第十四回 月見草(前編)

 奥寺大和が死んだ。

 亡き妻の弟。清記にとっては、義弟だった。

 酒毒に犯され、長い間病床にいたのである。そして、快癒せぬままに息を引き取った。

 跡継ぎは、長男の清太郎。元服は済んでいたが若年の為、清記が喪主の補佐をし、今後の後見になる事が決まった。

 葬儀は、ひっそりとしたものだった。知人はおろか、血縁がある者の弔問も少ない。かつては中老を輩出した名門の面影は無かった。犬山派に抗し、藩政掌握までもう一息だった昔日の勢いが嘘のようにも思える。

 そもそも、清記が後見になったのも、一族が既に奥寺家を見限り、離散していたからだ。

 犬山梅岳に敗れて失脚し、利景の代でも日の目を見る事は無かった。大和は心が弱い男だったと、他人ひとは言う。確かに、発奮して再興するよりも、没落に嘆いて酒に逃げた。そう言う意味では、弱かったのかもしれない。

 だが清記には、大和がこれを望んでいたとしか思えなかった。義弟は、愚かな男ではない。父や兄に負けず劣らずの切れ者だった。が、先代の父は切れ者だったが故に、家を潰したと思っていた節がある。

 かつて酒に酔った大和が、


「いっその事、阿呆の方が幸せだったのかもしれない」


 と、嘆いた言葉を覚えている。


義弟おとうとには、済まぬ事をした)


 自分が利景に取り入っていれば、侘しい晩年を送らずに済んだのかもしれない。利景の政権になれば、大和の働き処など多くあったはずなのだ。だが、そうしてやらなかった。その罪悪感からか、清太郎には出来る限りの事をしてやろうと、清記は思っていた。

 全ての始末が片付いた帰り、清記は久し振りに城下を見物した。供は手伝いとして同行させていた、三郎助一人である。こうした機会でもないと、二人で城下を歩く事は少ない。


「平穏なものですな」


 波瀬川から引いた掘割沿いを歩きながら、三郎助が呑気に言った。


「そう思うか?」

「いやですね、利景様がお隠れになって、多少の動揺はあるものと思っていたのですよ。民に好かれておりましたし、良い意味でも悪い意味でも、この藩の中心でございました」

「そこは、執政府が上手くやっている」


 藩政は添田が中心となって利景の政事を継続し、一糸の乱れなく動いている。領内の治安も保たれ、勤王派が息を吹き返す事もない。その辺りは、町奉行たる羽合掃部の能力による所だろう。廉平の報告によれば、藩内で蠢動する残党を四名ほど捕縛し、拷問の末に首を刎ねたという。やはり羽合の本領は、民政よりは諜報や治安維持にあるのかもしれない。

 一方で、相賀も藩庁に缶詰になり財政改革に余念がない。ここ最近は、交易に注力しようとしているようだ。


「流石は、利景様が見出した面々でございます」

「政事については問題ないだろう……」


 清記は掘割の川面に目をやった。

 政事は心配ない。が、他にも問題もある。それは、藩士の間で虚無感が蔓延している事だった。相賀や羽合など、己の能力を試す事に快感を覚えている稀種はそうならない。問題は、利景に心酔し心身共に捧げた者共だ。利景という太陽が眩し過ぎたからであろう。内住郡代官所の中でも、そうした現象は見て取れた。何とかせねばと、声を掛けてはいるが、内心ではどうしようも出来ないと思っている。こればっかりは、各々が立ち上がるしかないのだ。

 それに、この平穏が嵐の前の静けさに思えてならない。このまま、安穏と時は過ぎるのか。そうなる事が願いだが、そうなると信じれるほど、自分の道は平坦ではなかった。


「殿、此処に入りましょう」


 三郎助が歩みを止めたのは、蔵前町にある小売り酒屋〔鬼八きはち〕と記された、提灯の前だった。


「昼間から酒か。けしからんな」

「何をしわいい事を申されますか。真っ昼間だから、旨いのです。殿の喉も酒を欲しておりましょう。この店は、城下でも随一の味。是非是非」


 半ば強引に引き入れられたこの店は、元々小売りの酒屋だったらしい。それがいつしか気の利いた肴を出すようになり、今では人気のある居酒屋になっているという。三郎助は、この店を数年来贔屓にしていると言った。

 暖簾を潜ると、中年増の女が景気のいい声を投げかけてきた。背中には、まだ幼い赤子を背負っている。板場には、背が高く眼つきの鋭い男が一人。夫婦二人で店を切り盛りしているのだと、三郎助が言った。

 店の隅の土間席に座ると、三郎助は冷酒を二つと適当に肴を頼んだ。

 客は町人の四人組と、行商風の男が一人の二組。店はそれほど広くないので、それだけで賑わっているように思える。

 肴は茄子の塩揉みと、ごりの甘露煮である。肴も上手いが、冷酒が残暑で干上がった身体に染み入る心地がした。


「執事失格だな、お前は」

「え? どうしてです?」


 三郎助が、銚子を傾ける手を止めた。


「こんな店がある事を、主人に隠していた。これは重大な背信行為だぞ」


 すると、三郎助は膝を打って笑った。


「殿が冗談を口にするとは」


 旨いものが、口を軽くさせたのかもしれない。そして此処の料理の隠し味は、店を切り盛りする二人の絆なのだろう。無口な亭主と、愛想のいい女将。板場から、


「出来たよ」


 の言葉に、


「あいよ」


 と、返事を返す言葉に、どうしようもない信頼を感じる。


「そう言えば、ここ数日宇治原の姿が見えませぬが」


 三郎助が、清記の猪口に酒を汲みながら訊いた。


「ああ、宇治原なら旅に出たぞ」

「武者修行ですか」


 清記は頷いた。宇治原には、晩に半刻ほど毎日稽古を付けていた。時には死の際まで迫るものであったが、元々筋が良かった宇治原は、その稽古で格段に腕を上げた。それ以上を目指すなら、後は自分で腕を磨くしかない。


「宇治原は強くなって戻るだろう。その時には、平山家の全てを明かし、お前の後を継がせるつもりだ」

「宇治原を執事に」

「執事の方は、お前が鍛えるといい。頭も悪くない男だ。剣が使える執事。いいじゃないか」

「それ、剣を使えぬ私への嫌味に聞こえますが」


 三郎助の一言に、清記は鼻を鳴らして応えた。


「邪魔するぜ」


 ふと、着流しに羽織の武士が店に入ってきた。席に座ると、中年増に酒を頼んだ。

 腰に、懐に十手を呑んでいるのが見えた。町奉行の同心だろう。


「若殿は達者ですかね」


 猪口を傾けながら、三郎助が呟いた。


「どうだろうな」


 大和の葬儀には、一応顔を出していた。しかし探索で忙しいのか、すぐに辞去していた。


「人並みには働いているとは聞いたが」


 雷蔵が目明しを引き連れ、残暑厳しい炎昼えんちゅうの下、城下を駆けまわっている。その様子は、羽合が文で知らせてくれていた。

 どうやら経験豊かな目明しと組み、小さな事件でも精力的に取り組んでいるそうだ。


「見てみとうございますな」

「そうだな」


 今まで、雷蔵を外で働かせた事はない。全て、自分の眼が届く範囲でだった。だが、今回は違う。羽合の指揮下、しかも海千山千の町方与力・同心の中である。それは雷蔵にとって、大きな経験になるだろう。

 最後は梅干を乗せた茶漬けを流し込み、清記は店を出た。不穏な気配を感じたのは、その時からだった。

 この氣は何なのか。敵意でも、殺意でも無い。何かを探っている、不快な気配だった。三郎助は気が付かないのか、呑気に鼻歌に興じている。

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