スチール・ハート

碧咲瑠璃

第一部

第1章

遭遇(1)

 心臓エンジンが拍動していた。

 ト──、ト──、ト──、と単調に律動する心臓ハートのような音色。

 ぼくはブーツの紐を締め上げた。

 空を抱く。ぼくは深く息を吸った。

 硝煙混じりな匂い。いつもと変わらない街の味。

 遠吠えのように響き渡る銃声とサイレンを聴きながら、ぼくはスカイタワーから世界の底を見下ろしていた。街一番の天頂から見下ろせば、世界が良く見えた。手を伸ばせば、もう少しで神の喉元に刃が届くかと思うほど月が近い。

 今日は月がよく見える夜だった。

 街は夜の衣をまとい始めている。

 幾何学模様のハイウェイ上で赤い尾が引いて、宝石箱のような煌めきに包まれる摩天楼。【アイビーシティ】は深い闇に飲まれまいと、ネオンライトの眩い一番星で夜に抗おうとしていた。人類の巣は光に焦げ付いている。この街の人たちは心もまでもが焼け付いている。ぼくもまた同様に燃え焦げている。だから世界を焦がさないように、救済を与えなくちゃならない。

 いななくサイレンに脳を穿つ銃声は目覚めのアラーム。

 それは人が優しさを剥ぎ取った合図。

 目を伸ばしても、耳を澄ましても、この街は喧騒と暴力にあふれている。今日も世界は染み付いている。コンクリート樹林の狭間で誰かが叫んでいた。どこから聞こえるのか見当はつかないけれど、どこかで誰かが呼んでいた。

 助けを呼ぶ声に心は共鳴する。ぼくには声が聞こえる。

 それは決して、意味のある言葉ではないけれど、漠然とした救いを求める声にぼくは反応する。その時ぼくは心の中を空っぽにする。仮面をかぶり、人を捨てる。この街に神様はいないから。この世界に救いの手はないのだから。

 黒く汚れた妖精が神様のふりをしてみせる。

『──準備はできたか?』

 羽虫のような風切り音を響かせて、兄トウヤの声を届けたTP-02。膨れたフグのような身体をして、頭にはプロペラを載せている。

 ぼくが返事をしようとした時、スカイタワーを横切ったヘリの風圧にTP-02は彼方へと投げ飛ばされた。手を伸ばしたが、TP-02はくるりと身を翻して、ぼくの手のひらへと着陸する。TP-02は頬を染めるように、身体を赤いランプで灯した。

『……締まらねえなあ』

 ぼくはキャットウォークの上で立ち上がり、小鳥に呼びかけるようにTP-02のマイクロフォンに言葉を向けた。

「準備できたよ、兄さん」

 TP-02はボディ側面を開いて小さなアームを出すとガッツポーズを作った。

 むろん、TP-02の制御をしているのは兄さんである。

『ここからは無線で連絡を』

 ぼくは頷き見せて、チョーカーに指を当てた。

 スイッチをオンにすると「ああ」と返事する。

 TP-02のアームは腹びれのコンテナから白い破片を取り出すと、さっと一枚のお面を作り上げた。受け取ったぼくはそれを顔に嵌める。仮面は吸い食うように顔の皮膚にぴったりと張り付いた。ただのコスチュームではない。兄が作った仮面はある種の封印を解く鍵でもある。

 テステス、と無線越しに告げる。

「視界良好、バイタル安定。問題はないよ」

 正確無比にリズムを刻む心音。ぼくの調子は良好だ。

『行こうか我が弟よ。いや、仮面の男。善人が君を呼んでいる』

 ぼくは空を抱く。

 ささやくような風に背中を押され、ぼくの身は硝煙混じりな空気を切り裂いて落下する。

『今日は大仕事だぜ。中央区Aブロック〝ミリオンバンク〟。銀行強盗らしい。今時、アナログだよな。ま、俺らもアナクロにゃ、変わりねーが』

 耳の中でトウヤが軽口を言っていた。

 むろん、ぼくたちが行うのは銀行強盗ではないし、ヒーロー気取りでもない。

 こと。ただのボランティアだ。

 TP-02がぼくの進むべく先を誘導して飛行していた。TP-02が急降下から機首を変え、倣ってぼくは手を払った。

 籠手こてからワイヤーが吐き出されて、ビルディングの壁に突き刺さる。それをたぐり寄せながら空を遊泳した。ワイヤーを飛ばし、角度と速度を調節しながらミリオンバンクに近づいていく。金融通りが見えて来て右目の倍率を上げた。大勢の野次馬や警察や、四方を取り囲んでいる特殊部隊員たちの緊張に満ちた表情のひとつひとつがよく見える。皆、不安げな表情をしていた。

「兄さん。もう間もなく」

『新たな情報だ。女の子が人質に取られている。特殊部隊が突入に足踏みしてる。だが、穏やかじゃあねえぞ。完全武装して、人質以外の生死は問わないなんて物騒なこと言ってらあ。急いでくれ、仮面の男』

「わかってる」

 義眼の目を回し、侵入ルートに目星を付けると突入準備に取り掛かった。

 ちらりとビル四階の窓から男が外を覗いていた。その側には人質とみられる女の子が居て、首元には刃物が当てられている。

 ただぼくには人質を救うというよりも、銀行強盗に対する同情の念が強かった。

 四方にワイヤーを飛ばし姿勢を制御する。ブランコの要領で放物線を描き、加速したぼくは鋼鉄の左足で窓ガラスを蹴飛ばした。男はぼくの登場に目を丸くした。すぐに飛び散った破片から身を守ろうと手をかざし翻す。その腕の中には人質もいたが、ぼくは構わず、着地から瞬時にワイヤーを強盗の足に絡め、引き倒す。

 天井に向けられた銃口が火を吹いた。

 床を蹴り上げ、男に接近。素早く銃を蹴飛ばし、人質を手に抱く。男がナイフで応戦しようとする際、鳩尾みぞおちに鋼の拳を叩き込んだ。男は嗚咽混じりな悲鳴をあげ、白目を剥いた身体が二つに折れる。

『急げっ、お前を見た警察が突入を早める』

 銃を構えた男が通路の向こうから飛び出した。

 発射炎フラッシュマズルが瞬く手前、人質の身を抱いてぼくは部屋に飛び込む。火薬の炸裂が断続する中、少女がぼくの義眼と生の目の両方をじっと覗き込んでいた。

 黒のショートカットに東洋系の顔立ちをする少女は目を丸くして、

「……黒 い 妖 精ブラック・フェアリィ?」

 と問いかけた。

 すらりと背が高く、凜とした眼差しの少女。ぼくと同い年くらいに見えた。十代半ばから後半くらいの女の子。白いブラウスに赤い紐のリボンをつけ、細い首を咥え込んでいる大ぶりなヘッドホンが印象的。

 少女は「ふふ」と冷笑を浮かべ、

「みーつけた」

 と、彼女はぼくの仮面に手をかけようとする。ぼくは慌てて身を引き離す。すると少女は黒のスカートの下に手を突っ込み、拳銃を引き出した。面食らう間もなく、眼前には銃弾。鋼鉄の足を蹴り上げ身をよじる。銃弾はぼくの柔らかい頬をかすめて鮮血がぴゅっと吹き出した。

「本当に実在したのね」

 哀れむような視線を少女はぼくに放つ。大人しそうな子だと思っていた印象が翻る。今一度ぼくに照準を合わせる少女の目は本気だった。本気の殺意だった。しかし少女だけに構っている暇もない。背後から聞こえる足音は部屋の近くまで来ていた。

『おい、セナ! 何手こずってる!?』

 トウヤの声がうるさく響いた。

「ちょっと黙っててくれ──」

 ヘッドホンを耳に当てていた少女はニタリとした。

「そう。黒い妖精さんは〝セナ〟っていうの」

 ふふ、と鼻を鳴らす少女。

 盗聴されていた。ぼくと兄さんだけの暗号化通信が盗み聞きされている。この子は一体──。そう思ったが疑問を抱く暇もなく、男が部屋に入り込んだ。ぼくを挟んで、少女と男の銃口が一直線上に並んでいた。そして両者引き金を引いていた。

 ぼくが避ければ銃弾は二人の心臓を抉りだすだろう。

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