28.黒い虹

「何だあれは?」

「黒い虹?」

 斜め上の空を分断する様に一直線に伸びているそれは、確かに敢えて例えるなら黒一色の虹としか言えない代物ではあったが、誰かが漏らしたそんな正直な感想は、忽ち仲間達から否定された。


「馬鹿! 確かに色の濃淡はあるが、虹が黒いわけあるか!」

「いや、だけど、そうとしか見えないだろ!?」

「あれが、自然現象で無い事だけは確かだが……」

 周囲が困惑の色を深める中、アクセスはすこぶる冷静に、エリーシアに問いを発した。


「エリー。あれはどう見ても、魔術の類だよな? だが攻撃魔術の様には見えないが、何なんだ?」

「…………」

「おい、エリー。どうした?」

 なにやら驚愕の顔付きで、その黒い虹を凝視しているエリーシアが無反応な為、アクセスが再度彼女の肩を軽く叩きながら声をかけた。するとそれで我に返ったらしい彼女は弾かれた様に振り返り、アクセスに向かって力強く断言する。


「あれをやったのはサイラスです! 味方と合流できたんですよ!!」

 彼女のその報告に、周りの者達の顔に驚きと喜びの表情が浮かんだ。

「本当か!?」

「合流したらこんなのを出すと、サイラスと打ち合わせていたのか?」

「いえ、そんな事は全くしていませんが」

 サラッとそんな事を言われて、一瞬喜んだ面々はがっくりと肩を落とした。

「エリー、それじゃあ、そうだと断言できないだろ?」

 一同を代表してアクセスがそう問いかけたが、彼女は主張を曲げなかった。


「でも、絶対そうです! あいつのマントの表側に刺繍してあった図柄、爪が金色の黒い鷹と竜でしたから。あの黒い虹の中で、一カ所だけ金色の点が有りますよね? あの真下にエルマースの部隊がいる筈です!」

 それを聞いたアクセスは無言で空を見上げ、問題の虹もどきを凝視した。そして視線はそのままに、静かにエリーシアに声をかける。


「……エリー」

「はい」

「距離感がいまいち掴めんが、あの点の位置からすると、まだちょっと離れてるよな? おそらくはレストン軍の部隊の、向こう側だ」

「そうですね」

 対するエリーシアも、真顔で落ち着き払った声音で応じてから、含み笑いで申し出た。

「そういう訳ですから、ここは一つ、私と心中して貰えませんか?」

 すると首を巡らせて視線を彼女に合わせたアクセスが、如何にも楽しそうに笑う。


「上等だ。どうする気だ?」

「できるだけ、こちら側に有利な場所を作ります。全員一ヶ所に集めて下さい」

「分かった。おい! 全員集まれ! 怪我人を中心にして、円形陣を取るぞ! 勿論馬も一緒だ。興奮して暴れない様に、きちんと抑えておけ!」

 アクセスの判断は早く、その指示によりすぐさま全員が外向きになって円形を保った。エリーシアは当然の如くその一番外側に位置し、剣の柄に手をかけてそれを捻って鞘から外す。


「さてと、これが本当に役に立つ事態になるとはね。遠慮無く、使わせて貰います」

 そして鞘の中身を少しずつ地面に流し落としながら、一心不乱に呪文を唱え始めた。

「グレーム・アル・ジェ・リルケード・ネティス・カーン……」

 するとエリーシアの足元で、小さな山を作り始めていた魔導石晶粉が、黒い線状になってアクセス達の周囲の地面を走り始めた。そして全員が立っている地面に十分余裕を持たせて、綺麗な円形を描くと、その少し内側に更に少し小さめの円を描く。更にその二重の円の間の地面に、様々な幾何学模様や文言が次々と魔術で描かれ、魔術の素養が全く無い者でも、それがかなり高度な術式である事が見て取れた。

 そして一通りレストン軍を迎え撃つ為の布陣ができたところで、エリーシアは次の手に移る。


「……タム・リェスワ・ロン・クライート!!」

 続けざまに呪文を唱えたと思ったら、最後は派手な狼煙代わりだったらしく、エリーシアのマントの裏側にモザイク模様として縫い込まれていた布と同じ六色の虹が、空に向かって一直線に伸びて行った。そしてそのまま頭上に固定されたそれを見て、その場の皆はもう笑うしかなくなる。


「ド派手だなぁ……」

「凄いですよね」

「うん、バッチリこっちの居場所、分かるな」

「敵味方、両方な」

「随分と、面白くなってきたじゃありませんか」

 そう言って半ば自棄になりつつも不敵な笑みを浮かべる部下達に、アクセスは冷静に状況を説明した。


「エリーの見立てでは、レストン軍は俺達をほぼ全方位囲んでるが、各部隊の人数はそれ程多くない。その背後から来るエルマースの部隊がどれ位の規模か分からんが、それなりの規模で無ければ、サイラスがあんな派手な物を空に上げない筈だ」

「となると、その部隊がこれを見てここに到着するまで、俺達がここで持ちこたえれば、俺達の勝ちと」

「そういう事だ。もうエリーは臨戦態勢に入ってるぞ?」

 地面に片膝と両手を付き、周囲に脇目も振らずにブツブツと呟いているエリーシアを見て、本職の兵士である面々は揃って表情を引き締めた。


「了解」

「じゃあどこからお客さんが来ても良い様に、俺達もお出迎えの準備をしますか」

「お迎えが来たらとっとと逃げるから、その時は間違っても遅れるなよ?」

「分かってますって。混戦になるのは必至ですよね」

「こんな所でうっかり死んだら、名誉の戦死どころか、司令官に墓石を踏まれかねないです」

「そうそう、安眠できないよな?」

「そういう事だ」

 そこで座り込んだままのエリーシアが、鋭く警告を発した。


「右後方、来ました! 防御壁、全方位展開します!」

 その彼女の叫びと共に彼らの周囲の空気が揺らぎ、一斉に飛来した矢を悉く跳ね返した。と同時に一瞬のうちに燃え上がって消し炭になったそれを見て、思わず一人が口笛を吹いて感嘆の声を上げる。


「うおぅ、エリーシアさん、滅茶苦茶張り切ってんな」

「さて……、エリーがどれだけ保たせられるか。あちらさんにも、魔術師が付いてる筈だしな」

 静かに自身の剣を抜きながら、アクセスは木立の中から姿を現した一団を確認した。そして無言で空を見上げ、先程見た時よりは若干位置が変化した様に感じる、黒い虹の中の金色の光点を凝視したのだった。

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