春雷(6)

 ぼくは、頭を下げたまま微動だにしないトモヒロさんの前を静かに立ち去った。

 一度自宅に戻り、兄さんの様子を伺った。

「……ただいま」

 兄さんは何も答えなかった。

「さっき、トモヒロさんと話してきたよ。トモヒロさん、必死に謝ってた」

 兄さんはまるで屍のように口を開かない。

 これは想像だけれども、トモヒロさんは兄さんの世話をしに来るたびに謝ってたんじゃないかと思う。

 モニタ画面では兄さんがまだ生きていることを示していた。

 心臓エンジンだけは動いていた。

 

「どうして?」

 ぼくはそう問いかけた。

 兄さんは答えなかったので、ぼくは疑問を重ねた。

 いや、ぼくは兄さんがこれまで行動を突きつけた。

「すでに全身躯体フルボーグを持っていたなんて知らなかったよ」

 ぼくは苦笑した。

「あの仮面もある意味、分かりやすい伏線だったんだろう?」

 ぼくは壁に掛けられた仮面を手に取る。

 それからぼくはTP1号機に目を向けた。

「自分で造ったの?」

 TP-01はTP-02二号機よりも大柄な工作機械だ。二号機を作ったのも一号機あってのこと。しかし長い間動かされていないはず。だが、指をアームに這わせたが埃の跡はなかった。

「しかも、フルボーグの遠隔操作なんて芸当、兄さんにしかできないよ。もっと早く気付くべきだった」

 依然、兄は黙秘権を行使したままだった。

「すっかり騙されてたよ。

 けれど、どうしてなのかという答えは出てこないままだった。たぶん一言で言い表すのなら、きっと復讐。だけれども、兄さんが抱えていた感情はたったふた文字で表せられるほど単純なものではないだろう。

「兄さんは今どこにいるんだろうね」

 きっとぼくとはもう見えている世界が違うんだろう。

「きっとこれを言うと、兄さんは怒るかもしれないけど、ぼくさ、兄さんと同じくらい大切な人が出来たかもしれない。うまくは言えないけれど、守ってあげなきゃって思うんだ。兄さんと同じように守りたいって思える人が出来た。彼女、自分の存在に苦しんでる。自分の所為でぼくや兄さんが苦しんでしまったって思い込んでる。だから助けてあげなきゃならないって思う」

 兄さんの心臓エンジンは微かに乱れていた。

 兄さんはきっと怒っていた。

「正直、知らない人の大勢の命なんてどうでもいいけど、ぼくは兄さんとアヤネの命を天秤にかければ、ぼくはあの子の方を選ぶよ。

 だって兄さんはもう死んでいるから。

「きっと未来にそれが正しいことだったって言えるようなこれからにする」

 すると心電図はまた平坦なリズムに戻った。

 多くの人を背負えるような人間じゃないことは分かっている。だからって指咥えて大人しくしているほど子供でもない。まだ伝えたいことはたくさんあった。だけどうまい言い回しが思いつかず、兄さんの痩けた頬を撫でた。

 兄さんはまだ暖かかった。

 ぼくは少し頬を緩めて「さようなら兄さん」と告げた。

 部屋を後にした。バイクに跨ってエンジンを点火する。レッドゾーンまで回わし、太い雄叫びを響かせる。スタンドを蹴り上げ、ロケットのようにぼくは世界へと飛び出した。

 そこで、耳の中からアヤネの声が聞こえてきた。

『ねえ、聞こえてる?』

「ああ、聞こえてるよ」

『無線及びビーコン共に感度良好よ。ちゃんと君の位置が見えてるわ。君の声が聞こえるわ』

 兄さんの声はもう届かないけれども、アヤネの声が聞こえていた。

「カウンタープログラムは間に合いそう?」

『難しいわね。作ることは別に難しくはないけれど、配る方法がないのよ』

「できればプランXは使いたくない」

『でも最悪、そうするしかないわ』

 ショッピングモールを出た後、ぼくとアヤネはベルやマルルガを一度病院に運んで、これからのことや、今この街で起きている事件のことを語った。それでぼくは偽仮面男が全身躯体だということをアヤネに告げた。すると彼女は、MAGIシステムをダウンロードしたIPアドレスから住所を特定した。挙げられたのはぼくの自宅だった。アヤネはぼくの自作自演だと疑ったが、それでぼくは偽仮面男の本性を知ったのである。

 それから、アヤネは機械化生体部分モジュールの遠隔操作を防ぐための方法をあげた。

 この世から完全に消し去る無慈悲な方法だった。

 兄さんは自分の命と多くの命を選択しろと言った。

 だからきっとぼくは兄さんに別れを告げた。

『……その、お兄さんがもう一人の仮面の男だったってのは事実なの?』

 ぼくは「ああ」と返事した。

『でもどうして?』

 ぼくが聞きたい。

 いやでも、たぶんぼくは答えをなんとなく知っていた。

 兄さんが脳死を迎えたのは、数週間前ほどのことだった。四月の一日。サンタマリア学院の入学式が行われる一日前のことだった。しかしどういう訳か、兄さんの意識はネットワークの中に漂っていた。時々、機械を通してぼくに語りかけてきた。

 兄さんは世界を恨んでいた。社会を憎悪していた。

 だからきっと壊そうとした。

 今、偽仮面男に宿っている意識は兄さんの燃え殻。

 かつての兄さんから発生した恨みと怒りだけ。

「あのさ、アヤネ。これが終わったら、昨日の……デートの続きをしない? ほら、結局途中でおじゃんになったしさ」

『セナ。そう言うセリフってなんて言うか知ってる?』

「何?」

『お約束。または死亡フラグと言う』

 ぼくは微苦笑を浮かべた。

「……死ぬ気は無いよ。ぼくはこれから殺しに行くんだから」

『でもそうね。今度は二人っきりで行かない?』

「それっていわゆるデート?」

『私、この戦いが終わったら故郷に帰るの』

「ほんと?」

『嘘よ。一度言ってみたかっただけ。死んだら絶対に許さないから』

「できるだけ努力する」

『生きて帰ってくれさえすれば、私的にはそれでいい。たとえどんな姿でも私は君の友達だから。私の初めての友達だから』

「ありがとう」

 空は黒かった。もうもうと立ち込める暗雲は稲光に明滅していた。世界は涙を流している。きっと神様が悲しんでいた。嵐を前にして、世界の音が透き通ってよく聞こえた。木々のざわめき、風の音、雨の音。エンジンの鼓動、タイヤのスキール音。横切るトラックのさんざめき。

 しかし逆に人の声はほとんど聞こえなかった。

 いつも聞こえる兄さんの声も聞こえなかった。

 不意に過去が蘇る。

 失くした右目の奥に焼きつく焦げ付いた記憶、銃声のうるさい記憶。昔を思い出すたびに火傷の跡が疼き、右耳が、右目が、右手が軋む。左足が疼く。胸の奥が切り刻まれる。

 ぼくの心臓がきゅうっと心を締め上げる。

 ぼくはまだ涙を流すことができた。ぼくはまだ人間だった。

 次第に世界は闇に沈みゆく。ハイウェイを降りて、ぼくは立体駐車場にバイクを止めると、薊セナとしてアイビーの空を飛んだ。右目が街中を彷徨った。けれど兄さんの姿はどこにもなかった。義眼は正確なことを教えてくれるが真実を見せてはくれない。義手も義足もぼくを支えてはくれるが、壊すことしかできなかった。

 街が夜の衣を纏い始めると、ざわめき始めた。

 痛み、喜び、叫び、笑い。

 助けを呼ぶ声と争い合いの音色が混濁する。雑音となってぼくの耳に届いた。

 喧嘩、強盗、抗争。目を凝らせば暴力、暴力、暴力。

 街は混沌へと陥っていた。あまりにもその街は救いを求め過ぎていた。

 いつも標べを示してくれた兄さんはもういない。

 でもぼくは一人じゃない。

『さあ、始めましょう。終わりの始まりを』


      ***


 トモヒロは植木組を率いてサクラ区前に防波堤を築き上げていた。

 空は暗黒。見上げれば空を覆い尽くす雲母。たったのひとつも星が見えない夜。地上は銃声と稲妻の嵐。血に染まる地上。断末魔の産声。

 人々は暴徒と化していた。人が人を目にすると殴りかかり、蹴り、投げ合った。人が周りにいなくとも、壁を壊し、柱を折り、建物へ破壊の限りを尽くした。

 トモヒロ達は、自分たちのシマにやってくる敵だけを排除した。

 首と血が飛んだ。血と血が水柱を立てた。

 銃口が火を吹き、肉を食い散らかす鉛玉が道路を埋め尽くした。狂気の宴だった。多くの血が流れた。アイビーの街には、雨よりもたくさんのガラス降り落ちた。たくさんの死体で道路は埋まった。

 そこに意思はない。誰もが破壊の限りを尽くしていた。

 アイビー市駐屯軍と警察隊には、黒羽アヤネのカウンタープログラム配布が間に合い、暴徒鎮圧に乗り出していたが、圧倒的な数を前に鎮圧はままならなかった。しかしながら暴徒鎮圧協力に真っ先に名乗りを挙げ、私兵を派遣したのが〝パンプキン商会〟だった。近代兵器に支えられ、専門化した兵たちは合理化された軍隊と変わらない。そのコミカルな名前に似合わず、実態はプロの兵隊集団だ。

 パンプキン商会は最適戦術で次々にアイビー市の区域に食指を広げていった。

 アイビー市を手中に収める勢いだった。その彼らが最後にたどり着いたのがトモヒロ達の前だった。

 パンプキン商会を率いるはカボチャ男。彼は、外人部隊でかつてトモヒロと共にあらゆる紛争に参加してきた人物だった。もちろん、第00部隊ゴーストと相対したこともあった。いや、イアン・クラシチェンコは植木トモヒロ率いる部隊の副隊長を勤めていた男だ。

 トモヒロが部隊を去った後、イアンもまた、バンブル孤児院奪還作戦に従事した。

 しかし皮肉なことなことに、子供達全員救出に失敗した事実は、二人の男たちの未来を分かつ結果となった。

「そうですっ!! 私こそがパピプペンネアラビアータ!!」

 カボチャ男──イアンは諸手を天に突き上げて、決めポーズが決まったことに満足した。

「もはや、カボチャですらねーな」

 トモヒロは嘲り笑う。

 この緊迫した状況下でも、トモヒロはタバコに火をつける余裕っぷりではあるが、確実にその胸の奥には轟々と燃え上がる感情があった。一度噴火してしまった火山は冷えるまでに相当な時間を要する。彼の顔中に浮かんだ青筋は今にもぶちぶち音をたてて切れかけていた。

「改めてご紹介しましょう。パンプキン仮面こと、すなわちイアン・クラシェとは、そうです私のことです!!」

「おい、クソカボチャ。テメエの名前まで噛んでんじゃねーぞ。放送禁止用語だぞおい」

「いやん・チンコとクラスのはいやん。ゆえにクラシェチンコ」

「必要ねーなら、削ぎ落としてやろうか?」

 イアンとトモヒロは、共に部下を大勢携えながらにらみ合っていた。

「今宵、この街は初期化するのです。そして新たな支配者となるのはこの私、パンプキン商会なのです」

 イアンが率いる兵士全員の顔にもカボチャマスクが取り付けられている。

「なあ、イアン。俺ら部隊のモットー覚えてるか?」

 イアンは鼻を鳴らす。

「関係各者、家族全員、皆殺し。ええ、覚えていますとも。その為に私たちはここにいるじゃないですか」

「言っておくがな、ファッキンパンプキン。アイビーがどうなろうとどうだっていい。だが、俺たちのサクラ区に手ェ出してみろや、そのカボチャ頭、鍋に突っ込んで、コトコト三日三晩煮込んでやるからなァァ!」

 トモヒロ率いる植木組は諸声をあげた。

 イアンは右手を挙げる。

「さて、春のハロウィン祭の始まりです」

 イアンは素早く、そして機敏にGOサインを出した。カボチャ集団はさっとライフル銃を構えて発砲を始めた。

 文字通り戦争が始まった。

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