魔法少女ぶたのかくに

藤宮 南月

第1話 はじめてのともだち

 ぱんつ。

 目の前に繰り広げられるそれは、まぎれもなくぱんつだった。

 白地、自己主張の激しい肉まんのイラストが真ん中にひとつ。

 いや、それよりも。片桐凪子はあらんかぎりの声で吼える。

「重いんだよ、このデブが!」

 転校初日、遅刻しかけて猛ダッシュ。少女漫画よろしく曲がり角でだれかとぶつかって、思いきり尻餅をつき、なぜかぶつかった相手が自分の上に落ちてきた。気づけば顔のすぐそばに肉まん柄のぱんつ。どうやら凪子と衝突したのは自分と同じくらいの年の少女だった。なにがどうしてかはわからないが、凪子の胸の上でぱかりと足を開脚した状態である。

「ごごごごめんなさい、あたしってば、ほんとどじで……!」

「いいからどけ! 重い!」

「どきますどきます」

「早くしろって!」

 そんなに力を込めたつもりはなかった。凪子は相手をよく見ないまま、その少女の肩をかるく小突く。その瞬間、なにかがふわりと宙を舞った。

「ああ! わたしの朝ご飯のカレーうどんが!」

「は?」

 一拍おいて。

 なにかが凪子の頭上にふりそそぐ。

 茶色い汁と、白く長いなにか。さらに一拍、凪子はさきほどよりもさらに声高に吼えた。

「あっちいいいいいいいいい」

「た、大変! 熱くないですか!」

「あちいよバカ! そしてどけ! これをなんとかしろ!」

 なぜ朝ご飯にカレーうどんなのか。

 そしてなぜ、カレーうどんを手に通学していたのか。

 あまたの疑問を口に出す余裕などない。ただひたすらに熱い。熱すぎて、感覚がない。叫ぶ凪子の、そのカレーまみれのセーラー服に、謎の少女は手をかける。

「とりあえず脱いでください! 染みになっちゃう! さあ、はやく、ばんざーいってして!」

 あれよあれよと凪子のセーラー服は少女によって脱がされ、肌に飛び散ったカレールーがぬぐわれる。熱さがやわらぎ、一息ついた凪子は、自分が思いきり下着をさらしていることに気づいた。真っ黒い、色気のないスポーツタイプのそれが、あらわになっている。

 突然の自体に混乱して、一拍。

「おまええええええええええええええええええ」

 凪子は怒りと恥で真っ赤になり、自分の服を握りしめた少女に飛びかかった。

「返せよ! あたしの服!」

「だ、だめだよ! 染みになるまえになんとかしなきゃ!」

「いやいやいやおかしいだろ! こんな道の前でなに裸にしてくれてんだ!」

「裸じゃないよ、ブラはしてるし……」

「そういうことじゃねえよ!」

「あ、あれ、待って」

 少女は凪子の胸元を見つめ、慌てて詰め寄る。

「ど、どうしよう、もしかして火傷のせいで」

「は? なんだよ、急に」

「火傷のせいで、おっぱいがえぐれちゃってるよ!」

「てめえぶっころすぞ!」

「でも、でも」

「いいからはやくセーラー服を返しやがれ、ほんとこのままじゃ」

「ああ! わたし、遅刻しそうなんだった! ごめんね、制服はちゃんと染み抜きして返すから!」

「え、おい」

 絶望から来る眩暈を必至でおさえて、凪子はすがるように少女に手をのばすから。

「じゃあね!」

 中身がほとんどこぼれて空になったどんぶりと、茶色い汁でぐちゃぐちゃになった凪子の制服を握りしめ。やたらと軽快な動作で、少女はあっという間にいなくなる。残された凪子はプリーツスカートにスポーツブラといういでたちで、道路に座りこんだまま、唖然とする。

「うそだろ……」

 つぶやく声は、少女の耳には届かなかった。



「ここが……憧れのマジカルマカロン学園……」

 謎の少女――安倍川かの子は、凪子のことなどとっくに忘れて、目の前に広がる景色に見惚れていた。

 マジカルマカロン学園。

 この国で唯一の、魔法少女育成機関。

 独自のカリキュラムと、ハイレベルな教師陣によって成り立つこの学園は、選ばれし少女たちの学び場だ。ここで教育された魔法少女たちは、全国であらゆる軽犯罪者を摘発し、人々の羨望の的となっている。かの子もまた、彼女たち魔法少女に憧れるひとりだった。

「それにしても……おなかすいたなあ……」

 朝方、遅刻寸前のところで凪子とぶつかってから、実に四時間が経過していた。そのあいだ、かの子はひたすら道に迷い、親とはぐれた子どもを交番へ届け、いまにも生まれそうな妊婦を助けていた。

「どのみち遅刻しちゃってるし……ちょっとだけお昼ごはん食べても平気だよね」

 かの子は並木道のベンチでお弁当を食べている生徒たちを見ながら、思わずつぶやく。我慢するという発想はまったくなかった。

「なに食べよう……あれもしかして食堂かなあ……いいにおいがする……」

 食べもののにおいにつられ、かの子はふらふらとひきよせられる。空腹で注意力がにぶっていたかの子は、目の前の気配に気づかなかった。

「ご、ごめんなさい!」

 だれかにぶつかり、かの子は思わず声をあげる。

 相手は、今どきめずらしいお下げ髪の少女だった。瓶底のように分厚い眼鏡、背が高くすらりとしているのに、どこか猫背なその女子生徒は、蚊の鳴くような声で云った。

「……なさ……」

「え?」

「い……」

 ごめんなさい、と云っているようだが、いかんせん声のボリュームが低すぎて。聞き取れないかの子は無意識に耳を寄せ、つられて小さめの声で云った。

「あの、こちらこそすみません、おなかがへっていて」

「れ……」

「え?」

「……いろ……」

 かの子はさらに顔を近づけ、真剣に少女の言葉を聞き取ろうとする。異様な光景だった。

「ろい……み……」

「ろい?」

「……せ……て」

「せいろ? 点心ですか?」

「み……せて……」

「点心? 点心が食堂にあるんですか? 点心がおすすめなんですか?」

 まったく話の通じないかの子にしびれを切らしたのか、声のちいさい少女はかすかな動作で、かの子の手元を指さす。

「カレーうどん? カレーうどんがおすすめなんですか?」

食堂のおすすめを伝えようとしているのだと信じてうたがわないかの子に、少女はふるふると首をふると。

「それ……み、せて……」

「見せて?」

 指さされたものが、カレーうどんの入っていたどんぶりではなく、ぐっちゃぐちゃのでろでろになった凪子の制服だと、かの子はようやく気づく。

「この制服ですか?」

 こくんとうなずくその少女に、制服をそっと手渡す。色白の腕でそれを受けとると、少女はやけに真剣な目で制服を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「よごれて、ますね……」

「はい、わたしが朝ご飯のカレーうどんをかけてしまって……そのせいで相手の子のおっぱいもえぐれちゃうし……」

「……しょうか」

「え?」

「よごれ……とりま、しょうか」

「え! 取れるんですか?」

「はい……」

お下げの少女はこくこくとうなずく。

「これくらいなら……じょ、じょしりょくで」

「じょしりょく……女子力ですか?」

 魔法少女は、女子力という力をつかい、変身をするという。カレーの染みもとれるなんて。かの子は感動で思わずどんぶりを落とす。面倒なので拾わなかった。

「ぜひ、ぜひおねがいします」

「はい……」

「見てていいですか?」

「はい……」

「あ、動画とか撮っていいですか?」

「は、はい……」

 かの子はいそいそと携帯電話を取りだし、構える。お下げの女子生徒は制服を持ったまま、すこし端へ移動すると、なにかぼそぼそと口に出しながら、凪子の制服をぐにゅぐにゅと揉みはじめた。

「す、すごい! 揉んでる!」

 興奮で目を輝かせるかの子。少女はふっと手を止めると、突然地響きのような声で叫んだ。

「女子力ウウウウウ」

 両手で、盛大に制服を引きちぎる。宙にふわりと舞ったその布は、見違えるほど真白く輝いていた。

「わあ! 綺麗になった!」

 もはやびりびりになったため、制服としての原型をとどめていないことは無視して、かの子は喜びの声をあげる。

「ありがとうございます! きっとこの制服の持ち主の子も喜びます!」

「いえ……そんな……」

「女子力ってすごいですね! スタンドみたい!」

 かの子はお下げの少女の両手を握る。

「あの、よければ、お名前を教えてください」

 あのカレーまみれの小汚いセーラー服を、こんなにも純白にしてしまうなんて。きっと目前の生徒は優秀な魔法少女見習いにちがいないと、かの子は確信する。

「しろ……です」

「え?」

「あましろ……です」

「あましろ、さん。何年生ですか」

「さん……ねんせい、です」

 三年生。かの子は一年だ。とすると、この少女は二歳も年上ということになる。

「あましろ先輩。わたし、安倍川かの子っていいます。一年生です」

「あべかわ……さん」

「はい! 今日から編入してきたんです。学年がちがうので、あまりお会いする機会がないかもしれませんが、ぜひなかよくしてください」

「は、はい……」

「あと、つかぬことをおうかがいしますが、食堂のおすすめは……」

「おい、そこのデブ!」

 体型に自覚のないかの子はそれが自分を指しているということに露とも気づかず、華麗にスルーする。しかし声の主は臆さず、ずんずんと近づいてきた。背後から、かの子の首根っこを思いきりつかむ。ひきずられるようにして、かの子はふりむいた。

「ああ! 今朝の!」

「てめえ朝はよくもあたしの服をとりやがったな!」

 片桐凪子。

 てっぺんが黒くなった濃い金髪を風になびかせ、身にまとうのは、なぜか吉田と書かれた体育着。般若のように顔を歪め、睨みつけてくる凪子とはうらはらに。ふにゃりと笑みを浮かべてかの子は明るい声を出した。

「よかった! もう会えないかと思ってたよお。その体育着は?」

「うるせえよ、いいから制服返せ」

「はい! 綺麗になったよ!」

 さきほどあましろなる生徒によって布きれと貸した制服を、かの子は満面の笑みで渡す。事態を飲みこめない凪子は、わずかにたじろいだ。

「……制服は?」

「だから、それが制服」

「びりびりだけど……」

「うん。でも、カレーの染み、綺麗にとれたでしょ」

「……」

「どうかしたの?」

「……おまえがやったのか?」

「ううん、あましろ先輩が……」

 かの子はくるりとふりかえるが、そこにお下げの少女の姿はなかった。帰ってしまったのかと、首をひねるかの子。凪子は無残なセーラー服に視線を落としたまま、じっと立ちつくす。

 今朝の悪夢から、いまこの瞬間までの四時間。

 凪子はつらい闘いを強いられていた。

 上半身下着のまま、まずは身をかくそうとした矢先。

 登校中の小学生とエンカウントし、あろうことかまな板痴女と罵られた。しかしたったひとり、クソガキの中にもどことなくおとなしい、心やさしそうなクソガキが混じっていた。凪子はできるだけおだやかに、そのクソガキに、なにか服を貸してくれと持ちかけたが、それがまちがいだった。心やさしそうなクソガキは心やさしいどころか、ほかのクソガキにまさるクソガキだった。体育着を貸す条件として、そのクソガキは鼻をほじりながら、凪子に云い捨てた。

「そのかわりさわらせろよ、その貧相な板をよ」

 あやうく殺人未遂をしかけたが、しかしこのチャンスを逃すとふたたびまな板痴女として往来をさすらうはめになる。凪子はぎりぎりと歯を食いしばり、初対面のクソガキにまな板タッチを許した。クソガキは凪子の板を容赦なくつかむと、つばを吐きすて。

「固い」

 まるで野良犬にえさでもやるかのように、ランドセルの中から出した体育着を地面に放り投げ、颯爽と立ち去った。凪子はすこし土のついた、吉田と書かれた体育着を無言で広い、スポーツブラの上に着た。とても大切ななにかを失った気分だった。そのあとちょっとだけ泣いた。

 そして、セーラー服を持ち去ったややぽっちゃりな少女を捜すため、街のあちこちを歩きまわり、途中親とはぐれた子どもを交番へ届け、いまにも生まれそうな妊婦を助け、そして最終的にたどりついたここ、私立マジカルマカロン学園で、くだんの少女――安倍川かの子を見つけたのだ。

 それなのに。

「あたし……帰るわ……」

 ここに来ていろいろいろなものがこみあげた凪子は、布きれを握りしめて、ふらりときびすを返す。疲れたのだ、いろいろなことに。

 かの子はその背中をじっと見ると、突然駆け出し、抱きついた。端から見ると捕食しているようにしか見えなかった。

「重っ!」

「ごめんなさい……!」

 思いもよらなかった殊勝な言葉に、凪子はおどろいて目を見開く。

「おまえ……」

「怒ってる……よね、わたし、ひどいことしたもん」

「謝ってくれるのか……」

「わたしが、朝ご飯にカレーうどんなんか食べたから……」

 うつむくかの子。凪子は謝罪の言葉が新鮮すぎて、うれしさに顔がほころぶ。

「いや、まあそこまで怒ってねえし……」

「ほんとにごめんね! わたしのカレーうどんのせいでおっぱいをえぐっちゃって!」

「てめえまじぶっころすぞコラァ!」

 般若の形相で凪子はこぶしをふりあげる。そのとき、突然地響きが世界を襲った。

「な……なんだ?」

 地面が揺れて、まっすぐ立っていられない。轟音に眩暈がする。状況を把握しようと懸命にまわりを見渡す凪子に、かの子は笑顔で云った。

「ごめんね、まだ今日お昼ご飯食べてないから、お腹が……」

「は?」

「だから、お腹がなっちゃってごめんね、って……」

「……はあああああ?」

 凪子は叫ぶ。

「まさかこれ、てめえの腹の音かよ?」

「うん、恥ずかしいなあ……」

「恥ずかしいとかそういうレベルじゃねーよ! 天災かと思ったわ!」

「わるいんだけど、このあたりでおすすめの食堂とか知らないかな?」

「知らねーよ、いいから早くなんか食ってその地響きを止めろ!」

「そうだなあ……豚の角煮……いまは豚の角煮とかの気分かなあ」

「話を聞けよ!」

「豚の角煮……口の中に入れればじゅわりと肉汁が広がり……」

 耳をふさいでも、耳鳴りは止まない。とにかく止めてほしい一心で、凪子は声をあげた。

「わあったよ! いい店教えてやっから!」

 世界から。

 轟音が――止んだ。

 静寂、おだやかな静寂。

「知っているの……?」

 鋼の精神力で、腹の虫を一時的に止めたかの子は、凪子の頬に手をのばす。

「ああ……知ってる」

「豚の角煮の美味しいお店を……?」

「ああ。この街いちばんの豚の角煮だぜ」

「この街いちばんの豚の角煮……」

 かの子の目元から、つう、としずくが零れる。

「なんて美しい響き……」

「そうか……よくわかんねえけどあたしはあの地響きがおさまりゃなんでもいい……」

「わたしを……つれてってくれる? そのお店に」

「ああ」

 親指をぴっとつきたて、くいっとまげて、凪子は小粋にかの子をいざなう。このことが、のちに自分たちの運命を大きく変えるということを、ふたりはまだ知らなかった。



 蘭蘭亭。

 それっぽくもありつつ、しかしいい感じにだささを保ったその庶民派中華料理屋に、かの子と凪子はいた。

 ちなみにかの子は転校初日にして無断遅刻・無断欠席だったが、まったく気にしていなかった。いまはただ、頭の中には豚の角煮のことしかなかった。

 一方凪子もある学園への転校初日であったが、朝っぱらから服を脱がされたりとそれどころではなく、もはや自分が転校生であることを忘れていた。

「いいかんじのお店だね」

「だろ」

 学園の前の大きな坂を上がったところ、時間にして五分もかからぬ近距離。油の混じった、しかし不思議と不快ではない香りに包まれて、かの子は手作りじみたメニューを見つめる。そして、店員に向かってにこやかに云った。

「じゃあ、全品ひとつずつ」

「は?」

「え、足りないかなあ」

「いやいやいや、なに云っちゃってんだよ」

「でも……おなかすいてるし」

 事態を把握できない凪子の眼前で、かの子はさくさくと注文をしてゆく。

「おまえ……お代は払えるんだろうな?」

「え?」

「え?」

 不穏な切り返しに凪子は不安を覚える。

 その瞬間、頼んだ料理が光の速さでやってきた。こじんまりとしたテーブルを埋め尽くすのは酢豚、エビチリ、シュウマイ、チャーハン、ごま団子、天津飯、かに玉、小籠包、中略、そして――豚の角煮。

「わーい、いただきま」

 す、と云い終えた刹那、チャーハンが消失した。眼を見開く凪子の前で、今度はかに玉が忽然と姿を消す。

「な、なんだこれは……!」

「おいしいねー」

 かの子がにこやかに言葉を発する、その口に、コンマ数秒で料理が吸いこまれているのだと。凪子がそう気づいたときにはもう、あらかたの皿が空っぽになっていた。

 早食いなどというレベルではない。

 これはもはや、人智を超えている――。

 圧倒される凪子が、言葉を探しているそのとき。

「食い逃げだ!」

 しわがれた声が空気を切り裂いて、凪子は反射的に立ちあがった。決して広くはない店内の、最も窓際の席から、中年の男が走り去るところだった。

「親父、ちょっと借りるぜ!」

 凪子は狭い厨房へと手を伸ばし、小柄なフライパンを手に取る。そして、かの子の肩をつかんでむりやり立たせた。

「あと追うぞ! おまえも来い!」

「え、でもまだ豚の角煮が……」

「いいから来い!」

「角煮」

「待てコラ食い逃げえええええええ」

 坂道を下る食い逃げ犯の後を追い、凪子もまた坂道を下る。右手にはフライパン、左手にはかの子の手。豚の角煮への執着を捨てきれないかの子は、背後で遠く小さくなってゆく中華料理屋をちらちらと見る。

「くそ! 商店街に入りやがった。急がないと見失うぞ」

「しょうがないよお。あきらめて豚の角煮食べようよお」

「あきらめられるわけねえだろ! あいつ、あたしの家で食い逃げしたんだぞ! 許せるか!」

「あたしの家……?」

「ああ、あそこあたしの実家……ん?」

 凪子が突然駆け足を止める。

「——わたくしが守るこの街で」

 聞こえたのは。

 鈴のような声。

 昼下がりの商店街、人通りは決して少なくない。そのだれもが足を止め、無意識に傍観者となる。

「食い逃げをするなんて……ポイズンですわね」

 凪子たちが追う男を阻む、ひとりの少女。

 抜けるように白い肌、こころなしあどけない顔立ちを、しかし唇の紅が妖艶にひきたてる。肩甲骨のあたりまで伸びた髪を高くふたつに結い、頭のてっぺんには黒地に赤いリボンのついたヘッドドレス。

 それだけでも目立つというのに、きわめつけはその出で立ち。

 胸元の大きく開いた、ボンテージのような衣装。

 どうひかえめに見ても。

「なんでSM嬢が商店街にいるんだ……?」

 謎の少女は凪子の独り言に気づき、形のよい眉をひそめて、優美に笑う。

「わたくしは鉄道ではありませんわ、おもしろい方」

「いやいやSLじゃなくてSMだし、おもしろいのはあんただよ」

「た、たいへん……」

「あ?」

 となりのかの子がぶるぶるふるえはじめたことに気づき、凪子は怪訝な顔をする。

「もしかして知り合い? とか?」

「知らないの? あのひと有名な……すごく有名な魔法少女、ポイズンベリーだよ!」

 ポイズンベリー。

 この街を守る魔法少女のひとり。

 その姿は気高く、凛とした美しさは人々を幻惑するという。

「なんだそのズンズンペリーつうのは。黒船か」

「ポイズンベリーだよ! この街を守ってるの!」

「はあ」

「すごいなあ、本物初めて見た! かわいい……顔ちっちゃい……わたしもあんなふうに立派な魔法少女になりたいなあ」

 うっとりするかの子を横目に、いまいち実感のない凪子は首をひねる。

 ——魔法少女。

 この街を守る、不思議な力を持つ少女たち。

 凪子の父親はなぜかこの魔法少女に執着し、幼い凪子を魔法少女にしたがった。小さいころから男勝りだった凪子は全力で抵抗しつづけた。

 女子力で変身し、きらびやかな衣装に身をまとって。

 颯爽と戦う彼女たちは——まるで、自分とは正反対だ。

 なんとか最近になって、凪子の父親は、娘を魔法少女にすることをあきらめたようだった。凪子にとっては僥倖だ。

 そんなこともあって、凪子には魔法少女という存在への憧れというものが一切なかった。

 しかし、凪子以外の人々はみな、かの子と同じく、街中に現れた魔法少女の存在に興奮しているようだった。ある者は歓声をあげ、ある者はスマートフォンで写真を撮り、ある者は喜びの舞を披露し、またある者はポイズンベリーの美しさを油絵に描きはじめる。

「さあ、観念なさい」

 目の前で立ちすくむ男に、ポイズンベリーはぴしゃりと云いはなつ。

 しかし、食い逃げ男は弾かれたように肩をふるわせると、あろうことか、目に入った少女——安倍川かの子の腕を思いきり引っ張り、そしてなんたることか、隠し持っていた小柄なナイフを、その少女すなわちかの子の首元に当てた。

「来るな!」

 突然の二時間ドラマ的な展開に、商店街が静まる。

「来たら、このぽっちゃりを切り裂くぞ!」

「なんて下劣な……!」

 ぎり、と歯噛みし。ポイズンベリーは、食い逃げ男と、食い逃げ男の腕の中できょとんとしているぽっちゃりことかの子を見据える。

「その雌豚を離しなさい!」

「おい……たしかにそいつはぽっちゃりだけどよ……! 雌豚は……雌豚はあんまりだぜ……!」

「喰らいなさい、わたくしの正義の裁きを!」

 凪子の悲痛な声を華麗に無視して、ポイズンベリーは両の手に持っていたリボンスティックを振りあげる。緋色のリボンは、まるで意志を持ったかのように、食い逃げ男に向かって突き進み、ナイフを持つその腕に絡みついた。群衆から歓声が上がる。

「いいぞ、ポイズンベリー!」

「やっちゃってー!」

「早くそのぽっちゃりを助けてあげて!」

 熱い声援を浴びながら、ポイズンベリーはリボンスティックをぐぐっと引く。しかし、男の力は存外強い。

「むむ……手強いですわね……」

「がんばれポイズンベリー!」

「ぽっちゃりをなんとかしてやれー!」

「ポイズンベリー! ぽっちゃりを助けて!」

「おいてめえら、ぽっちゃりぽっちゃりうるせえんだよ! おまえもいろいろ云われてんだからちったぁ気にしろよ!」

 凪子は吠えるが、当の本人であるかの子は、ナイフを突きつけられているというのにいつもと変わらず、きょとんとした顔でこちらを見る。

「え? どこにぽっちゃりが?」

「てめえはもちっと自分の体型を自覚しやがれ!」

 くそ、どいつもこいつも。

 凪子は毒づきながらも、内心はかの子のことを心配しすぎて心臓がバクバクである。

「おとなしくお縄につきなさいな!」

 ポイズンベリーが思い切り腕を引き、食い逃げ男の手首が引っ張られ。

 そしてあろうことか——ナイフが宙を舞って。

 なんの因果か——かの子の腹めがけて、急降下した。

「おい……避けろ!」

「ふえ?」

 一瞬のことだった。

 晴天から勢いよく落下する鈍色のナイフが、かの子の腹に、制服ごしに当たった瞬間、その肉のやわらかさでふわりと跳ねかえされ、奇跡的にその刃が、食い逃げ男の眉間につきささった。

「……え」

 驚きの事態に、凪子はぽかんと口を開ける。

 だれかが、口を開いた。

「ぽ……ぽっちゃりが、食い逃げ男を倒したぞ!」

「すげえ! 腹の肉で犯人をやっつけた!」

「ぽっちゃりばんざーい!」

「ばんざーい!」

 盛大な喜びの声とともに、かの子は人々に胴上げされる。本人は事態を掌握していないようだった。

「わ……わたくしがあんな雌豚に負けるだなんて……」

 ポイズンベリーは、本来であれば自分へ向くはずの称賛の声が、なぜかぽっと出のしがない少女へ向いたことに苛立ちを隠せない。わなわなとふるえながら、宙に放り投げられるかの子にたいして、ぴしっと云った。

「覚えていなさい、雌豚! あでゅー!」

「あ、おい、ちょ」

 天高く跳躍し、商店街から姿を消したポイズンベリー。なにが起こったのかまったくわかっていないにもかかわらず、街の人々に持ち上げられるかの子、眉間にナイフを刺したまま、いつのまにか到着していた警察にしょっぴかれる食い逃げ男。

「……帰るか」

 とたんに疲労を覚える凪子は、フライパンを握る手をゆるめ、きびすを返す。

「あっ待って!」

 凪子に気づき、かの子は慌てて地面へ降り、歩み寄る。

「……なんだよ」

「あのね、わたし、かの子」

「は?」

「安倍川かの子っていうの。あなたの名前を教えてくれる?」

「……片桐凪子」

「凪子、ちゃん」

「……ナギでいい」

 なにが嬉しいのか、かの子は思いきり笑顔を浮かべる。変なやつ。そう思い、顔を歪めた凪子のその手を、かの子はとって、云った。

「あのね、ナギちゃん。わたしと一緒に、魔法少女になろうよ!」

「……あ?」

「わたし、じつは今日から魔法少女になるための学校に入ったの! いろいろあってまだ学校には行けてないんだけどそんなことはどうでもよくて……それでね、ナギちゃん、やさしいし、かわいいし、きっとすごい魔法少女になれるって、わたしそう思ったんだ」

 宝石のようにキラキラした瞳。まぶしすぎて、凪子は思わず目をそらす。ついでに、かの子につかまれた手を、すっと引いた。

「……悪いけど、興味ないから」

「でも……」

「うちの父親も、小さいころ、魔法少女になれってうるさかったんだ。でもようやくあきらめてくれたみてえだし。それに……あたし、世界一のミュージシャンになるのが夢だから」

「みゅーじしゃん……」

「そ。父親のおかげで、なんとか音楽の学校に入れることになったんだ。マジカルマカロン学園とかいう……変な名前だけど、立派な学校らしい。明日からあたしはそこに行く。だから、魔法少女にはなれねえ」

「え、マジカルマカロン学園って……」

「じゃあな。せいぜい頑張れよ。あと痩せろよ」

「あ、ナギちゃ」

 フライパンを持っていないほうの手をひらひらふりながら、凪子はすたすたと去ってゆく。

 ちなみに、かの子が凪子の実家こと蘭蘭亭で無銭飲食をしていることにはまだ気づいていなかった。



 翌日。

 私立マジカルマカロン学園の、とある教室で。

 担任の鬼瓦今日子、通称ガワラちゃんにより、ふたりの少女が紹介されていた。

「えー転校生の安倍川かの子さんと、片桐凪子さんです。本当は昨日転校してくるはずだったんですが、なんかいろいろあってこういうことになりました。仲良くしてあげてくださいねえ」

「えとえと……安倍川かの子です! 三度のご飯より食べることが好きで……って、あ! それじゃあ同じことか! とりあえず仲良くしてください!」

「安倍川さんは元気がいいですね。魔法少女は元気なのが一番ですよ。ほら、片桐さんもなにか一言」

「……」

「もう、ナギちゃんはシャイだから……わたしがなにか云おうか?」

「……おい」

「なあに?」

「これは、いったい、どういう、ことだ」

 父親から、音楽の学校へ行けると云われ。

 意気揚々と学園へ足を踏み入れ。

 気のせいか一回来たことがあるような気がしつつも、とりあえず中に進み。

 職員室で気のせいか会ったことのあるような少女に会い。

 自分の身になにが起こったのかわからぬまま、凪子はいつのまにか、その教室にいた。

「……クソ親父」

「え?」

「あのクソ親父いいいいいい! だまされた! ここミュージシャンの学校じゃねえ! どう見ても昨日来た、魔法少女の学校じゃねえか!」

「な、ナギちゃん、落ちついて」

「うるせえさわんな! あとおまえ昨日うちで飯食ったのに金払ってないだろ!」

「そんな……わたしを食い逃げ男と一緒にするなんて……」

「一緒もなにも、てめえも食い逃げそのものなんだよ! ……とにかく! あたしは帰るからな。こんなとこにいられるか!」

「あっナギちゃんどこ行くの」

「家だよ家」

 ぽかんとする他の生徒たちにかまわず、凪子はずんずんと進み、教室から出ようとする。しかし、扉をすっと阻む者がいた。細縁のメガネに、色白の肌、二つボタンを開けたシャツからめぐまれた谷間を見せつけ、足元はデニールの低い黒タイツ。社長秘書のようなその出で立ちで——ガワラちゃんこと鬼瓦女史は、にっこりと笑った。

「片桐さん。どこへ行くの?」

「……なんだよ先公。やんのか」

「ナギちゃんやめなよお。今時先公とか死語だよお」

「ちょっと黙ってろ」

「片桐さん」

「あ? あたしはとっととここから……うお!」

 突然鬼瓦先生に強い力であろうことか——胸を、無い胸をわしづかまれた凪子は、思わず固まる。

「ななななんなんだよあんた!」

「片桐さん……あなたはもう、ここの生徒なの」

「ちげえよ、クソ親父が勝手に入学手続きを……おい、揉むんじゃねえ! 殺すぞ!」

「つまり、あなたは今日から立派な魔法少女を目指すのよ。わかったかしら?」

「魔法少女なんてぜってーなら……」

「わかったかしら?」

 手に力を込められ、羞恥と屈辱で思わず凪子はうなずく。鬼瓦先生は満足そうに微笑むと、ゆっくりと手を離した。

「安倍川さん。同じ転校生同士、片桐さんをサポートしてあげてね」

「はい! わたしがナギちゃんを、責任をもって立派な魔法少女にします!」

「……うそだろ……」

 青ざめた顔で、凪子は教室の床にぺたんと座りこむ。背中に背負っていたギターケースが、音を立てる。

「頑張ろうね、ナギちゃん!」

 ぽん、と肩をたたかれて、凪子は思わず吠えた。



「いやだあああああああああああああああああああ」

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