教室のこっくりさんは狂気を願う

第18話

 いつからだろう、その声に気づいたのは。


 気配はずっと前からあった。

 まわりに浮かぶ、目に見えない、だけど感じる、なにかが自分を守ってくれている。

 存在だけだったのに、ある日声も聞こえるようになった。

 あの方に初めてお会いしたころだ。神の化身である、あの美しいひと。

 ながい黒髪が美しいあの方に憧れて、自分も髪をのばした。すこしでも近づきたくて。すこしでも、おなじような存在になりたくて。

 声は、意味をなしていなかった。

 しかし、時間をかけて、声は自分の一部になって。

 何物にも代えがたい、たいせつな存在となって。

 そうして。あの美しいひとと、自分をつなぐ、たったひとつのよすがとなった。

 ――あの方に、近づきたい。

 ――あの方に、見つめられたい。


 あの方が輝けるのなら、どんな罪も引きうけよう。


     *


 気づけば、六月に入っていた。

 もはや僕の生活の一部となりつつある、旧校舎一階の古びた保健室。

「そういえば、さっきセーラー服の女の子がいたんだけど」

 なんてことない会話の途中。

 ふと思いだして僕はつぶやく。シーツのない、むきだしのちいさなベッドに腰かけた元ヤン、じゃなくて東条は、読みかけの漫画雑誌から目を離す。ちなみに校内への雑誌類持ち込みは校則違反である。

「依頼者じゃね」

「でも、セーラー服だったんだ、うちの学校の制服とはちがう」

 云いながら、僕とおなじくソファに座る女子生徒、一ノ瀬さんをちらりと見る。僕が転校した当初は当然冬服だったが、五月下旬からの衣替え移行期間を経て、彼女が着ているのは夏服だった。半袖の白いシャツに、ほそながいリボンをクロスして止めたようなタイ、ハイウェストな無地のスカート。セーラー服と見間違えるはずがない。

「じゃあ……他校の生徒とか」

「え、ちがう学校から、わざわざこんなあやしい団体に頼みにくるかな」

「おまえそのあやしい団体の部長だけどな」

「その件だけど、研究会なのに部長っておかしいと思うんだ、それなら会長にすべきなんじゃないかって。だいたいこの研究会の名称だって……」

 僕の話がいよいよ佳境に入ろうというそのとき、ひとつしかない保健室の扉が軋んだ音を立てる。

「あの……」

 扉の隙間からこちらを覗きこむ白い顔。

 一ノ瀬さんが立ちあがり、部屋の中へ招きいれる。入ってきたのは、ひとりの女子生徒だった。いかにも気のつよそうな顔立ち、真っ黒い髪はショートヘアで、かなり背が高い。その生徒はずんずんと中へ入ってくると、僕たち部員を見回し、云った。

「あいつらのインチキを、あばいてほしいんです」



 依頼者の名前は、速水萌子。

 二年生で、生徒会役員をしているらしい。

「……インチキ、っていうのは?」

 速水さんをとなりに座らせ、一ノ瀬さんは首をかしげる。速水さんはすこし息を吐くと、かたい声で云った。

「セイテンコ教を、ご存じですか」

「……セイテンコ」

 どこかで聞いたことがある。たしか、前に東条が云っていたような。あやしげな宗教が流行っていて、その名前がセイテンコ教だったはずだ。

「聞いたことはあるわ、あまりくわしくはないけれど」

 僕たちの意見を代表し、一ノ瀬さんが答える。速水さんはうなずいた。

「セイテンコ……聖天狐教は、聖天狐っていう、キツネの神さまをまつる宗教です。……うちの両親も、聖天狐教の信者で……もちろんあたしはちがうけど。……それで」

 速水さんは黒目がちな瞳をすこしだけ揺らす。

「その聖天狐教、教祖がいるんですが、そいつは聖天狐の化身を自称しています。人間の姿をしているけれど、ほんとうはキツネの神さまで、だからふしぎな力があるって」

 なんとも非科学的な話だ。

 僕は思わず苦笑しそうになるが、よく考えれば自分の所属している団体もそれに負けずおとらずあやしいじゃないか。ひとのことは云えなかった。つらい。

「その教祖が、インチキなの?」

「はい。……しかも、その教祖、うちの学校の生徒なんです」

 僕は思わず眉を寄せた。黙って聞いていた東条も、顔を上げる。この情報は知らなかったらしい。

「その、教祖っていうのは」

「早乙女稚羽矢。うちの学校の三年生です。……早乙女稚羽矢はあまり人前には出ませんが、ときどき学校に来て、授業に出ています。そうすると、信者が取り巻きみたいになって……すごく異様なんです。みんな、目が変になっているっていうか、自分をなくしているみたい」

 心底いやそうな顔の速水さん。

「それで、その聖天狐教には、簡単に聖天狐を呼びだせる儀式があるんですが……いわゆるこっくりさんみたいなやつで」

「こっくりさん?」

 いろいろ書かれた紙に、硬貨をのせる降霊術、だったよか。もちろん、僕はそんな子どもだましの遊びはしたことがない。

「はい。こまかいところがちがいますけど、だいたいは一緒です。聖天狐を呼びだして、いろいろ質問をすると教えてくれるっていう。その儀式、うちの学校でも流行ってて、おもに信者の子がやっているんですけど、すごく当たるみたいで。信者じゃない子も、その儀式をきっかけに早乙女稚羽矢や聖天狐教にのめりこんだりしてるんです。……それで、この前も放課後、教室でその儀式をやったみたいです。聖天狐の儀式はこっくりさんとちがって、聖天狐に頼めば、だれかを呪い殺してくれるっていう噂があって……その日集まった子たちは、聖天狐に頼んで担任に呪いをかけようとしていたみたいです」

 その言葉に背筋がつめたくなる。

 脳裡に浮かぶ、薄暗い教室で、だれかを呪い殺そうと儀式に夢中になる生徒たちの、うつろな目。

「そのときは、儀式にどこか不備があって、聖天狐が怒ったみたいで。何人かおかしくなっちゃったんです。それを信者が相談したら、早乙女稚羽矢が除霊してくれたそうで。みんな、ますますのめりこむようになりました。だれも、あたしの話なんて聞いてくれない」

「だから、インチキをあばいてほしい?」

「はい。聖天狐なんているわけないし、あいつはただの人間です。きっとなにかトリックをつかって、みんなの心をもてあそんでるんです。だから、おねがいします。みんなを……そして、あたしの親友を、助けてください」

 速水さんの悲痛な声に、保健室は静まりかえった。



「こっくりさんとは、興味深い」

 連絡先を教えてもらい、ひとまず速水さんを帰らせ、一同がおちついた瞬間。

 聞こえたのは、低めの女性の声。

 顔を上げれば、そこにいたのは黒髪をひとつに結った白衣の保健医、この聖天狐教に負けないくらいあやしげな団体の顧問をつとめる五十嵐遠子先生。いつのまにかそこにいる、なんてことはもはや日常茶飯事だ。

「先生は、聖天狐教についてなにかご存じですか」

「それがな……全然知らない」

 ソファのはじっこにもたれて、肩をすくめる先生。意外だ、詳しそうなのに。

「そのかわり、こっくりさんについてなら講義できるぞ。征継、おまえはこっくりさんについて、なにを知ってる」

「えっと……いろいろ紙に書いて、硬貨を置いて……」

 ざっくりとした答えに、東条が口をひらく。

「一般的には鳥居のマーク、はいといいえ、男と女、五十音表だろ」

「そう。さすが、もす研の元部長」

 初耳だ。そうか、僕の前は東条が部長だったのか。

「一ノ瀬くんは?」

「たしか……こっくりさん、こっくりさん、おいでくださいって云うと、降りてくるっていうのが多いような」

「ふむ、そうだな。……紙の上に鳥居、はいといいえ、男女、五十音表を置き、鳥居の上に硬貨、主に十円玉を乗せて全員でその上に指を置く、こっくりさんこっくりさんおいでください、とよびかけると十円玉にこっくりさんの意志がやどり、質問の答えをそのうごきで指ししめす……これは西洋のテーブルターニングに起源を持つオートマティスムの一種だ。有名なものはウィジャボードだな」

「うぃじゃぼーど?」

「ウィジャとはフランス語とドイツ語、それぞれで『はい』を意味するOuiとJaを組み合わせた造語だ。システムはだいたいこっくりさんとおなじ。ボードにはアルファベットやイエス・ノーが書かれていて、穴のあいた板みたいなものに指を置くと、板がうごき、穴から文字が見える。このウィジャボードが明治時代日本に伝わり、こっくりさんになったといわれる。オートマティスムっていうのは、自動筆記や自動記述って意味で、霊などの存在に憑依され、自分の意思とは無関係に、なんらかの動作をおこなってしまう現象だ。ウィジャボードやこっくりさんのほか、ダウジングなどもこれにあたる」

 先生は一息に云うと、こちらを見る。

「こっくりさんの話に戻ろう、さきほど云ったとおり、西洋の降霊術が輸入され、いま現在のようなかたちになった。伝わった当初は、竹をたばねて開き、お櫃のふたをかぶせてテーブルをつくり、その上に手をのせ、どちらに傾くかで質問の答えを判断するというものだった。その、こっくりこっくりとかたむくようすから、こっくりさんとよばれるようになった、と云われている。やがて狐狗狸さん、すなわちキツネ、犬、ムジナと漢字があてられたが、この動物の種類に意味はないと云われている」

「意味がない?」

 こっくりさんという名称は、キツネを意味するものではなかったのか。

「もともと、畜生、つまり動物の低級霊とされていたものが、当て字からキツネだけを連想されるようになったんだろうな」

 ひとりで納得しながら、うなずく先生。東条が頬に手を当てながら、云った。

「でも、聖天狐さまとやらは、キツネなんだろ」

「らしいな。どうせまがいものの儀式だろう……というより、そもそもこっくりさん自体降霊術としてインチキきわまりない」

 僕はおどろいて先生の顔をまじまじと見た。一ノ瀬さんもきょとんとしている、それを確認すると、僕はおそるおそるつぶやく。

「先生は、こっくりさんを信じていないんですか……?」

「あたりまえだろう、あんな子どもだまし」

 どの口がそれを云うんだ。

「でも、霊はいるっていつも云ってるじゃないですか」

「霊は存在する、これは絶対だ。しかし、だいたいにおいてこっくりさんは霊的な現象じゃない。ちゃんといろんな科学者が証明してるぞ、あれはずっとおなじ体勢をとりつづけることで筋肉が疲弊する不覚筋動と、参加している人間の個々の潜在意識が相互に作用して、十円玉が勝手にうごいたような気になるだけだ」

「……でも、よくこっくりさんをやると、キツネに憑かれるって云いますよね。あれは?」

 一ノ瀬さんの言葉に、先生は満面の笑みを浮かべる。

「狐憑きか! もっとも有名な憑きもののひとつだな。動物系の憑きものはだいたい二種類あって、ひとつは犬、猫、馬のような人間に身近な動物、もうひとつはタヌキやヘビのような、神格化されがちな動物、キツネの場合は後者だな。キツネに限らず、動物霊に憑かれると、その動物のしぐさを真似したり、人間的な理性を失ったりするといわれている。あとは、食べ物の好みが変わる、なんてのもよく云われるな。でもほんとうは狐憑きっていうのは、キツネに憑かれたほうじゃなくて、一族代々でキツネを憑きものを受け継ぐ憑きもの筋のほうなんだが……まあそれは今回は関係ないか。……とにかく、こっくりさんが原因で霊が憑く、なんていうことは考えられない。完全にありえないとは云いきれないが……その場合はほかの要因が絡んでくるだろうしな」

「じゃあ……さっきの子が云ってた、おかしくなった子たちっていうのは、霊とは関係ない?」

 口をひらいた東条、先生は腕を組む。

「調べていないから、断定はできないな。こっくりさんとは関係がない、べつの霊がもとで、そういうふうになった、という可能性もある」

「……でも、もしその子たちが、こっくりさんとはべつのものが原因で霊が憑いたとして」

 先生も東条も、一ノ瀬さんの言葉をじっと待つ。

「だとしたら、それを除霊したっていう早乙女稚羽矢は、何者?」

 一瞬、部室がしんと静まる。

 そのとき、場違いなほどに明るい声が聞こえて、全員が扉のほうをふりかえった。

「とーじょーさん! この前云ってた漫画持ってきま……あれ」

 入ってきたのは、二年生の河西拓未くんだ。図書室の事件の当事者のひとりであり、その後も何度か部室に出入りしている。どうやら東条にそうとうなついたらしい。部屋の中央に進み、一ノ瀬さんをじっと見る河西くんに、東条が声をかける。

「たっくんじゃん、あ、漫画持ってきてくれたんだ、さんきゅ」

「……なんかみんな暗くないっすか」

 たしかに、毎度おなじみ五十嵐先生によるオカルト講座の真っ最中だったのだ、ほがらかな空気のはずがない。そういえば先生がおとなしいと思い、さっきまで立っていた場所に視線をうつしたが、そこにはだれもいなかった。なんて神出鬼没なんだ。もはや人間のレベルではない。

「そーいやさ、たっくん、聖天狐教って知ってる?」

 重そうな袋を受けとりながら、東条がさらりと口にする。河西くんは首をかしげながら、なんすかそれ、といぶかしんだ。

「宗教だってよ、最近流行ってんの。教祖がうちの生徒らしくて。三年の早乙女稚羽矢っていう」

「あー聞いたことあるような、ないような。……あ、そういや」

 河西くんがぱっと顔を上げる。

「もしかしたら、サッカー部のマネージャーがそんなこと云ってたかもしんないです。そのなんたら教がどうかしたんすか」

「依頼だよ依頼。その聖天狐教の教祖がインチキだって、あばいてほしいそうな」

「へえ……」

「でもよう、なんか霊とか関係なさそうだし、俺たちなにをしたらいいんだろうな」

「とりあえず、聖天狐教と早乙女稚羽矢について地道に調べるしかなさそうね」

 一ノ瀬さんの静かな言葉に、東条は口をとがらせる。

「調べるったって……噂を聞くかぎり、かなりの人数が関係してそうじゃねえか。そいつらを見つけたところで、おとなしく自分たちのこと教えてくれるか? こっちはそいつらのインチキをあばこうとしてるんだぜ」

 東条の云うことも一理ある。云うなれば――聖天狐教に関わるすべての人間が、イコール事件の関係者と云っても過言ではない。

「……その宗教について、知りたいんすか」

「まー、知らなくちゃインチキはあばけねーしな」

「じゃあ、俺調べましょうか」

 東条がばっと顔を上げて、河西くんを見た。一ノ瀬さんも、けげんそうな顔でそちらを見やる。

「え、いいの」

「はい、俺とーじょーさんの弟子ですし」

 師弟関係だったのか。

「そのかわり、一個おねがいがあります」

「おねがい?」

「そのなんたら教について調べてくるんで……一ノ瀬先輩、俺とデートしてください」

「え」

「え」

「え」

 思わずかたまる、もす研メンバー一同。

 一番最初に反応したのは、おどろくことに僕だった。

「えっと……か、河西くんが、一ノ瀬さんと……?」

「はい。今週末。いえ、今週じゃなくてもいいっすけど、予定が合うときに」

「はあ……」

 ふたたびかたまる僕を横目に、東条がやけに真剣な目で河西くんを見る。

「一ノ瀬とデートしたら、聖天狐教と早乙女稚羽矢について調べてきてくれるんだな」

「はい。俺、けっこう知り合いいますし、たぶんすぐ情報集まります。そういうの、得意なんで」

「信じていいな?」

「もちろん。オトコにニゴンはないっす」

 なぜか東条が右手をさしだし、なぜか河西くんはそれをがっとつかんで、ぎゅっと握る。東条は満足そうにうなずくと、高らかに云った。

「よし、たっくん。一ノ瀬とデートすることを許可する!」

「あざっす、とーじょーさん!」

「……………………………………ちょ」

 ようやくわれに返った一ノ瀬さんが、顔を真っ赤に染めながら、東条を睨む。

「なんで、あんたが、勝手に、決めてるの」

「いいだろ、減るもんじゃねーし」

「あんたねえ」

 いまにも飛びかかりそうな一ノ瀬さんを見つめながら、東条はとなりにいる河西くんの肩をがばりと抱く。

「いいか、今回の調査は、俺たちには不利だ。征継は転校してそんな経ってねーし、一ノ瀬だって知り合いがたくさんいるタイプじゃねえし、それに俺はホラ、友だちがいねえわけじゃねえけど誤解を受けやすいというか、孤高の一匹狼というか」

「ヤンキーだからだよ」

「ヤンキーだからでしょ」

「ヤンキーじゃねえ、元ヤンだ!」

 東条が吠える。

「……ともかくだ、それにくらべて俺の弟子であるこの河西拓未くんは人望が厚いし、なにをかくそうコミュニケーション能力に長けている。俺たちだけで地道に調べるよりもはるかに効率的だ」

「まあ……それはたしかに納得できるけど」

「ちょっと、ゆーきくんまで」

 急に助けを求めるような目で、一ノ瀬さんがこちらを見てくる。東条はつづける。

「それを、一ノ瀬が一日デートするだけで、この拓未くんは請け負ってくれると……安いもんじゃねえか」

「でも、あたしは」

「それともなにか、おまえはたっくんとデートできないわけでもあるのか」

 う、と言葉につまり、視線を落とす一ノ瀬さん。こころなし、耳まで赤くなっているように見える。

「もしかして、おまえ……じつは俺のことす」

 云いおえるまえに、東条の眉間にシャーペンがつきささる。速さ、正確さ、どれをとっても申しぶんない、さすが一ノ瀬さんだ。

「……わかった。引きうけるわ」

「ほんとっすか!」

 あきらめたように額をおさえる一ノ瀬さんと、目を輝かせる河西くん、そしてシャーペンを額に刺したまま、満足そうにうなずく東条。

 なんだかよくわからないが、とにかくこれで調査は楽になりそうだ。

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