Ⅲ-Ⅰ

「懐かしいわねえ、トロイア戦争」


 集落への道を歩きながら、ブリセイスは遠い過去のことを話し始めた。


「ヒュロス君のお父様アキレウスが亡くなって、貴方がアテナ様の導きでやってきて……大活躍だったわよね」


「お陰で釘刺されたりもしましたけどねー」


 懐かしい話だ。

 地球、アジアの西で行われた神話の大戦争。十年に渡った戦いの詰めとして、俺はギリシャの神々に呼び出された。


 それが、トロイア戦争。


 詳細は古代ギリシャが生み出した叙事詩・イリアス、オデュッセウスに詳しい。父の武具を受け取った俺は、敵国トロイアを蹂躙。ギリシャ側が勝利するための切っ掛けを作ることになる。


 といっても、俺の活躍が二つの叙事詩で直接語られることはない。イリアスは父・アキレウスが宿敵を倒して終りだし、オデュッセウスは基本的に後日談だからだ。


 戦争の終焉である木馬作戦に参加した英雄の一人だし、トロイアの王を討った張本人だというのにこの始末。やはり、父は越えられない壁らしい。


「いやあ、トロイア戦争は色々あったけど楽しかったですよ。向こうも英雄ぞろいでしたからね」


「でもヒュロス君、あれが初陣だったんでしょう? 凄い戦果だったわよね」


「故郷で鍛えられてましたから。……死にかけたりもしましたけど」


「そうなの?」


 あんまり思い出したくないが、頷くしかなかった。

 俺の師は栄光の神であり、戦神でもあるアテナが務めている。彼女の兄である神と親しいので、そこを通して指南してもらったというわけだ。


 ――ちなみに、肝心の当人はいつの間にか姿を消している。

 何も言い残さず消えてしまったため、もう気になって仕方ない。思えばブリセイスと出会った時点で消えていたし、今から向かう集落と関係があったりするんだろうか?


「ところでさっきの紅い刃は? あれは訓練の成果なの?」


「あれは違いますよ。父上の槍、神馬紅槍ラケラ・ケイローンに宿ってる神の加護です」


 軍勢を一掃する威力を持つ、魔術の刃。

 第一形態である槍の姿から、俺の合図によって第二形態である巨体な刃と化す。長時間の発動、連射こそ難しいが、防ぐ術などない必殺の一撃だ。


「ふうん……やっぱりヒュロス君は、神々に愛されているのね。アキレウスさんも、生まれた時は随分と祝福されたそうだけど」


「らしいですね。俺の時も、祖母が喜びのあまり神界を駆けまわって知らせたとか……」


「お祖母さん……っていうと、テティス様のことかしら」


「ええ」


 海の女神・テティス。

 その美貌は多数の神々から求愛されるほどだったという。だが、彼女には一つの予言がついていた。生まれた子が、必ず父親を上回る存在になるというのだ。


 全能神からも求愛された祖母だが、その予言が原因で結ばれなかったらしい。


 といっても彼女は、当時からある人間を溺愛していた。その熱愛ぶりはすさまじく、人間と神という異例の組み合わせを承諾するしかなかったとか。

 そして俺の父・アキレウスが生まれることになる。


「祖母は俺にも父上にも、よく助言をしてくれました。あの人がいなかったら俺、トロイアから無事に帰れ――」


 話している間に、木々の隙間から人の営みが見え始めた。


 並ぶ木造の建築物。ちらほらを映るのは、白い貫頭衣を来た村人達だ。……槍を手に武装している者も何人かいる。

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