第2話 はじめてのダイエット

「いい話とわるい話があります」

 マジカルマカロン学園。職員室。

 担任の鬼瓦今日子ことガワラちゃんの言葉に、安倍川かの子と片桐凪子は耳をかたむける。

「なんだよそれ……もったいぶらずに早く云えよ」

 内心何を云われるのかドキドキしている凪子は、思わず語気を荒げる。対照に、かの子はいつもどおりにおだやかだった。

「いい話……もしかして食堂に新メニューですか?」

 ガワラちゃんは、白い肌によく似合う赤縁眼鏡をくいっと指で持ちあげ、ほんのすこしだけ微笑む。

「まずは悪い話……転校初日、ふたりには簡単なテストを受けてもらったけれど……結論から云うと、あなたたちの成績は最悪ですね」

「……」

「それとも、食堂のケーキの種類が増えたりするんですか?」

 沈黙する凪子と、話を聞かずに食堂に思いを馳せるかの子。

「次にいい話。特別に手配して、あなたたちを一時的に特待生クラスへ配属させることにしました」

「……特待生クラスぅ?」

「この学園には、すでに魔法少女として街を守っている、ほかの学生たちよりも優秀な生徒が数名います。彼女たちが所属するのが特待生クラス。あなたたちには、そこで魔法少女の基礎から学んでもらおうと思います。綾小路さんという、一年生でありながら優秀な魔法少女がいるから、ひとまずは彼女に会ってくださいね。きっと支えになってくれます」

「はあ? そんなの勘べ……」

「わあ! 楽しそう。わたし、頑張ります!」

「おい待て待て待て」

「特待生クラスの校舎は学園の端にあります。あとこれをあなたたちに……」

 かの子と凪子にひとつずつ。

 ガワラちゃんはちいさな箱を渡す。中には、色違いの口紅が入っていた。

「リップ?」

「魔法少女は変身するときに、アイテムを使うの。この学園のラボで開発された、女子力を増大させるものです。まだ変身はできないかもしれないけど、いずれ必要になるでしょうから、さきに渡しておきますね」

 そして、息をつき、ガワラちゃんはそっとかの子の手をにぎる。

「安倍川さん。心配しなくても、あなたならきっと出来ます。わたし、あなたには期待しているんです。なんといっても、その豊満なバスト……」

「おいコラ教育者がなんてこと云ってんだ!」

「ありがとうございます! よく云われます」

「おまえもすこしは怒れ?」

「片桐さん」

「うあ」

 ガワラちゃんは、今度は凪子の手を包み込み、どこか真剣な表情で顔を覗きこむ。

「片桐さん。あなただって……」

「な、なんだよ……」

 中身が最悪とはいえ、黙っていればとてつもない美人の鬼瓦女史に見つめられ、凪子は思わず身体がこわばる。ガワラちゃんは云った。

「おっぱいはないけど、お尻のかたちはとてもよいと思います」

「ドタマかちわるぞコラァ!」

「そういうわけですから、今日から、特待生クラスで頑張ってくださいね」

「はーい! 頑張ります!」



「それにしても、ナギちゃん、なんだかんだ学校に来ててエロいね……じゃなくてエラいね」

「わざとだろその云いまちがい」

「もしかして、ほんとは魔法少女になりたいの?」

 教科書が詰まった段ボールを抱え、かの子と凪子は学園のはずれを目指して歩いていた。転校初日とはちがい、ふたりともこの学園の制服を身にまとっている。襟元には茶色いリボン、クリーム色のワンピースに、学年で色のちがう上着はボレロタイプ。一年生の色は濃いめのピンクだ。

「ちげえよ……あたしは前に云ったとおり、こんな学校やめてやる。でもよ……転校して早々にやめるのも、か、かっこわりいじゃねえか」

「へえ」

「質問したんだからちったぁ興味を示せよ! ……とにかく、なんかこう、切りがいいとこですぱっとやめてやるから、あたしのことはかまうんじゃねえ」

「ねえ、特待生クラスってここじゃない?」

 立ち止まるかの子につられ、凪子も歩みを止める。

 目のまえには、小ぶりな門。たしかにそこには特待生クラスという看板が見える。

「失礼しまーす」

 なんの物怖じもせずに中へと門を開けるかの子。

「おい……いいのか勝手に入って」

「だれかいませんかー?」

 入ったのはどうやら、裏門のようだ。庭のような場所に出た。

「あら……だれですの」

 その突如現れたロイヤルな庭園の真ん中で。

 フリルたっぷりのパラソルの下。

 優雅な手つきで、紅茶のカップを下ろす。

「わたくしのアフタヌーンティーを邪魔するなんて……ポイズンですわね」

 綾小路直織。

 特待生クラス唯一の一年生が、そこにはいた。

「アフタヌーンティーつうかまだ十時前だぞ……いや、それよりもあんた……ポイズンってどこかで……」

「すいません!」

 めずらしく強い口調で前に進み出たかの子に、凪子は息を呑む。しかし、その口から出た言葉は、案の定いつもどおりだった。

「そのスコーン一口いただいてもいいですかっ?」

「おいバカ、明るく物乞いすんじゃねえ!」

「……あなた方は?」

 許可を得ていないにもかかわらず颯爽とスコーンを口にほおばりながら、かの子はもしゃもしゃとしゃべる。

「初めまして! わたし、安倍川かの子っていいます。もぐう……チャームポイントは赤いカチューシャで……むぐむぐ……この子はお友だちの片桐凪子ちゃんで、チャームポイントは……えっと……金髪? かなあ……ちょっと前まで染めっぱなしでちょっとだらしなかったんですけど、最近染め直してちゃんとした金髪になったんですよお」

 話が一向に進まなさそうな雰囲気を感じとった凪子は、しかたなく口を開く。

「……あたしたちは、ガワラに云われてここに来た。綾小路って生徒がいろいろ教えてくれるらしいんだが……あんたが綾小路か?」

「ええ。そうですわ」

 少女は立ちあがる。

 揺れる髪は赤味の強いチョコレート色。ほそいリボンでふたつに結い、毛先をかるく巻いている。

「わたくしは綾小路直織。……そう。あなた方が」

「あとさ……あんたあの……なんとかベリーだよな? このまえ、商店街で会ったんだが」

「え、なにいってるの、ナギちゃん。ポイズンベリーがそのへんにいるわけないよ」

「ええ、いかにもわたくしが、魔法少女ポイズンベリーですわ」

「ですよね! そうだと思った!」

「ちょっとおまえ黙ってろ」

 凪子はかの子の口を手でふさぐ。直織はじっとふたりを見ると、云った。

「そう。あなた……あのときの雌豚ですわね」

「だから……雌豚はやめてやれって云ってんだろうが」

「あら。豚に豚と云ってなにがわるいんですの?」

 くすり。

 口元にかるく指を当て、直織は微笑する。

 その姿は美しく、凛として。

 かの子や凪子と同じ制服をまといながらも、圧倒的にちがう。

 ――この少女は、本物の魔法少女だ。

「いいですわ。お座りなさい」

 直織はパチンと指を鳴らした。

「さっそく魔法少女がなんたるかを教えてさしあげますわ」

 ふたりの背後に、無音で忍び寄る数多のメイドたち。あっという間に、椅子に座らされ、目のまえには紅茶やら小さなケーキやらが並びはじめる。

「うお、なんだこれ!」

「……セバスチャン」

 おどろくふたりの前で、直織は手をかるく叩く。かの子はケーキを口に入れながら、無邪気な声を出した。

「すごいねナギちゃん、セバスチャンだって! やっぱ特待生クラスにもなると、執事さんがつくんだね! ロマンスグレーのおじいさんかなっ?」

「はい、お嬢さま」

 すっと歩み出たのはどう見ても女性。

 凪子は思わずつぶやく。

「セバスチャンなのに女?」

「あら、このメイドはセバスチャンではなく、瀬庭須ちゃんですわ」

「メイドの瀬庭須です。以後、お見知りおきを」

「まぎらわしいことしてんじゃねえよ!」

「瀬庭須、ホワイトボード」

「はい」

 メイドの瀬庭須は、よどみない動作で指示されたものを持ってくる。英国庭園、アフタヌーンティーの真ん中に、ホワイトボード。シュールだった。

「では、お耳をかっぽじってお聞きなさいな」

「はい、先生。あと、ケーキのおかわりください!」

「おまえ胃袋ごとからみとられてんじゃねえよ! 気をたしかに持て!」

「わたくしの名前は、さきほど伝えたとおり、綾小路直織ですわ」

 直織はホワイトボードにちいさく、「あやのこうじすぐり」と書く。意外と丸文字だった。

「日本に四つしかない財閥のうちのひとつ、綾小路財閥の娘ですのよ」

 ふふん、と鼻で笑いながら、「あやのこうじざいばつ」と書く。やっぱり丸文字だった。

「このクラスは、特待生クラスといって、この学園でもっとも優秀な生徒たちが集まっていますのよ。三年生がふたり、二年生がひとり、そして一年生が……このわたくし。いまは実質的なトップは三年生のふたり、心中桜とリトルジャスティスですけれど、いずれこのポイズンベリーが追いぬいてみせますわ」

 ホワイトボードに「りとるじゃすてぃす」「しんじゅうざくら」と書き、その上に矢印をのばして、「おいぬく」と書く。凪子はだんだん頭が痛くなってきた。かの子はひたすら食べていた。

「魔法少女はご存じのとおり、女子力で変身する、特別な少女たちのことですわ。女子力は……その……なんかそういったアレですわ」

「ふわっふわしてんな」

「だまらっしゃいな!」

 突然憤怒した直織に、凪子はびくりとなる。なんかもう早くも帰りたい気持ちになってきた。かの子はとにかく食べていた。

「この学園では女子力を向上し、魔法少女に変身し、そして戦う技術一連を身につけますのよ。しかし、凡人であれば、そもそも変身すらできない。変身しても、満足に戦えない……そんな己を叱咤するも……絶望の淵から抜け出せず……精神は後退し……やがて魔法少女は……」

「おいストーリーテラーになってんぞ、戻ってこい」

「そうそう、変身するにはアイテムが必要ですのよ。持ってらして?」

「はいはい! 持ってます! リップクリームです!」

 ケーキをもごもごしながら、かの子は元気よく、ガワラちゃんにもらった箱を見せる。

「そう、リップ。わたくしはこれですわ」

 直織がちらりと見せたのは、品の良いアイシャドウ。魔法少女によって、アイテムはちがうらしい。

「そのアイテムを持ったまま、女子力を極限まで高めると変身しますのよ。そのとき、衣装も自動で替わるのですけれど……」

 突然言葉を切り、直織はかの子をじっと見る。

「瀬庭須ちゃん」

「はい、お嬢さま」

「あれを」

「はい、お嬢さま」

 瀬庭須が持ってきたのは、一着の服。簡単なつくりのワンピースだ。

「なんだよ、それ」

「変身したあとの衣装は人によってちがうのですけれど、総じてサイズが小さめですわ。魔法少女たるもの、だらしない身体ではいけないのですから当然ですけれど。こちらのワンピースは、魔法少女の衣装の標準サイズですわ。……瀬庭須ちゃん、これをあの雌豚に着せなさい」

「はい」

 ワンピースを持ったまま、瀬庭須はあざやかな動きでケーキをほおばる雌豚ことかの子にちかより、制服をはぎとり、手にしていた服を着せる。プロの技、職人の技だった。

「あれ? なんか服が変わってる」

「おい、おまえ……」

 凪子は思わず、目をそらす。

 どこからどう見ても。

 かの子にとって、そのワンピースはぱっつんぱっつんだった。

「やはり……思ったとおりですわね」

 直織はうなずく。

「これでは、変身できたところで、とても魔法少女にはなれませんわ」

「くっそ……否定できねえ……」

「あ、ねえナギちゃん。そこの苺のやつすごい美味しいよ」

「おまえは話を聞け! 食うのをやめろ!」

「あっ」

 苺のケーキを取ろうと、すこし腕を伸ばした瞬間。

 前開きのワンピースの、そのボタンがブチブチブチと、はじけ飛んだ。

「あれ? ボタンとれちゃった……まあいっか」

「まあよくねえよ!」

 大破したワンピースから覗く、花柄のブラに包まれたこぼれんほどの胸元に、思わず凪子は目をそらす。

 直織はなにもわかっていない当事者――かの子を見ると、ふふ、と笑って云った。

「あなた、魔法少女ではなくて、チャーシューでも目指したほうがよろしいのでなくて?」

「な……!」

 あまりの言葉に、かの子ではなく、凪子が激昂する。

「チャーシューの世界でしたら、一瞬で特待生になれますわ」

「……おい、かの子」

「ふえ?」

 胸元を露出したまま、苺のケーキをほおばるかの子に、凪子は静かに云う。

「おまえ、何キロだ」

「なにが? 学校から自宅までの距離?」

「体重だよ、体重!」

「ええ……云うの恥ずかしいよ……」

「体重云うより恥ずかしい格好してるから安心しろ!」

「まあいいけど……六十キロ」

「へえ、ろくじゅ……え、六十」

 想定より多い数字に、凪子は思わず真顔になる。

「いや、六十でもいい。……おい、綾小路」

 凪子は立ちあがると。

 直織に向かって、云いはなつ。

「二週間後。こいつは十キロ痩せる」

「……あら、ずいぶん強気ですのね」

「てめえはあたしを怒らせた。あたしはやるときゃやる女だ。ぜってえこいつを痩せさせてみせる」

「頑張って、ナギちゃん!」

「頑張んのはてめえだ、現実を見ろ!」

 そして凪子は、直織を睨みつける。

「とにかく。こいつが痩せたら、その雌豚だなんだっていうのはやめてもらうかんな」

「……ま、せいぜい頑張りなさいな」

 どこ吹く風の直織。凪子はイラッとしながらも、かの子の首根っこをつかみ、ひきずりはじめる。

「行くぞ、かの子。やってやろーじゃねえか」

「あ、でもガトーショコラが」

「いいから行くぞ! 今からダイエットだ!」

 特待生クラスの庭園からふたりが去ったあと。

 メイドの瀬庭須は、ぽつりとつぶやく。

「……お嬢様も、お人がわるい」

「あら、なんのことかしら」

 瀬庭須は答えない。直織は紅茶を一口含むと、赤い唇をふっと緩ませて云った。

「楽しみね。……さあ、どこまでのし上がってこれるかしら」



「いいか。朝昼晩、三食きちんと食べろ。ただし、すべて規則正しい時間に。朝と昼はたくさん食え。炭水化物や肉は昼間に食っとけ。でも夜は野菜中心で軽めにしろ。といってもおまえは聞きゃあしねえだろうから、今日から毎晩夜飯はうちの店に来い。あたしがつくる。といっても、ちゃんと金はもらうからな。間食は禁止。あと、早寝早起きをしろ。そんで、おまえはまず歩き方と姿勢をなんとかしろ。猫背過ぎる。毎日ジョギングをさせたいとこだが……最初はとりあえず早足で歩くことから始める。まずは身体をうごかすことに慣れろ」

「はい先生! 質問です」

「なんだ」

「深夜二時にポテチ食べるのはありですか?」

「ありなわけねーだろおまえいっぺんこの話アタマから読み直せ!」

 怒り心頭すぎて凪子は思わず発言がメタになる。

「ええーめんどくさそうだしやだよお」

「おまえ、そんなんじゃ一生あのボディコン新体操野郎に雌豚扱いされて、魔法少女になれずに死んでいくぞ! それでもいいのかよ!」

「よくない……よくないよ!」

「だろ! よくないよな!」

「でも、ポテチは食べたいよ!」

「……じゃ、じゃあ二週間後! せめて二週間後に食おう! 二週間だけ耐えろ、そうすればポテチ食っていいから!」

「わかった! 頑張る!」

 えてして、鬼コーチ凪子のもと、かの子のダイエットが幕を開けた。

 毎日、体重や体脂肪率などを計測し、グラフ化した。その日の体調を鑑みて、必要な栄養素を含んだ最適な料理を、凪子はつくった。朝は出来るだけ白米を食べ、頭をはっきりさせる。直織は魔法少女の歴史に関する本をふたりに渡し、毎日レポートの課題を出してきた。そのレポートを仕上げるあいだも、貴重なダイエットの時間だ。かの子は座っているあいだも、ほんのわずかに足を浮かせ、腹筋を鍛えた。それはそれは過酷な運動だった。

「ポテチ……」

 早くも二日目から、かの子はポテチ、としか口にしなくなった。

「ポテチ……」

 三日目。かの子の眼光が鋭くなった。

「ポテチ……」

 一週間が経ち、成果が目に見えてきた。かの子のフェイスラインは当初よりもすっきりし、足取りも軽かった。かわりに、ポテチ、以外の日本語を口に出来なくなった。

「ポテチ……」

 十日後、声が二オクターブほど低くなった。しかし、かの子は見る見る美しくなっていった。同じような生活をしていた結果、もともと痩せすぎであった凪子も、さらに痩せた。というかやつれていた。

 そして。

 二週間後。

「ポイズン野郎!」

 日課のアフタヌーンティーに、乱入し。

「やったぜ……ついにやったぜ!」

 六十キロだったかの子は、今までの怠惰な生活から一変、すこし健康的な生活を送っただけで、四十五キロにまで体重を落としていた。肩に掛かる甘い色の髪はこころなしいつもよりもつややかで、肌はほのかに上気し、すらりとのびた手足は、まるで欧米人のようだった。

 直織は紅茶のカップを芝生の上に落として、云った。

「だれですの、それ」

「お久しぶりですね、綾小路さん。わたし、安倍川かの子です」

 しとやかに挨拶をするかの子。かつてのマシュマロのような声ではなく、鈴の音のような、響き渡る声だった。

「すげえだろ。なんでかわかんねえけど別人みたいになっちまったぜ」

「別人みたいっていうか、それ別人ですわ。声ちがいますもの。CVちがいますもの」

「ま、とにかく。こっちは約束守ったんだ。そっちも守れよ。……もう二度と、雌豚なんて云うな」

 凪子の言葉に、直織はわずかに眉をひそめる。

 そのとき。

「緊急警報。緊急警報」

 電子音声。

「ひったくり発生。すぐに現場へ急行せよ」

「な……なんだ?」

「話はあとですわ」

「え」

 直織はアイシャドウを取りだし、ふたを開ける。凪子の目のまえで、そのあでやかな色を、自分のまぶたに塗りつけた。

「ポイズンベリー、出動ですわ」

 まばゆい光。

 赤茶色の髪が、風になびいてレモン色へ色づく。かの子や凪子と同じ制服はあとかたもなく消え、かわりに肌を包むのは、いつか一度見た、あの漆黒の衣装。

 魔法少女、ポイズンベリーが、そこにはいた。

 立ちつくす凪子に目もくれず、直織――否、ポイズンベリーは、天高く跳躍する。

「あ、おい」

 話の途中だというのに。

 ためいきをついた凪子のその手を、かの子ががっちりとつかんだ。

「凪子さん」

「あ?」

「わたしたちも、行きましょう!」

「え」

 なぜか痩せたことによって、意識が高くなったかの子にひきずられ。凪子はポイズンベリーのあとを追うはめになる。

「おい、かの子! なんであたしらが!」

「変身できずとも、わたしたちも魔法少女です!」

 きっぱりと云うかの子に、不覚にも凪子は心を打たれる。

 今まで、ひたすら食べることしか考えていなかったかの子が。

 こんなにも、立派に成長するなんて。

「わかった……あたしも、戦うぜ」

 いつのまにか、学園の敷地をはずれ、ふたりは商店街にいた。初めてポイズンベリーに遭遇した場所だ。平日というのに人通りが多い。どうやら、なにかの撮影をしているようだった。

「おおーっと! これは! 白昼堂々のひったくりを成敗するため、現れた魔法少女は……ポイズンベリーだああああ」

 テレビの通販番組を思わせる甲高い声がどこからか聞こえる。

「すげえ人だかりだな……でも、どうやらあの真ん中に、ひったくりとポイズン野郎がいるらしいぜ……っておい」

 新生かの子は、かろやかながらも、確かな足取りで群衆をかきわけはじめる。おだやかでいて、それでいて隙のない視線。人々の間を、無駄のない動きで進む。

 今までのかの子とはちがう。

 もう――雌豚では、ない。

「……!」

 かの子に導かれ、凪子は人混みの中心にたどりついた。

 魔法少女ポイズンベリーと。

 高級そうな鞄を抱えたひったくり犯と。

 その様子を中継する、撮影クルー。

「で、これからどうするんだ、かの子。……かの子?」

「……たい……」

「おい、どうした? おなか痛いのか?」

「肉まん……食べたい……」

「は?」

「肉まん……」

 健康的な生活によるストレスが今になって現れたのか。かの子は突発的に肉まん食べたい症候群を発症した。

「肉まん……」

「おい、気をたしかに持て」

「肉まん……」

「おいって」

「肉まん……」

 ふらり。

 かの子は一歩踏み出す。

 その視線の先には――ポイズンベリー。

 の、胸元。

「……肉まん……?」

「え?」

「肉まんだ……!」

 凪子が止めるまでもなく、かの子はすらりと伸びた足を進め、戦闘の輪へと歩みはじめる。

「肉まんがふたつ……!」

「おい、まさか……」

「肉まん!」

「逃げろ、ポイズン野郎!」

「え?」

 一瞬の出来事だった。

 ポイズンベリーの、ちょうどよく弧を描いたその胸元をふたつの肉まんと錯覚したかの子は、獣のような目でポイズンベリーに飛びかかり、そのふたつの肉まんをわしづかみにした。

「肉まん!」

「な、なんですの!」

「肉まん……!」

「離しなさいな! ちょ、どこさわって……」

「ナギちゃーん! 肉まんあるよ! まあまあおっきいよ!」

「まあまあってなんですの、それなりには……って! ああ!」

「おおーっと! これはなんと! 突如現れた少女によって、ポイズンベリーの、ポイズンベリーの肉まんがチャイナされているうううう! カメラ! カメラアップで!」

 お茶の間へ、一連の流れが放映されはじめた。

 一方、肉まん食べたい症候群によって、意識の高い人格は後退し、本来のかの子のペルソナは復活した。そして、かの子は今、戦闘中であったポイズンベリーの上にまたがり、その肉まんをひたすらつついたり、もてあそんだりしている。 

「ナギちゃん、この肉まん紙ついてないよ……」

「おどきなさいな! その手をはな、離し……うう」

「……」

 あまりのカオスな事態に、凪子はひどい頭痛、眩暈、および吐き気を催す。

 かの子に組み敷かれているポイズンベリーを助けるべきか、それとも、いっそ、すべて忘れて、学校に戻ろうか――。

 そう、思ったとき。

「あーあ」

 空高く。

 涼やかな声が、降り注ぐ。

「どいつもこいつも、IQが低くて、やんなっちゃうなあ」

 屋根の上に現れたのは――ひとりの魔法少女。

 まっすぐに切りそろえ、短く刈り、耳の横だけ長く伸ばした髪は、青みを帯びた白。耳にはヘッドフォン、そのてっぺんには、カーキイエローを基調とした迷彩の大柄なリボン。鮮やかな緑のトップスも、同じく迷彩、スパッツの上にホットパンツというボーイッシュなスタイルのその魔法少女の名は。

「なんの用ですの――サイコバニー」

 サイコバニー。

 マジカルマカロン学園、特待生のひとり。

「そのひったくり犯は、わたくしの獲物でしてよ」

 低い声でつぶやくポイズンベリーをちらりと見て、サイコバニーは眉毛だけぴくりと動かす。

「獲物っていうか……捕食されてるのはキミのほうだと思うけど」

「肉まんー」

「ぎゃあああああああ」

 ふたたび猛威をふるいはじめたかの子の両手に、ポイズンベリーはなすすべもなく崩れ落ちる。その様子は、未だ全国放送されていた。

「まったく……ここはボクがなんとかしておくから、キミはそこで遊んでなよ」

 ポイズンベリーに云い捨てて。

 サイコバニーは屋根からふわりと地上へ降りる。

 そして指をパチンと鳴らすと。

 背中から伸びた様々な太さのケーブルが、一斉にひったくり犯めがけて空を裂いた。

「な……んだ、あれ」

 凪子は、目が釘付けになる。

「ひったくりなんて……IQが低すぎだよ」

 ケーブルに絡めとられて、ひったくり犯は一瞬でとらえられた。商店街中が興奮していた。ある者は歓声をあげ、ある者はスマートフォンで写真を撮り、ある者は喜びの舞を披露し、またある者はサイコバニーの美しさを油絵に描きはじめる。

「あんた……いったい」

 思わずつぶやいた凪子に気づき。サイコバニーをちらりと視線をよこす。

「……キミ、学園の生徒だね」

「え? ああ、まあ……」

「ボクはサイコバニー。オックスフォードブリッジ工科大学に飛び級した帰国子女だ。……悪いけど、IQも、魔法少女としての能力も、キミたちみたいな凡人とはちがうから、そこのところ、わきまえてね」

「……な」

「じゃ。ボク、ヒマじゃないから」

 ふたたび跳躍し、商店街をあとにするサイコバニー。かの子に捕食されるポイズンベリー。を、撮影しつづける何かの番組のスタッフたち。ひったくり犯が成敗され、ふたたび平和を取り戻し、喜びの声を上げる商店街。

「感じわりィ……」

 そんな混沌の真ん中で、凪子はひとり、つぶやくのだった。



「ナギちゃーん。おはよ」

「ああ、おは……っておまえ!」

「ふぇ?」

「なんだよ、それ!」

 翌日。

 特待生クラスの教室に現れたかの子は――最初に会ったときと変わらない、マシュマロ系女子に戻っていた。

「あーちょっとだけリバウンドしちゃった」

「ちょっとってレベルかよ! ほぼ全快じゃねーか! リセットじゃねーか!」

「えーでも、最初より五キロは痩せてるもん」

 五十五キロ。

「……あれ、着てみろ。あの、標準サイズの魔法少女コスチューム」

 凪子の言葉を耳にしたメイドの瀬庭須が、どこからか服を持ってくる。

 それを見にまとったかの子は。

「ああーまあ」

 凪子は腕組みしたまま、ぽつりとつぶやく。

「ギリギリ……まあ、着れなくもねえ、かな」

「ほんと? やったねー」

 胸元などはかなりきつそうではあるが、まあ、ボタンがはじけ飛ぶことはなかった。

「まーこれでなんとか変身しても、いけるだろ。……そうだろ、綾小路」

 教室へ入ってきた直織に、凪子は声をかける。

「約束通り、二週間で十キロは落としたわけだし。まあ……ちょっとリバウンドしちまったけど。でも、こいつはこいつで頑張ったんだぜ」

 直織はちらりとこちらを見るが、何も云わない。

 ちなみに直織は根に持っていた。商店街でかの子に襲われた際、凪子が助けてくれなかったことを、である。

 無言で自分の席に座る直織に、凪子はむっとする。

「……おい、無視すんな」

「してませんわ」

「してる」

「してません」

「あ、ねえ、ナギちゃん、すぐりちゃん、教室にアゲハ蝶入ってきたよ! きれいだねえ」

「ま、いいけどよ。……あとさ」

「……」

「ちょっと思ったんだけど、あんたさ……もしかして、かの子をやる気にするために、わざとあんなこと……」

 がたりと、直織が立ちあがった。

「そんなわけないでしょう。なぜ、わたくしがそんなことを」

「でもよ……」

「あと、ちかよらないでくださる? お胸が貧しいのがうつりますわ」

「おいコラ、表出ろ、ブチ殺すぞオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

「アゲハ蝶ってなんかおいしそうだよねー」

 マジカルマカロン学園は、今日も平和であった。

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