その075「おまじない」

「姉ちゃん姉ちゃんっ!」

 今日も今日とて、僕はバイト中の姉ちゃんのことを呼ぶも、

「今忙しいから、飼い主を励まそうと吠えるわんこの……きゃんっ!」

 姉ちゃん、またもすっ転んだ。

「むぅ、名物にはなってんねんけど、やっぱ困るな。損害がないワケやないし」

 これには、マスターのおじさんも困り顔だ。

「でも、奥さんも姉ちゃんと同じ感じだぞ」

「ウチのは、おまじないをしてやるとキビキビしてくれるねん」

「?」

 僕が頭に疑問符を浮かべていると、

「何の話をしてるんデスか?」

 裏口でのゴミ捨てから帰ってきた奥さんが、店内に姿を表した。

「お、いいところに。ちょっとこっち来い」

「?」

 マスターは、奥さんの名前を呼びながら手招きして、

「今から閉店の時間まで、ミスしたらペナルティな?」

「え……あ、まさか」

「ご明察」


 ちゅ、と。

 奥さんの頬に、キスをした。


「!」

 僕と姉ちゃんは驚くけど、一方のお客さん達は、『ヒュ~』だの『この仲良し夫婦め!』だので、とても和んでいた。

 昔から慣れ親しんだ光景らしい。

「気をつけてな」

「は、はいっ」

 奥さん、顔を赤くしながら頷いて、フロアを回り出す。足取りからは危なっかしさは見られず、目に見えて動きが良い。

「……おじさん、大人だぞ」

「我が家流やで」

 マスターは悪戯っ子みたいに笑う。

 こういうのもあるのか……。

「あいたぁっ!?」

 と、僕が感心する傍ら、姉ちゃん相変わらずやらかしていた。

 ……よし。

「姉ちゃん、大丈夫か」

「あたた……あ、ごめんね」

「僕からおまじないだぞ」

「え……って!?」

 姉ちゃんの肩に手を置いて。

 ――その頬に、唇を寄せようとしたところで、


 ぶすっ!


「ぎゃーっ!? めが、目がーっ!?」

「バ、バカなことしないで! だ、だ、大丈夫なんだからっ!」

 転げ回る僕を置いて、姉ちゃんは真っ赤になりながら、さっさと仕事に戻ってしまった。

「坊、パクリはアカンで」

「お、大人の世界はわからないぞ……」

 ……別のおまじないを考えよう、と思ったぞ。

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