刺客(2)

 ルシエラ医院で一夜を過ごしたぼくは、兄さんの様子を確かめてから登校しようと自宅に戻っていた。

 玄関を開けてすぐTP-02がリビングの方から飛び出した。

『おいおい、朝帰りかよ』

「タダ働きさ」

 苦笑を浮かべようとしたけれど、疲れて表情筋をうまく動かせなかった。それで、より一層苦しい顔を浮かべてしまう。

 TP-02はカメラをギョロギョロと回して、傷だらけのぼくを見ると、

『派手にやったな。つーか、今日の見出しはどこもミリオンバンク事件で持ちきりだ。ミリオンバンクは一時閉鎖。おかけで株価は大暴落。仮面の男は資産家たちにひと泡食わせたってわけだぜ』

 ぼくは今日もまた卵とベーコンを用意する。とはいえ、卵は一つだけだったし、ベーコンも残りは二枚だ。兄さんには悪いが、一つずつで我慢してもらおう。卵を割りかけたぼくは昨日のエラーをふと思い出し、ほんの数秒の間、躊躇っていた。

 意を決して殻を割ったが特に変わったところはなく、ホッとする。ルシエラ先生は夜通しで腕を急造してくれた。アヤネも協力してくれた。ぼくは帰るように言ったが、後ろめたさがあったのだろう。これからもできれば見たいと提案した。

 ぼくは一枚のベーコンをペロリと平らげた。この程度で腹が膨れるはずもないが、無いよりはずっとマシ。ぼくそれ自体はエコ運転できるが、筋電部位のランニングコストは人を借金地獄に陥れる。昨日、仮面男が言ったように、医師会と工学会は製品を売り出すために、暴力団を使ったりして、人を傷つける。そうやって筋電部位を売って稼いでいる。だからこの街は暴力に溢れている。

 ぼくはミキサーで砕いた朝食を兄さんの部屋に運び込んだ。

「おはよう。昨日はぐっすりだったね」

『悪りぃな。寝てたわけじゃないんだ』

「またの?」

『まな』

 時々兄さんはネットの海へと潜水ダイブする。

『早速アヤネから【マギシステム】のソースコードを頂いたから、その調整と実証実験をな』

「〝全知全能の目ゴッド・オブ・アイ〟とは噛み合いそう?」

『ちげえよ。〝全知全能の目ゴッド・オブ・アアィィ!!〟だ』

 テンション以外に違いが見受けられない。

『やっぱ、アヤネは天才だ。だって俺にはまったく理解できなかったんだからな!!』

 TP-02はケラケラと笑っていた。

 兄さんは寝たきりなのに太陽のようだ。月は太陽の影。たまにぼくはそんな兄さんに嫉妬する。暗くて地味な性格の自分に嫌気がさす。ぼくは自由に歩けるのに月のよう。陽の兄と陰のぼく。いや、月とスッポンか。

『ところでセナ。今日学校行くのか?』

 ぼくはハッとして腕時計を見た。ルシエラ医院を出た時から時間が進んでいなかった。

 昨日の戦闘で壊してしまったのだろう。兄さんの健康状態を管理するモニタのデジタル表示を見て、もう二限目が終わっていることを知った。

「ごめん、兄さん。行ってきます──」

 立ち上がるぼくに、

『今日も側に居てやれないわ』

「仕事?」

 とぼくは振り返る。

『そうじゃないんだけどな。なんつーか、ごたついてんだわ。まあ学校終わったら、中央区の市立病院の1058号室に来てくれ』

 ぼくは首を傾いだ。

『後で説明してやるからお前はさっさと学校に行ってこい。あ、あと花は辞めとけよ。見舞いならプリンとかゼリーにしてやれ』

 さらにぼくは疑問を浮かべたが、TP-02に背中を押され、自宅をあとにする。スロットル全開でハイウェイを駆け抜け、サンタマリア学院が見えてくるとギアダウンした。駐車場にバイクを止め、校舎へと走って行く途中、フェテリシア先生に呼び止められた。

「社長出勤ですね。薊くん」

「すみません……」

「それと、君はバイク通学の証明書を出していない筈です」

 重ねてぼくは謝罪した。

「けど、急いで来てのでしょうし、今朝黒羽さんから遅刻するとも聞いていましたから、大目に見ておきましょう。お兄さんの様子は?」

「ええ、大丈夫です」

 兄さんは、実は籍だけはある。入学試験もちゃんと通ったし、定期テストなんかは特別措置として、TP-02で受けられるようにしてくれていた。

「お兄さんは成績優秀だから心配はないけど、君はギリギリだったしサボったらすぐ留年コースよ?」

 ぼくは暗い表情をした。わかっている。ぼくは普通には適合しにくいはぐれものだって。

「分からないところがあったら、友達や先生に聞くなりするのよ?」

 フェテリシアは先生らしいことを言って、ニコリとする。でもぼくは、どういう言葉や表情で返していいのかわからず、曖昧に頷いてその場を後にした。席に着くとマルルガやベルが小さく手を振って歓迎してくれる。自分の席があることにひどく安堵する。確かな居場所があるような気がした。学校に居ると──、薊セナで居ると──、時々自分が何のために戦っているのか分からなくなる。夜の顔を忘れそうになる。昔を忘れたくなる。銃を握って戦争していたことを忘れたくなる。

 学校で過ごす時間は穏やかに過ぎていく。同世代の人たちと平和を共有する時間はとても貴重だった。とても幸せだった。だけど、幸せを感じれば感じるほど、心に落とし込まれる影が膨れ上がっていき、その重さに押し潰されそうになる。

 ぼくは胸を抱えて、不随意に涙を流した。嗚咽した。溢れ出る涙と感情が今更激流となって漏れ出した。昨日殺した人たちの顔が次々にフラッシュバックして、ぼくは懺悔と自責に苛まれた。

「どうした? 薊──」

 科学の先生が心配そうにぼくを覗き込む。答えられなかった。どう言い訳して良いのか分からなかった。止めようとしてもぼくの意思とは反してぼくは泣きじゃくっていた。

「先生。薊くんは昨日、生牡蠣を食べてしまって食中毒なんです」

 アヤネが言った。

「だから保健室に連れて行きます」

 アヤネはすかさずぼくの腕を取り、立ち上がらせた。しかしアヤネは保健室には連れて行かず、屋上へと登って行く。ベンチに腰掛け、アヤネは足を組んだ。

 しかしアヤネは何も言わず、ただぼくの頭を撫でてくれていた。

 時を経て、心が落ち着いていく。

「やっぱり後悔しているんじゃない」

 ぼくは目を拭いながら小さく首を振る。

「ぼくは馬鹿だから……馬鹿だから、ああするしかないと思った」

 もしも昨日、兄さんが居てくれたのなら、違う方法があったんじゃないか、誰も傷つかずに済んだんじゃないかと思ってしまう。兄さんなら金庫のロックだって簡単に開けられたろうし、話し合いの時間を設けられた筈。もっと言えば、アヤネが捕まる前に何とかできたかもしれない。

「巻き込んでごめんね」

 またぼくは首を振る。

「でも私、一晩明けて開き直ったわ。自分が大勢の命を糧にして生きているのだって感じている。つまり、私の命はとても重いらしいわ。君が重くしてしまったの」

 アヤネは人差し指でぼくの頬を小突いた。

「もしも君が自身を責めるというのなら、それを作った私にも罪はある。だから私は私の能力を今後、社会に還元しようって思った。それに、カッコイイじゃない。一人の少女を救うために孤軍奮闘するなんて、ヒロインだったらとっくに惚れているわ」

「惚れたの?」

「一ミリくらい。私のは一ミリしかないけれどね」

 少し笑えた。

「君って意外と泣き虫だよね」

「アヤネだって」

 するとアヤネは意外そうな目をしてぼくを見つめていた。

「私たちっていつの間に仲良くなったんだろうって。だって君は黒羽さんって言っていたのに、名前で呼んでくれた」

「あ、ごめん」

「いいの。名前で呼んでくれる人なんて両親以外にいなかったから。ちょっとだけ嬉しい。だから私もセナって呼んでいい?」

 ぼくは頷いた。

「よろしくね、セナ。ずいぶんと遅くなったけれど、今日からお友達になってくれる?」

 もちろん、と返事してぼくは握手に応じた。

 昼休みになって教室に戻ると、クラスメイトが心配そうにぼくの容体を問いかけた。

 大丈夫だと返して、席に着く。鞄からお弁当を取り出そうとしたところで、今日はことを思い出した。携帯端末から電子銀行にアクセスするものの、残高は五ドロス。この間の仕事でまとまったお金が入った筈だったが、義手の修理代に全部吹っ飛んでいた。昨日からベーコン一枚しか食べておらず、当然腹の虫が鳴いた。

 途方に暮れていると、両手いっぱいにパンを抱えたアヤネが隣にやって来た。

 はい、とつっけんどに焼きそばパンを差し出してくれる。

「……ありがとう」

「何その、天変地異を目の当たりにしたような間抜け顔は」

 まさかアヤネが施してくれるなんて思わなかったからだ。

 するとマルルガが寄って来て、

「どしたあ? 忘れたのか?」

 どうやらマルルガはぼくがお弁当の中身がないことを知っていたらしい。

 すると彼もまたサンドウィッチを提供してくれた。

「つか、腹の方は大丈夫なのかよ?」

 ぼくは苦笑いを浮かべながら曖昧に返事する。今度はベルが「そういうことはちゃんと言ってください」と弁当のおかずを分けてくれた。そうして騒ぎを聞いたクラスメイト全員がぼくにご飯を分けてくれた。

 ぼくはまた涙した。

 だって、この学校の生徒たちは皆裕福じゃない。自分の生活に苦しんでいる子達ばかり。なのに、優しくしてくれる。

 ぼくにはそんな価値ないのに。人の命を食らって、生きている人間なのに。

「おうおう、また腹痛くなったのか?」

 ぼくは首を振った。お腹は痛くなかったけれど、胸が痛かった。

 ありがとう、ありがとう、と心の底から感謝を述べた。

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