第十六回 造反者(後編)

 穂波郡楽市村。

 清記が添田の別邸に辿り着くと同時に、曇天どんてんから雨が降ってきた。


「いらっしゃい。雨に濡れなくてようございましたね」


 出迎えたのは、添田の妻おえんだった。

 添田より二つ年上のおえんは、既に老女と呼ぶべき歳になっている。それでも肉付きはよく、身体は太い。かつては添田夫婦を称して〔仁王とぼうふら〕と呼ばれていたらしい。

 清記は丁重に出迎えられ、執事の木下弥兵衛の案内で一間に通された。

 そこには羽合と添田が待っていた。相賀が来たのは、そのすぐ後だった。帯刀の姿は無い。

 添田の呼び出しだった。当然、この動きは利重も掴んでいるであろう。もはや、清記は添田の一味と見られているはずだ。


「驚いたな」


 添田が言って、皆が頷いた。

 利重がまず手始めに行った事は、義父の犬山梅岳を出家させた事だった。

 しかも、強制的にである。夜須の藩法では、一度でも僧籍に身を置いた者が政事に参画してはならないと定められている。つまり、利重は義父であり実父とも噂される、夜須の怪物を政治的に抹殺したのだ。しかも、完全に。誰にも、利景すら出来なかった事を、利重は平然と為した。この大胆さと非常さは、非凡としか言い様がない。藩主の座を掴んだ事を含め。


「さて、今日集まって貰ったのは他でもない。利景様から格別な厚情を頂戴した我々が、今後どうするのか? それを話し合う為に集まって貰った。ここに至っては、為す術はないとも思うが、我々が利景様の御意志を継がねばならぬ」


 羽合が頷く。相賀は腕を組んで、添田を見つめている。


「まずは、利重様が出された布告。人事はそのまま、そして改革を継続し、いずれは常寿丸様に藩主の座をお譲りする。これについては、どう思う?」


 羽合が一礼をして、口を開いた。


「藩の人事については、藩内を混乱させぬ為でしょう。只でさえ、青天の霹靂のような就任なのですから。しかも、来年は参勤。とりあえずは現状そのままで。ですが、いずれは手を付けるでしょう。ただ改革の続行は、間違いないかと思われます。改革に反対する梅岳を出家させたのが、何よりの証拠かと」

「常寿丸様の御処遇については?」

「あの話を額面通りに受け取るほど、私は純真無垢ではございません」


 添田が次と言わんばかりに、清記に目を向けた。


「お前はどう見る?」

「羽合様と同意見です。特に常寿丸様が御成長の暁にはと申されたが、私にはこのまま無事に御成長なされるとは到底思えません」

「つまり、利重様が害すと?」

「利重様にそのつもりはなくとも、周りがそれを画策する事も考えられます。あれでいて、利重様は家臣に愛されておりますから」


 添田も、それには同意見なのか、深く頷いた。

 すると、相賀がするりと手を挙げた。


「私はもっと素直に受け取ってもよいと思います。利重様の御母堂は生まれこそ低い御身分ですが、利景様ほどではないにしろ聡明なお方です。身体も丈夫で、風格もあります。城での話を私は信じたい。無論、信じられないという気持ちも判りますが、公儀の命である以上、どうしようもないではありませんか。ならばせめて、利重様の下で利景様の御遺志が実現出来るよう励むべきではないでしょうか?」


 その一言に、添田も羽合も驚きの声を挙げた。正論である。であるが、利景を支えた両輪である二人の決別を告げる一言だった。


「お前は、利重様に付くつもりか?」


 添田だった。声は低く静かだが、怒気が籠っているのは明白だった。


「幕府が介入した以上、どうしようもないではございませぬか」

「利重様を斬ればいい。斬れば状況は変わる」

「何を申されますか」

「清記、利重様を斬ってはくれぬか。利重様さえ消えれば」

「それはなりませぬ」


 清記が返事をするよりも先に、羽合が間に入った。


「それはなりませぬぞ。利重様を今斬れば、幕府の面目を潰し、改易もありえます」

「ならば、どうやって状況を変える?」

「待つのです。二年か三年。時を見て仕掛けるのです。誰も疑わぬよう、病死のように」

「その前に、常寿丸様が亡き者にされては元も子もないわ」


 その一言で、皆が押し黙った。もうこれ以上、議論を尽くしても無駄。そういう空気が漂っている。


「添田様。平山殿。羽合……」


 相賀が口を開いた。


「今より、この相賀は皆様と袂を分かちます。これより私は、〔添田派〕の談合には参加いたしませぬ」

「貴様」

「添田様。此処での不穏な発言は、これまでのご指導に免じて、聞かなかった事にしましょう」

「ふふふ。そうか、そうだったな」

「何か」

「いやな。お前は以前、利重様に助けられた事があったのうと思ってね。確か勤王党の事で不始末を起こした時か」

「それは関係ありませぬ。私は、利景様の御遺志を引き継ぐ為に、最良の選択をしたまで。添田様こそ目をお覚ましあれ。これが時代の流れというものなのですぞ」


 その一言を置いて、相賀は部屋を出た。


「相賀の奴め」


 添田が、唾棄するように吐き捨てた。


(利景様は、美し過ぎたのだ)


 他に代わりを見出せないほどに。添田も羽合も、そして自分も、この状況を受け入れられないのならば、隠居か殉死しかない。

 それから、帯刀の話になった。

 相変わらず、自領である若宮に逼塞しているという。藩庁からの呼び出しにも、病を理由に断っている。

 屋敷を出ると、雨は止んでいた。清記は馬を繋いだ厩に向かうと、貞助が待っていた。話をしたいと、伝えていたのだ。


「あっしに話があるようで」

「ああ。少し聞きたいのだが、ここ最近で変わった事は無かったか?」

「そりゃありますよ。藩主が変わった。これが一番でございやすぜ」

「戯言ではない。目尾組の中ではどうだ?」

「へえ? 目尾組。そりゃ、判りませんや。旦那の所の廉平さん同様、あっしは席だけ目尾組で、ほぼほぼ添田家の忍びなんですから」

「廉平が消えた」

「へぇ……」


 貞助の目に、鋭い光が浮かんだ。


「しかも、女房に自分が死んだら御別家に殺されたと思って欲しいと伝えていたそうだ」

「犬山を探っていたんで?」

「ああ。元々私が頼んでいたのだが、手を引けと言っても聞かなかった」

「旦那。こりゃ、笑い事ではございませんな。この楽市にも、最近見慣れない連中が忍び込んでいるんでさ。二、三人ばかり始末しましたがね。驚いた事に、あっしの仲間も中にはいたんですよ」

「目尾組が?」

「へぇ。どうやら、新しいお殿さんは、目尾組も掌握したようで。元より、我々はお殿さんに仕える身ですから、当然なんですがね」

「私の村も探られていた。雷蔵が始末したが」

「もう始まっちまってるんですかねぇ」

「廉平はその犠牲に」

「考えたくはありやせんが」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 村に帰ると、また雨が降り出した。

 その雨足は強く、戸を叩く音で声が聞きづらいほどである。

 秋雨だ。幾分かの冷気を感じる。もう夏は遠くなっている。

 晩酌に銚子を傾けていると、雷蔵が現れた。


「会合は如何でしたでしょうか?」


 雷蔵には、添田や羽合と会う事を伝えていた。


「面を突き合わせて話し合った所で、どうにもならぬ」

「そうでしょうね。もう御別家は藩主なのですから」

「だからとて、無策でもおられまい」

「ええ。特に、以前父上が話しておられた……、そう、江上八十太夫でしたか。あの者が何を仕掛けてくるか……」


 それはあり得る事だ。今回の論功行賞で江上家が再興され八十太夫も要職も抜擢されると思ったが、そうした事もなく小姓の一人として仕えているままだ。それが何とも不気味である。


「もう仕掛けているかもしれぬぞ」


 すると、雷蔵がハッとする表情を見せた。


「父上。それはありえますね」

「まあ、そうだとは限らんがな。それより、あの女の取り調べはどうなった?」

「御心配なく。明日には、ご報告出来るかと」


 翌朝、雷蔵が予告通り報告に現れた。ただ、女を連れている。

 女はあざみといい、目尾組の忍びであると言った。歳は二十五。目尾組、芦谷喜兵衛あしや きへえの妻という事だった。両親も忍びだったが、お役目の中で死んでいる。

 雷蔵が命じたのか、着物も改められ小綺麗にしている。


「薊が言うには、目尾組の命を受け、当家を探っていたらしいです」

「やはり、目尾組か。相違ないな?」


 清記が薊に目を向けると、


「相違ございませぬ」


 と、平伏して答えた。

 それから、薊は質問に訥々と答えたが、最後まで利重や八十太夫の名は出なかった。そして、廉平の行方も。


「薊よ。よくぞ話してくれた。しかし、こうなっては目尾組に帰れまい。お前が望むならば、この村で生きる事を許すがどうだ?」

「私をお裁きになられぬですか?」


 薊は、顔を上げて訊いた。


「お前の首を刎ねても、得る所はない。ただ、この村にいても報復が待っているだろう。お前が望むなら、我らが守るが」

「父上。薊は私の駒として働いてもらうつもりです。当然、お許しを得られればですが」

「ほう、お前の忍びとしてか」

「その為に、手を掛けました」

「薊よ。倅はそう申しておるが、どうだ?」


 すると、薊は微かに頬を赤らめて再び平伏した。


「雷蔵様の下で働きというございます」


 二人の間に淫らな気配を察し、清記は薊から目を逸らした。


「判った。雷蔵よ。差し当たり、村の空き家に住まわせてやれ。その手筈は全てお前がするのだ」


 薊を下がらせ、雷蔵と二人になった。


「雷蔵、見事だ。しかし、何をして女を転ばせたのだ?」

「生きる意味、新しき命を吹き込んだまで。それ以上は、父上には言えませぬ」


 そう言われ、清記は鼻を鳴らした。大方の予想はついているが、口に出して話すような類のものではない。


「夫はどうするつもりなのだ? 芦谷と言ったか」

「それは、私が責任を持って始末します」

「『始末』か。お前も手段を選ばぬようになったな」

「そう育てられたのです。薊は、精々役に立ってもらいますよ。どうせ死んでも元は敵ですから、惜しくもありません」


 雷蔵が口元に冷笑を浮かべると、一礼をして辞去した。

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