25*溢れ出る思い
部屋が暗かったせいだろうか。その女性がバルコニーの傍に来れば、光で顔がより見える。目元に皺があり、思ったより年を取っているようだった。
だがそれでも綺麗な顔立ちをしている。
「わ、私は……」
ロゼフィアは声を出す。
だがここで自分の名を明かしていいのか少し迷った。
ここはジノルグの実家だ。目元が似ている事から、彼女はジノルグの親族だろう。だがここで自分の名を明かしてしまえば、ジノルグの耳にも届いてしまう。レオナルドについていけばいいだろうと安易な考えをしていたが、こうも簡単に親族に会ってしまうとは。とりあえずここまでは指示通りに来たが、その後の事は何も考えていなかった。
言葉を濁していると、ドアが何度かノックされる。
「奥様。大変です」
「なぁに、セバスチャン。お客人の前ですよ」
女性は不満げに声を漏らす。
セバスチャンと呼ばれた男性は、ドア越しのまま声を落とした。
「も、申し訳ございません。ですが、紫陽花の魔女が現われたと、下が大騒ぎになっておりまして……」
「紫陽花の魔女?」
言われてロゼフィアは硬直する。
もうここまで広まってしまったか。
すると女性はちらっとこちらを見てくる。
そしてくすっと意味深に笑った。
「セバスチャン、丁度いいわ。今日いらした方々は全て帰してちょうだい」
「奥様!? ですが、まだジノルグ様の」
「いいの。その方々より大事なお客人が目の前にいらっしゃるから」
「ま、待って下さい」
思わず声をかける。
すると女性はこちらに目を合わせてくれた。
「いきなり押しかけてしまってすみません。ですが、せっかく来てくれた方がいるんですから、その方達を優先してください。私が帰ります」
言いながらバルコニーから降りようとする。
だが相手は「待ちなさい」と声を上げる。ロゼフィアは身体を止めた。
「お気遣いありがとう。でも今回は形として呼んだだけだから。それに、いきなり帰したからってすぐに絆が壊れる交流はしていないわ。心配は無用よ」
「でも、」
「むしろ私はあなたにお会いしたかったの。まさかここで会えるとはね」
少し悪戯っぽく笑う。
そして右手を自分の胸に当て、小さく会釈した。
「改めて。ジノルグの祖母、キャロライン・メーベルよ」
「え……お、おばあ様?」
「あら嬉しい反応ね。美容にはとても気を遣っているの」
ほほほ、とキャロラインは優雅に笑う。
前にアンドレアがジノルグのおばあさんの事を「ばあや」と言っていたが、この人だったのか。もう少し腰が曲がって意地悪そうな人をイメージしていた。だが思った以上に綺麗だし、金髪の髪も艶がある。中身は少し強烈そうだ。
「…………」
「さっきから溜息ばかりだけど、大丈夫?」
隣に座っているフヅキに心配され、はっとする。
慌ててぎこちなく笑った。
「大丈夫です」
「せめて私の前では無理をしないで。今回だって、別に断ってくれても」
「いえ、いつまでも逃げるわけにはいきませんから」
「……」
実際その通りで、ずっと逃げてきた。
早く身を固めろと言われても、自分の意志がなければ結婚しても幸せにはなれないし相手を幸せにできない。それに今は仕事を優先させたかった。仕事がひと段落つけば、自然と家庭の事だって考えるだろう。だから、目の前の事に集中しようと思っていた。
……だが、そうも言ってられない状況になってきた。逃げていても周りに言われ続けるだけだ。何より一緒にいるロゼフィアにまで被害が及ぶ可能性がある。ただの護衛騎士と護衛対象として認識されるならいいが、それ以上の事を勝手に噂される事もあるかもしれない。それはロゼフィアが可哀想だ。
だから気は進まないものの帰ってきた。一度帰れば、しばらくは気が済むだろう。そして周りも考えを改めるだろう。そう信じて、ロゼフィアを置いてきた。
が、森での出来事を考えると無意識に溜息が出る。
結局自分は彼女を傷つけてしまっているのではないか、と。
「あら、じゃあ紫陽花と言うのはその風貌からなのね? 確かに紫陽花の花にしか見えないわ」
どこからか大きい声が聞こえてくる。
その声の持ち主は誰なのか分かる。
が、ここには出ないはずの名前が出て、ジノルグは少し眉を寄せた。
「お待たせ。ジノルグ、フヅキ」
勝手にドアが開く。
そして入ってきた人物に目を見開く。
「……ロゼフィア殿」
キャロラインの後ろに若干隠れながら、ロゼフィアがこちらを見た。が、気まずいのかすぐ視線が下がる。いつもと違う白いワンピースは、彼女の綺麗な風貌をより際立たせていた。だがそれよりも、なぜここにいるのか分からない。思わず口調が険しくなった。
「なぜ彼女がここにいるのです」
「あら、久しぶりの再会なのに怖い顔」
「彼女はこの場に関係ありません。すぐに帰してください」
「いやよ。私もフヅキも、ずっとこの子に会いたいと思っていたのよ? せっかく来てくれたんだから、歓迎してあげないと」
「ここに来た……?」
てっきりここに連れて来たのだと思ったのだが。
だがロゼフィアの方を見ても視線を合わせてくれない。
少し迷ったが、別の言葉を使った。
「俺は見合いを受けるために帰ってきました。彼女がここにいたのでは」
「じゃあこの子と見合いをすればいいじゃない」
「「は?」」
思わず互いの声が合わさる。
これにはロゼフィアも初耳なようだ。
「もちろん形だけ。本当に見合いをするわけじゃないわ。ジノルグがわざわざ『見合いのために』帰ってきたって口に出してくれるなんて……よっぽど大事にしている子なのね」
キャロラインは満面の笑みでそう言う。
やぶ蛇だったかもしれないと思い、若干顔が熱くなった。
「まぁ最初はお互いに言いたい事があるでしょう」
言いながらキャロラインはフヅキの手を取る。
「私達は別室に移動しておくから。終わったら教えて頂戴ね」
そして優雅に笑いながら部屋から出て行ってしまった。
嵐のような人だ。部屋のドアが閉まれば、急にしんとなる。
ジノルグはロゼフィアに向き直る。
だがやはり相手は下を向いたままだった。
「ごめんなさい」
消え入りそうな声色だった。
先程の言い方が少しきつかったかもしれない。
ジノルグはできるだけ声色を明るくした。
「気にするな。驚いただけだ。座ってくれ」
するとロゼフィアはゆっくりと椅子に座った。
目を合わせようとしても、まだ合わせてくれない。
「……どうやって来たんだ?」
「レオナルドに、連れられて」
「…………」
言われて愚問だったと気付いた。
そしてあいつならやりかねないという事を忘れていた。
数日とはいえ、護衛を二人もできないだろうと、クリストファーにはあえて頼まなかった。そしてその他に信頼がおけると思っていたのがレオナルドだ。同僚であるし、約束した事は守ってくれるし、そういう意味では安心していた。だが、彼はただの騎士ではない。どこかおせっかいな情報屋でもある。
「そうか。じゃあロゼフィア殿は何も悪くない。悪いのはあいつだ」
「違う。私も同意した。ここに来たい、って」
ジノルグは思わず黙ってしまう。
ロゼフィアからすれば、何も言わずに行った事が気になったのだろう。実家に帰る事さえ言わなかった。それだけでも言えば、彼女は納得していたかもしれないのに。だが……言いたくなかった。何も知らないままでいてほしかった、というのは、我儘だろうか。
「お見合いをするためだったのね。それなのに押しかけて……ごめんなさい」
さっきの発言も利いたのだろう。確かに見合いを受けるのにロゼフィアが来る理由はない。むしろ見合いを受けに来た令嬢達が驚いたり煙たがったりするだけだ。ジノルグは黙ったままでいた。むしろ何も言えなかった。言わなかったせいでこういう展開になってしまい、むしろ言ってしまった方が良かったのかとさえ思った。
「ジノルグ」
すると急に名前を呼ばれた。
いつの間にか伏していた目を上げる。
すると彼女はこちらを見ていた。
「ジノルグは、結婚したいの?」
質問の意図がよく分からなかった。
なぜそんな事を聞いてくるのだろう。
「なんとなく、そうじゃない気がして……。無理して、見合いを受けなくてもいいんじゃないかなと思って。おばあ様も、言ってたの。気が進まないのに帰ってくる必要はないのに、って」
「…………」
確かに、自分の意志はなかった。
一瞬迷いながらも、口を開く。
「護衛騎士と護衛対象が一緒にいる事は当たり前で、誰も不審に思わない。だが……一部では勝手な噂が出回る事もある。俺が見合いさえ受ければ、ロゼフィア殿に迷惑をかける事はないと思った」
「…………」
今度はロゼフィアが黙る。
彼女はどう思うだろう。どう答えるだろう。
すると、予想もしてなかった答えが出る。
「じゃあ私、ジノルグに相応しい人になれるよう努力する」
「…………は?」
思わず相手を凝視する。
だがロゼフィアは、どこか気合いを入れている様子だった。
「前までの私だったら、不釣り合いなのに、とか、もったいない、とか、そんな事ばっかり思ってた。でも、その考えはやめる。不釣り合いだと思うなら、相応しいと思ってもらえるように自分を磨く。その、外見っていうよりは、内面をもっと磨く。ジノルグと隣に並んでも、恥ずかしいと思われない人になる」
思わず瞬きを繰り返す。
そういう事を言っているわけではないのだが。
「……ロゼフィア殿は、迷惑だと思わないのか?」
「え?」
「俺は、隣にロゼフィア殿がいて迷惑だなんて思わない。だが、ロゼフィア殿からすれば」
「迷惑って、滅相もない」
手をぶんぶん振って否定する。
言動がどこか珍しい。
「ジノルグは皆に尊敬されているし、すごい人だと思う。だから、隣にいるのは少し気が引ける。でも、私が頑張ればいい話だから。ジノルグはそのままでいいから」
ロゼフィアは微笑んだ。
ジノルグは少しだけ呆気に取られる。見合いの話からその理由の話をしていたのに、いつの間にか脱線した。そして彼女はそのままでいいと言ってくれた。それだけの事ではあるが、ジノルグは徐々に嬉しさが込み上げて来た。
なんで嬉しいのか、言葉では表す事ができない。ただ彼女がここにて、そんな事を言ってくれる。それだけで、胸がいっぱいになる。
「ロゼフィア殿」
「うん?」
感極まってか、ジノルグはぽろっと言ってしまう。
「抱きしめてもいいか」
「……えっ?」
言われた意味が一瞬分からず、声が上ずってしまう。
だがジノルグは真面目な顔のままだ。冗談で言った様子はない。
「あ……はい」
とりあえず返事をする。
むしろどう答えればいいか分からなかった。
するとジノルグは立ち上がってこちらに近付く。
そして目線を合わせてくれた。
「……いいか?」
まるでこれから何かが起ころうとするかの如く真面目な顔だ。少し怖い。だがおそらくジノルグからすれば真面目に言っているだけだろう。再度わざわざ言ってくれるという事は、抱きしめるのではなく突進してくるんじゃないかという気さえする。だが考えた末、ロゼフィアはそっと両手を広げた。
「ど、どうぞ」
自身も真面目に言ってしまう。
するとジノルグは頷き、そっと触れてきた。
隣で見ていた時から思っていたが、大きな背中だ。自分なんてすっぽりと隠れてしまう。そして木々の香りがする。以前もそんな香りがしたが、ジノルグ自身の香りなのか。爽やかで心地よい。
ジノルグは強くない程度に抱きしめてくれた。
なんで急にこうしたくなったのかは分からないが、どことなくさっきよりは元気になってくれた気がする。そして自然に、髪を撫でてくれた。少しくすぐったい気もするが、悪い気はしない。むしろ嬉しい。なんだかあったかい気持ちになる。
しばらくずっとそのままだったが、苦しくはなかった。そして時間が経つと、少し慣れてきた。ジノルグの肩に自分の顎が乗っている状態なのだが、周りを見渡す余裕さえあるほどだ。ふと横を見る。互いの顔の距離が近い。そういえば、なんであの時ジノルグはキスをしてきたのだろう。
だが今なら、少しは分かるかもしれない。
よく自分も祖母からおでこにキスをされた。
祝福を込めて、と。それときっと同じだと思う。
いつも自分は与えられているばかりだ。
何か返したいのに。与えたいのに。
そう思いながら、自分も返したらいいんじゃないかと考えた。この距離ならきっと届く。いつもなら自分よりジノルグの方が背が高いので届かない。だが、今ならできるだろう。頬なら挨拶代わりにキスする国もある。不自然ではないはずだ。ロゼフィアは勢いのまま、ジノルグの頬に口を近付けた。
「ロゼフィ……」
ジノルグが名前を呼んで顔を動かした。
でもそれは途中で消えた。消えざるを得なかった。
互いに固まった。
一瞬心臓が止まりそうになる。
だが、二人ともその状況から動けなかった。
動いた後にどういう反応をしたらいいのか、分からなかったから。
「二人共、そろそろお茶でもどうかしら?」
急に入ってきたキャロラインに、二人はすぐに距離を取った。
そして互いに顔を背ける。
「あら?」
何も知らないキャロラインは交互に見てくる。
だがすぐに「そうだ、お菓子も持ってくるわね」と言って一旦出てしまう。
思わず息を吐くが、今度はノックがされた。
入ってきたのはフヅキだ。
「……あら、どうしたの?」
深刻そうな顔をされ、こちらもどぎまぎする。
フヅキは純粋に心配してきた。
「二人共、顔が真っ赤よ?」
この言葉でさらに顔に熱が帯びる。
そしてキャロラインも察していた事を後で知った。
「ごめんなさいね、手伝ってもらっちゃって」
「いえ、これくらいさせて下さい」
四人で色々な話をした後、使ったお皿やコップを片づけていた。
先程の事でロゼフィアとジノルグは気が動転していたが、まだ二人きりじゃないだけ助かった。最も、しばらくは相手の顔さえも見れなかったのだが。
話の内容はほとんどジノルグの子供時代だった。ジノルグの母であるフヅキは、髪色も顔立ちもジノルグとそっくりだ。彼がわりと整っている顔立ちなのは母親譲りだろう。落ち着いているところも似ているが、真っ直ぐな性格は父親譲りらしい。
「そういえば……ロゼフィアさんの事は、聞いてもいいのかしら?」
フヅキが控えめに聞いてくる。
ロゼフィアが自分の話をする時間が少なかったからだろう。
出生については誰かに話した事はない。記事で取材を受けた時も聞かれなかった。それはまた別の機会で聞かれる可能性もあるが……その時はその時だ。それに、フヅキになら話しても問題ないと思った。
ロゼフィアは頷きながら口を開く。
「私の両親は、幼い頃に森を去りました。……ほとんど世話をしてくれたのは、祖母なんです。薬の知識は祖母譲りです」
「……おばあ様は」
ロゼフィアは首を振る。
フヅキはすぐ分かったのか頷いた。
「それからは、ずっと一人でした。でも、寂しくはなかったんです。元々引っ込み思案なところがありましたし、一人で生きる術は学んでました。両親も、帰ってこなくても毎年手紙を送ってくれますし」
魔女であった母は父と出会って結婚した。だが二人とも仕事が忙しく、森を去る事になった。覚えているのは、優しく頭を撫でてくれた両親の手と、「立派な魔女になって皆を支えてね」の言葉だ。何の仕事をしているのかは知らない。だが帰ってこなくても、いつも心配してくれている文面を受け取る。両親が元気でやっているのならそれでいい。自分は一人でも大丈夫。
そう思いながら、魔女の仕事をこなしていた。
「それに、今は一人じゃありません」
周りにたくさんの人がいる。
ジノルグもいる。だから、寂しいとは思わない。
「…………」
するとフヅキは、そっと抱きしめてくる。
控えめな花の香りを感じながら、少し戸惑った。
すると彼女は、優しく言ってくれる。
「私で良ければ、いつでも胸を貸すわ」
それは、母として、という意味が込められている事を感じた。
温かい。ロゼフィアも思わず抱きしめ返す。
久しぶりに感じた親の愛情は、胸にじんわりと来るものがあった。
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