第十七回 銃声(前編)

 賊徒の報告が入っていた。

 どうやら、南関東から流れて来たらしく、近隣の村々を襲っては消えているらしい。これまでに穂波郡、伊岐須郡の庄屋屋敷が餌食になっている。藩庁の役人が追っているというが、殺しに慣れているのか、何人か返り討ちに遭うという惨憺たる結果になっている。


(いつ内住郡へ来ても不思議はない)


 と、下役のみならず、各村々の庄屋にも、警戒を厳とするように清記は訓示していた。

 そうした緊張感の中で、清記は内住郡の政務で忙しい日々を過ごしていた。今日も近隣の村を幾つか見て回り、戻ってからは御用部屋で書類仕事である。

 体調は悪くない。あの日以降、吐血する事もなかった。若幽の薬が効いているのだろう。牟呂四からも、獣肉や滋養強壮の薬草が届けられてくる。ありがたい限りだ。

 雷蔵は相変わらずだった。代官所で手伝いをしながら、道場で百姓相手に剣を教えている。以前に比べ明るくなったと言う者もいるが、清記には何かが欠けたとしか見えなかった。また賊徒の件に関しても、特別に呼び出して警戒するように申し伝えたか、深刻に捉えていないのか、どこ吹く風である。

 その雷蔵は、夜な夜な薊の家に通っている。それは三郎助からの報告だった。二人が男女の仲にある。それを清記はとやかく言う気はなかった。だが、雷蔵は薊をいつくしんでいるようには見えない。だが薊は、雷蔵に尽くそうとしている。薊の夫である芦谷は雷蔵によって始末され、薊はその日以来、僅かだが明るくなったような気がした。そして今は、雷蔵に何かを命じられたのか、村から消えている。


(男女の仲というのは、つくづく判らん)


 にしても、雷蔵の変わりようだった。

 眞鶴を斬って以来、雷蔵は女に対して軽薄になっている。その姿を見て、見事に仕上がったとは思う。刺客としては、申し分はない。しかし、親としては悲しくもあった。そして、そうさせたのは自分である以上、雷蔵に対して後ろめたさもあった。

 清記は、一つの書類を終わらせると、別の帳面を開いた。

 内住代官所の出納帳である。支出入に、不審な点は無い。磯田が厳しく目を光らせているからか、例年通りに推移している。

 利重の治世が始まって、一月ひとつきが過ぎていた。

 藩政はこれまで通り執政府が中心となり運営し、一見して大きな変化はない。だが水面下では、権力の中心が添田から相賀へ移り変わろうとしているという。

 羽合からの知らせでは、相賀は度々利重に呼び出され、藩主を支持する若手と頻繁に会合を重ねているという。そうなると、自然と相賀の周りに人が集まりだす。一方、添田の影響力は低下し、日参する者の数も減ってきている。今や、執政府内では孤立している状況に等しいらしい。


(これが、政事というものか……)


 揺るぎない権力などありはしないのだ。あの日の決別以降、添田にとって相賀は政争の相手になった。利景を支えた左右の臣が相食む状況になるとは、皮肉以外何物でもなかった。

 一方で、利重も少しずつだが動き出している。まず手を付けたのは、現場の声を吸い上げる事だった。

 藩庁に属する各部署を巡回して話を聞き、不備不足に対して手を打つ事が目的らしい。これは既に始まっていて、もうすぐ内住郡の視察が予定されている。

 雷蔵はそれを、人気取りと鼻白んでいた。おそらく、羽合や添田も同じ想いだろう。その一方で、この取り組みは大きな支持を得るものになった。何せ、利景すらしなかった事だ。

 雷蔵が、磯田を引き連れて現れた。


「賊徒の居場所を掴みましたよ、父上」

「ほう」

白神山しらがやまです」


 雷蔵は、懐から地図を出して広げた。白神山は、建花寺村から西にある。そこまで高い山ではない。


「何故、判ったのだ?」

「薊に探らせていました。今も見張っています」

「間違いないのだな?」

山人やまうども、賊らしき者を白神山近辺で見掛けております。数は二十余名」

「多いな」

「大丈夫ですよ、父上。宝如寺の時に比べれば、物の数ではございませぬ」


 清記は、雷蔵を無視して磯田に目を向けた。


「どうする?」

「代官所だけでは対処しきれませぬ。藩庁にお報せすべきでしょう」

「磯田さんは、弱気ですね。私や父の腕を知らぬはずではないでしょう」

「雷蔵殿。世の中には気遣いというものが必要なのです。この賊徒を我々だけで討伐する事は大きな武功になるでしょうが、それだけ嫉妬を買う事になります。今の状況で、それは避けた方が無難でしょう」

「気遣いですか。面倒な事だ」

「雷蔵。磯田の言う通りだ」


 雷蔵が、不満そうに横を向く。自分の功績を譲る事が気に食わないのだろう。


「監視を続けよ。雷蔵も現場に行け。間違っても、自分から仕掛けるなよ。」

「賊徒が仕掛けてきたら、当然斬りますよ。私一人でも」

「ならぬ。仕掛けられるな。兎に角、白神山から動かさぬ事が第一と考えよ」

「判りました。たとえ斬られようが、私は斬りません」


 不承不承に言うと、雷蔵が腰を上げた。

 雷蔵が去ると、堅物の磯田が珍しく笑顔を浮かべた。


「何が可笑しい?」

「いや、雷蔵殿も年頃の若者らしくなったと思いまして」

「笑い事ではない。あやつには、手を焼いているのだ」

「それが親というものでしょう。私には子がいませんが、いれば同じような思いをしたのやもしれません」


 普通の親子ならば、それも許される。だが、平山家ではそうではない。そう思ったが、磯田に話せる類ではなく、清記は深く嘆息した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 二日後の朝、藩庁から建花寺村へ、前触れの使者が駆け込んできた。

 その者が言うには、藩庁から賊徒討伐に一隊が差し向けられ、こちらに向かっているという事だ。しかも驚いた事に、率いているのは利重本人だという。

 一隊は、百名。百名は賊徒に気付かれぬよう分散し、夜陰に紛れて城下を出るという手の込みようだった。こうした動きも、調練の一環なのだろうか。泰平の世にあって、軍勢という規模のものを動かす機会は滅多に無い。

 清記が藩主の来訪を告げると、代官所も屋敷も騒然となった。三郎助と磯田が奉公人の差配しているが、二人も何処か興奮気味だった。

 それは、自分も同じだった。


(これは、好機やもしれぬ)


 と、一瞬だけ利重を斬るという欲望に駆られたのだ。村に入れば、利重は袋の鼠である。確実に始末出来るはずだ。

 しかし、雷蔵はどうなる? 家人は? 百姓は? これほどの機会は滅多に無いが、巻き込むものも多い。それは、利景も望んでいる事ではい。

 利重を斬れば、間違いなく滅びが待っている。だが、その時に滅びるのは、自分の命と平山の家名だけでいい。


(ならば、暫くは忠臣ぶるしかあるまい)


 全ての条件が整うまでは。そう思うと、清記は気を取り直し、準備を進めた。

 その日の昼、軍が姿を現した。分散した兵は事前に合流したようで、隊列を組んで村に入った。

 先頭は、利重。白馬の鞍上にある。兵を率いる利重は、まるで戦国乱世の武将のように映えるものがある。筋骨逞しく、陣羽織と陣笠がよく似合うのだ。それが利景と最も違う所だろう。側には八十太夫が、付き従っている。

 百名の隊は、村の広場で整列した。

 百名の内、三十名は利重が組織した山筒隊である。残り七十名の中に、逸死隊も混じっているのかもしれない。


「これは、殿」


 村に入った利重に、清記はそう言った。


「賊徒を見つけたと聞いて、駆け付けたぞ」

「それは、ありがたい限りでございます。領民も安心しましょう」

「お前の息子の手柄だな」

「それはよいのです。……ですが、何故に御自おんみずからこのような真似を」


 その一言に、利重も八十太夫も驚いた表情を浮かべた。諫めるとは思わなかったのか。しかし、清記は敢えて言った。


「江上殿も、何故お止めせんのだ。これでは我々家臣の立つ瀬がないぞ」

「何を申されますか、平山殿」

「殿をお諫めするのが、おぬしの役目であろう」


 今度は江上に言い募ると、利重は苦笑して止めに入った。


「すまん、すまん。私が我儘を申したのだ。そう江上を責めんでくれ」

「ですが、殿。何事にも順序がございます。それに、相手は小勢の賊徒。殿の手を煩わせるほどではございません。羽合なり許斐に任せれば良いのです。執政府も何をしておるのか……」

「平山殿。殿の決定ですぞ」


 流石に、八十太夫が割って入ったが、清記は一睨みを利かせた。八十太夫は、視線を逸らさない。良い度胸をしている。


「いや、八十太夫。平山の諫言は最もな事だ。藩主になったからこそ、我儘は許されぬ。それを忘れておった」

「いえ。出過ぎた事と思いましたが、家臣として申さねばと思った次第」

「構わん。執政府の面々は、何故か私を止めなかった。いや、口では一応止めたが、何が何でもというものではない。お前のような者こそ、執政府にいるべきだろうな」


 添田も相賀も、利重を止めなかったのか。そこに何か意図があるのかもしれない。


「お前は、亡き利景公でも同じ事を申したであろう?」

「無論でございます」


 そう答えると、利重は満足そうに頷いた。


「だが、今回は私が指揮をするぞ。夜須を荒らす者は、何人たりとも許せぬ。腹拵えをしたら進発する」

「私も随行します」

「それは心強い。なぁ、八十太夫」

「ええ、まことに」

「その前に、飯だ。銭は払う。握り飯程度で良い。何か出してくれ」

「すぐに」


 代官所の広間に、利重・八十太夫他、十名ほどの指図役(将校)が集まった。その中には、堂島丑之助の親友だった斉木利三郎の姿もあった。

 斉木は藩内でも指折りの使い手。利重が言うには、剣の腕を見込んで近習頭に抜擢したという。清記とは直接の面識は無いが、その話は雷蔵から聞いていた。

 握り飯を味噌汁で流し込みながら、簡単な確認を行った。

 地図を広げ、そこまでに行程と山のどの辺りに潜んでいるか。清記は一つ一つ説明した。

 雷蔵の報告では、白神山の中腹の岩窟に、賊徒は潜んでいるらしい。そこを攻める手を、現地で雷蔵に考えさせている。

 夕暮れ前に、白神山に向けて進発した。清記も鎖を着込み、鉢金をして随行した。八十太夫と共に、利重の側仕えを命じられたのだ。こういう戦支度は久し振りの事である。否応なく、沸き立つものを清記は感じた。

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