って結構鈍感ね。というか、知らなくても無理はないわ。MAGIのコードに再分配の仕組みが加えられた日付っていうのは、EMPが発動するほんの少し前のことだったの」

「どういう意味?」

 するとアヤネは肩をすくめて、微苦笑を浮かべた。

「それは自分自身で考えなさい。ヒントは十分に与えたわ」

 確かにアヤネが仄めかす真意をぼくも感じていないわけではない。

 ぼくの手元にも兄さん経由でたくさんのお金が入っていた。

「お金で命は買えないけれども、? 実に君たちらしい別れ方だと思う。しかし逆にそうでなければ、お兄さんがやったことや、短い生涯で残した軌跡が無に帰すと思うわ」

 仮面の男と称したサイボーグが堕ちた翌日、ぼくは兄さんの抜け殻をすぐに燃やした。

 火葬代や骨壷の諸々に、兄さんが残してくれた遺産のほとんどは無くなったから、正直言ってプラマイゼロだ。そういう意味で言うと、兄さんは死ぬまでの面倒をほぼ一人で完遂したとも言える。自分のことは自分で出来ると言っていた兄さんらしい最期なのだろう。

 列車がホームにやってきた時、アヤネは「ここまででいいわ」と独り言のように述べ、出発した列車の背中をぼんやりと目で追っていた。

「今日は歩いて帰ることにした。だからまた明日ね」

 とアヤネは踵を返す。

 ぼくとしても、誰も待ってくれていない家に帰るのは気乗りしなかったからちょうど良かったといえばちょうど良かった。

「送り迎えは無賃でいいさ。と言うか、ここで帰したらぼくが気持ち悪くて眠れないからちゃんと家まで送るよ」

「あら、家まで着いてきたら、それこそ眠れる保証はどこにもないのだけれど」

 アヤネははにかみながら笑みを零していた。

 やがてぼくはくすりと笑えた。

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