54*様々な感情が渦巻く

 あれから数日後。クレチジア帝国の事は話題になっていた。


 「皇帝の一途な想い」というタイトルで記事が出されたのだ。記事を書いたのは以前取材をしてくれたディーン。元々その腕に定評があるらしく、確かにタイトルからして粋な表現を使っているなと思った。


 内容としてはディミトリスの悪事の真相、そしてセナリアとエレナの声も載っていた。この記事を通して、魔女について考えてくれる人も増えたという。そして、魔女に対する悪い噂も、徐々に消えていった。


「なるほどね~。動物実験ならぬ人体実験のため、か……」


 サンドラが記事を読んでぼやく。


 ディミトリスが各国で毒を使用していたのは、双子の薬を利用して人体実験をするためだったらしい。金で雇った者に記録させ、自身の手は汚さないで高みの見物をしていたようだ。しかも研究に使っていたハーブも、調べてみればただのハーブではなく、麻薬だった。それを部下に運ばせていたなんて、どこまで人を使えば気が済むのだろう。


 彼がなぜそんな事をしたかまでは記事に書いていなかったが、噂では金儲けのためとか、地位のためとか、色々と言われている。だが正直そんな事はどうでもよかった。どちらにせよ、苦しい思いをした人がいるという事を、ちゃんと分かった上で罪を償ってほしい。それだけだ。


「薬は安全で正しく使うのが大前提なのに……馬鹿だね」


 サンドラは低い声で笑う。

 顔は笑っていても怒っている。地味に怖い。


「……あいつのあの顔久々だな」


 傍にいたクリストファーも少し引いていた。

 彼曰く、サンドラは同じ職種の人にはかなり厳しいらしい。







 慣れた様子でドアを開ければ、中にいた人物は微妙な顔をした。


「わざわざ来てくれたんやな」

「そりゃあお世話になったもの」


 ロゼフィアは平然と答える。


「うちのせいでもあるのに。ほんと律儀やわ」


 ヴァイズは苦笑した。


 クレチジア帝国から帰ってヴァイズもしばらくは店を休んでいたようだが、今日は店を開けたようだ。ロゼフィアと同様、レビバンス王国に行ってすぐにクレチジア帝国に移動した。色んな国を巡った経験はあっても、きっと疲れた事だろう。


「本当にありがとう。助かったわ」

「いや、長に借りを返す為で……って言ってもロゼは聞かんか」

「ええ。理由はどうであれ、皆のために動いてくれたもの」


 するとまた微妙な顔をされる。


 でもこれが彼女なりの照れ隠しなのだろう。

 一緒にいる時間が増えて、ヴァイズの事もだいぶ分かってきた。


「にしてもほんと。連れの騎士さんには困ったもんやな」


 ヴァイズは隣にいたジノルグをじろっと見る。

 エマーシャルとヒューゴに話を聞いたようだ。


 これにはロゼフィアも苦い顔になる。


「その節はお世話になりました」


 ジノルグは丁寧に頭を下げる。

 顔色は特に変わってない。


 するとヴァイズは溜息をつく。

 彼に何を言っても意味がないと思ったのだろう。すぐに話題を変えた。


「そういえば、これからロゼはどうするん」

「? どうするって?」

「いや、一応各々の国の問題は解決したわけやろ? 今後も研究所で働くん?」

「……そう、ね」


 確かに今後の事は考えていなかった。今まで慌ただしく動いていたが、それは各国で色んな事があったから。だがそれも解決して、平和な状態に戻った。だったら、前のように研究所で働くと思う。


 そう答えようとすると、店のドアがゆっくり開く。

 お客さんが入ったのかと思えば、その人物に目を丸くした。


「やぁ」

「長!?」


 ロゼフィアが叫ぶ前にヴァイズが名を呼ぶ。


 名を呼ばれた本人は、以前と同じ白い複数の刺繍が施された服を着ている。銀色の三つ編みの髪を揺らしながら、にこにこと笑いながら手を振ってきた。……やはりその容姿はお婆さんと思えない。


「ヴァイズ、今回の事は助かったよ。ありがとう」

「……いえ。こちらこそ助かりましたし」


 少し身を引きながらヴァイズが答える。おそらくルベリカが苦手なのだろう。その理由は分かるといえば分かる。その存在感はすごい魔女である事を指しているが、それ以上に何を考えているのか分からない。得体の知れない魔女である事に変わりはないのだ。


 ルベリカはくるっとこちらに向き直る。


「ロゼ。この前ぶり」

「もしかして、お願い事ですか?」

「その通り。早く言わないと気が変わるかもしれないしね」

「?」


 どういう意味だろうと思っていると、急に彼女は真面目な顔になる。そして少しだけこちらに近付いた。近付くと自分より少し背が高い事が分かる。


「ロゼ」


 髪と同じ幻想的な銀色の瞳だ。

 思わず引き込まれるほど澄んで見えた。


「シュツラーゼに来ないか?」

「…………え?」







「解決して本当によかったわね」


 出された紅茶を飲みながら、紅色の長い髪を持つ魔女が言う。

 隣で同じくコップを持つアンドレアも頷く。そして微笑んだ。


「ディミアにも感謝しているわ。ロゼがいない間、助けてくれてありがとう」

「まぁロゼを巻き込んだのは私達・・だから」


 苦笑しつつコップを机の上に置く。


 クレチジア帝国に行くようロゼフィアに言ったのは長であるルベリカだ。だが、ディミアが帰ってきたのはロゼフィアがいない間、この国を助けるためでもあった。元々この国で魔女として過ごしていただけあって、皆からの信頼も厚い。何かあっても対処できるだろうとルベリカからも言われていた。


 もっとも、ディミアはディミアで個人的に用事があった。

 それはすでに解決しているので良しとする。


「うちの村が色々と迷惑をかけたわね」

「いいえ。それに、これからは情報を公開するのよね?」


 今まで魔女の村である「シュツラーゼ・イレブノ」は、全て情報を隠してきた。だがつい最近、ルベリカが情報を公開すると言ったのだ。これはヒューゴの口を通して聞いた。どうやらこれからは外部との交流を図っていきたいのだという。まだ各国にこの事は伝わっていない。だが、それも時間の問題だろう。


 伝令役であるヒューゴは既に他の国に移動している。その際にシュツラーゼの事も伝えて欲しいと、ルベリカに言われたらしい。もちろんただ言うだけではない。傍にエマーシャルがいる。実際にシュツラーゼで暮らしていた魔女がいるのだ。その噂は各国を回る事だろう。


「ええ。うちの長はやる事が大胆で突拍子もないわね」


 ディミアは少し呆れたような声を出す。

 アンドレアは少しだけ苦笑した。


「でもこれで、皆魔女に対して関心を向ける。互いに助け合う事ができるわ」


 人々が魔女に対する見方を変える。記事で魔女の事を書いてもらえても、一度落ちた評判を良い方向に持っていくのは時間がかかる。だからこそ、実際に魔女とふれ合う機会を作るのはいい事だ。魔女の事を知り、互いに協力し合って生きる世界が築ける。


「……ええ。そうね」


 一見いい話だというのに、なぜかディミアは暗い顔をする。

 なぜだろうと眉を寄せれば、彼女は小さく溜息をつく。


「……あの・・長は、本当に突拍子もない事を思いつくから」


 先程と同じ言葉だ。

 だがどこか重い一言に、アンドレアは胸がざわついた。







 戸惑いつつ相手を見る。

 するとルベリカは「ああ」と気付いたような声を出した。


「ただ来てほしいわけじゃないよ。お前さんに住んで・・・ほしいんだ」

「……住む、って」

「今までシュツラーゼはあまり公にしてこなかった。それはシュツラーゼに住む魔女を守るため。……でもその考えは間違いだと気付いてね。むしろ今は多くの人々と交流する必要があると感じた。囲まれた村だけで暮らしているとどうしても歪んだ考えになる。エマーシャルがいい例だね。だから変えていきたいんだ」

「…………」


 何も言わないロゼフィアに、ルベリカはにこっと笑いながら続けた。


「今までの制度を変えるんだ。その役目を中の者が行ったところで、効果は薄い。外にいたロゼだからこそ、中の魔女も耳を傾ける。身をもって中の魔女達に指導してほしいと思ってね。その上でシュツラーゼの魔女達に選択肢を与えたい。このままこの村で暮らし続けるのか、それとも外の世界に出るのか」


 双子の魔女であるセナリアとエレナも黙ってクレチジア帝国に行った。そのせいで知らぬ間に事件に巻き込まれ、見つかるまでに時間がかかった。そのせいもあってルベリカは、これからの魔女の教育を変えていきたいと思ったのだろう。


 ロゼフィアはゆっくり唾を飲み込んだ。


「……どうして、私を。別に他の魔女でもいいんじゃ」


 外に出て活躍している魔女なら他にもいる。

 わざわざ自分を選ぶ理由が分からない。


「すでにお前さんは私がお願いした仕事をこなした。それだけで十分だよ」

「でも、」


 ロゼフィアは渋る様子を見せた。

 だがルベリカはあっけらかんと言う。


「シュツラーゼに来た暁には、シュツラーゼにしか伝わっていない薬の作り方を教えよう。他にも色んな魔女がいるからね。なんでも教えてあげられるよ」

「待って。私はまだ」


 まだ自分は何も言っていない。

 それなのに勝手に話を進められている気がした。


 シュツラーゼは確かに魔女の村というだけあって、薬の知識も豊富だ。自分で勉強をしても、どうしても限界がある。だから教えてもらえるというのは、魔女としてありがたい話だと思う。でもだからといって、すぐに飛びつく話ではない。


 本当にシュツラーゼに住むとなったらここはどうなる。これでもこの国の魔女としてずっと過ごしてきた。森にある家だって、代々継いできたものだ。それを簡単に手放す事はできない。


 するとルベリカはくすっと笑う。


「この国は優秀な薬剤師が大勢いる。お前さんは必要ないように見えるけど」


 ――何かが切れる音がした。


 と同時に、目の前にいるのがルベリカの顔ではなく、ジノルグの背中になっていた。いつの間にルベリカと自分の間に入ったのだろう。


 ジノルグは腰にある剣を握る。

 銀髪の彼女は、余裕の笑みを浮かべていた。


「怒らせたかね」

「……それ以上何か言えば護衛として剣を抜きます」

「ジノルグ、」


 やめて、と言おうとした。

 だがジノルグが先に強い口調で言った。


「ロゼフィア殿を傷つける者は例え魔女であっても許さない」


 相手は鼻で笑う。


「私はただ本当の事を言っただけなのにね」


 さらにこちらの心を抉ってくる。

 悪びれる様子もないのがさらに拍車をかけた。


 ロゼフィアは黙り込む。

 すると相手は足先をドアに向けながらこう言った。


「返事はゆっくり待ってるよ、ロゼ。シュツラーゼはお前さんを必要としてる。その意味を理解できれば、そう悪い話じゃないはずだ」


 言いたい事だけ言えば、彼女は外に出て行く。

 しばしその場が静まり返った。


「……ロゼ」


 心配そうにヴァイズに声をかけられる。

 ロゼフィアは薄ら笑った。自分でも嘘くさい笑顔だと思った。


「大丈夫よ」


 その言葉でさえ嘘である事を、二人はすぐ気付いただろう。

 だがこちらを気遣ってか、特に何も言わない。


 ヴァイズはこちらにそっと近付いてきた。

 そして手を両手で包むように握ってくる。


 今の自分には、それだけで十分だった。







 久しぶりの家は、変わらず小さくそこにあった。

 数日前にも来たわけだが、それでも少し懐かしく感じる。


 思えばあの時は魔法でここまで飛ばされて、急いで城に向かう事だけを考えていた。だからゆっくり見る暇もなかった。ロゼフィアは家を眺める。時間ができたからここに来たわけだが、やっぱり森の中は好きだ。この静かな空間が好きだ。いつの間にか風がなびき、髪が揺れた。


 するとすっと隣に誰か来た。

 見なくても分かる。ジノルグだ。


 ここまで一緒に来たが、特にお互い何か話す事はなかった。色々言いたい事はあるはずなのに。それはジノルグも同じなようで、ずっと口をつぐんでいる。何も言いたくない、というよりは、今は何も言う必要もない、と言っているかのようだ。ロゼフィアも、ただこの場に一緒にいるだけで心地よかった。


 ……だが、そう落ち着いてはいられない。

 ずっとルベリカの言葉が頭にこだました。




『お前さんは必要ないと思うけど』




 それは今に始まった事じゃない。

 前々からずっと思っていた。


 今まで魔女としての仕事を果たしてきたが、それは祖母から、母から仕事を継いだからだ。この国の研究所は日夜必死の努力をして薬を作っている。自分が知らない技術もある。頼りになる人はいっぱいいる。


 だから自分がいなくなったところで、困る人はいない。


(……私は、シュツラーゼに行った方がいいのかもしれない)


 まだまだ自分には知識が足りない。それに、シュツラーゼに行く事で自分は変われる気がした。自分を変えたい。いつまでも自分に自信のない自分でいたくない。なにより、自分を必要としてくれる人がいる。


 ロゼフィアは隣で上を見上げているジノルグに目を向けた。


 彼は何と言うだろう。優しい彼の事だ。きっとシュツラーゼに行く事になっても、応援してくれるだろう。もしかしたら、「ロゼフィア殿が決めた事なら、俺は何も言わない」とでも言うだろうか。なんとなく想像しながら笑いが込み上げる。どちらにせよ、肯定的な言葉に決まっている。


「シュツラーゼに行こうと思う」


 唐突に話す。できるだけ明るい声を出した。

 相手に何か言う隙間は与えない。早口でまくし立てる。


「今より知識を増やすためにも、もっと学んでくる。まだまだ私は足りないから。それに、ここには優秀な薬剤師がいる。私がいなくたって大丈夫」


 ジノルグはただ黙って聞いてくれる。

 その表情はいつも通りだ。


「私を必要としてくれる人がいるなら、そこで頑張ろうと思うの」


 ただ静かに、聞いてくれる。

 いつも通りだ。ロゼフィアは自然に笑みが出た。


「だから、」

「嫌だ」

「……え」

「嫌だ」


 はっきりと言われた。しかも二回も。

 予想外の反応に、戸惑った。きっと応援してくれると思ったのに。


 するとジノルグは、核心を突くような言い方をする。


「ここに自分は必要ないと思ってるんだろう」

「……だって、別に私がいなくたって」


 思わず視線を下げてしまう。


 代わりになる人は、いやそれ以上に頼りになる人はいる。

 ここに自分が必要だと、誰かに言われたわけでもない。


「必要と思っている人が目の前にいてもか」


 ロゼフィアはぱっと顔を上げる。

 真摯な瞳がこちらを見てくる。


「離れたくない」

「…………どう、したの。急にそんな事言って」


 心臓がすごい勢いで鼓動する。


 ジノルグが真っ直ぐに伝えてくる事は今までもあった。言葉だけじゃない、行動でもだ。でも、こんなに真剣に、それでいて熱っぽくに言ってきた事はなかったかもしれない。いつもならもっと、遠慮した感じなのに。


 相手の珍しい行動に、どぎまぎしてしまう。


「急じゃない」


 手に触れられる。


 大きくてごつごつしたジノルグの手は温かい。いや、少し熱いくらいかもしれない。触れる手は優しいのに、思わず身構えしてしまう。


「ずっと言わなかっただけだ。……いや、言えなかった。でも今ならいくらでも言える。俺は、ロゼフィア殿を」


 思わず手を振りほどく。

 強くは握られてなかったので、簡単に外れた。


「ロゼ、」

「ごめんなさい」


 反射的に謝った。

 手を振り払った事に対して。


 でも顔は相手を見られなかった。


「…………少し、頭を冷やしてくる」


 静かな声で言われる。

 ゆっくりと足音が遠ざかって行った。


 ジノルグがいなくなったと分かってから、ロゼフィアはその場にへたり込む。下は草が生い茂っている。固い地面ではないので、ふかふかの草がいいクッションになってくれた。だがロゼフィアは顔を覆い隠す。なんという事をしてしまったのだろう。罪悪感と、先程のどきどきした感覚がまだ残る。


「……どうしたらいいの」


 分からない。今の自分には、分からない。

 何も考えられなくて、その場に座ったまま時間が過ぎる。




 一体どれくらいの時間が経ったのか分からないほどぼうっとしていれば、急に「うわ」と声が聞こえた。はっとしてそちらに顔を向ければ、藍色の頭が見えた。クリストファーが眉を寄せながら近付いてくる。


「何してんだ」

「クリス……」

「いきなりあいつから護衛を頼まれたと思えばあんたも神妙な顔してるし。何かあったのか?」

「頼まれたって……ジノルグに?」

「ああ。そういやあいつも変な顔してたな」

「え……」


 自分のせいだ。


 自分が、ジノルグを傷つけた。

 その現実に、さらにどうしようという顔になる。


 すると相手にぎょっとされた。


「おい、顔が青いぞ」

「どうしよう……どうしたら」

「何があったか知らないが、喧嘩か?」

「喧嘩だったら……むしろ言い合いだったらよかったのに」

「は?」


 だがロゼフィアの様子を見て、これ以上何を言っても変わらないと思ったのだろう。クリストファーは珍しく少し焦りつつ、手を差し出してくれる。


「とにかく、サンドラのところに行くぞ」


 ロゼフィアはクリストファーに連れられ、森を後にした。

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