真夜中のプールで死者は彷徨う

第28話

 最後に見たのは、光。

 水面を照らすそれはいっそ残酷なくらいきれいで、思わず息ができないのも忘れて、笑いだしそうだった。

 ついで、耳元でダミ声。

 あのクソ野郎、調子にのって、あんな。

 でも、もう、いい。

 思いだしても、憎しみは湧いてこない。全部浄化されてゆく。この心も、身体も、水みたいに透明になって、深く深く沈んでゆく。

 ここは胎内のようだ。

 母胎。

 あたたかくて、心地よい。腕に、なにかからみつく。気配。生臭い吐息、鉄の臭い、でもあたたかくて、心地よい、感覚なんてとっくに麻痺してるから。いまはただただ、沈むだけ。

 だれよりもはやく泳ぎたくて、だから男になりたくて、そうふるまってはみたけれど、なにもかもむだだった。

 水中で。

 ボクはそんなことを思いながら、死んだ。


     *


「知ってる? うさぎが行方不明なんですって」

 放課後、旧校舎一階、ほこりとかびの臭いが充満するせまい保健室、集っているのはいつものメンバー。

 簡易的なベッドの上にあぐらをかく真っ赤な髪の男子生徒、東条漣。

 ちいさなソファに行儀よく座っている女子、一ノ瀬鞠亜。

 のとなりで姿勢よく腰かける和服姿のぱっと見は美少女、しかし中身は男子の早乙女稚羽矢。

「脱走したんだろ。うさぎ小屋せまいしな」

 そりゃあ逃げたくもなるさ、と鼻歌まじりの東条。一ノ瀬さんは眉をひそめる。

「でも、けっこうな数いたのに、ぜんぶいなくなったらしいわよ。そんなことある?」

「あるある、よくある」

「ほんと適当な人間ね、さいてー」

 いつもと変わりない、一ノ瀬さんのその声に、僕は先日のことを思いだす。

 ――たくまくんも、あいつらとおなじよ。

 そして、帰り道にも見かけた。たくまくんという数年前に死んだ子どもの霊。

 ――ぶちゅ。

 脳裡に、あのときの音が響き、僕はぞわり、悪寒を感じる。僕にはふつうの人間に見えたが、さいごに見た彼は、どう見てもこの世のものではなかった。砂遊びや、ままごとや、ありふれた遊びをする子どものように、無邪気に自分の眼球をぐちゅりぐちゅりとかきまぜるその姿は、一ノ瀬さんが云うとおり、まぎれもなく――害悪。

 よく覚えてはいないが、僕はあのあと、気づいたら家にいた。ショックなものを見てしまったせいで、記憶がないのだろう、われながらなさけない。それもてつだって、たくまくんのことは東条や早乙女さんには話していない。ふたりだけでなく、五十嵐先生にも。そういえば、先生には音楽準備室で見た白いものについても云わずじまいだ。

 なにもかも、ただの気の迷いであれと。

 僕はいまだにそう信じるしかなくて。

「そんなことよりよ……知ってるか。プールの霊」

「ぷーる……?」

 声をあげたのは、早乙女さん、今日は黒地に赤い六角形の模様をちりばめた着物を着ている、かなり厚手の生地のように見えるが、暑くはないんだろうか。東条なんか半袖のシャツをうでまくりしてノースリーブ状態なのに、早乙女さんは汗ひとつかいてないようだ。

「そ。昨日からプール開きしただろ。で、今日までの二日間で三人も溺れかけた生徒がいるらしいぜ」

「その三人、ただのカナヅチだっただけでしょ」

「かなづち……?」

 首をひねる早乙女さん、に気にせず、東条は一ノ瀬さんの発言に声をおおきくする。ただでさえ響く声なのでやめてほしい。

「ちげえよ! なんかに足引っぱられて溺れかけたってうわさなんだよ。つーかカナヅチなのはおまえだろ」

「ちっ……ちがうわよ!」

「ほんとかー? 前、なんかの事件でひとり溺れてなかったっけか」

 河童の事件だっけ? とあごをなでる東条。ほのかに顔を朱色に染めながら、ふるふるふるえる一ノ瀬さん、このままではまたいつものが始まってしまう、と僕は口をはさむ。

「足を引っぱられたってほんとう?」

「え? ああ、うわさだけどな。というか、たっくん情報」

「たっくん? ……ああ」

 たしか、僕にとってふたつめの、怪人アンサーの事件。と、同時期に東条が請けおった図書室に関する事件。その依頼者である河西拓未くん、二年生、は事件のあとも何度か、このもす研と交流があった。三つめの事件を持ってきたのも彼だし、四つめの事件では、調査も手伝ってくれた。そういえば、最近会ってないような。

「プールがひらいた日に、まずひとり。それから、二日目、つまり今日の授業中に、ふたり。ぜんぶ女子だって云ってたような。全員が、足を引っぱられたって云ってるらしい」

「足をつった、とかじゃなくて?」

「さすがに足をつったからってそんなさわがねえだろ……かりにそうだとしても、三人だぞ、三人。この短期間に。……それに、七不思議にもあるだろ」

 ――真夜中のプールでは死者が泳いでいる。入ると呪われる。

 放課後の、薄暗い保健室に響く、東条の低い声。思わず、場がしんと静まる。沈黙をやぶったのは一ノ瀬さん、わずかにふるえる声で、東条をにらむように見る。

「……それが、なんの関係があるわけ」

「すくなくとも、霊に関係がある場所ってことだろ」

「あの七不思議に入ってるからって、霊に関係があるとはかぎらないでしょ」

「でもよ……現に、いままでの事件はあれに関するものばかりだぜ」

 たしかに、東条の言葉は否定できない。

 ひとつめ。旧校舎のトイレには花子さんがいる。見ると呪われる。――旧校舎の女子トイレ、あの禍々しい存在に近づいてしまった桐島華子という生徒、その壊れた姿を思いだす。

 ふたつめ。図書室にはなにも書かれていない本がある。読むと呪われる。――僕は直接たずさわってはいない、しかし河西くんたち一行は、血で真っ黒になった、白紙の本を見つけたという。後日、五十嵐先生がなんとかしたということだから、すくなくとも霊がからんでいることはたしかだ。

 三つめ。理科室の人体模型は生きている。さわると呪われる。――河西くんの友人、多田雅和くんは理科準備室にあった人体模型にふれ、自分の内臓をかきだしているところを発見された。

 四つめの事件は、聖天狐教という宗教に関する事件なので、直接七不思議とは関係ない。

 そして、五つめ。音楽室では幽霊がピアノを弾いている。聞くと呪われる。――五十嵐先生いわく、微弱な霊の持つ影響力によって、ピアノの音が勝手に鳴りひびいたり、振動や轟音という現象が起こったという。正直、あの事件に関しては、疑問点というか、しっくりこない点が多い。それに、音楽準備室で、僕が見た、僕だけが見た、よくわからない生白いもの。はたして、あれはなんだったのか。あいつのせいで、音楽室であまたの心霊現象が起こったのか。

 ともかく、東条の云うとおり、いままでの事件は、そのほとんどが七不思議に関係ある。

「しかもよ、あのプール。むかし、ひとが死んだらしいぞ」

「……え」

 東条以外の全員が息をのむ。またしても、沈黙をやぶるのは、一ノ瀬さん。

「それ……ほんとなの」

「これはたぶん、まじ。十年くらい前に、女子生徒が溺れて死んでる」

「でも……それじゃあ」

 困惑の色をにじませた、一ノ瀬さんの言葉。たぶん考えているのは、僕とおなじことだ。

 旧校舎のトイレで自殺した生徒。

 理科準備室で、心臓発作のため亡くなった生徒。

 そして――プールで溺死した少女。

「死にすぎ……だよな」

 メンバーの心中を代弁するかのように。東条がぽつりと、声をもらす。もらしてから、ふいに顔をゆるめた。

「まーうちの学校古いし、そんなに変なことでもないかもしれない……よな」

「……そうね、自殺以外は病気と事故だし」

 小刻みにうなずく一ノ瀬さん、しかし僕はあまり納得できず、口をひらく。

「でも……やっぱり多いんじゃ」

「おい、なんだよ征継」

「しかも、どれも十年くらい前じゃないっけ? なんか、ある時期に集中してるような……」

「やめろって、おどかすなよ」

 べつにおどかすつもりはないけれども。

「五十嵐先生に……相談したほうがいいんじゃ」

 五十嵐遠子先生。なぜか旧校舎にいりびたる、白衣をまとった保健医。もす研の顧問であり、そして実質的な部長、オカルトの知識が豊富で、たよりになるのか、ならないのかよくわからない飄々としたひとだが、それでもいつも――最終的には、僕たちのことを守ってくれる、ような。気がしなくもない。

「とーこお? なんかよろこんで食いついてきそうだな……」

 たしかに。黙っていれば美人なのに、あのひと不謹慎のかたまりだから。

「でもさ、さんざんいろいろ云ってなんだけど……まだ溺れかけてるってだけだぜ。依頼すら来てないし」

「そうね。ほんとうに深刻だったら、依頼者が来るかも」

 一ノ瀬さんもうなずく。そのとき、僕はふいに気づいた。

「そういえば……なんか、最近五十嵐先生来ないね」

 さいごに会った日は、ちょうど音楽室を調査した日だから、かれこれ一週間は経っている。そのあいだ、僕はほぼ毎日この保健室に来ているのに、一度も先生に会っていない。いつもは、すくなくとも、二、三日に一回は顔を見ていた気がする。

「仕事、忙しいのかな」

「さあ、どうだろうな……」

 なぜか苦笑しながら、東条は視線を下げる。

「もしかして、体調不良、とか」

「とーこが? ないない、ありえない」

 笑いとばされた。心外だ。たしかに風邪すらひかなさそうな豪快なひとだけれど、万が一ということもあると思ったのに。

「それより、さっきから早乙女はなんでそんなにおとなしいんだ」

 東条の指摘で、僕と一ノ瀬さんは、一斉にソファの左側へ視線を向ける。それに気づいた早乙女さんはゆるゆると顔を上げると、とても真剣な顔で云った。

「あの……お訊きしたいことが」

「なに? どうかしたの?」

「かなづちとは……なんですか?」

 心配そうに眉をひそめて尋ねた一ノ瀬さんの身体がかたまる。それを指さして、東条が思いきり笑った。

「早乙女、カナヅチ知らねえの」

「はい……お恥ずかしながら。あと、ぷーるとはなんでしょう」

 絶句する僕と、一ノ瀬さんと、東条。十年というながい間世間と隔絶された早乙女さんが生きていくのはたやすいことではないのだと、僕はしみじみ感じる。おなじことを感じたのか、東条が気持ちわるい猫なで声で、ゆっくりとプールについて説明しはじめた。あまりにも気持ちわるいので、僕は視線を窓にずらす。

 そして、気づく。

 だれか、覗いてる。

 汚れきった窓だからぼんやりとしか見えないが、白っぽい服、五十嵐先生か? でも先生なら、覗きなんかしないて、ふつうに入ってくればいい。

「……だれ」

 僕は思わず、窓をがらりと開ける。一瞬だけ見えた、白い、セーラー服のような、そしてひるがえる長めのスカートの裾、その姿はあっというまに見えなくなる。まるで最初からそこにはだれもいなかったように、おどろくほどそこにはだれもいない。

「おい、どうした」

「いや……なんでもない」

 僕がいきなり窓を開けたから、おどろいて逃げてしまったのだろうか。他校の生徒で、僕たちに依頼を持ってきたが、旧校舎があまりにもボロくて不安になり、うろうろしていた――ということくらいしか、思いつかない。

 ともかく、確証はなにもない。もし依頼者であれば、また来るだろう。

「あの……僕そろそろ帰るよ」

「あ? おう、気をつけて帰れよ。俺はもすこしこいつにプールとはなんぞやということを教える」

「助かります。東条さんは物知りですね」

「いや、それほどでもある」

「キモ……」

 一ノ瀬さんのつぶやきに、心のなかで大いに賛同しながら、僕は旧校舎をあとにするのだった。

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