春雷(8)

 ぼくはエルガーと一度だけ、会話をしたことがあった。

 ぼくが右腕を切り落とされ、新しい腕の実験をされていた時のこと。

 方やエルガーは度重なる薬物投与で廃人と化しかけていた時のこと。

 ぼくたちは鉄格子を挟んで向き合っていた。

「大丈夫……?」

 ぼくはエルガーにそう訊いた。だけれど、エルガーは小さく首を振っただけで言葉は発せなかった。ぼくたちはみな、生きることが苦痛で仕方なかった。

 ぼくは生きるために銃を握って命を奪ってきた。

 方やエルガーは生きるために激痛に耐え続けた。

 ぼくは格子に身を貼り付けて、手を伸ばした。

「エルガー。ぼくと友達になってくれない?」

 この時、ぼくの中にはまだ純粋なぼくがいた。

「手に触れてくれるだけでいい。いつかぼくたちはここを出て、学校に行って、今日のことなんて忘れるんだ」

 エルガーは憔悴した顔を少し上げた。

 ここにヒーローはいない。けれどぼくは皆のヒーローになりたかった。ぼくは悪の秘密結社の構成員だけれども、ヒーローを夢見る悪者だってきっといるはずだ。誰も傷つかない、誰も悲しまない、そんな世界をこの時のぼくは夢見ていた。でも一人じゃそんなの実現できっこないと思っていたから、ぼくは救いを求めた。

「手を貸してくれ」

 するとエルガーは震える手を上げて、ぼくの指先に触れてくれた。

「今日から友達だ」

 ぼくは笑って見せた。絶望の中で少しずつ輪郭を帯びていく光明を確かに感じ取って笑えることができた。だけど、ぼくは裏切った。爆発ののちにやってきたのは、無惨な光景だった。孤児院にやってきたテログループが施設を爆破した。

 崩折れた配管。溶けた鉄。金属の液体が血と混じり合い、赤みを帯びて凝固する。タンパクの焦げた匂い。肉の焼ける匂い。衣類の化学繊維と反応して複雑な匂い。肌と服が同化し、炭となりゆく。

 まるで釜の中。

 まるで煮立つ棺桶。

 そして子供たちの救いを求める声がぶつかり合っていた。ぼくは潰れた左足を抱えながら、なんとか瓦礫の中から這い出た。兄さんを目にしたぼくは無心で、兄さんを引っ張り上げた。兄さんを背負いながら部屋を這い出る中、ぼくを呼び止める声にぼくは少し振り返る。

 エルガーだった。エルガー・アルデバランは、上半身だけを壁と地面の間から出して、ぼくに手を伸ばしていた。助けてと。見捨てないでと。友達だよなと。セナァ、セナァ、と言うエルガーはぼくの義手を掴んだ。

 瓦礫に埋もれ、エルガーの身体はほとんどが潰れていた。ぼくは「もう助からない」と見切りをつけ、エルガーを無視した。それに手は兄で塞がっていた。兄さんを救うだけで精一杯だと言い訳をした。助けを求めていたエルガーから目の前を逸らした。

 ぼくは掴まれる義手を外した。

 エルガーは怒り狂っていた。

 痛いと泣き叫びながら、「裏切り者」「薄情者」と繰り返していた。


      ***


「……エルガー。君はエルガーだ」

 ぼくがそう告げると、鬼男はふと顔を上げた。

 彼はぼくに捨てられたことに多大なる復讐心を抱いていたことだろう。

「忘れてしまっていた。大切な友達の名前を忘れてしまった。ぼくは友達失格だ。ごめんよ。ごめんよ──」

 その瞬間、飛び込んできたエルガーの重たい拳がぼくの腹に入った。ぼくの身体は容易く吹き飛ばされた。溢れ出た血が口から流れる。内臓の幾つかが裂けた。衝撃波で骨も折れていた。ぼくはすぐに立ち上がれなかった。もはや立つ体力なんてなかった。だがそれでも立たなければならないと本能が駆り立てた。ただ本能に──いや、今のぼくはまさしく機械化生体部品モジュールの制御プログラムのみによって突き動かされていた。

 ぼくは昆虫のように、反射だけで動きを見極めた。

 そうしなければ、自分が殺されることをぼくは知っていた。

 無駄な動作一つで急所を抉られかねない。食らいつくことで精一杯──いや、まだ心臓を貫かれていないだけでも奇跡とも言えた。飛び込んでくる拳を避けることだけに脳の全処理を使い切らねば追いつけなかった。理屈も予測もない。ただこの場所から生き残る。それだけを念頭に置いて、かわすことだけに集中していれば身体を引っ張ってくれた。

 鬼男は確実に仕留めたと思った攻撃を回避され、苛立ちを覚えるかのように攻撃のリズムが変わった。乱暴にテンポを上げた。しかし正確な急所の狙いを外した無造作な攻撃は回避動作を最適化しやすく、被弾は減る。

「オ前はソノ顔ヲ、イツ捨てた?」

 火傷の跡を覆っていた複合肌ポリマー・スキンが鬼男のナイフによって少しずつ剥がされていた。

 肺が酸素に焼け付いていた。喉が焼け付いていた。

 今の状態はまさしく孤児院ば爆破された火災現場で息するのと同じようだった。酸素を吸い込むたびに喉はひゅうひゅうと鳴る。

 息つく暇もない連撃。相手は全身躯体。

 命を刈り取られるギリギリの淵に留まることで精一杯だった。

「ナゼ、倒レナイ? オ前はナニ? オレはダレ?」

「君はエルガーだよ。エルガー・アルデバラン。ぼくの友達」

 この自己嫌悪と空虚と悲しみを説明するために、ぼくは今すぐにでも叫びをあげたい気分だった。

 でも、エルガーの攻撃にも焦りがあった。攻撃と攻撃の間隔が空き、明らかに重い一撃の頻度は減った。素早さも形を潜め始めていた。しかしぼくの生の身体も悲鳴を上げている。視界も白くぼやけ始めていた。全身が気だるい。息を吸うこともしんどい。

 でもその度に、耳の中でアヤネの声が聞こえた。

『セナ、セナ』

 と。

 ぼく脳裏に浮かぶ、アヤネの祈った顔。その度にぼくは立ち上がった。立ち上がれた。

 アヤネは言った。

『どんな姿でもいい。君がどんなにひどい殺人者でも私には関係ない。だって君は私を助けてくれたから』

 だから生きて。私のために生きて、と。

 ぼんやりとした思考の中でぼくは「こういうのってまさしくストックホルム症候群だろうな」とかルシエラ先生やユリア看護師が言った「恋煩いだろうな」とか思って笑えた。

『もう少しで、終わるから──』

 ぼくは素直に帰りたいと思った。ここから生き延びて、明日を見たいと思った。その情動だけにぼくは支えられていた。

 エルガーが拳を握りしめ、ぼくにトドメの一発を浴びせようと構えた。

 勝負は一瞬だった。

 機械同士、性能だけに身を任せた戦いの決着はあっけなかった。

 ぼくは張り巡らせたピアノ線を編み寄せた。エルガーの拳はピタリと止まる。しかしもう片方の腕で反撃しようとするも、震動刀により、彼の左手は真っ二つに裂けた。

 さらに足を蹴り出してきたが、膝から下をそぎ落とす。

 最後には、エルガーの身体と右腕だけが宙に吊るされていた。

「ナゼ……負けた? 性能差は圧倒的だったはず。模擬戦闘でもオレの圧勝だった。お前は策を巡らせたわけでも、パワーアップしたわけでもない……なのにナゼ」

「いや、エルガー。ぼくはパワーアップしていたんだ」

 ただし物理的なものではない。

 ぼくには黒羽アヤネという天才プログラマーが付いていてくれたから。

情動機関エモーショナル・エンジン】がぼくの脳に最適化し、ぼくの言葉を機械に正確に伝えてくれる機関エンジン。ぼくと機械化生体部分の限界性能を引き出しただけに他ならない。

「……セナ」

 とエルガーは言った。

「俺たち、友達だよな?」

 その時、鬼男だった彼はエルガー・アルデバランに戻っていた。

「ああ、もちろんさ」

「助けてくれ……あの時のように、もう一度握手をしてくれ」

 果たせなかった約束。裏切ってしまったことへの贖罪。

 ぼくは左手を上げながらエルガーに近づいた。あの時、届かなかった手を目一杯伸ばした。だが、エルガーの身体はぱっくりと開いて、針山をぼくに突き立てていた。

 エルガーはニタリとしていた。鋼鉄の顎をカタカタと鳴らして、笑っていた。

「これで俺の復讐は終わった……」

 鬼の面が割れた。ぼくはエルガーの顎下から貫いた震動刀をさっと引き抜いた。赤くとろりとした鮮血がエルガーの顎から滴った。ぼく達が握手を交わすことはなかった。

 悲しみと空虚がぼくの心を磨耗していた。

 わずかに残っていたエルガーの生身の部分は一筋の涙を流していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!