理科室の人体模型は残酷に嗤う

第13話

 呪いなんて、あるわけない。

 人間を模した、不気味な人形。

その腕にそっとふれて、やっぱりなにも起きないと、そう笑って帰るはずだった。ただの迷信、安っぽいオカルト、携帯を落としたことに気づき、ひとりで取りに戻ったときですら、そう信じていた。

 それなのに。

意味もなく、ふりかえり。

あいつの無機質な目と目が合い。

 気づいたときには、俺は腹を抱えてうずくまって。

 さっきまでただの人形だったそいつの姿を、ただただ凝視する。

見上げる。その薄汚い白と赤で構成された身体が、月光にてらてら光って、なにか液体のようなものが滴っている、そんなはずはない、筋肉の繊維が一本一本照らされる。

そんなはずはないのに、だって、まるで、それじゃあ。

 本物の、人間みたいだ。

 そこからさきの記憶はない。

 ただ、どうしてか俺の両手は、どす黒く染まっていた。


     *


 五月の最後の月曜日。

 旧校舎の保健室で、僕たち三人は白い紙とにらめっこをしていた。

「進路調査アンケートって」

 古びたちいさなベッドに腰かけた部員のひとり、東条漣は紙をひらひらさせながら。

「なに書いたらいいのかわかんねえ……」

「進路調査なんだから、進路を書けばいいに決まってるでしょ」

 すました顔で、もうひとりの部員、一ノ瀬鞠亜さんはつぶやいた。今日は栗色の髪を、下のほうでふたつにしばっている。東条は口をとがらせた。

「進路たってよお……うち、親父が寺継げってうるさいんだよな」

「寺?」

「うち、寺なんだよ。観林寺っていう。知らね?」

 知ってるもなにも、僕はこの町に越してきてようやく一ヶ月が経ったところだ。首を横にふると、東条は足を組みながら云った。

「あーまあ、しゃあねえか。それにうち、本町だしな」

「ほんまちって?」

 首をかしげる僕に、一ノ瀬さんが教えてくれる。

「ここの町はおおきくふたつに分かれてるの。朝霞本町と朝霞新町」

「そ。だから、通称本町と新町。名前のとおり、本町のが古くて、新町のがあたらしい。うちの学校はちょうど真ん中あたりにあるな。うちの寺があるのは本町で、かなりむかしからあるからこのへんに住んでるやつはみんな知ってる。新町っていうのはあとから合併された部分だから、新町のやつをよく思ってない本町の連中もいる。もちろん一部だけどな」

「それで、その本町にあるお寺が東条の家、と」

「まあな。そんで、親父は俺に継いでほしいみたいだ」

「継べばいいじゃない。頭まるめればその煩悩も薄まるんじゃないの」

「まりあちゃんひどい……俺煩悩なんてとっくに捨て去ってるからッ」

「キモ。あとまりあちゃんゆうな」

 一ノ瀬さんが云いはなち、東条はショックを受けたような顔で大げさに目を見開き、舌を出す。今日もあいかわらず仲がわるいふたりだ。

「まあ、かりに継ぐにしてもすぐにじゃないと思うけどな……それよりも、寺の手伝いしてくれってうるせえ。最近寺に変な相談が多くてさ。セイテンコ教って知ってるか?」

「セイテンコ?」

 僕も一ノ瀬さんも首をかしげる。東条は真っ赤に染めた髪をがりがりとかきつつ、うなずく。

「聖なる天の狐、で聖天狐教。聖天狐様っていうキツネをまつってる宗教らしい。そんで、そこの元信者とかが、キツネに祟られたからなんとかしろって、うちに来たりすんだよな。先週だけでも三件。異常だろ」

「……聖天狐」

 ぽつりとつぶやき、考えこむようにうつむく一ノ瀬さん。東条はそれに気づいて、口をひらいた。

「なんだよ、一ノ瀬知ってたのか?」

「なんか、この学校でも変な宗教が流行ってるらしいのよね。クラスの女の子たちが云ってるのを聞いたことがある。もしかしたら、それのことかも」

「ああ……ありうるな」

 めんどくさそうに、東条は目をほそめる。そして、ふいにこちらを向くと、急に僕に話題をふった。

「征継は? 進路どうするんだ?」

「えっと……高校に進学、かな。お金の問題があるけど、奨学金でなんとかなるかもしれないし」

 とはいっても、僕はいま現在親戚の家にお世話になっているし、このさきどうなるかわからない。進学せずに、働かなくてはならない可能性だっておおいにある。

「まあ、だいたいはそうだよなあ……一ノ瀬は? 教会継がないの?」

「教会って?」

 僕が思わず聞きかえすと、一ノ瀬さんは栗色の髪をふわりと揺らせて、口をひらく。

「……うち、教会なの」

 東条の家がお寺で、一ノ瀬さんの家が教会。なんだかふしぎな偶然だ。

「継がねえの?」

「よくわからないわ。あんまりそういう話しないから。それに、そもそもうちはふつうの教会とちょっとシステムがちがうし」

「家が教会ってことは、一ノ瀬さんは……」

 云いだしてから、すこし踏みこみすぎたかと思い、思わず口を閉じる。しかし一ノ瀬さんはとくに気にしないようなそぶりで、制服の首元から、金色の鎖をとりだした。ちいさな、十字架のネックレス。

「そう、あたし、一応クリスチャンなの。でも、だからって日常生活はなにも変わらないけどね」

「そうなんだ。……一ノ瀬さんも高校進学?」

「そういうことになるのかしら。父が、高校へ行くなら桜ヶ丘にしなさいって」

「桜ヶ丘?」

「私立の女子高だよ。本町の奥にある。すげえ厳しいって噂だぜ」

 口を歪めて東条は云う。そのとき、ふいに保健室のドアが開いた。

「とーじょーさん! 事件っすよ事件!」

 目を輝かせて部屋の中に入ってきたのは、たしか前回の事件の依頼者、河西拓未君だ。小柄な体躯、短めの黒髪をつんつんと立たせて、しかしその瞳は子犬かなにかのようだ。

「お、たっくんじゃん」

「とーじょーさんお久しぶりです!」

 ほがらかに肩をたたきあう東条と河西くん。いつのまにこんなに仲良くなってるんだろう。一ノ瀬さんも怪訝そうにふたりを見ている。

 ひとしきり挨拶を終えた河西くんは僕に気づくと、こちらへ駆けより、頭を下げた。

「えっと……結城先輩、ですよね。この前はすいませんでした、自分、かんちがいしてて。てっきり、先輩は一ノ瀬さんと、って」

 なんの話か理解する前に、河西くんはちいさな声で、僕にそっと云った。

「安心してください、俺だれにも云いません! 結城先輩が、とーじょーさんとつきあってる、って」

「え?」

「いやー先輩もみずくさいなーそりゃあ俺もとーじょーさんのこと好きっすけど、やっぱとーじょーさんが一番好きな人とくっついてほしいっていうか……あ、とにかくだれにも云いませんから! あと俺やっぱり一ノ瀬さんのことあきらめません」

 早口の河西くんと、ぽかんとする僕、こちらを見ながらにやにやする東条。さては東条がよくわからないことを吹きこんだにちがいない。憤ろうとした矢先、河西くんはくるりとふりかえり、口をひらいた。

「で、とーじょーさん。じつは俺、事件持ってきたんです」

「事件?」

「はい、俺が遭遇したわけじゃないっすけど。友だちが大変な目に遭って」

 かわりに俺が、依頼を持ってきました。

 放課後の保健室に、河西くんの声が響きわたった。



「理科室に関する七不思議って知ってます?」

 一ノ瀬さんのとなり、ソファに座りなおした河西くんは開口一番、そう問いかける。

「七不思議……なんだっけかな、聞いたことはあるけど」

「――理科室の人体模型は生きている。さわると、呪われる」

「それっす、それ」

 僕の言葉に、河西くんはぶんぶんと首をふる。東条はちいさいベッドに座ったまま、のけぞるようにこちらを見た。

「なんでおまえ知ってんの?」

「一ノ瀬さんに教えてもらった」

 最初の事件の七不思議。トイレには花子さんがいる。見ると呪われる。そして次の事件の七不思議。図書室には、なにも書かれていない本がある。読むと呪われる。

「ああ……たしかになぜか最近の事件は七不思議関連ばっかだな。前はそんなことなかったのに。河童の事件とか」

「とーじょーさん河童見たんですか、ぱねえっす」

 河童の事件ってなんなんだ。

「……ま、とにかく、その理科室の七不思議に関する事件なんですけど」

 河西くんいわく。

 一年生の男子生徒が三人、理科室の七不思議を調べるために、夜中学校へ忍びこんだという。

「全員俺とおなじクラスの、ダチです。三人は理科室で、例の人体模型を発見して、そんで三人とも、かるくタッチをしたそうです」

 さわると呪われるという人体模型。

 それに、ふれてしまった三人。

「その時点ではなにも起こんなくて……なんだやっぱりただの噂か、なんて、笑いながら廊下に出たらしいです。そしたら、そのうちのひとり……多田雅和っていうんですけど、その雅和が理科室に忘れものをしたらしくて。ひとりで中に戻ったんです。そしたら、ちょっと経って、おおきな物音がして、残りのふたりがあわてて中をのぞいたら」

 河西くんは眉を寄せ。

 ためらうように視線を下げ。

 そして、ゆっくりと、云った。

「雅和が――人体模型のとなりで、笑いながら、自分の内臓をかきだしていたそうです」

 海底のように静まる保健室。

 東条は困ったような顔で、なにか云いたげにこちらを見た。やめろ、こっちを見るな。とは思うものの、自分が部長であるという事実を見過ごせない僕は、どうしても口をひらいてしまう。

「……それで、そのあとは?」

 河西くんは暗い顔で首をふりつつ。

「残りの二人が大騒ぎして、最終的に雅和は病院に運ばれました。一命はとりとめたらしいです。でも、なんかおかしくなっちゃったらしくて」

 彼らのクラスでは、この事件の噂で持ちきりだという。

「人体模型の呪いじゃないかっていうのが一番有力で、ほかにも、むかしこの土地は病院で、死にかけた患者で人体実験をしていたから、その怨念のせいだ、とか……残りのふたりは学校休んでますけど、めちゃくちゃおびえています。ふたりとも、人体模型さわっちゃったから、次は自分だって。自分たちも呪われるって」

 とーじょーさん。河西くんは太股の上にのせたこぶしに力を込めて。

「三人とも、俺の友だちなんです。とーじょーさんたちなら、なんとかしてくれるって。そう思って、今日来ました。おねがいです」

 事件を、解決してください。

 頭を下げて、ふりしぼるような声、さすがの東条もまじめな顔で河西くんをさとす。

「……調べるだけ調べてみるけどよ、どうなるかわかんねえぞ。その雅和ってやつは、もう戻んないかもしんねえし」

「わかってます。……わかってます」

 でも、と顔を上げた河西くんに、東条はうんうんとうなずいて、こちらを見た。

「いいよな、征継。この依頼受けて」

「……いいんじゃないかな、断る理由はないし」

「一ノ瀬は」

「そうね、いまのとこほかの依頼もないし」

「じゃあ決まりな」

 ――かくして。

 僕にとって三つ目の事件の幕が上がったのだ。

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