刺客(6)

 鬼の面はナイフを横一線に引いた。しかし太刀筋は見えている。ぼくはデスクを軽く蹴ってひらりと直上。空中で回転しつつ頭を目掛けて鋼鉄の左足を蹴り落とす。が、腕に防がれた。二つの鋼鉄の部品は波打って大音響をフロアに波及させる。

 鬼男はぼくの足を掴んでたぐり寄せながら、ナイフを心臓に目掛けて突き出す。

 ぼくは身をねじりながらナイフの持ち手にしがみつく。鬼男の腕を折ろうとしたが、フルパワーでもビクともしない。次に義手の掌底を顎に打ち込むがこちらもダメージなし。

 そうこうしている内にぼくの身体は投げ飛ばされた。壁に激突して、ぼくは吐血する。

 肺から空気が絞り出されていた。なんとか息を吸おうとしてぼくはむせ返る。

「なんかお前、退屈になったな」

 鬼男はまた首をぼきぼき鳴らした。

「中途半端だよ、お前。それだけ脳の使い方を知っていながら全身躯体フルボーグじゃない。マシュマロみてえな体に辟易するだろう?」

 鬼男はマントとシャツを脱ぎ捨てた。皮膚や肉はなく、ただ鉄。骸骨のようにスカスカした身体を晒した。

「俺の名は〝ボディ〟。あの地獄から蘇った死神だ」

「ボディ……?」

「機械化特殊兵。通称〝第00部隊ゴースト・チルドレン〟。孤児院内での俺たちの名前は〝鋼鉄の子供達スチール・チルドレン〟。お前も知ってるだろう? 俺たちの本当の名を呼ぶ者はいなかった。お前は確か、11525番だったよなあ?」

 ぼくは息継ぎをしながら脳に酸素を送り込んで考えた。

「お前はあの地獄から生き延びて、名前をもらった。なあセナ。俺は何て名前だった? 教えてくれよ。俺が忘れちまった俺の名前を教えてくれよ!!」

 鬼男は再び小瓶を口に運び、鉄の歯はガラスと錠剤を噛み潰していた。

「孤児院で実行された【〇五〇マルゴーマル号計画】は何も、機械兵作成だけが本文だけじゃねえ。化学科に配属されていた俺は、薬物の被験体だった」

 鬼男はガリっと瓶を噛み砕く。

「知ってるか? 自白剤は大きく分けて二種類ある。痛覚に訴えかけて感情にゲロさせるタイプと、意識を麻痺させてゲロるタイプ。全身の神経が燃え盛っていくあの感覚は身体を失った今でも蘇り、夜も眠れやしない」

 鬼男は「ひひひ」とせせら笑う。

 しかしすぐに冷静になったのかトーンを落とした声で、

「……ここまで聞いても思い出せねえか」

 鬼男はまた憤慨した様子で地団駄を踏んだ。その度にフロアが脈打ち、揺れる。

「痛みは耐えられるんだよ。希望さえありゃな。だが意識を麻痺させる薬ってのは、俺から俺すべてを奪っていく。本能も感情も理性も何もかも。そこに神経を逆なでる薬をブスり、とな。耐えられる奴なんていないぜ。情報をゲロる前にほぼ全員がショック死する。だがそんな中、俺だけが生き残った。そして薬の適量を算出するために実験は日々続いた」

 孤児院では分科した部署により様々な実験やプログラムが組み込まれていた。

 特に化学科の死亡率は高かった。

「こいつは大脳辺縁系を麻痺させるクスリ」

 鬼男は再び取り出した小瓶を見せつけるように振った。

「巷じゃ、〝無垢な喜びイノセント・プレジャー〟って名前で出回っているらしい」

 近日、そのクスリを砕いた粉末が高額に取引されていた。

 もっとも、ぼくや兄さんもそれを知っていたからクスリは破棄してきた。

「俺たち被験者が身を削って作られたモンは全部、金に変わってんだよ」

 鬼男は再三錠剤を噛み潰す。

「俺はこれで記憶が蘇らないようにしている。思い出した瞬間、俺は発狂する。俺は俺自身の痛みを他人に分け与えることでのみ、幸福感を得られる」

 そこでぼくはあることに気づいた。内臓器官はあるだろうと。もちろん、薬を噛むことで得られるプラシーボかもしれなかったが、情緒不安定な彼を見れば、薬が効いている可能性は高い。

「だから殺すと?」

「俺たちはゴミ同然に扱われて、人権なんてなかった。それと同じことだろう? 銃も人間も金も全部同じだと教わったはずだ」

 ──信じれるものは己の技術のみ。

 かつてのは言った。

「価値のないゴミ掃除。素晴らしい社会奉仕だ」

「ひどく論理的だな」

「なあ同胞。もう一度聞く。仲間になるのか、ならないのか?」

「悪いが君とは相容れない」

 人は言葉を交わせるのに相容れない。なんと歯がゆいことだろうか。

「ならもう語ることはねえな。俺に痛みを思い出させてくれ! 薊セナァァ!!」

 飛び込んできた鬼男の拳は壁を抜く。銃は世界最恐の武器だが、それがちゃちなオモチャに見えてしまうほど、彼の白兵戦は圧倒的だった。

 やらなきゃ、やられる──。突破口を──。

 反射的に本能が導き出した答えは閃光発音筒フラッシュバン。酸化反応を示すマグネシウムが暗闇に太陽を見出した。束の間、目を閉じる。しかし目を開いた次の瞬間には鬼の面が眼前にあった。驚く間もなく、腹に重い一撃。寸前のところで右腕を緩衝材にしたものの、水分で満たされた腹の中が波紋を浮かべていた。

 それでも左手から注射器シリンジを投げた──が、当然鉄の身体に弾かれる。

 壁を突き抜けるぼくは数フロアにわたって貫通した。立ち上がろうとするぼくは生まれたての子鹿だった。吐血し、よろけながら壁を支えにようやく立ち上がる。

 殺さなければ、殺される──。

 それが真理。

 戦場での摂理。

 かつてのはこういった。

 ──生き残るにはわずかな強さと強運のみだ。

 ぼくは昔、赴いた戦場を思い出しつつあった。


 ──弾幕の中を突き進む少年たち。鬼の形相を浮かべて銃を担ぎ突き進む。脳を撃ち抜かれた仲間たちが次々に崩折れる。振り返りはしない。ただ銃を抱えて、前に進み、敵を殺した──


 ぼくは生き残るために頭を使った。あの鋼鉄を貫くには徹甲弾必要だ。だがそんな物は持ち合わせちゃいない。ならばどうするか。鉄の骨格に対抗すべくは同じ鉄の右手しかない。だが義手は先の打撃を受け、骨格が亀裂していた。したがってうまく力は伝わらない。

 ──逃げるか? いや、逃げたとしても顔を知られている以上、同じことが続くだけだ。

 一撃に賭けるしかない。それでダメなら一度立て直そう。そう考え、ワイヤーを飛ばす。

 床、壁、天井を蹴り上げ、敵の視線を撹乱する。

 どこから飛び込むのかを予測させないように努めた。その間、ワイヤーの下にピアノ線を闇の中に張りめぐらせる。それで鬼の面を抑え込めるとは思えなかったが、一瞬でも驚きで止めることができれば十分だった。

 本命の狙いを絞らせないよう、死角から注射器を投げた。

 鬼男の攻撃パターンが少しずつだが解析されつつあった。重い打撃を与えるときは肘関節のアクチュエータが収縮する。その雑音ノイズにはスプリングの軋みが聞こえる。

 鋭い動きの方はコンプレッサとバルブ間の余剰圧力解放に、ブローオフバブル似た『プシュ』と空気が抜ける音がする。そこからベクトルを与えるまでにはたったのコンマ数秒しかないが、知れるのとそうでないのには天地の差がある。

 鋭い動きを連続されればついていけないが、重い打撃は二度続かない。

 狙うはその打撃の後──。

 ぼくは直線で飛び込んだ。

 鬼男は右腕をわずかに構えた。当然、左手に持ったナイフがぼくを切り裂こうと待ち構えている。──ノイズが聞こえた。ナイフが胸目掛けてやってきた。

 鬼男の間合い手前、打ち付けたワイヤーで地面に急接近。

 一気に間合いを過ぎ去るべく地面を蹴り上げた。錐揉みしながら、ナイフの突きをかわし、鬼男の腕を土台にして頭上へと舞った。

 鬼男の右手は天井に伸びきっていた。つまり敵に次手はない。ワイヤーをたぐり寄せ、鬼男の背後を取った。狙うは鉄の薄い後頭部付け根。そこから脳を貫く。

 仕込み刀は機械的入力がなくとも意識伝達から飛び出した。

 震動刀ハーモニック・ブレードは、文字通り超音波震動する。2・45GHz帯で振動するコバルトを含有した高速度鋼ハイスピード・スチールはつまり、切削用途に特化した合金である。人間には聞き取れない周波数ではあるが、ぼくの機械的感覚受容器メカ・レセプターの聴覚では甲高い悲鳴で嘶いている。超音波帯で振動する物質が耳元にあるというのは、非常に不愉快な音色だ。

 問答無用でサイボーグを殺すための音色。

 刃が鬼男の薄い鉄をほんの少し貫いた時、別のノイズが響き渡った──。

 彼の内部で何かが駆動していた。

 ──ゼロ距離に誘い込まれた。

 次の瞬間には鬼男の全身が花開き、無数の針が生え伸びた。ぼくは咄嗟の判断で、義手関節を翻して折り、急所だけを護った。頬、肩、脇腹の柔らかい皮膚を針が貫いていく。

 左足で地面を蹴り上げて、鬼男から距離を取ったぼくは新鮮な酸素を必死に取り込んだ。無酸素運動における筋肉への供給ではない。その瞬間、ぼくの脳裏には確かに死を思わされた。その恐怖に本能が怯え、心臓のみが酸素を欲していた。

「本当にいい反応だ。俺の〝針地獄〟から逃れたのはヘッド以外にお前が初めてだ」

 鬼男はまるでウニのような様態に変化していた。

 もはや、人間としての名残はない。

「だが、セナよぉ。綺麗事並べてる割には、殺すための道具を持ってるじゃねえか」

「身を守るための武器だ」

 致命傷は避けられたものの、完全に詰みだった。

 接近戦でぼくに勝てる手はもうなかった。

「詭弁だな。一緒だよ。護身用の銃も戦争用の銃も。同じ銃だ。今、何を考えてるか当ててやろうか? 逃げるタイミングだ」

 図星を衝かれてぼくは言葉を失くしていた。

「分かるんだよ。臆病なやつほどな、窮地に立たされた時ほど、論理を組み立てようとする。俺に敵わないと感じたやつから逃げる手順を計算し始める。別に逃げてもいいぞ。だが俺はお前が死ぬまで追いかけ回す。一緒に地獄をランデブーしようじゃあねえか」

 ぼくは悔しさをかみ殺しながら義手の指を折った。

 小指から焚かれる白煙スモークが辺りを覆う。

「目眩し程度で、逃れると思ってんのか!? 熱分析でいくらでも──」

 ぼくはビル外へと駆け出しながら、ピアノ線を収納していた籠手下容器を取り外した。

 逃さない、と追いかけようとする鬼男は、足に絡みついたピアノ線に動きを止めざるを得なかった。

「──チッ。俺に近づいたのも布石だったってわけか……。そうこなくっちゃなあ!!」

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