トイレの花子さんは孤独に狂う

第1話

 それは暗闇というには、あまりにも安っぽい薄闇。

 放課後独特の喧噪さえも遠のく、学園の辺境、絶えず鼻を刺激するアンモニアとかびの臭い、足下を照らせば得体の知れない液体でぬるついたタイルの床が反射して、奥へ進もうという意志を奪う。

 花子さんなんて、いるはずないよ。

 そう云いながらも、どうしてか、ここまでついてきた。いまさらあとにはひけない。ふたりには、そんな小学生じみたオカルトは存在しないのだと納得してもらわないと。じんわりとした責任感と一緒に、わたしは先頭に立つ。うしろでアキとハヅキがなにか話している。気にせずにわたしは歩く。さほど広くはない女子トイレの、一番奥まで。

 そのとき、ふいになにも聞こえなくなった。

 野球部が練習する声や、吹奏楽部のつたない演奏、帰路を急ぐ生徒たちの喧噪も全部まとめて、ミュートになる。首をかしげて、ふと横を見る。

 旧校舎の、三番目の、個室の中に。


 そいつは、いた。


     *


「……おまえ、さきに中入れよ」

 そう云って東条が僕の背中をかるく押す。

「なんで僕が」

「なんでって……そりゃおまえ、部長だからだよ」

 にかりと笑う東条の顔を忌々しげに見つめる。

 部長。

 そう。僕はこの組織──学園内における超常現象および怪奇現象研究会通称・もす研の、部長、である。

もす研というのはMOS――ミステリー・オブ・スクールの頭文字をとったらしいが、どうやら初代部長がつけた名前らしい。たしかに僕はこの部活に入ることを承諾したが、部長になるとは了承していないし、そのうえ活動内容も、僕が想像していたものとは真逆であった。

 この部活は、オカルトを科学的に批判するどころか――学校で起こったふしぎな現象を調査し、最終的にはお祓いをするなどという至極インチキめいた団体だったのだ。

 しかし入部してしまったものはしかたがない。

「ほら、はやく入れって。俺男だし」

「僕も男だよ!」

 声を荒げてから、ためいきをつく。

「やっぱり、一ノ瀬さんが来るのを待ったほうが……」

「……だな」

 東条もためいき。

 僕と東条がいるのは、女子トイレ──正確にいうと、僕たちが通っている朝霞中学校の、旧校舎一階の女子トイレ、の扉の前だ。よりによって女子トイレの扉前で喧嘩をしているのには意味がある。

 あれは、昨日のことだ。



 学園内における超常現象および怪奇現象研究会通称もす研の活動内容は、生徒による依頼を調査することだが、調査内容は団体名のとおり、学園内で起こった超常現象および怪奇現象――いま現在の研究会構成員は約三名。

 東条漣。三年、男子。

 一ノ瀬鞠亜。三年、女子。

 そして、僕──結城征継。三年、男子。

 約三名、というのは、もうひとり部員ではないが部員のようなひとがいるからである。

 二週間ほど前。

 僕はそのひとに誘われこのあやしげな団体に入れられた。もちろんこの組織は学園では非公式なもので、しかしだからといって部活動をさぼるのはけしからんと思うので、僕はしかたなく毎日部室へ通っている。

 部室というのは、旧校舎にある保健室のことだ。

 ここはいまは保健室として使われてはいない、そもそも旧校舎自体使われていない。理由はわからない。しかし薄暗いとはいえ電気もつくし水道もつながってるし、そんなに問題はない。そんなこんなで、研究会創立以来ずっとその保健室を勝手に部室としてつかっているらしい。

 そんなあやしげな保健室に、あやしげな団体。いくら研究会を謳ったところで、依頼者など来るわけがない。そう高をくくっていた。

 しかし。

 僕がこの団体に入れられてから約二週間後の五月十三日、その少女は来た。

「原西亜希といいます。二年生です」

 ふたつにしばった肩までの髪、その女の子は緊張のせいか、声と足がふるえていた。

 部屋にいるのは僕と東条と一ノ瀬さんの三人。

 僕はパイプ椅子に座り、原西さんと一ノ瀬さんは古ぼけたソファ、東条はいつもの特等席であるちいさな剥きだしのベッド。五時間目が終わってすぐだったが、電球が古いせいか室内は明るいとはいえない。

 原西さんは云った。

「あの、ここのことは、その……友だちから聞いて。ことがことだからどうしようって思ったけど……でも、やっぱり助けてもらったほうがいいって。それに、東条先輩がいるって聞いたから……あの、あたし、去年燐ちゃんとおなじクラスで何度か話したことがあって」

 燐ちゃん、というのは東条の知り合いかなにかなのだろうか。東条の顔色が一瞬だけ変わった。しかしすぐに笑顔になり、やさしげな声で云った。

「原西さん。……いや、亜希ちゃん。それで、いったいなにがあったの? 話してくれるかな」

「は、はい」

「ちょっと、東条」

 一ノ瀬さんが東条を睨んだ。一ノ瀬さんこと一ノ瀬鞠亜さんは僕や東条とおなじ三年生の女子生徒だ。くるくるとした肩よりすこしながい髪を下ろし、耳の上に星のついたヘアピンをしている。

「亜希ちゃん、こわくなかった? ごめんね。あいつ見ためそうとうこわいでしょ」

「あ……えっと、その、だいじょうぶ、です」

「だいじょうぶって云ってんじゃねーか」

「うっさい」

 一ノ瀬さんは東条を一瞥する。たしかに女の子はこわがるだろうな、と僕は東条を見る。えりあしのながい真っ赤な髪、そのうえピアス。

「だいたいねえ、あんたいくつ校則やぶれば気がすむの?」

「また始まったよーまりあちゃんの小言」

「まりあちゃんゆうな。……とにかくね、もうすこしちゃんとしなさいってば。依頼してくる子たちだって、あんたの姿見たらおびえちゃうでしょ? チャラすぎんのよ」

「だって元ヤンですもーん」

「あの……ふたりとも、原西さんの話を聞いたほうがいいんじゃ……」

 おそるおそる僕は口をはさむ。東条と一ノ瀬さんはどうやらむかしおなじクラスだったらしいが、そのわりには喧嘩ばかりだ。一ノ瀬さんはためいきをつくと、気まずそうに微笑む。

「そうね。……ごめんね、亜希ちゃん。えっと、それで話してくれる?」

「あ、はい……」

 原西さんはうなずくと、握っていた手に力を込め、そして顔をすこし上げる。

「あの、この学校の七不思議、知ってますか」

「七不思議?」

 東条が首をひねる。

「あれでしょ? 音楽室のピアノとか、理科室の人体模型とか」

 一ノ瀬さんの言葉に原西さんはうなずいた。

「はい。その七不思議のうちのひとつが、旧校舎のトイレには花子さんがいる。見たら呪われる、ってやつなんですけど……」

「花子さんねえ」

 のんびりとした東条の声。それにしても聞きずてならない。その花子さんが出るってトイレ、僕たちが部室としてつかっているこの旧校舎のトイレじゃないか。

「それで、一週間くらい前に、その、友だちふたりと、そのトイレに行ってみたんです」

「肝だめし?」

「いえ、そこまで大それたものじゃ……放課後だったし、やばそうだったらすぐ帰ろうって。そんな感じで行ったんです、あたしを入れて、全部で三人で」

 暮れかかった陽が差しこむ放課後。といっても、旧校舎のことだから、そのトイレとやらはそうとう暗かっただろう。

「気味はわるかったですけど。なにもなかったし、帰ろっかってなったんですけど……」

 原西さんは息をつき、僕たちをちらりと見ると、ためらいがちに言葉を発する。

「友だちのようすが、おかしくなったんです」

「友だち?」

「はい。桐島さんっていう子が、急に笑いだして……それで、なにかぶつぶつ云いはじめたんですけど、なに云ってるのかよくわからなくて」

 最初はふざけているのかと思ったそうだ。

「でも、その子、ふざけてそんなことするような子じゃないんです。いつもまじめで。その日だって、こんなことしてもなんにも出ないよってずっと云ってて。でもあたしたちがむりやり……それで」

 どうしたらいいのかわからず、パニックに陥った原西さんと、もうひとりの友人の前で。

「桐島さん、いきなり便器に顔をつっこんだんです」

 静寂。

 原西さんは泣きそうな顔でうつむき、一ノ瀬さんは眉間を寄せて口元に手を当てている。東条は場をなんとかしようとしてか、おもむろに口をひらいた。

「えっと……そ、それで?」

「そのさきはあんまり覚えてなくて……あたしも、もうひとりの子も、気持ちわるくなって、こわくて……それで、走ってその場から逃げました。桐島さんをおいて……そんなのだめだってわかってたんですけど、でも、とにかくそこにいたくなくて……」

 原西さんの目元からぽろりと涙がこぼれた。一ノ瀬さんはそれに気づくと、原西さんの手を握る。ゆっくりと背中をさすった。

「だいじょうぶ? すこし、休んでも……」

「だいじょうぶ、です。……それで、次の日、なんとか学校へ行ったんですけど、桐島さん、ふつうに学校に来てたんです。だからやっぱり昨日はふざけてたんじゃないかって。そう思って……それで、逃げてしまったことを謝ったんですけど、桐島さんなんにも覚えてなくて。……トイレに行ったことすら覚えてないんです。もう、なにがなんだかわからなくて」

 目元を手の甲でぬぐうと、原西さんは顔を上げる。

「でも、それ以外はおかしいところはなかったんです。だから、ようすを見ようってもうひとりの子と決めて、その日一日桐島さんのことをずっと見てたんですけど……その」

「……なにかおかしいことが?」

 東条の問いにこくりとうなずくと。

「桐島さん、休み時間ごとに、どこかへ移動してたんです」

 原西さんは声をひそめる。

「最初はトイレかと思ったんですけど、休み時間ごとはさすがにおかしいって思ったんです。それで、もうひとりの子と、あとをつけてみたら……」

 ――旧校舎に、行っていたんです。

「それって……」

「あたしたち、こわくなって、だから桐島さんが旧校舎に入るところまでしか見てません。でも、絶対旧校舎の、トイレに行ってたんだと思います。……桐島さんきっと、花子さんに取り憑かれちゃったんです」

 花子さん。

 その、どこか時代錯誤な単語を。

 原西さんはとても真剣な顔で。

「おねがいします。……桐島さんを、もとに、戻してください」

「……話はなんとなくわかったけど」

 すこし気まずそうに東条は云う。

「その、桐島さん……が、どうして花子さんに取り憑かれたって思うの?」

「それは……」

 原西さんは唇をかむと、膝上のこぶしをきゅっと握って、云った。

「桐島さんの名前。カコ、っていうんですけど」

 カコ。

 すこし古風だが、きれいな名前だ。

「華子、って書くんです。だからきっと、花子さんに魅入られちゃったんです」

 あたしたちが、むりやりあそこにつれていったせいで。

 まるで、懺悔をするように。

 原西さんは、そうささやいた。

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