面会(5)

 窓から差し込む朝日は生の眼を突き刺した。

 目を開いたぼくはハッとして時間を確認する。

 朝ごはんを作る余裕くらいはあった。昨晩から何も食べておらず、胃袋は空腹の音をあげていた。冷蔵庫に顔を突っ込んだ。いつもながらにして冷蔵庫は空っぽだ。

 なけなしの卵とベーコンとレタスを手に取る。ベーコンをフライパンに並べ、手早く卵を両手それぞれで割る。これはある種、調子を確かめるためでもある。卵への加圧が左右の手で誤差がないかを検証するためにはちょうどいい。

 ぼくはヴァージョンアップした義手に満足すると、トーストを細かく切って、千切ったレタスに焼きあがった卵とベーコンをまとめてミキサーに放り込む。正直、あまり美味しそうには見えないが、兄さんは卵とベーコンなどそれぞれの味を感じられるらしい。

 自分の皿には卵とベーコンだけを載せて、兄さんの部屋へと向かう。兄さんは眠っていた。TP-02も充電のため、スタンドに収まって《Zzz…》とのマークを頭上に浮かべていた。兄さんを起こさないようにとぼくはリビングに戻り、一人で朝食を始めた。

 なんとなく寂しさを感じてTVをオンにする。画面には金融通りが映し出されていた。《犯罪予告!? ミリオンバンクに緊張走る!》とのテロップが表示され、付近には大勢の野次馬やマスコミ、警察官ななどが非常線を張っている様子が見て取れた。

 リポーターは血相を変えながら、

『今朝、アイビー市警から発表がありました』

 と興奮した様子で語り始める。

『ここアイビー市でも有数の銀行、ミリオンバンクに〝Mask Man〟と名乗る人物から予告状が届きました。ミリオンバンクは、先日も強盗に襲われた銀行で、警察や職員の間にも緊張感が高まっています』

 ぼくはやれやれと息をつく。さっさとテレビを消して、登校の準備に取り掛かった。書き置きに、兄さんの個人アカウントに朝食の場所などを記した電子メールを送信しておいた。出掛ける間際、兄さんに「行ってきます」と声をかける。TP-02の充電もまだ終わっておらず、二人ともをそっとしておくことにした。

 学院の最寄駅に着くと背後からやってきたクラスメイトのマルルガは快活な口調で、

「はよっ!」

 ぼくはニコリとして「おはよう」と返した。

「珍しいな。いつも最初に登校するお前がこんな時間に」

「寝坊しちゃってさ」

 階段を降りたところで、反対線ホームから降りてきたベル・ブラウンが近づいてくる。

「おはよう。マルルガくんに薊くん」

 二人とも穏やかで爽やかな笑顔だった。

 クラスメイトのそんな顔を見れば、ぼくは昨晩の現実を忘れて、非現実を味わえる。

「二人とも、今朝のニュース見たか? 犯罪予告なんて大胆なことしやがるよな。仮面の男は。でもなんかやってくれそうなワクワク感があるんだよな!」

 マルルガは上気した様子で語った。

「でも、仮面の男は義賊だと思っていたのに、なんかガッカリ」

「だがよ、金を盗んでばら撒いてくれるかもしんねーぜ? もしかしたら俺のところにもおこぼれがあるかもな」

「はしたないですよ。マルルガくん。他力本願ではなく、自分の力で稼がなければ」

 二人は今朝のニュースに夢中だった。ぼくは苦笑いと曖昧な頷きをして会話をやり過ごす。教室に着いたぼくは、あれ? と黒羽アヤネの姿がないことを不思議がった。

「どした? キョロキョロして」

 マルルガは席に着きながら尋ねてきた。

「いや、黒羽さんが来てないなって」

「まあ、一昨日ベルと喧嘩したからな。来にくいんだろう」

 その翌日に、何食わぬ顔で登校していたアヤネがそんな理由で休むとは思えなかった。

 それにだ。ぼくはアヤネのボディーガードを引き受けると言った手前、彼女を蔑ろにして自分のことばかり考えていた。もしかして、と後ろ暗い予感が過ぎる。一応、安否確認をしようと携帯端末を取り出した。が、ぼくはアヤネの番号を知らなかった。神経質かもしれないがフェテリシア先生に連絡してもらうよう、職員室に足を向ける。挨拶そこそこに、ぼくは心配だからとか、ちょっとクラスのことで気になるからとか、苦しい言い訳を並べた。先生は深くは聞かずに連絡してくれた。何度か受話器を上げ下げして、番号を押していたが通じないらしい。

「ダメね。繋がらないわ」

 ぼくはさっさと踵を返して、職員室を出るや否や、記憶した指の動きからその番号に自身の端末からコールする。だが、返って来たのは話し中のツーツーと間延びした電子音。

 次第にぼくは焦燥感を感じた。兄さんにしても、TP-02は充電を終えている頃なのに姿を見せない。加えて、兄さんが起床した際に届く連絡メールが入っていない。ぼくは代わる代わる両者に連絡を繰り返したが、やっぱり返事はなかった。三限目が始まる手前〝仮面の男〟専用アドレスに一通のメールが入っているの発見したた。

 捨てアカウントから送られた電子メールだった。



  Subject :【親愛なる仮面の男様へ】

    本文 :ご機嫌麗しゅう。学生生活はいかがお過ごしでしょうか?

       突然のおメール失礼致します

       わたくし〝Mask Man〟と名乗るものです

       この度は誠に身勝手ながら仮面の男様の気を引くべく、

       とてもとても大切なものを盗もうと試みます。

       今朝のニュースは見ていただけましたでしょうか?

       今晩二十時にミリオンバンクにてお待ちしております

       愛しの仮面の男様へ、Mask Manより



 気づけばぼくは学校を飛び出していた。

 蹴飛ばす勢いで玄関を開いたぼくは、いの一番に兄さんの部屋へと飛び込んだ。

 ざっとモニタを確認したが、特に異常はない。ぼくは胸をなで下ろした。まだ眠っている兄さんを起こさぬよう静かにTP-02をポケットに突っ込んで、リビングに戻った。 

 ラップトップを立ち上げ、ホームセキュリティから侵入者が居ないかどうかを確かめた。幸いにも誰もこの部屋には入って居ない。そればかりか、ビルの監視システムにアクセスして、ここ数時間を早回しで見たが、この階には誰も近づいていなかった。

 そこでぼくはふと疑問する。大切なものってなんだ?

 再びメールを見返したが、他に思い当たりそうにはなかった。思い切って返事を出してみることにした。『お前は誰だ? 大切なものって?』と問いかけたが、返事はない。

 現在時刻はまだ昼前。指定された時間よりもまだずいぶんと間がある。ここで大人しく待つなんて出来ないぼくは、仮面の男変装セットをリュックに詰め込んで、駐車場へと駆け下りた。バイクのエンジンをスタートさせ、弾けだすように自宅をあとにした。

 トクンと高鳴る心臓。

 誰かが助けを求めていた。

 環状線を猛スピードで疾走しながら、機械的感覚受容器メカ・レセプターの感度を最大限にあげる。増幅された視覚聴覚が半径数キロに渡る情報を貪った。

 無数の笑い声、鳴き声、怒鳴り声。ティータイムの一服、上司の罵声、あるいは男女の秘め事──。見下ろす街角では、チンピラが不良少年らを路地裏へと追い込んでいた。

 街は言葉にあふれていた。喧騒にざわついていた。

 夕陽が沈む刻までフルスロットルでただただ駆け抜けた。

 鮮やかな緋色が深い夜と同化し始めた時、ぼくはスカイタワーの天頂から街を一望していた。未だに敵は見つからない。この時、ぼくの周りで何が起こっているのか皆目見当もつかなかった。けれどはっきりと分かるのは、ぼくの心臓が強く拍動していること。

 救いを求める声に共鳴して、ぼくをはやし立てていた。

 ミリオンバンクに義眼の焦点を合わせた。出入り口すべてには制服警官が警備網を敷いており、周囲にも私服警官がたくさん見張っている。しばらく周囲の様子を観察していると、微弱な電波のような声が聞こえた。

 ──助けて、と。

 アヤネが言ったような気がした。声に引き寄せられるかのように足を踏み出そうとした時、背後で何かがぞわぞわっとうごめいた。ぞくりとする冷たい気配。機械的感覚受容器メカ・レセプターで常人よりも数十倍にも優れたぼくの警戒範囲に、音もなく、気配もなくそいつは入り込んでいた。タワーの先から蜘蛛のように糸を垂らして逆さに吊るされていた男。その顔にはぼくと同じ仮面が装着されていた。背丈はさほどぼくとは変わらない。白のシャツに黒のタイトなボトムス、それに黒のマントをまとう姿もまた、ぼくと似せていた。

「来てくれたのですね、仮面の男さん。どうも初めまして」

 なみなみならぬ妖気を解き放っていた。得体の知れない不気味さ。

「Mask Man?」

「通じやすいように名乗っただけです。私に名前はありません。君が顔を持たぬことと同じように、私には名前がない。もっとも、仲間は私のことを〝ヘッド〟と呼びますが」

 確かカボチャ男もそう言っていた。

 となるとカボチャ男とヘッドは同じ組織であるだろう。

「何が目的だ?」

「肥えた豚から脂肪を削ぎ取り、骨と皮にすること」

 男は「ふふふ」と笑う。

「政治家はハゲ鷹で警察はピータン。そんな街で庶民が闇に落ちないわけがない。ゆえに暴力団が幅を利かせて金で安全を買う時代。だからねえ、この腐った街に疑問を投じるあなたに感銘を受けたのです。強き者をくじき、弱き者を助ける。この、仮面の男ネットワークを広めようじゃありませんか」

 男はするすると降りて来て、ワイヤーの上に立つと紳士に礼をする。その流儀はぼくが扮する仮面の男の模倣でもあった。しかしながら、面で表情を隠していたとしてもその下に広がる醜悪な表情を隠し通せてはいない。

「金それ自体に清きも穢れもない。金はすべてに対し平等である。つまり金こそが正義。この街の豚どもはそう思っていることでしょう。消してやろうじゃあありませんか。この街の汚れのすべてを綺麗に拭き取ってやろうじゃあ、ありませんか」

 同じ。ぼくも男が言う豚と同じことをやっている。

 男は握手を求めた。だがぼくはその手を振り払う。

「別にぼくはそんな大層な信念を抱えてるわけじゃない」

 たまにヒーロー気取りをするけれど、それは犯した罪を打ち消すためにやっていること。

 ただぼくは兄さんと普通の生活ができればそれでよかった。

機械化生体部品サイバネティックス・モジュールは実はさほどお高くはないのですよ。医師会や工学会などが命と自由をチラつかせて、庶民から踏んだくるために吹っかけているだけなのですよ」

「知ってるよ、そんなこと」

「疑問に思いませんか? 憤りを感じませんか? 共感してくれたのなら、私と共にこの街を変えようじゃあありませんか」

 革命なんてものは、ただ役者キャストを入れ替えるだけに他ならない。

 既得権益を横からかっぱらうだけ。

ていの良い言葉をかざして、豚の仲間入りなんてサラサラごめんだ」

「交渉決裂ですか。まあ、ファーストコンタクトで説けるとも思ってもいませんが」

 すると男はポケットから小さな鍵を取り出した。

「これ、なーんだ?」

 ぼくは眉を寄せて鍵に着目する。さらに男は携帯端末を取り出して、映像をぼくに見せつけた。画面に映る部屋はほぼ真っ暗だったが、その中心に見に覚えのある少女がいた。

 アヤネ。黒羽アヤネ。

 それを見たぼくの頭は一瞬にして沸騰する。

「彼女をどうする気だ!?」

 ぼくが怒り狂ったのも無理はない。

 アヤネの身体には大量のプラスティック爆薬C - 4がベストに括り付けられていた。

「この鍵はベストを外す鍵。さて、私からの設問その一。目の前に少女を拉致した男がいる。そいつは今から少女を爆殺すると宣言した。そこで問題です。君はどうすべきなのか」

「アヤネを殺してみろ。お前が悲鳴をあげなくなるまで内臓を抉り出してやる」

 なるべくぼくは感情を抑えて言った。

「ハズレ。答えは私を殺して鍵を奪う」

 男は凍るような冷たい口調で淡々と返した。

「お前は何が──」

 ぼくの言葉を遮って、男は続けた。

「設問その二。君は疑問を持つ。その答えを知る人物が目の前にいる。君はどうすべきか」

「教えろ」

「ハズレ。私を半殺しにして口を割らせる」

 ──こいつとは永遠に相容れない。本能的にそう予感した。

 男は懐中時計を手に持つと、

「さて、最後の問題です。今から十五分後に彼女は死にます。ただしヒントです。彼女は金庫室の扉の中にいます。君はどうすべきなのでしょう」

 男は鍵を空へと投げ放つ。

 ぼくは言葉を返すことも無く、鍵へとダイブする。

「──ハズレ。私は時限爆弾と入っていない。スイッチはこの携帯端末ですよ」

 ぼくは鍵を掴み取り、身を翻すと男に向けてワイヤーを射出したが、男もまた空へとダイブした後だった。

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