初夜の作法は妻の心得です!? 8

◇◇◇



 結婚式の前日。久しぶりに勢ぞろいしたメンブラート家一家はルーヴェでも格式高いレストランで食事をして、それからホテルへと戻ってきた。

「お父さん、大丈夫?」

 杖をついて歩くバステライドに手を貸すのはリシィルで、その隣ではユーリィレインが心配そうに彼を見守っている。


「大丈夫だよ。傷はもう癒えているんだ。ただ、ちょっと歩くのが不自由になってね」

 家族全員バステライドがけがを負わされた理由を聞かされている。

「お父様、わたしのことも頼ってね」

 そう言うのはユーリィレインだ。

 彼女は在籍をしている寄宿舎を休学して結婚式に駆けつけてくれた。

 家族そろって、続き部屋の一番広い居間に集まる。

 それぞれが長椅子や一人掛けの椅子に座って、出されたコーヒーやお茶に口をつける。


「いよいよ、明日だね」

 バステライドがしみじみとした口調で口を開いた。

 オルフェリアはこくりと頷いた。

 いよいよ明日だというのにまったく実感がわいてこない。

「なんだか、明日が結婚式っていう気がしなくて」

 正直な気持ちを口にするとリュオンが「だったらもういっそのことお嫁に行くのやめたらいいと思う」と言った。


「あんた、まだそんなこと言ってるの?」

「リュオンは寄宿学校に行ってもそういうところ変わらないのね」

 リュオンの相変わらず発言に突っ込みを入れたのはリシィルとユーリィレインだ。

 姉二人から立て続けに非難されたリュオンはむすっと頬を膨らませた。

 オルフェリアはくすりと笑った。


「寄宿学校といえば、リュオンとレインはどんなことを勉強しているんだい?」

 バステライドが娘と息子に話を振る。

 バステライドはロームを拠点に彼の手がける事業の手綱を取っている。

 彼が到着をして、ユーリィレインは昨日ゆっくりバステライドと話をしたそうだ。

 と、リシィルから聞いている。

 二人は交互に寄宿学校の授業の様子を話した。


「そうか。レインはロルテーム語が上達したのか。オーリィも流暢に離せるようになったしね」

「あら、わたしお姉様には負けないわ」

 対抗心を燃やすようなユーリィレインの言葉にオルフェリアは苦笑を漏らす。


 彼女からは再会してから謝罪を受けた。

 酷いことを言ってしまってごめんなさい、と。それから、バステライドから甘やかされているオルフェリアのことが小さなころからうらやましかった、とも。


「あら、二人ともすごいのね。わたしも何か新しいことでも始めようかしら」

 おっとり笑うのはエシィルだ。

 頭の上にはみみずくのみーちゃんを乗せている。

「エル姉さんはこれ以上奇行をしないでください」

「奇行って?」

 リュオンの言葉にエシィルはこっくりと首をかしげる。


「頭にみみずくを乗せている時点で十分におかしなことです!」

「まあ。みーちゃんは可愛いわたしの家族よ」

「お姉様も相変わらずよね」

 姉の主張にあきれ顔をつくるユーリィレインだ。


「みみずくといえばエルが初めて鳥を持って帰ってきたことを思い出すね」

 バステライドが目を細めて在りし日に思いを馳せる。

 ここで家族全員から口々に昔の双子姉妹のいたずらや奇行の思い出話が飛び出した。

 大人になってから子供時代のあれこれを思い出して語るのは、時に恥ずかしくもあり懐かしくもある。

 バステライドはそれらにじっくりと耳を傾けていた。姉弟たちは楽しかった思い出だけを口にする。

 家族でピクニックに行った時のこと、領地内の視察旅行や、遠乗りの思い出。

 双子姉妹の数々のいたずらなど。


「懐かしいな」

「本当ね。みんなあっという間に大きくなって」

「フレイツはまだ子供だけどね」


 リシィルはカリティーファにもたれかかって半分夢の中に入り込んだ弟を眺めた。

 フレイツはバステライドに再会をしたとき人見知りを発動した。父の顔を半分以上忘れていた息子に、バステライドは明らかにショックを受けていた。そのときの、カリティーファの妙に冷たい眼差しが少しだけ恐ろしいと思ったオルフェリアだった。


「あら、お母様ったら。新しい命も生まれてくるじゃない。ねえ、みーちゃん」

 エシィルが頭の上のみーちゃんにてをやって、膝の上に抱える。

「それ、本当にびっくりしたのよ。手紙を読んで叫んだくらい。同じ部屋の友達に何事って言われたんだから」

「ま、びっくりするのも無理ないよ。わたしたちも盛大に驚いたし」

「私も……驚いたよ」

「あなたまで!」

 ユーリィレインが口を開けばみんなが口々に感想を述べる。

 最後の苦笑交じりのバステライドの告白にカリティーファが眦を釣り上げた。


「でも、楽しみだな。今度はどっちかな。みんなはどっちがいい?」

 リシィルの台詞に「わたしは妹! 生意気な弟なんてもう懲り懲りよ」と口火を切ったのはユーリィレインだ。「僕も妹かな。オルフェリア姉上のような、優しい妹が欲しい」とはリュオンだ。


「わたしはどっちでもいいわねえ。子供たちのいい遊び相手になりそう」

 うふふと笑うのは双子の母になったエシィルだ。

「お母さんは?」

「そうねえ。無事に生まれてくれればどっちでもいいわ。男の子でも、女の子でも、どっちもうれしいわ」

 しみじみとした口調でカリティーファはお腹をさすった。まだ目立っていないが、もうあとひと月もすればぐんぐんと腹が張り出してくるだろう。


「カーリー」

「あなた、わたし今とっても幸せよ」

 夫婦はお互いに視線を絡めて笑いあった。

 夫婦の先輩でもある両親の暖かな雰囲気にオルフェリアの心もぽっと灯りがともったようになる。


「でも、さみしいな。お父様またロームに戻っちゃうんでしょう」

「だったら、次の夏の休暇はレイン、きみがロームにくるかい?」

「いいの?」

「ああ。もちろんだよ。お父様と一緒にロームを回ろうか」

「本当に?」

 ユーリィレインは途端に嬉しそうな声を出す。


「あら、いいわね。わたしもそのころにはロームにいると思うし、オルフェリアちゃんもあちらにいる予定なのよね」

「ええ。フレンの仕事の都合で」

「なんだよ、みんなして」

「リルちゃんも来ればいいじゃない」

「わたしも色々と忙しいんだ」


 トルデイリャスを愛するリシィルである。

 話題はつきなかった。

 それぞれの近況報告や思い出話、これから生まれる赤ちゃんに、バステライドの事業の話などなど。

 オルフェリアは胸がつんとした。

 ずっとこうしていたい気持ちになる。


 ルーヴェに来て、もうすぐお嫁さんになるという段階になってカリティーファは初めてオルフェリアに自分の心情を吐露した。

 二人でホテル近くを散策したのだ。

 その時に、彼女はオルフェリアにいろいろなことを話した。


 あなたに責められることが怖かった、と。初めて聞かされる母の心の内だった。

 オルフェリアは首を横に振った。そして、オルフェリアも初めて母に伝えた。昔フレンに伝えたような内容を。

 カリティーファはオルフェリアのことを抱きしめてくれた。二人とも目に涙を浮かべていた。

 最後に母と二人きりで話せてよかったと思う。

 家族の談笑はその後もしばらくの間続いた。


◇◇◇



 あれだけ緊張した結婚式は始まってしまえばあっという間だった。

 結婚式の間中リュオンは泣いていた。

 たぶん、バステライドよりもリュオンの涙の量の方が多かった、とはリシィルの言である。とはいえ、メンブラート家一致の意見だった。


 美しいドレスは来場者のため息を誘い、ファレンスト家の大きな屋敷で開かれた結婚披露の晩餐会でお色直しをしたオルフェリアはそこでも出席者にドレスをほめちぎられた。

 フレンから初めて紹介された彼の親族に挨拶をしてまわった。普段は大学にこもりきりで生死が本気でわからないことがあるというフレンの弟もこの日ばかりは正装に身を包みお祝いの席に駆けつけてくれた。


 エグモントもオルフェリアにしっかり目線を合わせてお祝いの言葉を述べてくれた。

 カルラはレカルディーナの生んだひ孫と初めて対面をして涙を浮かべて喜んだ。

 朝からずっと過密工程をこなしたオルフェリアはすでにへとへとだった。

 けれど心地いい疲労感でもあった。

 この疲労感と達成感をもってオルフェリアはフレンの妻になった。


 晩餐会も滞りなく終わり、オルフェリアは今日から仮住まいとなるファレンスト邸の二階へと連れてこられた。

 いつもオルフェリアがお世話になっている客間ではない。今日からは東側の主寝室が彼女の寝床になるのだ。

 オルフェリアはミネーレに寝支度を頼んだ。入念に体を磨いてくれるよう頼んだ。

 ミネーレはオルフェリアの意を汲み、湯を張ってくれた。妻付きの侍女三人がかりでオルフェリアの身支度を整えていく。


 支度が整っていくにつれ、オルフェリアの心は凪いでいく。

 オルフェリアは不思議に思う。

 フレンを受け入れると決めてから、心がとても落ち着いた。フレンと話をしたあの日にオルフェリアの決意は固まった。


 彼がオルフェリアを尊重してくれるから、オルフェリアは安心してフレンにすべてをゆだねることができる。フレンになら、オルフェリアのすべてをささげてもいいと思えるから。

 ミネーレたちから解放されたオルフェリアは花嫁道具として用意された寝衣にそでを通した。

 主寝室の扉を開けて、恐る恐る中へと入る。


「遅かったね」

 フレンは明らかにほっとした顔をしてオルフェリアを迎えてくれた。

 もしかしたら、この期に及んで怖気づいて逃げ出したとか思われていたのかもしれない。念入りに体を磨かれて、思いのほか時間が経っていた。


「あ、あの……」

 こういうとき、なんて言うのが正解なんだろう。一人掛けの椅子に腰をかけていたフレンはオルフェリアが入室した途端に立ち上がって、彼女を迎えるよう近づいてきた。

 いつもとは違う、フレンの夜着姿に、遅まきながら心臓が早鐘を打つ。

「そんなに緊張しないで。なにもしないから。なんなら、二人の間に枕でも置く?」

 フレンはさっそくオルフェリアを宥めにかかる。

「いらない」


「ええと……」

 フレンの方が視線を泳がせる。

 たぶん、オルフェリアが薄い夜着を身に着けているから。襟元にレエスがふんだんに使われているこれは、この季節にしては薄手である。もちろんボタンは前についている。


「フレン、枕で柵を作らなくても大丈夫だから。あの……わたしをちゃんと、フレンのお嫁さんにして」

 さすがに恥ずかしくてフレンの顔は見ることができなかった。

 最後の言葉を聞き取ってくれなかったからどうしよう、と焦った。最後声がしりすぼみになったのだ。

「オルフェリア……本気で言っている?」

 フレンは怪訝な声を出す。

 オルフェリアはこくりと頭を下げた。


「ちゃんと、覚悟……決めてきたから」


 次の言葉は聞こえてこなかった。

 沈黙があたりを支配する。

 オルフェリアは耐えきれなくなってフレンに抱き着いた。この間もこうして彼に触れた。いつの間に、彼に触れることがこんなにも自然なことになっていたんだろう。

 しかし、彼にとっては色々と試練の連続だったようで、「オルフェリア?」と口にした声が上ずっていた。


 オルフェリアはぎゅっと背中に回した腕に力を込めた。

 大丈夫だから。だから、あなたのお嫁さんにして。そんな願いを腕に込める。


 フレンはややしてからオルフェリアの腕をほどき、オルフェリアを抱き上げた。

 連れていかれた先は寝台の上だった。そっと、大きな寝台の上に下される。

 寝台の上に足を寛がせて座ったオルフェリアにかぶさるようにフレンが近づいてくる。

 そしてゆっくりと押し倒された。

 オルフェリアの顔の横にフレンが両腕を立てた。すぐそばで見つめられる。

 紫色の瞳が少しだけ揺らいだ。


「本当に、いいの?」

 そう聞くフレンからは隠しようもない熱情の色が見て取れる。

「……ええ」

 フレンの問いにオルフェリアは小さく首を引いた。


「さすがに、今更待っては聞けないよ?」

 オルフェリアは、間近でささやいたフレンの背中に腕をまわした。

「うん……」

 オルフェリアはもう一度頷いた。

 フレンの口づけが落ちてきたのはその直後だった。

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