春雷(7)

 ぼくは摩天楼の隙間を遊泳しながら、スカイタワーを目指していた。

 地上では人のような姿をした獣たちが狩りに興じていた。アイビー市は激しい雷雨に見舞われていた。街に襲ったこの悲劇を収めようとヘリが空を埋めていたが、まるで爆弾の轟のような雷鳴に驚いて、すぐさま翻した。

 春に訪れた嵐は、この喧騒をさらに演出しようと激しく嘶いた。

「アヤネ。もうすぐスカイタワーに到着する」

『現在、サクラ区近辺で〝植木組〟とカボチャ集団と見られる連中が戦闘を始めたわ。他にも暴力団組織は、内外問わず乱痴気パーティ』

 ぼくは少し笑みを漏らした。

「女の子がそういう下品な言葉使うってどうなの?」

『あら、それって女性差別よ? こういう状況には汚い言葉がよく似合うわ。さて、君の任務を確認しておきましょう』

 アヤネの作戦はこうだ。そもそも遠隔操作には、ネットワークを介して人々を暴徒化させているのだから、ワクチンプログラムを配布するよりも、その根本をそもそも無効化してしまえばいい、と。

『〝影の職人〟が準備に取り掛かっているわ』

 またの名を〝幼き死神デスロリ〟。つまり、リリィ・エンフィールドの任務成功こそが、このカオスを止める最後の砦というわけである。

『君は職人が仕事をしやすいように陽動する係。現在のところ、鬼の面も偽仮面男の姿も見受けられていない。君はこの二人をなるべく早く見つけて、注意を引きつけること』

「了解」

 地上を見下ろすと銃声のノイズが入り交っていた。紫黒の宵闇で瞬く発射炎フラッシュマズル。街灯の代わりに閃いた火薬の炸裂は、次に真っ赤に咲く花を照らし出した。

 駐屯軍が、襲いかかる市民を撃ち殺していた。

 鉛玉を浴びた人間は赤く開いていく。

 銃弾流星群が儚い命を喰らっていた。

 ぼくは彼らを助けようと一度、下に降りた。銃だけを叩き落として、死なない程度にパワーを落とした肘打ちを顎にねじ込む。義眼に対する脳の計算資源を割り振って、銃弾ベクトル予測を追求した。身体を捻り、五月雨の隙間を抜け、弾を鋼鉄の手足で弾き返した。

 ぼくに襲いかかろうとする善良な市民ですらも、腹を叩き、首をひねり、足を払い、次々に投げ飛ばすが、きりがない。

 ぼくは踊った。殴りの舞。蹴りの舞。回避の舞。吸い込まれるようにやってくる鉄や鉛や生肉を払いのけた。ぼくはもう仮面の男じゃない。ぼくが仮面をかぶっていたのは、その罪を仮面になすりつけていた。だから今は、誰も殺さない。

 薊セナの手は汚したくなかった。

『セナっ──』

 と耳の奥でアヤネのつんざく叫びが聞こえたと同時、空から何かが降ってきた。

 すぐにぼくは感じ取る。鬼の面──。

 まるで隕石のように大地を大きく穿ち、波打った衝撃波が周囲にいた人々を吹き飛ばした。しばしの間に訪れた静寂。狂騒が嘘のように鳴り止み、無愛想な殺風景が広がった。

 張り詰めた空気。

 情炎の殺意。

 闇夜に浮かぶ鬼の面はそれらを解き放つ。マントの隙間から金属の光沢が跳ね返り、妖しい輝きを放っていた。そして痛みを求める叫び。

 彼は心の底から助けを求めていた。

「カーニバルは楽しんでますかぁぁぁぁ!?!?!?! セナァァァァ!! あいにくここから先は一方通行でございますよおォォォォおう!!」

 鬼男ももう、

 ただ悲鳴。溶けた魂の叫びが聞こえてくるようだった。わずかに残る人間性はただただ悲しみ交えた悲鳴をあげ続けていた。

 人間離れした男の拳は、まずぼくの右ひじを砕いた。完全に防御したはずだった。しかし性能スペック情報を見誤っっていた。いや、以前戦った時は性能の半分も引き出していなかった。

「ドウシタ!? ホラ!?」

 鬼男の口から紡がれる言葉はひどく乾いた合成音声だった。もう鬼男の意識がその言葉を言わせたのではなかった。そいつの身体を制御するコンピュータが、鬼男を

 ただ憎悪。そして憎しみ。

 それらからくる破壊衝動のみが鬼男を突き動かしていた。ぼくの頭にも街や世界を救う作戦なんてもう忘れ去られていた。

 悲しかった。苦しかった。

 鬼男の中身はぼくと同じ、かつての地獄を味わった仲間だったはずなのに、彼が消えるまでぼくは彼を思い出せなかったのだから。ぼくは無力さを奥歯で噛み潰す。

 素早くナイフが振り抜かれる。ぼくの生肌を削った。

「殺ス、殺セ。憎ム、悲シミ。痛ミはオレを思い出ス」

 鬼男は呪われていた。生きるために背負った機械に呪われていた。

 ぼくと同じ。

「オレはだれ? 殺セ、殺ス、痛ミが欲シイ。オレはどこ? 感情、欲シイ。情動クレ」

 もう彼には人格も信念もなく、機械言語がただ肉体言語を語っている。

 ぼくは拳と蹴りを避けながら、泣いていた。

 悪意のない拳。怒りのない蹴り。殺意のないナイフが次々に襲い掛かった。ぼくの生の目も生の身体もその攻撃に追いつけない。

 反射速度限界での近接格闘インファイト

 ぼくたちは機械の身体に身を委ねるしかなかった。冷たい身体に支えられ、しかし心というべき場所は狂熱を帯びていた。熱した心を冷やすはきっと涙の気化熱。だから人は泣く。それはひどくメカニカルでケミカルな反応だけど、ぼくは涙を流せて、彼はもう涙を流せない。ひと刻み、ふた刻みとぼくの柔らかい肉に刃が食い込んでいく。しかし不思議と痛苦に感じなかった。むしろ痛いのは胸の奥底。

 きゅうっと心臓が締め付けられる。

 どうしてぼくたちは戦っているのだろう。

 どうしてぼくたちはこうなってしまったのだろう。


 ──あの時は、火の中に飛び込む勇気がなかった。手が塞がっているから。優先順位は兄だから。そんな言い訳をした。「助けて」「行かないで」「待ってくれ」「俺たち──私たちも一緒に」とあの日の亡霊たちがいつも頭の中で囁いていた。ごめん、手は届かない、とぼくは試しもせずに見捨てた──


 飛び込めば、同じように熱れるしかなかったから。

 死にたくなかったから。生きたかったから。生きて、普通の生活をしたかったから。ご飯を食べて、友達と遊んで、誰かに恋をして、そんな普通の世界を夢見たから。

 だからぼくは仲間を見捨てた。

 でもぼくに待っていたのは、同じ世界だった。

 命を食らって生きる世界だった。

 何度も打撃を受けた右ひじ関節は悲鳴をあげ、挙句ちぎれかけていた。ぼくは籠手を取り外して左手に持った。もうデッドウェイトでしかない右手を引きちぎって捨てた。

 圧倒的なヘビーウェイトに生身の手で受け切れるはずもない。

 予測から理詰めでかわす余裕なぞない。攻撃を受ける直前で突き出した震動刀ハーモニック・ブレードでわずかに軌道を逸らした。そして、カウンターとばかりに鬼男の首元に刃を当てた。

 高速周波数の刃と鬼男の鋼鉄の皮膚がこすれ合い、火花をちらす。

 その時、どろりと赤黒い液体が鬼男の首筋から滴った。

 ぼくはすかさず距離を離す。

 しかし鬼男は自分の首に手を当てて、首を傾げていた。

「あれ、痛イ? ナゼ、痛い?」

 ただし、それは血ではなかった。

 冷却剤やアクチュエータの油圧に使われるオイル剤だった。

 すると鬼男は頭を抱えて、絶叫を轟かせた。

「あゝアァァ!?!? セナァァ! 痛えヨォォ────────!!!!」

 ぼくの生の耳から入力された悲鳴の電気信号は、脳の中に保管されていた記憶と結びつく。

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