体育館の鏡は異世界へ誘う 

第34話

 ちがう自分に、なりたかった。

 頭がいいね。

 まじめだね。

 優等生だね。

 手放しにあたえられた言葉たち、それらをひとつずつ取りのぞいて、そうして残ったわたしは、たぶんなにもない。

 ずっと目をそむけていたことに。

 ついには気づいてしまって。

 なにかを変えたい、自分を、あるいは自分をとりまく環境を。来る日もそう考えていた。

 そうして、ある日。

 商店街の、ドラッグストア。

 目についたのは、ちいさなリップクリーム。

 ほしかったわけじゃない。このあいだ買ったばかり。それでも、すいよせられるように近づいて、手に取って、眺める、プラスチックのパッケージに、自分がうつる。鏡みたいに。

 気がついたらわたしはそれを。

 自分のかばんに、入れていた。


     *


 あの忌まわしいプールの事件から時が経ち、暦は七月。

 すっかり夏めいた世間とは裏腹に、旧校舎の保健室はあいかわらずほこりとカビのにおいが充満していた。これは一回大掃除をやりたいくらいだが、そもそもつかわれていない校舎を勝手に部室にしてしまっている身分のため、そうもいかなさそうだ。

 放課後、その保健室で。

 ソファにちょこりと腰かけた女子生徒、一ノ瀬鞠亜さんが、ふいに声をあげた。

「そういえば、鶏が行方不明らしいわ」

「……うさぎの次は鶏かよ」

 簡易ベッドで漫画を読んでいた赤毛長髪の男子生徒――東条漣が、げっそりとつぶやく。その意見には同感だ。僕は網膜に焼きついたあの風景、プールの底にぶちまけられた綿のような生きものたちを、首をふって頭から追いだす。

「何日かに一羽ずついなくなってるんですって」

「そりゃあ大変だな」

「あと……そういえば、行方不明の生徒がいるって」

 一瞬、教室が静まる。

「まあ、なにか霊に関係あるのか、それとも全然関係ない……家出とか、誘拐とか、そういうものが原因なのかはわからないけれど」

 霊に関係があるなら、依頼が来るだろうし。

 一ノ瀬さんはちいさくつけたす。

「にしても……ほんとに、そういうの増えたな」

「そういうの、とは?」

 一ノ瀬さんのとなり、座っていた早乙女稚羽矢さんは首をかたむけた。いつもと変わらない和服姿、たおやかな視線で東条を見る。

「ほら、なんつーか、怪奇現象というか、心霊現象というか……そういうの全般。三年になってからいったいどんだけの依頼が来たことか。いままでの件数を考えたら、正直異常だぞ」

「いままではどれくらい依頼がきていたのですか?」

 早乙女さんの問いに、東条は斜め上を見つめ、考えこむ。

「俺がこのもす研に来たのが、二年の夏休み明けくらいで……四月までに来た依頼が三件くらいか。いや、ちがうな、一個全然霊と関係なかったから、二件だ。それなのに、四月になってから、直接霊に関係する事件が……六件」

 九月から三月までの半年で二件だったのに。

 その後、四月から七月までの三ヶ月で、およそ三倍の六件。

「たしかにそれは……異常、だね」

「だろ」

 僕のもらしたつぶやきに、東条はぶんぶんと首をふる。いや、それよりも。

「東条がもす研に入って、一年も経っていないのは意外だな。もっとむかしからいたのかと思った」

 五十嵐先生にたいする言動ひとつとっても。ずいぶん前からの知り合いなのだと、そう感じさせるなにかがあるというのに。

 べつに褒めたわけでもないのに、東条はなぜかドヤ顔をした。

「ま、しょうがねえな、俺もともと部長だったし、ひとりで事件を解決してたときもあるから、やっぱそういう、プロ的なオーラが出てしまうのは、いたしかたねえというか」

「きも……」

 ものすごくちいさな声が、一ノ瀬さんから発せられる。僕は云った。

「ひとりで解決って? 一ノ瀬さんがいたんじゃないの?」

「あたしがもす研に入ったのは、冬くらいよ。それまでは、そこの赤い髪の痛々しいひとがひとりで活動してたわ」

「それ俺のことじゃないよな? 一ノ瀬はそういうこと云う子じゃないって俺信じてるぞ」

「ごめん、気持ちわるいから息しないでくれる?」

「まりあちゃんひどい」

「まりあちゃんゆうな」

 いつもの流れが目の前でくりひろげられて、すこし安心する。一ノ瀬さんが元気な証拠だ。

「あれ、でも……もす研をつくったっていうひとは?」

 たしか、そのひとがもす研という名前をつけたのだと、そう聞いたことがある。

「ああ……初代部長か。俺が入ったときにはいなかったし、とっくに卒業したんだろ。詳しくは知らねーけど」

 鼻をぽりぽりとかく東条。そのとき、ドアの向こうで足音が響き、全員の視線を集めた。ついで、おそるおそる開かれた扉。立てつけがわるいから、甲高い不快な音があたりにまきちらされる。

「あの……」

 ひょっこり顔を出したのは、小柄な女の子だった。

「心霊現象を解決してくれるのって、ここであってます?」

 ひさびさの依頼者が、保健室に来た。



 部屋に入ってきたのは全部で三人。

 小柄な体躯、人なつこそうな顔を緊張でこわばらせている生徒が、水上遥さん、ショートヘアがよく似合う、どこかおとなびた印象の鹿川人見さん、そして、ふちのない、丸い眼鏡をかけた秋月ひなたさん。

「わたしたちは全員、カイガ部です」

「カイガ部?」

 聞きなれない言葉に、僕は思わず反応してしまう。秋月さんはさほど気にしていないようすで、かるくうなずいた。

「絵画部。美術部みたいなものです。放課後、美術室で雑談をしながら、絵を描いてるだけなので、そんなにたいそうな部活ではないですけど……」

 どこか気後れしたような色を残して。そんな秋月さんの肩にふれ、今度は鹿川さんが話しはじめる。

「それで……その」

 どこから話せばよいのか。

 悩むような声色で。鹿川さんは逡巡する。

「体育館の七不思議、知ってますか。体育館の、鏡の」

 ――体育館の鏡は異界とつながっている。覗くと呪われる。

 僕はそっと声にだす。鹿川さんはうなずいた。

「あたしたち、昨日の放課後、体育の先生につかまっちゃって、体育館のそうじを手伝わされたんです。掃除というか、倉庫の整理というか……矢澤先生っていうんですけど、なんかあんまり文化系の部活、よく思っていないみたいで」

 矢澤。僕のクラスの体育を受けもっている教師だ。

「それで、整理が終わって、帰ろうとしたとき。体育館のなかに、おっきな鏡ありますよね。うしろのほうで、いつもはドアみたいなものに収納されてて……あれが、開いてたんです。それで、その鏡の前に……遥ちゃんのおねえちゃんが」

「おねえちゃん……?」

 もす研一同の反応に、今度は遥ちゃん――水上遥さんが説明を引きつぐ。

「わたしのおねえちゃん、水上仄っていうんですけど。ここの三年生です。おねえちゃん、二週間くらい前から――シッソウ、してるんです」

「……シッソウ」

 それが失踪だと気づき、僕は一ノ瀬さんの言葉を思いだす。

 ――そういえば、行方不明の生徒がいるらしいわ。

「じゃあ……行方不明の生徒って」

 おなじことを思ったのだろう、一ノ瀬さんがぽつりとつぶやいた。水上さんはこくこくとうなずく。

「たぶん、おねえちゃんです。もちろん家族で警察にも行ったんですけど、あんまりとりあってくれなくて」

「それ、ほんとう? ひとがひとり、いなくなったのに?」

 いつもより、すこしだけおおきな一ノ瀬さんの声。水上さんは幼い眉間に似合わないししわを刻む。

「家出だろうって。そういう子、けっこういるらしいんです。おねえちゃん、最近何度か、その……ま、万引きで、つかまってて」

「……万引き」

「でも、ほんとは、そんなひとじゃないんです。あたしなんかよりもずっと勉強できて、友だちもいて、完璧で、優等生で……万引きはきっと、まちがいだったんだと思います。それか、だれかかばったりしたのかも。おねえちゃん、やさしいから」

「その、おねえさんが、鏡の前にいた?」

 僕が問いかけると、今度は丸眼鏡の秋月さんが答えた。

「最初は、だれだかわからなくて……運動部のだれかかなって。それで通りすぎようとしたら、そのひと、こう、鏡に思いっきり顔を近づけてて、両手で、こう」

 パントマイムのように、秋月さんは自分の顔の前に、手を移動する。鏡を見るには不自然な格好だ。秋月さんのとなりで、鹿川さんが声をあげた。

「そうそう、それに、なにかぶつぶつつぶやいていました。その……そのときは、気味がわるいなって」

 ちらと、水上さんを見て。鹿川さんは云いにくそうな顔で、しかし水上さんは僕たちを真摯に見る。

「そのとき、あたし、鏡の前にいるのがおねえちゃんだって気づいたんです。ほんとうにびっくりした……制服姿だったんですけど、その……なんていうか、ようすが変で」

 たしかに、鏡に思いきり顔を近づけ、ぶつぶつとつぶやいていたのなら、変と感じるには充分な要素だ。しかし、僕の予想をうわまわる、水上さんの言葉。

「おねえちゃん、すごく……汚くて」

「汚い?」

「変なにおいがしました。すえたにおい……っていうのかな。何日もお風呂に入っていないような。たぶん、ほんとに入ってなかったんだと思う。髪もぼさぼさで、なんていうか、とにかく……汚くて」

 異様な風貌、ほつれた制服、髪はぼさぼさの黒いかたまり、その隙間からぎょろりと覗く、いっぱいに見開かれた眼球。

 意識とは関係なく浮かんだイメージが、なにかと重なる。たしかあれは僕がこの学校へ来てすぐの――あの、忌まわしい女子トイレの事件。

 その映像を。水上さんの言葉がかきけす。

「それで、とりあえず近寄って、おねえちゃん、って声かけたら……突然、おねえちゃん、鏡に、何度も頭をぶつけはじめたんです。何度も、何度も。鏡、割れちゃうんじゃないかって思うくらい、つよい力で。あたしたちこわくなって……それで、逃げちゃいました」

 ぽた、と垂れて。水上さんのスカートに、ちいさな染みができる。鹿川さんと秋月さんが、よりそうようにその肩にふれる。

「おねえちゃんなのに。それなのに、あたし逃げた……」

「みなかみ、さん」

「だって、なんだか、別人みたいで……あたし、とにかくこわくてこわくて」

 放課後の体育館、後方の鏡、ぶつぶつと、つぶやきながら、鏡面に頭をうちつける、何度も、何度も、何度も。それは、こわくて当然だと、逃げてもおかしくないのだと、声をかけようとして、止める。うまい言葉が見つからない。

「次の日戻っても、おねえちゃんはいませんでした。また、どっか行っちゃった……あのとき、逃げなければよかった」

 吐きすてるような声音、過去の自分を叱咤する、そうして水上さんは、僕の目をまっすぐに見て、頭を下げた。

「おねがいです。おねえちゃんを……さがしてください」

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