5

 理科室は、今まで調査してきたどの部屋よりも、雑然とした有様だった。


 木製の棚には、どの学校にもある解剖された魚のホルマリン漬けや卵から蛙になるまでの成長過程を示した標本などの気味の悪い教材が並び、黒板の前では、蜘蛛の巣の張った骨格標本が教卓に寄りかかっている。


 金属製の薬品庫だけは、さすがに安全性の問題に配慮したのか、もぬけの殻だったが、言い換えれば薬品以外の備品は置きっ放しにされたままであった。



「3つ目の八不思議、木乃伊少女みいらしょうじょ



 無造作に開け放たれた薬品庫の鉄製のドアを開けたり閉めたりしながら、小泉が唐突に口を開いた。

 陽気な彼に似合わない、静かで悲哀すら感じさせる声音に、不覚にも背筋に冷たいものが走る。



「エジプトからやってきた木乃伊の少女に生気を吸われる、なんて話か?」



 100キロババアと似たり寄ったりの、荒唐無稽なあらすじ予想を言ってみたが、駱駝の様に長い睫毛を物憂げに伏せ、小泉は首を横にした。



「残念ながら、1つ目の自殺した女教師以上に憂鬱な話だよ。少女の正体はエジプトのお姫様でもない、この廃校を卒業しただ。別に本物の木乃伊なのではなく、顔を包帯でぐるぐる巻きにしていたから、木乃伊に見えたってだけ」



「顔を包帯……」



 後味の悪い話であることが約束されているが如き単語に、唾を飲む。



「大正の半ばにあった事件らしいけど、ある時、この学校を卒業して、千葉市内の女学校に進学したある少女が、久しぶりに帰省してきたそうだ。彼女は小学生時代から美しい顔立ちをしていたが、16歳になり、その美貌は一層磨きがかかり、仄かな色気すら漂わせるようになっていた。都会でも、当然、付近の男子学生の憧れの的だったそうだよ。大きな休みを利用して故郷に戻った彼女は、ちょうど小学校の同窓会があると幼馴染から聞き、会場の懐かしい母校に足を踏み入れた。より洗練された美女に成長した級友に、同窓生たちは息を呑み、男子は目を奪われ、女子は嫉妬と羨望にもやもやした。まあ、この辺りまでは、正常な反応だ。問題は、男子の中に、一人だけ憧れを通り越し、彼女に歪んだ劣情を抱いた者がいたことだ。彼は、同窓会会場の教室を離れ、便所に行こうとした彼女を呼び止め、この理科室に連れ込み、力づくで、自らのものにしようとした。けれども、少女は断固拒否。その場を立ち去ろうとした彼女の美しい顔に、逆上した男は鍵が開けっ放しだった薬品庫から取り出した硫酸をかけた。男は警察に捕まったし、彼女は一命は取り留めたものの、二度と見られぬ顔になってしまい、女学校も辞めて、失意のまま実家に引きこもっていた。犯人の男は精神に異常があった上、未成年だったため、ろくな処罰も受けず、数か月後には村に帰ってくると聞き、絶望し彼女は山奥の滝に身を投げて死んだ。村に帰った男は、反省している様子も見せなかったが、1月も経たずに、心臓発作で死んだ。当時は呪いだとみんな噂していたらしいけどね。それから、顔を包帯で覆った彼女の霊は、事件現場のこの理科室に時折現れ、すすり泣くそうだよ。誰かに害を与えることはないみたいだけど、会えばびっくりはするよね」



 かわいそうだよね、彼女は何も悪くないのに、と小泉は纏めた。


 悪くない、のだろうか。


 少しだけ引っかかる部分があって、明智は眉根を寄せたが、即座に察知される。



「そうは思わない、と言いたげだな」



「まあな。自殺にまで追い込まれたのは気の毒だし、彼女には何一つ落ち度はない。同情に余りある。しかし、俺は呪いなんてないと思うが、仮に犯人の男を自ら呪い殺したのなら、もはや全く悪くないとは言えないのではないか? 犯罪者は法で裁くべきであり、正義の執行を自己判断で行ってはならないだろう?」



「見事な綺麗事ありがとう。復讐には俺も否定的だけど、彼女の復讐は死後のものであり、かつ方法は呪いだ。法は死者を裁けないし、呪いは刑法的には不能犯だよ。例え彼女の死霊が犯人の男を呪い殺したとしても、それもまた法は裁けない。その点、明智はどう考えるの?」



 片眉をくいっと上げ、挑戦的な笑顔を向けられた。



「法律的には罰せられないが、倫理的にはまずいだろう。法の不具合を、人は常に解釈論や判例、法改正で調整してきた。そもそも、呪いなんてないのだから、本件みたいな場合は調整する必要もないだろう」



 我ながら苦しい弁だと分かっていた。

 案の定、小泉はこちらを小馬鹿にした薄笑いを浮かべつつ、講評を述べた。



「倫理ねえ。また抽象的な基準に逃げたな。うーん、典型的な役人的な回答だね。ま、いっか。実は、この木乃伊少女の話も、元にあった強姦未遂事件すら、事実無根の嘘なのだから」



 薄っすら感づいていたが、1つ目の話同様、3つ目のお涙頂戴のやり切れぬ怪談は、誰かの趣味の悪い創作であった。

 別に怖いとかは思っていなかったが、実に拍子抜けさせられる真相だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る