15*無意識でも伝え合う

「「…………」」


 無言が続く。


 侍女に案内されてまた応接室に戻ったわけだが、特に何か会話をするわけでもなく、無言のままだ。本来なら無言なんて事にはならなかっただろう。キイルは気さくだし、きっと何かしら話題を振ってくれる。……だが、あいにくそうならなかった。なぜなら今ロゼフィアはジノルグと二人きりなのだから。


(……き、気まずいかも)


 とりあえずロゼフィアは出してもらった紅茶を口にする。侍女がてきぱきと紅茶とお菓子を持ってきてくれたのだ。手慣れている様子だったので、チャールズ達の話が長くなる事を予測していたのだろう。なかなかに有能である。だがお菓子は正直あまり食べたいと思わず(サンドラのせいだ)、紅茶だけを頻繁に飲む。いつもならゆっくり飲むのだが、そうも言ってられない。この場を繋ぐのは紅茶の力が必要だ。


 こうなってしまったのは、キイルが他の騎士に呼ばれたからである。急に部屋を訪ねてきて、「すぐに来てください!」と焦ったように言われ、キイル本人は気にせず笑いながら部屋を出て行ってしまった。隊長という立場なのだから、きっと普段から忙しい人なのだろう。その場は納得しつつも、それから数十分経っても帰ってこない。最初は気にならなかった無言も、だんだん苦痛になってきた。


 ロゼフィアはちらっと前を見る。


 向かい合わせのソファーに座っているジノルグは少し下を向いていたが、こちらの視線に気付いたのか目を合わせて来た。だがタイミングよくこちらは逸らす。目をずっと合わせる事などできない。


 なぜこんなにも相手を気にしているのか、というと、先程の言い合いがあったからだ。ロゼフィアは薬師の意見としてあんな大口を叩いてしまったが、ジノルグはあまり納得したような顔をしていなかった。あの場はキイルのおかげで済んだようなものだ。ここに移動するまでに二人で話す時間だってなかったし、むしろ二人で話そうとも思っていなかったし、あの後で、普通に話しかけていいのかも分からない。


 しかもジノルグも話そうとしないのだ。いつもだったらジノルグの方が声をかけてくれる。そして話をしてくれる。基本二人きりで移動している時は無言の方が多いのだが、それでもジノルグの方が気遣ってくれているような気がする。そう思うと、自分はいつも相手に遠慮させてしまっているのではないかとはたと気付いた。


(どうしよう。やっぱりさっきの謝るべき? いや、でも私は間違っていない。薬師としては間違った事を言ってないし、隊長だってそう言ってくれた。でも、このままただずっと無言なのもちょっと苦しい。普通に話しかけていいのかしら。それとも、さっきの話をしてからの方がいいの?)


 悶々と頭で考え、どう言えば相手にとって問題ないか、何度もシミュレーションする。どう声をかければいいか、どういう声のトーンで言えばいいか、表情も作った方がいいのか、ロゼフィアはただ黙々と考え続けた。


「ロゼフィア殿」

「えっ? あ、はい」


 なぜか畏まった返事をしてしまう。

 緊張気味に相手の言葉を待っていると、なぜか苦笑された。


「何を考えているか分からないが、俺は別に怒ってない」

「あ、そう」


 また無難な言い方になってしまう。

 だが慌てて付け足す。


「別に、顔色を伺ってたわけじゃないわ。ジノルグはいつも顔色変わらないし」


 言ってちょっとやぶ蛇だったと後悔する。

 余計な事まで口にするのはもはや癖だろうか。


 だがジノルグはあっさり肯定した。


「そうだな。よく言われる」


 思ったより気にしていないようだ。

 そのままの流れで聞いてしまう。


「それって……素、なのよね?」

「? どういう意味だ」

「別に作っているわけじゃないでしょ?」

「わざとポーカーフェイスする奴もたまにいるな。だが俺はそんな器用な真似はできない」

「それは分かるわ。ジノルグは誰に対しても同じように接するもの」


 するとふっと笑われる。


「そうだな。裏表がないとよく言われる」


 ちょっと笑ってくれたおかげか、緊張の糸が切れる。

 ロゼフィアも口をほころばせながら頷いた。


「いい事だわ。私はそういう人の方が好きよ」


 すると珈琲を飲みかけていたジノルグの手が止まる。

 少し意外そうにこちらを見てきた。


「え、なに? なにか変な事言った?」

「いや……ロゼフィア殿に言われると嬉しいな」


 少しためらったような動きをした後、ゆっくり珈琲を飲む。なんだか珍しい反応に、こちらの方がびっくりしてしまった。だが嬉しい、と言ってくれて、こちらまでなんだかあったかい気持ちになる。そしてレオナルドに言われた事を思い出す。今こそまさに、ジノルグを褒めるチャンスなのではないだろうか。この流れなら、自然と褒める事ができる気がする。


「そういえば、さっきも」

「?」

「あの、剣で対決してたでしょ? 他の騎士と」

「ああ。いつの間にか同期の奴らとしてたけどな」


 どこか呆れたような顔をしていた。どうやらジノルグも相手をしているうちに気付いたのだろう。それでも途中で止めずに相手をしてあげるところは律儀だ。ロゼフィアは大きく頷いた。


「あれも、」


 すごかった、と言おうとするが止める。むしろそれは誉め言葉になるのだろうか。もっとちゃんと具体的に褒めた方がいいんじゃないだろうか。だがどう褒めたらいいのだろう。どう言えば相手は喜んでくれる?


 途中で言葉を止めてしまったからか、ジノルグは眉を寄せる。どうしたのだろう、と思っているのだろう。こういう時、自然と言葉が出てこない自分が嫌になる。もっと人と接していれば、きっと自然と相手を褒めて喜ばす事もできるだろうに。焦って視線を動かしながらも、必死に頭を動かした。


 そしてひらめいた。


「そう。かっこよかった!」


 思わず声が大きくなる。

 嘘ではない。一瞬見とれてしまったのだから。


 するとジノルグはぽかん、とした顔になる。

 その表情を見るのも珍しい。


 しばらく固まった様子だったが、ジノルグは言葉を濁した。


「そう、か。ありがとう……」


 なぜか視線を逸らされてしまった。

 しかもあまり嬉しそうに見えない。


 それを見てロゼフィアはあれ、と思った。もっと喜んでくれると思ったのに。かっこいい、という言葉は誉め言葉のはずだ。男性的には言われて嬉しい言葉ではないだろうか。もしかして、使い方を間違えてしまったのだろうか。ちょっと残念に思いながら、再度ジノルグを見る。すると彼はどこか歪んだ顔をしていた。なんとなく、ロゼフィアの言葉を信じていないようにも見える。


(……まさか、嘘だと思ってるとか?)


 確かに今までジノルグをちゃんと褒めた事はないかもしれない。感謝しているというよりも、護衛はいらない、と拒否してばかりだ。それでも護衛をしてくれているのは、確固たるジノルグの意志によるものだろう。だが、思えば自分はジノルグに対してひどい事しか言っていない気がする。


 今までは仕方ないかもしれないが、今回は嘘じゃなかった。一言でも褒めてやれば喜ぶ、と、割と仲が良いレオナルドが言ったのだ。なら、きっとジノルグだって、喜んでくれるはず。なぜだが今のロゼフィアは、根拠のない自信を持っていた。


「本当よ。かっこいいって思ったんだから」

「ああ」

「あんなに大勢いてもジノルグの方が強かったし、動きも早くて、すごくて、」

「はぁ」

「見とれたんだから。それぐらい、かっこよかった」

「……」


 最後には黙ってしまう。

 しかもなぜか下を向いた。


 これにロゼフィアはなんだか納得いかなかった。どうしてこんなにも一生懸命伝えているのに信じてくれないのだろう。思ってもいない言葉なんて自分の口からは出ない。それはジノルグも分かってくれていると思っていたのに。ジノルグはしきりに下を向いている。あんまりにも顔を見せてくれないので、ロゼフィアはそーっとジノルグの傍まで寄った。そしてちらっと顔を覗き込もうとする。


「っ!」


 すると気付いたのか、ジノルグは顔を動かす。

 一瞬だがロゼフィアには見えた。


 ほんの少しだが、頬が紅潮しているのを。


「ジノルグ、」

「見るな」


 今度は身体ごと動かし、こちらに背を向ける。

 だがさすがに気付いてしまった。


「まさか、照れたとか?」

「……うるさい」


 否定はされなかった。

 じゃあつまり……自然と頬が緩んでしまう。


 ロゼフィアは思わずジノルグに近付く。


「ね、少しは嬉しかったって事?」

「は!? おい、見るな」

「ね、ね、そうなんでしょ? 嬉しかったんでしょ?」

「近い。離れろ」

「なによ、いつも傍にいるくせに。こういう時だけ離れようって言うの?」


 売り言葉に買い言葉だ。意地でも離れてやるもんか、とロゼフィアはジノルグが座っていたソファーに片膝を乗せ、肩を掴もうとした。すると反射か、ジノルグはその手を振り払う。思ったよりも力が強かったせいで、ロゼフィアは背もたれの方にぐらっと身体が傾く。ソファーは豪勢に見えて軽い素材だったようだ。そのままの勢いでソファーごと床に叩きつけられそうになる。すると同じようにソファーが傾くのに気付いたジノルグは、慌てて腕を伸ばす。


「ロゼフィア殿!」


 名前を呼んだ後、二人はそのままひっくり返ってしまった。


「どうされました!」


 倒れる音が大きかったのだろう。

 慌てて侍女達が部屋に入り込んでくる。


「……おお? お前ら」


 丁度帰ってきたのか、侍女の後ろでキイルが声を上げる。そしてジノルグとロゼフィアの姿を見て目をぱちくりさせた。ソファーはひっくり返り、床に二人は転がっていた。というか、抱き合っていた。ジノルグが間一髪のところでロゼフィアの腕を取り、自ら背中を床に当てたのだ。おかげでロゼフィアは床にぶつかる事なく無事だった。とまぁ実際はその通りなのだが、その状態しか見ていない人からすれば誤解されるだろう。皆さっと部屋から出て行き、ドアを閉めようとした。


「ちょ、ちょっと待って!」

「誤解です。事故で」

「いや、後は若いもん同士で……」

「キイル殿っ!」


 さすがにジノルグが抗議を上げたため、キイルは笑いながら入ってきた。どうやら冗談で出て行こうとしたらしい。この人の場合、冗談なのか本気なのかちょっと分かりづらい。侍女達も苦笑する。どうやら彼女達も冗談でそうしたようだ。ノリがいいのはありがたいが、こういう時まで合わせなくていい。


 慌てて立ち上がって洋服を整える。

 するとジノルグが近付いてきた。


「すまない。大丈夫か」

「ええ……。私こそごめんなさい。ちょっとふざけすぎたわね」


 自分のせいであんな事故になったようなものだ。嬉しかったとはいえ、相手を怒らせるのはやめた方がいい。しかもその相手がジノルグなのだから、尚更だ。肝に銘じようと思った。


 するとジノルグは首を振る。


「いや、俺も大人げなかった。褒めてもらえたのは嬉しかったんだが、」


 なぜか一度言葉を止める。

 その顔は微笑んでいた。


「あんまりロゼフィア殿が熱弁するから、可愛く見えた」

「は」


 素で声が出る。


 そして見る見るうちにロゼフィアの方が顔が火照ってくる。つまりあれか。言葉が嬉しかったというより、自分の言動が面白かったという事か? 知らぬ間に笑われていたのだと分かり、恥ずかしさでいっぱいになる。ロゼフィアは思い切りジノルグの腕を叩いた。


「って!」

「影で笑ってたなんて最低っ!」

「は? 笑ってなんか」

「褒めたのはジノルグに喜んでほしかったからよ。私は嘘をつかない。少しでも信じてほしいと思って何度も言ったのに」

「それはちゃんと伝わった。だから今嬉しかったと言っただろう?」

「可愛いってなによ。馬鹿にしてるんでしょ!?」

「馬鹿になんかしてない。本当に可愛いと思っただけだ」

「可愛いっていうのは小さくて可愛らしい子に使うのよ! 私に使うって事は誉め言葉じゃない!」


 本当に可愛い人にならその言葉は誉め言葉だ。だが自分にはその要素はない。可愛らしさもないし素直さもない。それなのにその言葉を使うという事は、面白がっているだけだ。


 するとジノルグはむっとした顔になる。


「なんでそうひねくれた捉え方しかしないんだ」

「いいわよもう結構。今更何を言われても嬉しくないから」

「可愛いと思ったのは俺のために言ってくれている姿が可愛いと思ったんだ。普段見せない姿を見て愛らしく思った。俺のために考えてくれているのが嬉しかった。可愛いという言葉が駄目なら別の言葉を使う。俺にとっては魅力的に見えた。それこそロゼフィア殿しか目が入らないくらいに」


 真剣に伝えてくれているのが分かる。

 だからこそ直球過ぎる言葉に唖然とした。


 これにはロゼフィアが耐えられなくなった。


「……分かった。ごめんなさい。私が悪かったわ」

「まだ言えるぞ」

「もういい。ほんとにもういいから」


 ジノルグも息を吐く。

 一気にまくし立てて息が切れたのだろう。


「「「…………」」」


 しばらくその様子を見守っていたキイルと侍女達も無言になる。キイルはふうむ、と言いながら頭を掻いた。先程まで言い争っていた二人は、今では驚くほど沈黙している。おそらく二人共疲れたのだろう。そして。


(お互いけっこうな事を口にしていると思うんだがなぁ)


 それでもブレない二人を見て、なんだか面白いと思ってしまった。







 あんなにもうるさく言い合ってしまっていたが、チャールズとアンドレアもなかなかに長い戦いを繰り広げていたらしい。なのでこちらの言い合いは全く聞こえていなかったようだ。チャールズに呼ばれ、三人はまた部屋に入っていく。


「さて、三人を呼んだのは他でもない」


 見れば地味に顔にひっかき傷が見えた。

 もしかして乱戦になったのだろうか。


 見ればいつの間にか椅子に座っていたアンドレアはいなくなっている。お互いに言いたい事を言い合った後、とっとと部屋に戻ってしまったらしい。応接室を通らなくても部屋に戻る道はあるらしい。だからアンドレアが応接室を通った姿を見ていないのか。改めてチャールズだけに呼ばれ、一体何を言われるのだろうと思った。


「アンドレアには拒否されたが、数日後にはレビバンス王国の王子が来る事になっている」

「え。それって、アンドレアには」

「伝えていない」


 きっぱり言われる。


「つまり、内緒で招待するという事ですか?」

「ああ」


 これはまた、アンドレアにバレたらかなり怒られるんじゃないだろうか。しかもそれをバレないように気にしないといけない。アンドレアはなかなか鋭いので、いやでも見抜かれるんじゃないかと心配になる。


「そこで、三人には王子を観察してほしいんだ」

「観察?」

「ああ。どういう人物なのか、本当にアンドレアに相応しいかどうか」

「しかし、陛下が実際にお会いし、そして良いと思った方なのでしょう? それをどうして、この三人に任せようと思ったのでしょうか」


 キイルが丁寧に聞く。


 確かにそうだ。なぜこの三人なのか分からない。ジノルグはおそらく側近だったので、アンドレアの事が分かっているからだろう。キイルも、何かしら洞察力があるから、だろうか。だが自分が呼ばれた理由は分からない。そんなに人の気持ちが分かる方じゃないのだが。


 するとチャールズは頷いて答えてくれる。


 ジノルグは思った通りの理由だった。キイルも隊長として数々の騎士の人柄を見抜いてきたため、だそうだ。ここまでは予想通りだった。自分は何なのだろう、と固唾を飲んで見守る。すると微笑まれた。


「アンドレアの良き友人だから、だろうか」

「……は、はぁ」

「君はどうか分からないが、アンドレアは君をとても好いている。そして君自身もアンドレアの事をよく分かっている。なにより同性だからね。きっとアンドレアの気持ちも理解してあげられるだろうと思って」

「つまり、アンドレア殿下のケアもできるという事ですかな」

「ご名答」


 にっこりと笑われる。


 つまり、王子と会う前と会った後、アンドレアの気持ちに寄り添ってほしいから、というのが大きな理由のようだ。確かにアンドレアは自分を姉のように慕ってくれている。一応これはアンドレアの将来も大きく左右する。王子がどんな人なのかは分からないが、会ってどんな人物なのか確かめる事もできる。


 良いなら良いで認めるだろうし、良くないなら良くないときっぱりチャールズに伝えるのもいいかもしれない。ちょっと困ったところはあるものの、ロゼフィアにとってアンドレアも大事な友人の一人だ。自分にできる事があるのなら、それを全うしたいと思った。

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