第六回 潜伏(後編)

 現れたのは、あざみだった。変装はせず、忍びの装束である。


「どうしてお前が」

「へへ。どうしてもお役に立ちたいと申しましてねぇ」


 薊は、利重に従う目尾組の忍びだった。それを雷蔵が〔あらゆる手段〕で、こちら側に転ばせたのだ。

 何故此処に。と、思った。平山家が無くなり、自由になったはずである。元より、仲間だと思ってはいなかった。駒の一つとして使い、いずれは捨てようかと思っていた女である。


「雷蔵様、勝手に申し出て申し訳ありません。ですが私は」

「お前は十分に尽くしてくれた。自由に生きろ。村で夫を迎え、幸せに暮らすがよい」


 薊が首を振る。そして強い意志を感じる視線を、雷蔵は受けた。


「これが私の意志です」

「雷蔵さんの負けですよ」


 貞助が間に入った。


「何が負けなのだ」

「押しかけ女房って知りません?」

「おい、貴様」

「薊は信用出来ます。それに、仲間は多い方がいいんですから」


 雷蔵は、視線を逸らし丸太に腰掛けた。勝手にしろ、という意味が伝わったのか、薊には微かな笑みを浮かべた。


「これを」


 薊が、包みを取り出した。かなりの重みがある。開くと、黄金色に輝く小判だった。


「佐々木殿から預かりました」

「三郎助が」

「平山家の財産には手を付けず、隠しているそうです。もしご入用ならば、お渡しする算段をすると」


 雷蔵は、その小判を見つめ首を振った。


「まだいい。これで暫くは十分だ」


 銭は、雄勝藩主・小野寺忠通に借りたものが、まだ残っている。当面の心配は無いが、山霧への報酬や、銭で得られる情報もあると思えば、多いに越した事はない。


「三郎助は元気か?」

「はい。今は建花寺村を離れ、城下で暮しております」

「今回の件で、さぞ苦労をしておろう」

「恨み節を申しておりました。……笑いながら」

「そうか」


 三郎助が、夜須藩士として登用された事は知っていた。平山家が取り潰された後、全ての始末を終えた三郎助は、百姓に戻ろうとした。それを止めたのは磯田で、藩士となるように説得した。平山家を差配した能力を惜しんでの事らしい。それでも三郎助は固辞したが、結局あの八十太夫が現れ、罪を平山家縁者まで連座させぬ代わりに、無理矢理仕えさせた。その磯田は八十太夫の下にいて、三郎助との関係が険悪なものになったらしい。


「城務めをしているのか」

郡方こおりがたにいるそうで」

「適材適所だな」


 三郎助に会いたい。幼き時分に母を亡くした雷蔵にとって、母親代わりのような男だった。時に厳しく、時に優しく、叱り諭し守ってくれた、家族のような存在だ。

 だが、その気持ちは奥底に仕舞い込んだ。利重は三郎助の周囲にも、手をまわして警戒しているはずだ。こうした銭の受け渡しならば容易だが、会うとなると困難になる。もし会った事が知られれば、今度こそ三郎助に罪が及ぶ。そこまでして、三郎助に顔を見せる必要は無い。夜須に戻ったのは、利重の首を獲る為なのだ。


「薊。お前は暫く城下にいて、藩庁の動きを探って欲しい」

「私を使って下さるのですね」

「俺は利重の首を獲る。その為ならば、私は全てを利用するつもりだ」


 貞助が薄ら笑みを浮かべ、口を開いた。


「薊。城下に俺が昔から使っていた手下がいるからよ、そいつらを自由に使ってくれ」

「信用出来るのですか?」

「そいつは無粋な質問って奴よ」


 薊が頷く。そして、その場から駆け去った。


「雷蔵さんも罪作りですなぁ」


 遠くなる薊の姿を眺めながら、貞助が呟いた。


「何が?」

「何がって、ありゃ雷蔵さんに〔ほの字〕ですぜ」

「だろうな」

「かぁ、何て罪な男なんでしょう。その歳で女泣かせったぁ、末恐ろしいですぜ」


 薊が自分に惚れている。それは知っていた。そう仕向けたのだ。自分が薊に惚れているかどうかは、考えた事も無い。歳は自分と十近く離れてもいる。

 女など皆同じ。惚れるという気持ちは、あの時に捨てた。


「そう言うなら、お前が嫁にすればいい」

「そいつぁ、御免被りますぜ。雷蔵さんのお古は勘弁ですし、元旦那はあっしの同輩でしたからねぇ」


 雷蔵は鼻を鳴らした。


「そういや、藩庁が攻めてくるとか」

「聞いたか」

「少し調べやした。八十太夫が抱える忍びと、逸死隊が中核らしいです」

「平山孫一が来るか」

「そうなりやすね」

「決着をつけてやろう」

「おお、怖や怖や。やる気満々だ」

「念真流は俺一人でいい。他は滅ぼす」


 念真流の傍流は認めない。父から受け継いだ、本流こそ至高である。だから黒河藩の念真流を潰した。利重への反撃の狼煙という意味と共に、そうした意思も込めていた。


「こんな中ですがね、暫くあっしも留守にしますよ」

「お前もか」


 伊刀児も裏切り者を消すと、此処を離れている。


「ほう、何処へ?」

「ちょいと、深江藩へ。なぁにお隣ですから、すぐに戻りますよ」

「深江か」


 藩主は、松永久臣。父が藩内の争いに介入し、首席家老の松永外記を助けたという。その時の相棒が、貞助だった。廉平は怪我を負って動けなかったのだ。


「お前が父上と共に働いた所か」

「へぇ」

「それにしても何故に深江へ?」

「ふふ。お父上の遺産を受け取りに」

「深江に何かあるのか?」

「まぁそれは秘密です。ですがね、成功すれば状況が大きく変わりやす。くれぐれも、勝手に動いちゃいけませんぜ」

「動くも何も、相手が攻めてくる」

「では、まぁ……死なないように。潜伏場所変えたら教えてくださいよ。幾らあっしと言えど、山人の集落ムレは見つけにくいですからね」


 そう言って、貞助が風のように消えた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 子どもが駆けて遊んでいた。以野の子どもらしい。それを雷蔵は、暫く眺めていた。

 集落ムレは静かだった。貞助も伊刀児もいないのだ。男衆は、集落ムレを出て山全体に罠を仕掛けている。今朝、追捕の一団が城下を出たと、薊からの連絡があったのだ。

 雷蔵は手持ち無沙汰だった。戦う事、考える事以外にやる事が無いのだ。手伝おうとしても、


「大将は働かないもんさ」


 と、取り上げられてしまう。

 仕方なく、雷蔵は穏やかな日差しの中、巨木に背を預け微睡まどろんだ。野鳥の鳴き声と、子どもの笑い声。この瞬間だけは、平和だと勘違いしてしまう。


「大将」


 声を掛けられ、雷蔵は目を覚ました。山霧の一人だった。名前は知らない。山人の名前は難解だ。覚えているのは数名である。


「大将。山裾の村に役人共が入ったと報告がありました」

「そうか」

「村には監視を出しています。山に入ったら連絡が入ります」


 雷蔵は頷いた。山に入っても、此処に辿り着くまでには、暫く時が掛かるだろう。


「伊刀児は、夕刻には戻るとか」

「裏切り者の始末は上手く行ったのかな」

「さぁ。でも、あの伊刀児ですから」

「戻ったら起こしてくれ」


 雷蔵が目を閉じると、名も知らぬ男が立ち去る足音が聞こえた。眠れる時に、眠る。いつの間にか、そんな身体になっていた。

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