アフタースクール

藤宮 南月

序章

「……東京都の中学から転校してきました。結城征継です。よろしくおねがいします」

 僕が言葉を発しても、教室の喧噪はやまず、それどころかすこしボリュームを増したようだった。ざわつく音、無数の視線が僕を射る、そうしてうっすらとした品定め。転校生だから見られているだけだ、そう云いきかせても、背中からはつめたい汗が流れる。

「じゃあ結城くん、そこの空いてる席つかって」

 担任の加納先生が、窓際の机を指さす。僕はちいさくうなずき、移動した。与えられた席に腰かけたときにはもう、クラスの興味は僕からそれたようだった。眼鏡、黒髪、指定のシャツのボタンをひとつも開けない、そんないでたちの転校生だ、正直がっかりしたのだろう。しかし、無事最初の儀式を終えた僕はただひたすら安堵の息をつく。おちついてから、ジョークめいた言葉のひとつやふたつ云うべきだったかとすこし後悔した。そのほうがもっと、クラスの雰囲気になじめるのではないか。そうすれば、きっと前みたいには。

あれこれ考えていた僕は、となりの生徒の視線に気づくのにたいそう時間がかかった。

「なあ」

 声をひそめて。僕に話しかけるその男子生徒の見ために、思わずひるむ。

 えりあしのながい、炎のように真っ赤な髪。ピアスだろうか、耳元が無数に光る、シャツのボタンはふたつはずれ、校則で決まっているネクタイの姿はない。

 これが、不良というやつか。

 僕がかたまっていることも気にとめず。その男子生徒は気だるげな目元をほそませ、犬みたいに笑って云った。

「おまえ、幽霊とか信じる?」

「……………………………………は?」

「つーか、もしかしてそういうの見える? なんかおまえ、どっちかっていうと俺たちに近いようなにおいすんだよな……放課後、時間ある? 会わせてえやついるんだけど」

 屈託のない笑顔。

 しかし、その姿はどう見ても、不良。僕は視線をふせると、ささやくように云った。

「幽霊なんて、いない」

「…………へえ」

 赤毛の生徒はおどろきと好奇心をないまぜにした目で、僕を見る、そしてちいさく云った。

「俺、東条、漣」

 幽霊で困ったら、俺に云えよ。

 よくわからない一言とともに、となりの不良――東条は、机に突っ伏して、すこやかに寝息を立てはじめた。



 三歳のときに両親を交通事故で失い、それからずっと祖父母に育てられてきたが、先日その祖父母が亡くなった。

 しばらくは遠縁の親戚の家に世話になっていたが、東京の中学になじめずにいたところ、親戚が埼玉に転勤することとなり、僕も一緒につれられてきた。しかもいろいろとごたごたがつづき、中学三年生の四月下旬という微妙な時期の転校だったが、僕にはむしろ、またとない幸運だった。あたらしい土地で、あたらしい生活を築けるのだ――そう思っていた矢先の、不良。しかし朝の会話以降、東条は僕になんの接触もしてこなかった。放課後までは油断できないと思ったが、いざ授業が終わると、東条はいつのまにかいなくなっていた。杞憂だったのだ、と結論づけ、僕は教室をあとにする。

 ここ、朝霞中学校は、前の学校ほどではないが、しかしそこそこ規模のおおきい学校のようだ。朝、クラスに行く前にざっと担任の加納先生に建物を案内してもらったが、中庭を取り囲む巨大な本校舎のほか、そことつながる文化棟、体育館、剣道場・柔道場、卓球場、すこし離れた場所には五十メートルプールがあり、敷地もかなり広かった。まだ時間もはやいし、今後の学園生活のために校内の地理を頭に入れたほうがよかろう。そう思って、僕は教科書で重みを増した鞄を持ちなおし、本校舎のまわりをうろうろとまわりはじめた。

職員室、保健室、理科室を外側から眺めながら進むと、本校舎と文化棟をつなぐ廊下に突きあたる。ドアがひらいており、通りぬけできるようになっているらしい。そこを通りすぎようとし、思い直して、文化棟に入ってみた。かすかにひとの気配がする。美術部かなにかが活動をしているのだろう、あわてて棟から出ようとしたとき、ふいに窓から外を見た。

 文化棟の奥に、もうひとつ、ちいさな建物がある。

 この建物とおなじく木造だが――もっとはるかに年季が入っていそうだ。二階建てのほそながいその校舎は、白いちいさな窓がたくさんついており、彩度の低い赤の屋根を、生いしげった樹木がところどころ隠している。

 ここは案内されなかった。おそらく使われていない校舎なのだろう、そう思いながら文化棟から外に出ると、僕はそっとその古い校舎に近づいた。足を進めるたび、濁ったような、ほこりっぽい空気が鼻をつく、どこか不衛生で、それなのにどうしてか歩くことをやめようとは思わない。

 校舎の真ん前に来たとき。

 ふわりと、煙草のにおい。

 つづけざま、気配を感じて――僕は左を向く、そびえるような太い桜の木の下にひとがいた。

 背の高い女のひと。

 白衣を着ている。ひとつに結ったながい黒髪が風になびいて、つりめがちな目元、視線が地面から僕へとゆっくりうごく。

 きれいだ、と。

 一瞬見とれてしまった僕は、あわてて視線をふせる、胸の鼓動をおさえながら。ごまかすために、口をひらいた。

「この校舎って、いまは使われてないんですか?」

「……………………え?」

 女のひとは、おおきな瞳がこぼれそうなほど目を見開いて。それからすたすたと、こちらへ向かって歩いてきた。聞こえなかったのだろうか、僕はもう一度質問をしようとしたが、それを阻むように、女のひとは右手を僕の前にかざして、ひらひらとふった。

「あの……なにしてるんですか?」

「え? いや、えっと……確認?」

 それからすっと手を戻し、女のひとは、にかりと笑う、その豪快な笑みに、さきほどまでの人間離れしたしとやかさはどこにもない。

「いまのは忘れてくれ、なんでもない。……ところで君は、もしかして転校生かな」

「え? あ、はい」

「部活動はもう決めたかい?」

「いえ……」

 そもそも部活動には入らないつもりなので、という僕の言葉をまったく聞かずに、女のひとは歓声をあげた。

「それなら話ははやい! 来なさい、いい部活を紹介しよう」

「え、ちょ」

 手をぐいと引っぱられ、僕は古い校舎の中にぐんぐんと引きずりこまれる。

 気づけば、ちいさな教室の中にいた。真ん中に安っぽいソファ、端には簡易的なベッドがあり、シーツやカーテンには薬品のようなにおいが染みついている、ここは――保健室だ。

 そしてその保健室の中に、ひとがふたりいた。

 ひとりは女子生徒だ。肩までのびた栗色の髪、ソファに座り、きつめのおおきな目でこちらをじっと見ている。

 もうひとりは男子生徒で――赤い髪に、着くずした制服、ひとなつっこいその顔には覚えがある。

 ――クラスメイトの、東条だ。

「ほらな! 絶対来ると思ってた。云ったろ? いやあ、やっぱ俺の力もまだまだ現役だな」

 東条が僕を指ししめしながら、となりの女の子に云う。しかし女の子はそれをばっさり無視すると、僕のとなりで笑顔をうかべる女のひとに云った。

「先生、あたらしい部員ですか?」

「そうだ! われわれもす研のあたらしい部員だ! 仲よくしてやってくれ」

「そう。よろしくね」

 女の子に会釈され、僕はようやく我に返る。

「ちょ、待ってください! 部員ってなんの話ですか? 僕はなにも」

「ちなみに君、部長な。東条よりまじめそうだし」

 いやいやウィンクしながら云われても。

「これ、部活の勧誘ですか? 僕は入りませんよ」

 ようやく僕が自分の意思でここに来たわけではないことに気づいてくれたのか、栗色の髪の女の子がけげんな顔で云った。

「五十嵐先生、もしかして説明してないんですか?」

「はて……なんの話かな……」

 先生とよばれた女性は、舌を出して明後日の方向を向く。

「あと、東条、あんたも、きちんと説明したって云ってたわよね?」

 女の子はくるりとふりむき、ベッドの上に腰かけている東条を睨みつける。東条はごまかすように口笛を吹いて、顔をそむける、そのようすにためいきをつきつつ、女の子は云った。

「いろいろごめんなさい。あたしはまりあ。一ノ瀬鞠亜。ここはもす研って云って……学校非公認の団体……というか部活で……実質的な顧問はそこにいる五十嵐先生で、部員はあたしと東条だけで……だからその、人手が足りないというか……あ、でもむりには入らなくていいの。興味があれば話はべつだけど」

「なんだよ、おまえも入ってほしいんじゃねえか」

「うるさいアホ東条、……とにかくね、えーっと」

「結城です。結城征継」

「そう。ゆーきくん。……今日のことは忘れていいから。先生や東条の云うことは気にしないで。だれだってこんな、いまはつかわれていない校舎の一角を部室としたあやしげな団体に入りたくはないわよね。しかもこの保健室なんてほこりっぽいし……あ、でも、そんなにわるい部活でもないのよ、普段の活動はこの部室で談笑したり、学術的な討論をしたり、いたってまじめな部活なの」

「はあ……」

 女子生徒――一ノ瀬さんの、僕を入れまいとするやさしい言葉から、僕を入れようとする本音がにじみでている。しかし、普段の活動が意外とまじめなことに僕はすこし興味をいだいた。

「念のため聞きますけど……どういう部活なんですか?」

 一ノ瀬さんは、口をひらいた女のひと――五十嵐先生を制して、微笑む。

「いわゆる疑似科学を各自調査研究して、発表し討論する部活よ。疑似科学はいわばオカルトみたいなもので……そういうのを……そうね、科学的、現代的な見方で批判していくの」

「そう。そうなんだ、君はまじめそうだし、頭もよさそうだし、そういうのにぴったりだと思うんだよ」

 五十嵐先生は、急にわざとらしく声をあげる。

「そうだ、こういうのはどうだ? ためしに入部してみるというのは」

「ためし……?」

「そう。つまらなくなったり、合わないなと感じたらやめればいいんだ。そもそも学校非公認だから簡単に退部できるぞ。どうかな。むりにとはいわないが」

 僕の肩をがばりと抱き、五十嵐先生は顔を近づける。

「それともなにかな? この部活に入れない理由でも?」

「いや……それはないですけど……」

 まずい、流される。こんな古い校舎でこそこそと活動している団体がまともなはずはないのに。

「部活は楽しいぞお、部活は青春だ!」

 ぐっとこぶしを握りしめ、五十嵐先生は華のような笑みを浮かべる。



 そうして、気づけば僕は入部を承諾していたが。

 なにもかもだまされていたと気づくのに、そこまで時間はかからなかった。

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