第2話 アイオライト“菫青石”
こうして、今保護しているのは、商人という名の盗賊どもに襲われた妖精たちだ。
妖精用のベッドですやすやと寝息を立てている保護妖精に指を伸ばして、薄紫色の髪を掬い上げる。髪の毛で覆われていた額には、小さな傷が痛ましく残っている。胸の奥に枝が刺さったような感覚に襲われる。
人間のせいで、彼らはこんな傷を負った。
いくら盗賊どもと違うとはいえ、妖精からすれば人間は人間だ。
初めの頃はえらく怖がられたものだ。それはそうだ。保護し、治療するといって、また恐ろしい目に合わせるかもしれない。深く深く、抉りつくように心にも、体にも刻まれた感触は拭えない。
「んん……すぅ……」
身じろぎながら、ころん、と寝返りを打つ。再び聞こえてきたのは微かな寝息。
この寝顔を見られるなら、どんなことをしてでも守りたい。
ジェルはその胸の奥に、密かに想いを馳せるのだ。
ハンカチサイズのシーツを畳んで、バケットに入れ、戸棚に戻す。
色取り取りのそれらは全て妖精たちのために誂《あつ》らえたもの。
まるでお人形のようなそれらに、ジェルは心がときめく。いくら妖精医療といえど、ジェルも年頃の女の子。
戸棚には小さな洋服、布団用のハンカチ、食器の数々。
ちょっとしたご褒美だ。
ふふっと頬が緩んでいると、背中側にあったドアがとんとん、と叩かれた。
ドアへ向かい、ドアノブを回すと太陽の光を遮る大きなものが、目の前に現れた。背の小さいジェルからすれば十分大きい。とゆうか大きすぎる。
「あの……ここは、家ですか……?」
「ええ。そうですが」
見た目に反して恐る恐る聞いてくる目の前の人は、男だ。すらっと背が高く、背中には弓矢のようなものを背負っている。弓矢を背負っているのに、腰には剣も二本ばかし。
瞬時にジェルは、ドアを閉めようとした。
盗賊だ。優男風に見えるが、こんな身なりの奴は盗賊だ。これまで保護してきた妖精たちを捕まえようとしていたのはみんな、こんな身なりをしている奴。
「か、帰ってください! ここには、なにもありません!」
張り裂けんばかりの大声を出したジェルは力いっぱいドアを閉めようとする。だが、男の力に叶うわけもない。
「ちょっと! 待ってください! 俺は……敵じゃない!」
「信用できません! 貴方のような輩は、とっとと帰れっ!」
「だから、敵じゃ……」
がっごん。
不穏な音がした。同時に嫌な空気が漂う。
さああああっとジェルの顔色が青ざめる。見知らぬ男とドアを引っ張り合っていたせいか木で打ち付けられたドアはあっさり破壊され、あろうことかドアノブまでも壊れている。
自分たちを守る唯一の武器を壊されたかのように、ジェルは放心している。見知らぬ男もやりすぎたと思ったのか、ドアノブを持ったまま立ち往生しており、とても邪魔だ。
泣きそうになるのを堪えながら、必死にジェルは言葉を紡ぐ。
「か、えってよ……ここには、何も……ないっ……」
震える声を押し殺して、ジェルは紡ぐ。目の前の小さな少女が泣いている姿に、さすがの男も驚きを隠せず、おもむろに手を伸ばす。
「す、すまない……驚かすつもりじゃ……」
「…………」
伸ばされた手はジェルの頭をそっと触れる。優しく、労わるように、幼子をあやす様に、撫でる。
俯いていた顔を上げると、翡翠色がかった双眸がジェルの顔を見つめ、とても優しげな眼差し。
ようやく落ち着いたのか、ジェルは伝う涙を指で拭う。ぱんぱん、とスカートをはたき、先程と打って変わって凛とした声で紡ぎだす。
「……すみません。取り乱しました。もう一度言います、ここには何もありません」
「あ、いや……俺こそ……あの、物取りじゃないです」
同じ言葉なのに、全く違う風に聞こえた。年相応の女の子の悲鳴じみた言葉と落ち着きを取り戻し、凛とした姿で立つ女の子は、同一人物か?
「物取り、ではないという証拠は? 貴方が不審人物ではない確証はあるのでしょうか」
「えーっと……」
ずんずんとジェルは男に歩み寄り、どんどん家から離れていく。自分よりも年下であろう女の子から責められる。
「背中の弓、腰の剣。盗賊の類ではないと? では、なんですか」
ああ、なるほど。彼女が自分に対して不信感を募らせる理由がようやくわかった。だが、それがわかったからといって目の前の彼女が納得してくれるとは思えない。
気迫めいたものを纏って、迫ってくる。
「ちょ、待って! 確かに見た目は盗賊っぽく見えるけど違う!」
「しつこいですね。その証拠を見せてくれればいいんですよ」
ジェルは強気な姿勢を崩さず、男にどんどん詰め寄る。
ついに丘の端にまで追いやられてしまった。落とされないと思うが、今の状態ではいつ落ちても不思議ではない。
小柄な女の子に追いつめられる絵面など、誰が想像するだろうか。
「俺は……妖精、だ」
口から出たのは自分が妖精だという言葉。ジェルは思わず瞬きをする。ブルーサファイヤ色の双眸は見開かれ、唖然とする。
妖精だと名乗った男は顔が引きつり、今にも落ちてしまいそうな足を必死に堪えている。
「……本当に?」
「本当だ……とも」
下から睨みつけるように目線を合わせると、ジェルは一歩後ろへ退いた。
「……よかったぁ……本当に、よかった」
次に聞こえたのは安堵の声で、もう三歩程後ろに下がり、男の足元に余裕を持たせる。
何とか落ちずに済んだ男も安堵の表情を浮かばせ、思わず地面に座り込んでしまった。安心からか一気に足の力が抜けたのだろう。
俯いたまま、乾いた笑いが漏れる。
本当によかったのは俺のほうかもしれない。
「えっと、失礼なことをしてしまいすみません」
年相応の少女の明るい声が聞こえる。スカートの裾を持って、ぺこり、とお辞儀をしている少女。
にっこりと笑いかけ、溢れんばかりの笑みを溢す。
「申し遅れました。私はジェル・リンダーソン。妖精医療を生業としている者です」
礼儀正しく名を告げる少女に、男は思わず目を見開く。
数分前まであんなに敵対意識を持っていた少女が、自分が妖精だと名乗った瞬間にこの変わり身。驚かない方が無理というもの。
「ご丁寧に……えっと、俺は……アイオ」
「そう。アイオ。脅かせてしまいごめんなさいね」
「ああ、いや。俺こそ急に訪ねてしまい申し訳ない」
落ち着いたのは、足にも力が戻り、立ち上がる。ジェルより頭一つ分程高いアイオは足元についた草を払う。
「それで、いきなりですまないが。一晩泊めてもらえないだろうか」
「構わないわ。不躾な態度を取ったんだもの」
そういって、ジェルは自分の家の方へ戻っていく。その後ろをアイオは距離を置きながら歩いていくのだった。
宝石妖精 舞原桜水 @ouka_saku_
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