第三回 私領・建花寺(前編)

 内住郡、建花寺けんけじ村。

 平山家の領地と呼ぶべき、雷蔵の棲家が見えて来たのは、正午を少し過ぎた頃だった。

 城下から南西。険しい山々に三方を囲まれた、長閑な盆地の中にある。猫の額のような平野部であるが、波瀬川の支流が大地を潤し、また農事にも熱心な事から、夜須でも屈指の豊穣な土地と言われている。

 そうした牧歌的な風景の中に建花寺村はあるのだが、一歩足を踏み入れると、その雰囲気が一変する。

 建花寺村は、一種の城下町を形成しているのだ。代官所を兼ねた平山家の屋敷が村の高台にあり、麓には家人が住まう侍長屋。更に村の中央には、剣術道場、そして居酒屋・鍛冶修繕屋・古着屋・小間物屋など一通りの商店が軒を連ね、それを囲むように百姓屋が広がっている。城下と違って一軒一軒の間隔は広く、庭を持つ家もあった。村が手狭になれば、少しずつその範囲を広げていく。

 建花寺村は、内住郡内の十五ヶ村千五百余石の村政を司る政庁であり、夜須南部を鎮護する要所、そして平山家の私領でもある。その村をこうも発展させたのは、代々の平山家当主である。中でも父は、藩庁の許可を得て、村の拡大に心血を注いだ。そして、今や宿場にも劣らぬ規模にまで広げる事に成功した。

 他郡の代官所がある村でも同様の傾向はあるが、平山家の建花寺村は贔屓目抜きでも段違いだ。


(父上は凄い)


 と、村の活気を見る度に思う。剣客だけではなく、文官としても、領主としても父は優秀なのだ。それ故に、跡目を継ぐ事が重荷でもある。父が発展させた村を、潰してしまうのでは? それは重荷というより、恐怖に近い。しかも領主としての役目を、御手先役そして内住代官とも両立しなくてはならない。御手先役をしながらも、内住代官としても働き、かつ建花寺村の領主としても務める。家人などの支えもあるが、その仕事量は並みのものではないだろう。


(まぁ、やるしかないのだ……)


 自分には、守るべき百姓がいる。彼らの生活が自分の双肩に掛かっているのだ。

 村の周囲に広がる畠では、百姓達が野良仕事に勤しんでいる。雷蔵の姿を認めては、手を止め挨拶をする。当然、雷蔵も笑顔で応えた。百姓は、平山家の財産なのだ。粗略に扱うなと、父に教え込まれている。


(精が出るな)


 雷蔵はそう思った。小さな子どもまで、出来る限りの手伝いをしている。

 昨年、若干であるが年貢が上がった。父が言うには、大坂商人への借財を返す為の一時的な処置というが、百姓にとっては苦しいものなのだという。

 それでも内住郡十五ヶ村の暮らし向きは、決して豊かではないが困窮もしていないように見える。生かさず殺さずの辺りで保っているのは、代官として村政を預かる父の手腕だと雷蔵は思っている。

 村に入ると、百姓だけでない姿も見られた。他の村では考えられないが、この村では当たり前の光景である。

 家人。その家族。行商。旅人。渡世人。夜須南部の拠点ともなると、集まる人の数も多種多様だ。

 中には、藍色の貫頭衣に毛皮の腰蓑を纏った山人やまうどの姿もあった。

 村にあっては、際立つ異装である。彼らは、獣肉や山菜、薬草、加工した皮革を、村で売っているのだ。時には平山家の屋敷を、直接訪ねる事もある。


「おう、若様」


 すれ違う山人が立ち止まって、頭を下げた。名前は判らないが、屋敷によく来る山人だ。

 雷蔵は適当に挨拶を交わし、足早に立ち去った。夕雲の顔が頭によぎり、見ていたくはなかったのだ。夕雲を抱いた自分が、あたかも女衒ぜげんや売った父親と共犯のように思えてくる。


(もう考えまい……)


 雷蔵は、竹刀が打ち合う音に誘われて、道場に立ち寄った。祖父の悌蔵が建てた、村唯一の剣道場である。

 武者窓から覗くと、若い百姓達が気勢を挙げて竹刀稽古をしている。指導しているのは、師範代を任せている平山家の家人で、宇治原東平うじはら とうへいという男だった。念真流ではないが、そこらの武士には負けない腕を持つ。

 この道場は、平山家が百姓の自衛の為に設置したもので、その流派を念真流ではなく〔建花寺流〕と称している。と言うのも、念真流は、門外不出の家伝なのだ。おおやけには竹刀稽古に長けた〔建花寺流〕の宗家と平山家は自称し、念真流の存在は秘匿とされている。

 建花寺村だけでなく、近郷の若い百姓が集まり、此処で汗を流している。腕が認められれば、家人として抱えられ、武士として生きる道も用意されていた。

 雷蔵が、道場に出る事は殆どない。稽古は全て、父が相手だった。それでも、こうして見ているだけで剣術好きの心は満たされるものがある。


「雷蔵様」


 宇治原が稽古の手を止めて、声を掛けた。


「市の日というのに、精が出ますね」

「流石にいつもよりは少ないですが、故に今いるのは、百姓のくせに剣術馬鹿ばかりですよ」

「剣術馬鹿とは酷い言いようですね」

「どうです? 雷蔵様も一緒に」


 笑顔だった。流れる汗を輝かせている。それは宇治原だけでなく、稽古をしている全員だった。


「いや、止めておきます」


 雷蔵は首を振って、その場を離れた。


(自分の剣とは違う)


 有りようの根本が違うのだ。雷蔵は、そこにどうしようもない眩しさを感じた。それは羨望なのかもしれない。人を斬る為だけに身に付けた自分は、このように輝く汗は流せない。

 平山家の屋敷は、村の中でも小高い丘の上にある。まるで、村だけでなく内住郡を睨むように建てられたそれは、内住郡代官所も併設し、二つの母屋は渡り廊下で繋がっている。

 かつて、この場所には建花寺という、村の名前にもなった寺院があったらしい。それが廃寺となると、藩は寺を潰して代官所を設置した。

 屋敷への道の途中の一角には、薬草園と養生所がある。

 此処には、楢塚若幽ならづか じゃくゆうという医者がいる。この医者は平山家が抱えている者で、高い俸給を与える代わりに、百姓を無料で診察しなくてはならない事になっている。

 雷蔵がちょうど横を通った時には、若幽は下働きの若者と共に薬草園で手入れをしていた。葉についた虫を取っているのだろう。

 若幽は、薬の生成にも熱心だった。時には試しもする。その試しは犬や猿でするのだが、最後は人でもしていた。試される人間は、食い詰めた乞食が殆どだ。当然報酬も渡すそうだが、時には死人が出る事もある。

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